俺と誰かのプリン闘争
大学一年生。おれは初めて部屋を借りて一人暮らしをする。
大学まで徒歩20分、半径1キロ圏内にスーパーと駅、コンビニもある。物件探しなど初めてだが、たぶんかなり好条件の立地だと思う。
苦学生らしいささやかな予算だったためびくびくしていたが、どうやら予算内に収まりそうだ。
築36年の木造アパート。7畳半、台所ユニットバスあり。広いとは言えないが一人だし、特に誰か呼ぶ予定もない。
家賃は月額2万ぴったり。安い。このあたりでも群を抜いて安い。いやそれどころか、この部屋が群を抜いて他の部屋より安いのだ。
「あの、大家さん。なんでこの部屋ってこんなに安いんですか?」
「安くて不満?」
「大変助かります!」
揶揄うような顔だったが、大家さんはすっと声を潜める。
「あのね、君の入る部屋、出るんだよ。」
「……入るのに出るんですか?」
「そうじゃないって!出るんだよ。幽霊が!」
ユーレイ、その言葉が何をさすか理解したのは大家さんが両手を昔の幽霊図のように垂らしたからだった。
「幽霊、出るんすか。」
「そうそう、それで入っても入ってもどんどんみんな出て行っちゃうんだ。」
「それ、おれに言っちゃって良かったんすか?」
「もう契約しちゃったから、とりあえず1月はいてもらうよ。」
「別に良いっすよ。おれ霊感とか全くないし、特に信じてもないんで。」
むしろ姿も見えない幽霊とやらいるせいで家賃が安くなるなら幽霊様様だ。居てもいなくてもどうでもいい。
かくして、幽霊が出るという部屋に越してきた。
住み始めてもとくに悪寒がするとか、ラップ音がするとかはない。いたって平穏だ。もしかしたら前の住人は霊感とかがある人だったのかもしれない。だとしたら自分の鈍感さには心底感謝だ。
しかし事件が起きたのは俺が越してきて一週間かそこらのときだった。
「つっかれたー……、プリン食おう、プリン。」
新しく見つけたコンビニのバイト。一人暮らしだと知っている店長がバイト上がりの時に商品の廃棄をくれる。そのためある程度食費が浮いているためありがたかった。その日俺が受けっとった廃棄は今日が消費期限のボリューム焼き肉弁当とクリームプリン、それから8枚切りの食パンだった。弁当とプリンは今晩中に食べ、食パンはラップに包んで冷凍保存するつもりだった。消費期限ぎりぎりのものも冷凍させれば大丈夫、と勝手に思っているが細かいところはよくわからない。カビさえ生えなければいいだろう。
さて焼き肉弁当をレンジで温め、それから未だ慣れない一人暮らしの疲れを癒すため、プリンとスプーンをちゃぶ台の上に置いた。食べ始めようと思ったが、よく考えたら冷蔵庫の中の牛乳の消費期限が危なかったはずと気づき、ついでにアイスココアでも飲もうとした。下ろした腰を上げプリンに背を向けコップとココアの粉を用意する。その間30秒足らず。ココアを作り、振り向いたとき俺は異変に気が付いた。
「お、おれのプリンが、ない……!?」
つい先ほどまでちゃぶ台に鎮座ましましていたはずのプリン。店長の厚意によって頂戴した愛しのプリン。そのプリンが姿を消していた。
慌てて駆け寄る俺。だがいくら探してもプリンはない。透明なプラスチックのカップの中にはもう何も残っていない。いや、よく見ればカラメルのところだけが綺麗に残っている。
プリンの甘い黄色の部分。そこだけが忽然と姿を消していた。
「どういうことだ?」
探せど探せど姿は見えず。ちゃぶ台の上にはスプーンとプリンのカラメルのみが姿を消していた。7畳半の部屋の中、俺とプリンの残骸だけが取り残された。
「どこいった俺のプリン……、」
「ぶっははははは!なんだそりゃあ!そんなことあるわけねえだろうが、疲れてんのかお前。」
友人に、家で起こった奇々怪々な出来事を話すと、まあ想像はしていたが目尻に涙を浮かべて笑い飛ばしてくれた。
「本当だっての!プリンの黄色いとこだけなくなったんだよ!」
「いやいやいや!お前自分で食って忘れてんじゃねぇのか?」
「だとしたらどんだけ鳥頭なんだよ俺……、」
真面目にへこんでいたのにこうも笑い飛ばされてしまうとなんとも虚しくなる。おれの楽しみが唐突に何者とも知れぬ者に奪われたというのに。
「でも大家さんは部屋に幽霊が出るって言ってたんだぜ?」
「幽霊なんているわけねえだろ!いたとしてもプリンの甘いとこだけ食って帰るってどんだけ愉快な幽霊だよ。」
「う、否定できない……。」
幽霊なんて全く信じていなかったが、実際にこうして被害に遭ってみるともしかしたらいるかもしれないという気にさせられてしまう。しかし人に話してみると本当に馬鹿げた話だ。プリンの甘い所だけ食って帰る幽霊。そんなもの聞いたことがない。
何よりプリンの残骸が人間臭すぎるのだ。
例えばもし、プリンの黄色の部分だけまるで消失したようになくなっていたのなら、俺の気づかないうちにUFOが飛来して黄色の部分を奪われたとか、なんらかの化学現象により黄色の部分が消失した、だとか思うかもしれない。だが残骸は明らかに食い散らかされ後なのだ。プリンのカップの周りには落としたと思しき黄色の滓があり、おまけにスプーンも使った跡があったのだ。
どう考えても人間、もしくはそれに近しい知能を持ったものが俺のプリンを食べたのだ。
「だいたいスプーンまで使う幽霊ってなんだよ。」
「お前は幽霊がプリンを犬食いしたり手づかみで食うと思うのか?」
「問題はそこじゃねえだろ。幽霊だとかそういう非科学的なもんを考えるよりもよ、部屋に別の侵入者がいたりするって方が現実味ねえか?」
「げ、現実味……、」
昔何かで読んだ覚えがある。一人暮らしの部屋に、勝手に女が住んでいるのだ。不自然に動く家具を怪しく思った主人公が部屋にカメラを仕掛け、一日過ごす。そして帰ってきて動画を確認する。まず、主人公が家を出る。するとすぐに女が部屋の中に現れるのだ。そして我が物顔で過ごした後姿を消す。その部屋の押し入れの中に。そして動画は流れ、主人公が帰ってくるところが映るのだ。
「そんでそいつの後ろの押し入れからじっと見つめる目が……!」
「うぎゃああああ!!」
「ぶふっ、おまっ……!」
思わず友人をビンタしてしまう。唐突な攻撃に反応できなかったようでうずくまり悶えているが、むしろとっさに拳が出なかったことに感謝してほしいところだ。
「おま、お前こそいきなりそんな怖い話するな!怖いだろ!家に帰るの怖いだろ!?」
「なんで幽霊が怖くなくて生きてる人間の方に怖がってんだよ!」
「はああ!?いるかいないかわからない幽霊より生きた人間の方が怖いだろうが!」
「お前の基準がわからねえ!」
兎にも角にも、家に帰るほかない。女のいるかもしれない部屋に帰るのは相当怖いが、俺の城に我が物顔で居座る女がいたら腹が立つ。どっちみち、いるなら追い出さねばならない。
おそるおそる部屋の扉を開ける。どこぞのホラー映画のように、開けた瞬間何かがとびかかってくる、ということはなかった。いつも通りの、見慣れ始めた俺の部屋だ。
ぐるりと見渡せてしまう部屋のどこにも、何もいなかった。昼間の友人の話が頭の中で再生され、悪寒が走る。そうっと振り向き、押し入れを見やる。襖に穴が開いてるわけでも、少しだけ開いている、ということもない。静かな押し入れだ。
覚悟を決め、襖をスパンと勢いよく開け放つ。そこにはかび臭い段ボールのほかに何もなかった。そういえば荷ほどきしていない荷物をひとまず置いていたのだと思い出す。
結果的に言えば、俺の部屋には何もいなかった。どこをひっくり返しても何も出てきはしなかった。
では俺のプリンはどこに行ったのか。最大の謎はそれだが、全く分からない。釈然としない気持ちを抱えながらも、もしかしたら自分で食ったのかもしれないという友人の説をひとまず採用した。まさか自分がそんな阿呆だとは思いたくないが、万が一があるかもしれない。
それに被害はプリンだけだったのだ。それから何度か弁当や野菜、パンをちゃぶ台の上に置いて目を離してみたが食い散らかされることも消失することもなかった。
首を傾げながらも、俺はそういう形で事件に始末をつけたのだ。
しかしそれから数日後、再び消失事件が起きる。
その日も俺はコンビニのバイトから帰ってきた夜だった。売れ残りの冷やし中華とカステラ、茄子の煮びたしを店長からもらって帰ってきた。いつものようにちゃぶ台に晩御飯を置き、食べる。いつも通りだった。そしてデザートにカステラを食べようとしたとき、友人から携帯に電話がかかってきた。タイミングが悪いと思いつつも、袋からカステラを皿の上に出し、電話に出た。内容はあいつらしく、明日の小テストの範囲を書いた紙を失くしたから教えてくれというものだった。呆れながらも鞄の中に入れたファイルから紙を引っ張り出し、口頭で教えてやる。わざとらしい軽薄な感謝の言葉のあと電話が切れる。電話を切るのは掛けられた方が先という礼儀をあいつは知らないのかと思いながら電源を切り、充電器につなぐ。そしてカステラを食べようとちゃぶ台に向きなおったときだった。
「……な、い?カステラがないっ!?」
カステラが、消え失せていた。
そしてハッとする。鞄を漁るとき、紙を見ながら範囲を教えてやってる時、俺はカステラから目を離していた。
その僅か数十秒の間。しかも今回は背すら向けていない状態での凶行だった。
大胆不敵、神出鬼没。犯人は間違いなく前回のプリン食逃げ犯と同一犯だ。
それを証明するように、カステラのカラメル部分だけがちゃぶ台に残されていた。
どこを調べても人間はいない。
俺は一連の犯人を幽霊だと断定した。
そこからは俺と奴との攻防戦だ。
わざとらしく食べ物を置いて目を離す。そして振り向く。この繰り返しだ。相変わらず、米や野菜などは食べられていない。狙われるのは甘いもの。その中でも苦い所などない物だ。
時間の問題かとも思い、米と野菜を置いて外出したが、何の変化もなく、冷え切ったごはんと野菜炒めに出迎えられた俺の虚しさは筆舌に尽くしがたい。
今のところ被害に遭ったのはプリンの甘いところ、カステラの甘いところ。それからメロンパンの上のクッキー生地、シュークリームのクリームのみ、ティラミスのココアパウダーがかかっていない部分。鮮やかな犯行だ。特にメロンパンとシュークリームの残骸は俺に大いなるショックを与えた。パンの部分はダメか、シュー生地はダメか。偏食にもほどがある食逃げ犯だ。
もちろん、カメラも仕掛けてみた。
しかしそこに映されていたのは突然空中に食べ物が浮かび、部分的に食われるという奇怪極まりない光景だった。
幽霊なんて信じていなかったし、鈍感な自分が気づくはずもないと思っていた。しかし、
「これ……幽霊いるわ。」
完全に認めざるを得ない。いないわけがない。食べ物の甘い部分だけ食い散らかすというとんでもない幽霊だが、いるにはいる。住み着いて俺の甘味を狙ってやがる。
犯人は見つけた。断定もした。だが対処のしようがない。本当に一瞬、一瞬のうちに食べられてしまうのだ。何度やっても見事な犯行。もはや捕まえられる気がしない。気休めに盛り塩をしてみたが、かけらも効果はない。まあただの食塩だからと言われればそれまでだが。
そんな俺の観察が始まって一月ほど。もはや餌付けか何かでもしているような気分になっていた。
幽霊が食べるのは甘いものだけ。それが確定してからは放置するのは甘いものだけにしていた。姿も見えない声も聞こえない。他に音を出すわけでもない。だが俺の中に愛着に似た思いが芽生えていた。
いつものようにコンビニでのバイトを終わらせ、廃棄をもらってくる。今回はボンゴレパスタとカップサラダ、三個入りの水まんじゅう。わざわざ廃棄で甘いものをもらってくるのもルーティンと化している。きっと店長には俺が凄まじい甘党だと思われているだろう。
ペットのご飯を用意するように、プラスチックの容器を開け、フォークを置いておく。それから幽霊が気兼ねなく食べられるために、背を向けるのだ。パスタをレンジで温めるその時間、1分半。ピピ、という音がしてパスタを取り出し再びちゃぶ台に向きなおる。
「え……、」
「あ……、」
いつものように、使われたフォークと空になった容器が置かれている、事はなかった。
ちゃぶ台の前に、着物の少女がいた。
あからさまに「しまった」という顔をした。俺は俺でなぜだか見てはいけない物を見てしまったような気まずさに襲われる。
「……甘いもん、好きなのか?」
「……ん。好き。」
果たして幽霊に幽霊かと聞いていいものかわからず、つい当たり障りのない質問をしてしまった。それに対し少女は開き直ったのか何のか、おざなりに返事をして再び水まんじゅうを貪り始めた。
「そうか……、」
妙な沈黙の中、凝視しているのも申し訳なく虚空を見ていたら、しばらくして少女はプラスチックの容器に手を合わせ、消えていった。
なぜ、今日に限って俺に見つかったのか、食べるのに時間がかかったのか、わからなかったが、水まんじゅうの残骸を見てなんとなく理解する。
容器の中には餡子だけ綺麗にくりぬかれた水まんじゅうがあった。シュークリーム事件と同じ手法に水まんじゅうも襲われたようだが、いかんせんプニプニモチモチ伸びる餅である。そのせいで餡子の剥離に時間がかかり、そして俺に見つかったようだった。
なんとも脱力させられる幽霊だ。幽霊らしくない。数々の凶行の犯人は何のこともない、ただの偏食の子供だったのだ。
「そういやあお前、前幽霊がいるだとかストーカー女がいるだとか言ってただろ。あれ、どうなったんだ?」
「ストーカー女は最初っからいないっての。」
「幽霊は?」
「いた。」
「マジか!見に行っていい?」
「ダメ。心の汚い奴には見えないんだよ。」
「俺の心が汚いって言いてえのかコラァ!」
思い出したように聞いてくる友人に断りを入れつつチョークスクリーパーを掛ける。
水まんじゅう事件以来、俺と幽霊の交流は細々と続いていた。
どうも俺のことは食べ物を運んでくる同居人と認識したようで、以前のように目を盗んで食べるのではなく堂々と俺の前で物を食べるようになった。基本的には俺のことをシカトする幽霊だが、気が向いたときには返事がしてもらえる。いまだ彼女の名前もわかっていないが、甘味のリクエストをしてくるようにはなった。最近では一応俺に食べていいか視線で伺いたてるようになったのだ。たぶんだが緩やかに餌付けという名の懐柔は進んでいる。これならばきっと名前を知る日も近いだろう。
築36年の木造アパート。7畳半、台所ユニットバスあり。大学まで徒歩20分。半径1キロ圏内に駅、スーパーあり。家賃月額2万円で、ご飯を一緒に食べて、気まぐれに話し相手になる、あまり手のかからないペット幽霊付き。これだけの好物件はなかなかないだろう。
右手に持ったビニール袋の中でプリンが二つ揺れた。