蜩その2 ~抵抗と妥協~
横山のデスク上にあるパソコンのスピーカーから、牧達が尾行していた河原と小野の会話が雑音交じりに聞こえていた。それは、情報屋の安さんが録音してくれた情報だった。
『今回の奴は、怖気づいたりしないといいっすね? 先月バイトした奴は、騙すどころかじーさん連れて銀行にすら来やしないで、逃げやがったから』
『闇サイトで募集して食いついてきた奴は、やる気があるそうだし今回は大丈夫だろう。成功して、一儲けさせて欲しいからな』
『へへへ。そうっすね。金田さんの話じゃ、来週実行って言ってましたよね?』
『あぁ。また、いつものように行くからな』
『今回も、交通事故って事で俺が息子で小野さんが保険会社っすね』
河原は、くちゃくちゃと料理を食べながら話、その音がヴォリュームを上げたスピーカーから響いて聞こえていた。
「こいつ、汚い食い方ですね」
ぽつりと、長谷川が録音した会話を聞きながら、不快に感じたその音に言葉を吐いた。
『あぁ。○×駅周辺に住む年寄に絞って行くぞ』
小野の低いその声に、録音を聴いていた全員が耳を傾け意識した。
「よし! 来週から○×駅周辺の銀行やATMのある個所を張れ。後は、こいつらの動きを尾行して現行犯で捕まえる。主犯の証拠も揃った所だ。現行犯で抑えたと同時進行で、アジトも令状持って突入する」
横山が声を張り上げ、周囲の刑事達に言った。丸くふくよかな顔の眉間に皺が寄り、横山の顔が強張って力が入っていた。
「大取ものっすね。いよいよ家宅捜査もできる」
長谷川は、興奮し目を輝かせ牧に言った。牧は何処か上の空な様子で、事務所の壁をぼんやりと見つめていた。
「牧さん?」
「あ、そうですね。気は抜けません」
長谷川に声をかけられ、牧は我に返って答えた。頭の片隅で、ブライスドールの人形とその送り主が明子とどんな関係で繋がっているのか、そうして明子の本心が不確かなままでいる靄がかかったような不安と落ち着きのない気持ちに、牧の意識が気を緩めるとすぐ、膨らんでしまうのだった。
“このまま、本当に離婚なのだろうか………。一体どうしてなんだ………”
視線を落とし、小さくため息を吐いた牧の姿を横山は、ちらりと横目で見ていた。
休憩にコーヒーを口にしていると、デスクに置いたプライベートのスマートフォンがバイブしメールの着信を知らせた。それに気が付き、牧はすぐ手に取りメールをチェックした。
「!!」
メールの送り主は明子からだった。牧は、一瞬身が固まってしまいメールを開く事を躊躇したが、気を引き締めてそれを開いた。
『私宛に、荷物が届いていたはずです。部屋にないですが、どうしてですか?』
メールの文面を読み終え、明子が自宅に戻った事が推測され、牧の胸がドキリと大きく打たれた。少し考えた後、牧は明子に返信メールを打った。
『すまない。何か事件性があるのかと思い、こちらで預かっている………』
文末を改行し、離婚の事や家を出た本心を聞こうと文章を打とうとしたが、牧の指は動くことなく、荷物の事だけを伝えメールを送信した。
すると、すぐに牧のスマートフォンがバイブし、今度は明子から電話がかかって来た。慌てて席を立ち、廊下に出ると牧は階段の踊り場の鍵を開け、外に出て立ち止まった。
「もしもし」
通話にし、牧は目をつむったまま応答した。
「酷いです。私宛の荷物を勝手に開けて調べたのですね?」
明子の口調は淡々とし、丁寧語で話す時は明子が気を立てている時だと牧は察していた。その中に怒りが籠っているのが、スピーカー越しに伝わっていた。
「すまない………」
「勝手なことしないで下さい。返してほしいから、自宅に戻しておいて下さい。取りに行きますから」
「あぁ………。明子、あの人形の送り主は」
牧が話しかけたが、それを遮るように明子は「あなたには関係ない事です。もう、これ以上何も聞かないで下さい。荷物の事も、離婚の事も」
「………それじゃ、俺が納得いかない。どうしてなんだ? 別れる理由を教えてくれ。でいないと、書類は書けない」
弱弱しい声になり、牧は右手で顔を覆い明子に言った。
「………理由を話せば、書いて下さるんですね?」
不安の渦に飲み込まれた牧は、明子の問いかけに返事をすることが苦しかった。しかし、明子の頑なな態度に、牧はどうしようもなく復縁の余地はないのだろうと言うことは、今、この電話の最中に十分悟っていた。
「………………あぁ。だから、頼む………」
牧は、声を振り絞って答えた。喉の奥が熱く息が詰まるように苦しさを感じていた。込みあがる涙を堪え、牧は明子の返事を待った。
「………………………分かりました。今日、荷物を返してくれるなら話に伺います」
渋った様子の明子だったが、その言葉に牧は複雑な想いのまま返事をした。
「分かった。今日、荷物持って帰るから」
電話を切ると、牧は大きな溜息を吐きその場にしゃがみ込んで頭を抱えた。
“本当に………これで、終わってしまうのか………”
猛暑日と言われた日中の太陽が牧を照り付けていたが、牧の感覚はすべて明子との話し合いへの不安に集中し、暑さなど忘れ顔面蒼白し、しばらくの間放心状態になっていた。
「牧、具合でも悪いのか? 顔色悪いぞ」
廊下を歩いてた牧を見つけた横山が、心配げに声をかけた。牧は、動揺を隠しきれず平然を装う気持ちのゆとりすらなかった。横山は牧の様子を見て、何かを察した。
「詐欺集団の逮捕も間近だ。今日は、早めに帰って“気持ちを整理”したらどうだ。そういう時間も必要だろ。身体が資本の俺達だ。お前に潰れられちゃ困るからな」
横山は、牧の肩を軽く叩き言葉をかけた。横山の着ていた半袖のワイシャツは、襟から袖口から糊が効いていて生地の硬さすら視覚で感じるほどだった。
「すまない。けど、仕事している方が気が紛れる」
「ぼんやりされていても、困るけどな? 無理はするなよ」
更にもう一度、牧の肩をポンと叩いた横山は牧とすれ違うように逆方向に歩いて行った。
牧は、まるで鉛でも飲み込んだかのように、胸の中がずしんと重苦しく息をする度にため息ばかり吐いていた。
牧と明子の絡みを蜩のサブタイトルにしました。ゆえに その2です。
機嫌が悪くなったり、怒った時に態度があからさまに出る。明子の口調がまさにそれです。
口調が変わる。普段と違う様子って、悪い意味でドキドキします。
ここまでご覧くださって、ありがとうございました。
まだまだ続きます。どうぞよろしくお願いいたします。