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My Possessed Day~彼女に取り憑かれた日~  作者: フィーカス
彼女に取り憑かれた日
8/34

二つの約束

 夏にしては冷たい風。家を出たときから感じていたものの、神社の周辺ではその風が一層冷たく感じる。

 その風が顔をなでる度に目を瞑りそうになるが、沙織の視線はそれを許さない。

「約束?」

 少しずつ透明になっていく沙織に、亜留は問いかける。

「うん、えっと、約束っていうか、お願いになるのかな」

 そう一言告げると、沙織は一瞬俯く。しかし、すぐに視線を亜留に戻した。

「今日はね、亜留君と一日中一緒にいられて、とても楽しかったし、嬉しかったの。だから、元に戻っても、また一緒にいられる時間をたくさん作って欲しいの。これが、一つ目の約束」

 言い終わると、沙織は恥ずかしそうに、亜留から視線をそらした。

「もちろんだよ。僕たちはもう、恋人同士なんだ。これから、たくさん思い出を作っていこうよ」

「……ありがとう」

 笑顔で応える亜留。しかし、沙織はその答えを聞き、何故か浮かない表情になった。

「もう一つの約束なんだけど」

 沙織が言いかけたとき、遠くでごろごろという音が聞こえ、言葉がさえぎられる。一瞬空を見ると、少しずつ雲が星達を覆い隠しているのがわかった。

 しかし、それを気にかけず、沙織は続ける。

「霊体っていうのは、単なるエネルギーの塊で、記憶をとどめておく機能が無いの。今までの記憶は、霊体が私の体から離れたときに、私の頭脳からコピーして、霊体のままとどめておけたの。それに、新しい記憶も、同じように霊体エネルギーに変換することで、保持することができたの」

 沙織は突然、以前から研究していたオカルト理論を語りだした。亜留は何とかついていこうとしたが、うまく理解できていない部分が残る。

「でも、私の体に私の霊体が引き戻されるときには、不必要なエネルギーは体内に戻されないの。事故に遭う前の記憶は、私の体本体に残ってるけど、それ以降の記憶は霊体が戻されるときには体に移行できずに、消滅してしまうの」

「え、つ、つまりどういうことさ」

 まさか、とは思いながら亜留は沙織に尋ねる。


「私の事故に遭った後の記憶は、私が元に戻ったら消えちゃうんだ」


 沙織の言葉に、亜留は血の気が引いていくのを感じた。

「そんな、じゃあ、今日一日のことは……」

「うん。全部忘れちゃう。今日一日亜留君の体に憑依していたことも、重菜が亜留君に告白したことも、佐渡君と一緒に買い物したことも、こうやって一緒に天の川を見たことも。そして」

 無理やりの笑顔を作りながら、沙織は続ける。


「私が、亜留君の彼女だったことも、全部忘れちゃうの」


「そんな……」

 沙織の言葉にショックを隠せず、亜留は地に膝を着いた。

「最初から知ってたの?」

「うん、知ってたよ」

「だったら、どうして……」

 亜留の問いに、沙織は苦しそうな笑顔で答える。

「だって、最初に亜留君に言ってたら、多分亜留君、一日中暗い顔して、泣いてたんじゃないの? 少なくとも、今日みたいに一緒にいられて、楽しい一日になるなんてことはなかった」

 肩を落として両手を付き、下を向いている亜留に、沙織はゆっくりと近づいていく。

「だから、黙ってたの。たった一日だけど、それでも、楽しい一日にしたかったから。亜留君の彼女として、亜留君と一緒にいられる時間を大切にしたかったから。だから、記憶が無くなるってわかってても、亜留君に好きだって告白して、彼女として一日過ごそうって思ったの」

 やがて沙織は亜留の目の前まで来ると、そこで立ち止まった。もう、向こう側の神社がはっきりと見えるほどに体は透けている。

「私の記憶が消えちゃったら、また幼馴染に戻っちゃう。だから、もしその私が亜留君にもう一度気持ちを伝えるときがあったら、もう一度、私の彼女になってください。それが、二つ目の約束です」

 沙織が言い終わると、亜留は震える体を何とか起こして立ち上がり、顔を上げた。その顔は、涙でぐしゃぐしゃになっている。

「……ああ、約束する。沙織の気持ちは、ちゃんと受け止めるから」

 亜留の言葉を聴き、沙織は笑顔を見せた。

「……あれ、おかしいな」

 ふと、沙織の目からぽろぽろと水の粒がこぼれ始めた。その粒は地面に触れると、ふわりと消えていく。

「私、幽霊なのに、泣いているのかな。おかしいね、どうしたのかな」

 何とかそれをとめようと沙織は必死になるが、止まりそうに無い。

「幽霊でも泣く事があるんだな」

「そうですね、多分、亜留君がえっちだからです」

「それは関係ないだろ」

 二人が言い合った後、涙を流しながらも、おかしくて二人とも笑い始めた。


 雲は徐々に厚くなり、空の星はもう数えるほどしか見えなくなってきた。その星たちが消えていくように、沙織の体も徐々に薄くなる。今では神社の電灯のおかげで、かろうじて見えるほどになっていた。 

「亜留君、もういなくなっちゃう私だけど、最後に、亜留君の口から聞かせてください」

「何をさ?」

 全体が薄くなっていくだけの沙織の体は、今度は足から徐々に消えていく。

「小学生の頃からずっと一緒にいて、ケンカもしたし、言い争うこともあったけれど、私はいままでずっと亜留君といられて幸せでした。亜留君は、こんな私のことを、今どう思っていますか?」

 胸元まで消えた沙織の言葉に、亜留は流れた涙をふき取り、答えた。


「僕にとって、天川沙織はこの世界で一番大切な人です。昔も今も、そしてこれからも。たとえ今日の記憶を失ったとしても、今日の沙織のことは一生忘れない」


 苦しくなる胸とのど元をこらえ、亜留はさらに続けた。


「沙織、大好きだよ」


 その言葉を聞き、沙織は今まで見せたことの無いとびきりの笑顔で応えた。そして、程なくして沙織の全身はその場所から消えてしまった。


『ありがとう、亜留君。私も、大好きだよ』


 幻聴かと思う沙織の最後の言葉を聞き終わり、亜留はその場に倒れこんだ。

 その瞬間、ぽつぽつと雨が降り出し、ザアザアという音が神社中に響き渡った。


 その雨は、まるで出会いを引き裂かれた、織姫と彦星の流した涙のように、どんどんと強くなっていった。



 気が付いたときには、亜留は病院の前に立っていた。とぼとぼと家に帰る道で、母親から沙織が意識を取り戻したとの連絡があり、急いで支度をして病院に向かったのだ。

 しかし、今日のショックがあまりに強すぎたのか、いつ連絡があったのか、どうやって帰ったのか、どうやって病院まで向かったのかははっきり覚えていない。

 亜留の後では、相変わらずの雨が音を立てて降り続いている。時々、雷の音が鳴り響いた。

「亜留、どうしたの? 早く行くわよ」

「え、うん」

 母親に急かされ、亜留は病院の中に入った。


 病院内は既に診療時間外となっており、受付と非常灯以外のほとんどの照明は落とされていた。薄暗いロビーを歩いていると、沙織が事故にあった昨日のことを思い出す。

 しかし、今日向かうのは緊急手術室ではなく、三階の沙織の病室である。

 受付から通路を挟んだところにあるエレベーターが開くと、暗いロビーに明かりが差し込む。

 亜留と母親はその中に乗り、三階へと向かった。

 エレベーターを降りて右に少し歩くと、ドアから明かりが漏れている病室が見えた。そこが、沙織が入院している病室である。

 こつこつと亜留と母親のスリッパの音だけが響き渡る廊下を歩き、その病室へ向かう。

 扉の前に「天川沙織」とかかれたプレートがあることを確認すると、亜留はゆっくりとドアを開けた。


 病室の中には、沙織の担当をしている看護婦さんに沙織の父親と母親、そしてベッドに横たわっている沙織の姿があった。

「沙織!」

 亜留はすぐさま沙織に声を掛けた。

「あ、亜留君、来てくれたんだ」

 頭と腕に包帯を巻き、病院着姿の沙織は、亜留の姿を確認するとにこりと笑った。

「思ったより回復が早いので、今週中には退院できると思いますよ」

 そばにいた看護婦さんが、今の沙織の状態を説明してくれた。

 それによると、頭を打った後遺症などは残らず、少し傷が残る程度で他に異常は無いとのことだった。

「よかったわね、天川さん、沙織ちゃん何とか退院できそうで」

「いえいえ彦野さん、こちらこそ娘が心配かけました」

 親同士が話をしている間、亜留は沙織のほうを見て安堵の表情を浮かべていた。

「さて、そろそろ帰るわよ、亜留」

「え、今来たばっかりなのに?」

 帰り支度をしている親たちに、亜留は戸惑う。

「もう面会可能時間過ぎているのに、お医者さんが無理してくれたのよ。だから、長い時間はいられないの」

 亜留の母親はそういうと、病室の入口まで向かった。

「まあまあ、また明日来てくれればいいよ。明日は日曜日だから、ゆっくりしていけばいい」

 沙織の父親が亜留に告げると、沙織の母親と共に病室を後にした。

「そっか。じゃあ、また明日来るよ」

「うん、また明日ね」

 亜留は沙織に手を振ると、沙織も亜留に手を振り返した。それを見届けると、亜留は病室を後にした。


 七月八日、日曜日。

 あの雨雲たちは一体どこに行ったのだろうか、昨日降っていた雨が嘘のような快晴となった。

 亜留は太陽の眩しさに目を覚ますと、ダイニングに向かう。そこには、既に起きていた母親が準備してくれた、簡単な朝食があった。

「今日は沙織ちゃんのところに行くんでしょ? 車、どうする?」

「いいよ、自転車で行くから」

 いつもより食事のペースがあがっていくのを感じながら、亜留はサラダとトースト、スクランブルエッグを平らげていく。

「ごちそうさま」

 最後に牛乳を飲み上げると、すぐさま自分の部屋へ出かける支度をしに行った。

「あ、亜留、これ置いておくから、持って行きなさいね」

「わかったよ」

 母親はお見舞いの品を袋につめ、玄関に置いた。

「まったく、そんなに慌てなくてもいいのに」

 忙しい子ね、と母親はため息をつき、朝食の片付けに向かった。


 沙織が入院する病院は、自転車で行ってもせいぜい三十分ほどのところにある。亜留は準備した荷物とお見舞いの品を自転車の前カゴに放り込むと、思い切りペダルをこいで病院へと向かった。

 晴れた空から元気に差し込む太陽光が、露出した肌を焼いていく。そこを、自転車をこいだときに吹く風が当たって心地が良い。

 海岸沿いの道路を抜け、住宅街に入った頃には、亜留は既に汗だくになっていた。

 途中、かばんからタオルを出して汗を拭きながら、病院へと自転車を進めて行く。住宅街に入ってからしばらくすると、病院の建物が見えてきた。

 日曜日の昼の病院内は、夜のそれと比べてとても明るく感じる。

 あの暗く静かな雰囲気とは一転して、患者や面会者、看護師たちの声で賑やかだった。

 亜留はそのロビーを抜け、エレベーターに向かう。すると、ちょうどエレベーターのドアが開いた。

 中の客が全員出て行ったのを確認すると、エレベーターに乗り込む。数人の客が乗り込んだところで「3」のボタンを押した。


「沙織、お待たせ」

 沙織の病室には、ベッドの上の沙織以外誰もいない。その沙織は、体を起こしてテレビを見ていた。

「あ、亜留君、おはよう」

「もう起き上がっても大丈夫なのか? あ、これ母さんから、お見舞いね」

 亜留はベッドの近くの椅子に座ると、出かける前に母親から渡された果物を手渡した。

「あ、ありがとう。うん、まだ腕と頭がちょっと痛いけど、今のところ大丈夫だよ」

「そうか、よかった」

 沙織が無事なのは知っていたが、改めて沙織の元気な姿を見て亜留はほっとした表情を浮かべた。

 お見舞いの品をごそごそとあさると、沙織はその中からリンゴを一つ取り出した。

「亜留君、これ剥いて。そこにフルーツナイフがあるから」

「はいはい、しかたないな」

 沙織からリンゴを手渡されると、亜留は病室の引き出しにあるフルーツナイフを取り出し、丁寧に皮を剥いた。

「そういえば、一つ聞きたいことがあるんだけど」

「え、何?」

 亜留はリンゴを剥きながら、あることを確かめたいと思い、沙織に一つ質問をすることにした。

「おととい、つまり沙織が事故があった日のことだけど、あの日に沙織は話があるって僕を呼び出したじゃない。あの話って、何だったの?」

「え? あ、あの、それは、えっと……」

 亜留の話を聞いて、沙織はひどく慌てた様子を見せる。 

 やはり昨日の記憶は全て消えている、というのは本当だったようだ。亜留は少しショックを覚えながら、知らない振りを続ける。

「えっとですね、いまはこういう状態ですので、また今度にしていただけたらうれしいな、と思うのですが」

 わかりやすすぎる沙織の反応に、思わず亜留は噴き出した。

「そうだね、退院して落ち着いたら、聞かせてもらおうかな」

 そう言うと、剥き終わったリンゴを四つにカットし、手近な皿に盛り付けた。

 沙織はそれを「ありがとう」と言いながら一つ手に取り、口に運ぶ。亜留も一つ手に取り、もぐもぐと食べた。

「そうだ、退院したら、そのお祝いに夏祭りに行こうよ。ちょうど来週だし、その頃には退院してるだろ? 明や船出さんも誘ってさ」

「え、あ、うん、そうだね。重菜たちも心配してるかも知れないしね」

「そうそう、明も船出さんも、沙織が事故に遭ったって言ったら、とても心配してたんだから」

「そうね、皆には迷惑かけちゃたな」

 そう言うと、沙織は沈んだ顔で俯いてしまった。

「沙織、今とっても不細工になってるぞ。ほら、これで覗いてみ」

 亜留はショルダーバッグの中から、昨日買い物で買って来た手鏡を取り出し、沙織に手渡した。

「あ、これ私が欲しかったやつだ。どうしたの?」

 沙織に聞かれ、亜留は一瞬答えに困った。「何言ってるんだよ、沙織が欲しがってたから買ったんだよ」などと言ったら不審がられるかもしれない。

「えっと、昨日明と買い物言ったときに、雑貨屋で見つけてね。沙織が欲しがるかな、と思って」

 ごまかしきれたか怪しい口調だったが、沙織はそんなことを気にせず、

「そっか。ありがとう、亜留君」

 と言って笑顔を取り戻した。

 しばらくの間、亜留は昨日の買い物のことや、最近学校であったことなどを沙織に話した。沙織も、学校で起こったことを亜留に話し、二人の時間を過ごした。

 そうしているうちに、沙織たちの両親が病室にやってきた。

「おお、亜留君、ちゃんと来てくれたんだね」

「あ、おじさん、おばさん、こんにちは」

 亜留は沙織の両親に挨拶すると、ショルダーバッグを背負って席から立つ。

「あら、お邪魔だったかな? もう少しゆっくりしていけばいいのに」

「いえ、もうたくさん話したから。じゃあ沙織、また学校でね」

 亜留は病室のドアを開けながら、沙織に手を振り、そのまま病室を出て行った。


「そうか、やっぱり沙織は覚えてなかったか」

 自転車をこぎながら、昨日のことを思い出す。

 あの日は確かに、霊体となった沙織と一日過ごしていた。

 一日中、沙織は亜留の体の中に憑依していた。

 好きだと告白され、たった一日だけ沙織の彼氏として過ごした時間。

 今となっては、それも夢だったのではないかと思うほど、ふわふわとした時間。

 今日からまた幼馴染に逆戻り。

 でも、慌てないで、これからゆっくり二人の思い出を作っていこう。そして、もう一度告白されたなら、もう一度今の気持ちをぶつけよう。

 晴れた夏の空の下、亜留はその思いを胸に、自宅へと自転車を走らせた。海岸に向かう風が、吹き出した汗と熱を吹き飛ばしていく。

 ふと、亜留はチーズバーガーの包み紙の短冊に書いた、亜留の願い事を思い出した。


「元気な沙織の姿を、いつまでも見られますように」

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