二人の思い出
降りしきる雨は、降りやまないどころか一層強くなっていく。時々遠くで稲光が見え、そのうちのいくつかの轟音が、こちらまで響いてきた。
「それにしても、よく残ってたな」
亜留はチーズバーガーの包み紙を広げ、周りを見渡した。
「ハンバーガー包む紙で、水濡れに強かったからじゃないか?」
「ああ、そうか。それにしても、字もにじんでないってすごいな。確か水性のボールペンで書いたはずなのに」
包み紙に書かれた文字は、はっきりと亜留の字が読み取れる。
「あれ、この包み紙……どこかで、見たような気がします。えっと……どこでみたんだろう」
ふと、沙織が後ろから包み紙を覗き込んだ。
「え、沙織、覚えてるのか?」
沙織の一言に、亜留は思わず驚いた。
「はい、でも、この包み紙が一体どこで見たかまでは……」
腕を組み、沙織は必死に思い出そうとする。
「亜留、なんでそんなに驚いているんだ? 思い出せそうならいいじゃないか」
あまりの亜留の驚き具合に、明は亜留に言った。
「いや、たしかにチーズバーガーを食べた時沙織も一緒にいたけど、去年沙織が生きている時に取り憑いた時のことなんだ。だから、思い出せないはずなんだ」
「どういうことだ?」
「取り憑いていた時の記憶は、元の体に戻った時には忘れるんだって。現に、入院中の沙織にいろいろ話を聞いたけど、僕に取り憑いている時の記憶がなかったんだ」
亜留の説明に、明は「へぇ」と頷く。
「でもさ、その包み紙って、普通のハンバーガーのものでしょ? 星海センタータウンだけじゃなくて、他にも同じハンバーガー屋さんあるし、別に亜留君と一緒にいた時に見たとは限らないじゃない?」
重菜がそう言うと、亜留は首を振った。
「このチーズバーガー、実は期間限定の奴なんだよ。ちょうどあの日から始まって、沙織が退院した頃に販売終了したから、沙織が見る機会なかったと思うんだけど……」
「それじゃあ、何で……?」
亜留の話を聞き、沙織が覚えていることがおかしいということに、重菜も気が付いた。
「ふむ、もしかしたらこういうことかもしれん」
しばらく重菜の体に取り憑いていたリラが、急に重菜から離れて出てきた。その途端、重菜の体が崩れ落ちそうになる。
「えっ、わ、な、何これ?」
「おっと、すまんすまん。憑依された人間は、憑依している霊体にエネルギーを供給しているのだから、抜けられると体が軽くなったような感覚に襲われるのだ」
「え、じゃあ私、リラちゃんに体力取られてたってこと?」
「まあ、私は必要最小限に抑えていたがな。霊体によっては、憑依対象を殺すほどエネルギーを奪うものもいるぞ」
「え、そ、それじゃあ、安易に憑依させないようにしないと」
「それはまあ、その方が賢明だな」
やたら怯える重菜を、「まあまあ」とリラがなだめようとした。
「ところでリラ、こういうことっていうのは?」
「ああ」
亜留が尋ねると、リラは明が持っているチーズバーガーを指さした。
「短冊と言うものは自分の願いを、気持ちを込めて書くものだろう? 例えば、アキラが持っているお札も、神主が思いを込めて一枚一枚書いているのだ。その思いが、様々な効果をもたらすのだ。短冊にも同じように、人間が願いを込めて書くことによって、一つの紙に霊的なエネルギーが宿るのだ。アルも、紙は違えど、思いを込めて願い事を書いたのだろう?」
「ああ、そうだね」
「だからその思いが、サオリの当時の記憶を引き出すきっかけになっているのかもな」
リラはそこまで言って、ふとあるものが目に留まった。
「ああ、そうか。この神社、やたら霊的エネルギーが高いのに、そこまでアルやアキラが悪寒を感じてないのは、人間の思いのエネルギーがほとんどだからか」
「どういうことだ?」
「あれだ、あれ」
そういうと、リラは外に散らばっている色のついた紙きれ、短冊を指さした。
「八月には、この短冊を燃やすのだろう? なんでも、神様に届けるためとかで。それで、短冊に込められた思いの霊的エネルギーが、解放されて神社に溜まっていったのだ。霊体のエネルギーではなくて、人間が放ったエネルギーだから、あまり大きくは干渉しなかったのだろう」
「その割には、明は結構寒がってたけどな」
ふと亜留が明の方を向くと、明はいきなり震え始めた。
「そ、そういえばまだ寒気が……」
「アキラは、悪霊に憑依されたから、別の要因で霊的エネルギーの感受性が高まっているのだろう」
「へ、へえ、そうなんだ」
何故か震えが止まらない明は、重菜にお茶を注いでもらい、それを一気に飲み干した。
相変わらず止まない雨の下、食事を終えた亜留たちは、まだ神社の屋根の下で雨雲だらけの空を見上げていた。
「一応、少しは進展あったけど、これだけじゃ全部思い出せないみたいだね」
「ふむ、思い出す兆候はあって、ここには記憶の霊的エネルギーもあるはずなのだ。あとはきっかけだけだな」
「きっかけ、か」
沙織の記憶を思い出させるきっかけ。それさえあれば、沙織の記憶は戻るはず。
亜留は何かないものかと、沙織との記憶をたどった。
「あの時も……」
そして、うわごとのようにつぶやく。
「あの時も、雨が降ってた。何かヒントにならないかな」
「ああ、最初に憑依されたときの話だな。しかし、雨が降ってるだけで思い出すなら、もうとっくに思い出しててもおかしくないんじゃないのか?」
「それもそうだよな……」
必死に思い出したことだが、明の言葉で、亜留はもう一度何かなかったかを考えた。
「そうだアル、ここは一度サオリと別れた場所だと言ったな。その時に、雨以外に何かこう、印象に残ることはなかったか?」
「印象に残ること、か」
リラに言われ、亜留はもう一度当時のことを思い出す。
「あ、そういえば……」
ぽん、と亜留は何かを思い出したように、手を打った。
「雨が降ったのは、別れた後だったな。遠くで雷がゴロゴロ言ってたのを覚えてる」
「別れた後? それでは雨が止むまで待てということか?」
「うう、そうなるの……か?」
思い出したことに自信がなくなり、亜留はもう一度何かないか考える。
「雷でも落ちてれば良かったんだけどな」
「まあ確かに、それくらいインパクトの強い出来事があったならよかったのだがな。しかし、そういうことはないのだろう」
「他には……なぁ」
考えがまとまらない亜留は、水のたまった地面に向かってため息を投げかけた。
「あ、そういえば、亜留君、沙織とどんな話をしたの?」
「話?」
「そう。もしかしたら、沙織と話したことで、何か思い出すかもしれないじゃない」
重菜はそういうと、紙コップにお茶を注いで亜留に渡した。
「話したことって言ったら、七夕だったから、天の川や夏の大三角のことかな。あとは……そういえば、沙織と約束をしたんだ」
「約束?」
「うん」
亜留はそういうと、受け取った紙コップのお茶を一口飲んだ。
「二つの約束。一つは、沙織が元の体に戻っても、沙織と一緒にいる時間をたくさん作ること。もう一つは……」
「もし私が告白したら、もう一度私を彼女にしてくれること」
亜留が言いかけた時、突然沙織が声をあげた。
「え、沙織、覚えてるの? その時のこと」
思わず、重菜が尋ねた。
「はい。なんとなく、ここにいたっていう記憶があるようです。私がどこかに行って、また会うときはたくさん遊ぼうっていうこと、そして、もう一度告白する時は、また彼女にしてほしいということ。でも、それが誰かまでは覚えていません」
「……そうか、まだ完全には思い出せてないんだ」
せっかくすべて思い出せたと思ったのに、完璧には思い出せていない沙織の姿に、亜留は少し寂しさを覚えたようだった。
「……それにしても、雨、止みませんね。雷の音も近くなってきました」
沙織は屋根の外に出て、空の様子を眺めた。相変わらずの曇り空。少しましになったとはいえ、雨は強く降り続ける。
「雷の音、かなり近いね。もしかしたらこの近くに落ちるかも」
「ええ、神社に落ちたら俺たち、丸焦げになるじゃないか!」
「一応、避雷針があるから大丈夫とは思うけど……」
神社の近くには、神社よりも高い位置に避雷針がいくつか設置されている。神社に落ちる可能性は低いが、周囲の木には落ちる可能性はある。
「まあ、神社は大丈夫だろ。霊的エネルギーのバリアが、おそらく神社を守ってくれるのだ」
「なんだよそれ、いくら霊的エネルギーでも、そんなことできないだろ」
「雷だって、電気エネルギーの塊ではないか。エネルギー同士の反発で、消滅するか別の場所に落ちるに決まっておる」
「霊的エネルギーって、そんな扱いなのか?」
リラの謎エネルギー解説を聞き、亜留はあまり納得していないようだ。
「それよりも亜留君、他にないの? 沙織と話したこととか」
「そうだなぁ、後はほとんど買い物に行ったくらいしかないかな。あとは……」
あっ、と一つのことを思い出したが、亜留は一瞬考えた後、口を開いた。
「……重菜のことかな」
「え、私のこと?」
「あれ、忘れたの?」
やはりはっきり言わないといけないのだろか、と亜留は重菜を見ながら、少し顔を赤くしていた。
「えっと、その、去年の七月七日っていったら、ほら、重菜と海岸公園でさ、その……」
亜留が口ごもりながら言うと、重菜はようやく思い出したのか、徐々に顔が赤くなってきた。
「え、ちょ、その話はえっと、あ、亜留君、やめてよ、明君もいるんだし!」
「大丈夫だよ、重菜ちゃん。俺、その話はもう聞いてたから」
パニックになる重菜に、明はやたらと落ち着いて答えた。
「えぇ、明君も知ってるの? まさか、沙織も?」
「あの時、沙織も一緒にいたんだけど……」
亜留の言葉を聞いて、重菜は一層赤くなってぽかぽかと亜留を叩き始めた。
「うそ、私、沙織の前で亜留君に告白してたの? し、信じられない!」
今度は自分の頭をぽかぽかと殴りながら、「私のバカ!」と言い続ける。しばらくして、重菜は階段に上がって隅っこでうずくまってしまった。
「……まあ、シゲナはそっとしておこう。二人だけで話したいことを他の人に聞かれたとなれば、恥ずかしいものだからな」
「ま、まあ、そうだな」
亜留とリラは重菜の様子を見ながら、とりあえずそっとしておくことに決めた。
「しかし、これ以上は手掛かりがなさそうだな。ここだけじゃ思い出せないみたいだ」
明は沙織を見て、これ以上ここにいても無駄ではないか、と提案した。
「ここが一番だと思ったんだけど……。とりあえず、雨が止んだら、墓地に行ってみようか」
「天川の墓、か。そういえば俺、天川の墓参り、行ったことないな」
「ついでだから行くか?」
「ああ、それもいいかもしれない……って、本人の前でお墓参りって」
「大丈夫だ、俺は行ってきた」
「……なんだかなぁ」
亜留と明が話していると、雨の中を漂っていた沙織が、こちらへと戻ってきた。
「墓参り、ですか。そういえば、私のお墓に、沢山の人が来てくれたような気がします」
「あれ、でも沙織って、死んでからすぐ僕に憑依したはずなんだけど……」
亜留が言いかけると、リラが沙織のそばに立って説明を始めた。
「墓というのは、自分の家みたいなものだ。霊体にとって墓は、自分の分身みたいなものだからな。墓の意識と、自分の霊体自身をリンクさせることで、墓で起こったことも自分の記憶として残すことができるのだ」
「……何でもありだな、霊体って」
「正確には、墓に残った自分の霊体エネルギーに、墓自身にたまった、墓参りに来た者の思いの霊体エネルギーがまざって、それを取り込むことによって記憶されるのだがな」
「やっぱり何でもありだな、霊体エネルギーって」
あまりの霊体エネルギーの万能さに、亜留はまたため息をついた。
「自分のお墓、ですか。もしかしたらそこに記憶を置いてきたのかもしれませんね」
「いや、正直言って、それは無い。霊体は墓にエネルギーを回収することはあっても、消滅しない限りは置いていくことはない。そもそも、エネルギー自体が、置いておく理由がないからな」
「そう、ですか」
良い考えだと思ったのですが、と沙織は肩を落としているようにみえた。
「それにしても、雷が酷くなったな。音がすごい大きくなってる」
稲光は眩しいぐらいに近くに見え、雷鳴の間隔はかなり近くなってきている。相変わらずの雨の中、時に雷鳴は、耳をふさぐほど大きな音を立てていた。
「ヤバいな。だんだんこっちに近づいてる」
「雷って、近づいてくるものなのか?」
「うーん、ランダムなはずなんだけど、ほら、雨雲がどんどん移動しているだろ? それに引っ張られるように、雷が来てるんじゃないか?」
「そんなものなのか? なんだかよくわからんな、雷って」
明がそういう間にも、かなり近い位置で雷が落ちたようだ。稲光と音の差が一秒ほどしかない。
「……これ、ここから離れた方がいいんじゃないのか?」
「いや、アキラ。雨が止むまではここでじっとしておいた方がいい。さっきもアルやシゲナが言っていたが、周りには避雷針がある。神社に落ちることはあまりないだろうが、ここから離れたら、どこの木に落雷して自分の体に危険がやってくるかわからん」
傘を持ち、神社から出ようとする明を、リラが制止する。重菜は雷が怖いのか、さっきから動かない。
「しかし、どうなってるんだろう。今日はこんな雨降るなんて予報は出てなかったはずなんだけどな」
「山の天気は変わりやすいからな。どっちみち、ここからは動けないってことか」
空を見上げても、相変わらずの曇り空で、晴れる気配すらない。
雨の強さは徐々に収まってきているようだが、まだまだここから出られそうにはない。
再び起こった稲光に目をつぶると、次の瞬間にはもう雷鳴が聞こえてきた。もう百メートル以内には落ちたのだろう。
「……さっきちらっと見てきたが、どうやら避雷針に落ちたようだな。こいつが離れれば、もうこの辺に落ちることはなさそうだが……」
リラが言った瞬間、背後で眩しい稲光が見えた。同時に、耳をつんざくような音が辺りに響き、亜留と明は耳をふさいだ。
「きゃぁっ!」
先ほどまで隅でうずくまっていた重菜は、その音に驚き、亜留の元まで駆け寄って思いっきり抱きついた。
「え、ちょっと、重菜? だ、大丈夫だから」
「わ、私雷苦手なの! 亜留君助けて!」
「お、落ち着いて。ここには落ちてないから」
そういいつつ周りを見ると、一本だけ立っていた大きな木のてっぺんが燃え上っていた。どうやら、雷が落ちてきたようだ。
ちょうど雨が強まって来て、その火は徐々に鎮火されていき、小さくなっていく。
「こ、こんなところに落ちてたのか。本当にここ、大丈夫なのか……?」
亜留がその木から目を離し、参道の方に目をやると、沙織が目を閉じたまま、立ち尽くしていた。
「さ、沙織、大丈夫か?」
亜留が声をかけると、沙織はこくり、と顔を動かした。そして目をゆっくり開くと、笑顔でこう言った。
「まったく、女の子に抱き着かれてデレデレしているなんて、本当に亜留君はえっちですね」




