二人の少女
ショルダーバッグに、いつも通り出かけるのに必要な荷物を入れ、亜留は玄関を出た。そのまま道路に出ようとしたとき、ふと両親がいないことを思い出し、玄関の鍵を閉める。そして、いつも置いてある場所に戻す。
朝日が見え始めた早朝の空は、気持ちがいいくらい澄みきっていた。
眩しい太陽の刺す光がぬくもりを与えるが、すぐさま冷たい風がそれを奪っていく。
時刻は午前七時前。さすがに休日の住宅街の道は、人通りが少ない。早朝からランニングをしているおじさんが通りかかり挨拶をするが、それ以外は人が通らなかった。
『アルよ、毎日この道を歩いているのか?』
「まあね。休日の習慣だから」
『退屈な習慣だのう。家でのんびりゲームでもすればよかろうに』
「ゲームばかりだと、体に悪いだろ。それに、朝の散歩って、気持ちいいんだ」
『年頃の男子の発言とは思えんな』
リラが愚痴を言っている間に、目の前に国道が見えてきた。海岸を走る国道は、通ってきた道と同じく人気がなく、とても静かだった。
遠くから定間隔で聞こえる波の音。そこに赤い車が一台、目の前を通り過ぎた。
「海岸公園に行こう。朝は風が通って気持ちいいんだ」
『それはいいが、お前、寒くないのか?』
「ん、まあ、ちょっと肌寒いから。でも、今からちょっと暑くなるからね」
車が通っていないことを確認し、一気に道路を横切る。小さな堤防の向こうを見ると、朝日が海面を照らしてキラキラと光っていた。
海からの風を受け、亜留は少し身震いをする。そして、海を見ながら、公園へと向かって行った。
『おお、これはなかなか良い景色だな』
「だろ? こういうのを見ると、なんか落ち着くんだよな」
『私の住んでいたところはずっと山だったからな。なかなかこういう景色を見る機会がないのだ』
「あ、そうか。明と同じで住宅街の中だもんな。近くは山しかないし、海はちょっと離れているから」
リラと話しながら、亜留は堤防沿いの歩道を歩く。消波ブロックにぶつかる波の音が、静かな道路に響き渡る。やがて堤防から道が離れると、阿流野辺海岸公園、通称海岸公園が見えてきた。普段は賑わっているこの公園も、さすがに休日の早朝は誰もいないようだ。
あたりを見回しながら、亜留は屋根付きのベンチに腰掛けた。海岸とは少し離れているが、それでも小さく波の音が聞こえてくる。
不意に、亜留の力が抜けた。
「なんだアル、もう休憩か?」
気が付くと、亜留の正面にリラが座っていた。
「ここに座ると、気持ちいい風が吹くんだ。って、離れてて大丈夫なのか?」
「べつにいいだろ、せっかくベンチがあるんだから」
「よくわからんやつだな」
一つ風が吹くと、日が当たらないベンチの下ではより冷たさを感じる。時々通る車の音と、波の音しか聞こえない静かな公園で、亜留は昇ってくる太陽を見ていた。
「あれ、亜留君、今日も朝早いね」
不意に、ベンチの後ろから、聞き覚えのある声がした。
「ああ、重菜。今散歩途中で休憩してたところ」
亜留が振り返って言うと、船出重菜は「隣、いいかな」と言いながら亜留のそばに座った。
「重菜こそ、今日は早いね」
「うん、昨日ペットが死んじゃって。変な夢を見ちゃって、早く起きたの」
「あれ、ペットなんて飼ってたっけ?」
「あんまり友達には話してなかったんだけど、チワワを一匹飼ってたの。ほとんど、弟が世話をしてたんだけどね」
「そうだったんだ。それで……」
元気がない顔の重菜に対し、亜留は言葉を詰まらせてしまった。
「なんじゃ、アル、元気のない女の子に対してはもっと優しい言葉を掛けんかい」
『うるさいなリラ、僕だって考えてるんだって』
突然割り込んだリラに対して、亜留は脳内疎通で返事をした。
「あ、そうだ。亜留君、今日は時間空いてる?」
不意に、重菜が顔を上げて言うので、亜留は一瞬驚いた。
「え、あ、えっと、今日はちょっと用事が……」
「ええ、この前も用事あるって言ってたじゃない。今日はどんな用事なの?」
「えっと、その、明と神社に行く予定で……」
「どこの神社?」
重菜からの怒涛の質問ラッシュに、亜留は何故か冷汗をかいている。心なしか、重菜の顔が徐々に近寄っている気がする。
「あの、鱈瀬神社……って言うんだけど」
「え、鱈瀬神社って、恋愛成就で有名なところでしょ? 何でそんなところに?」
気が付けば、重菜は両手をベンチについてかなり亜留に近いところまで顔を近づけてきた。
「そ、それはその、えっと、明が……」
「おいアル、普通に説明すればよかろう。サオリを探しているということを」
重菜に迫られて亜留が顔を少し後ろに反らしていると、リラが突然声をかけてきた。
『い、いや、何で重菜を巻き込まないといけないんだよ』
「別に構わんだろう。探すなら人手は多い方がいい。説明すれば、シゲナも納得してくれるだろう」
『だからと言って、幽霊の存在を信じろだなんて……』
亜留が顔を反らしたままリラが脳内疎通で会話しているが、重菜はまったく気が付かない。
「明君が、どうしたの」
「え、いや、その、ち、近いって、重菜!」
「亜留君がちゃんと説明してくれないからでしょ!」
さらに重菜の顔が近くなり、亜留は後ろに体を反らせる。
重菜がベンチに両手をつこうとした時、うまくつけずに滑らせてしまった。途端にバランスが崩れ、重菜の体が亜留に覆いかぶさる。
「えっ、うわぁっ!」
そしてそのまま上半身がベンチの上に倒れこんでしまった。
「いったたた……」
重菜に寄り掛かられ、亜留は身動きが取れないまま、ベンチで打った頭を右手で抑えた。
「ご、ごめんなさい!」
重菜は慌てて亜留の体から飛びのく。いきなりのことで、重菜の顔は真っ赤になった。
「まったく、お主らは何をやっておるのじゃ」
リラはその様子を見ながら、腕を組んだままため息をついた。
「……え、あ、亜留君、さっきまで女の子なんて、いた?」
亜留が起き上がろうとすると、重菜が少し青ざめた顔でテーブルの向こうを指さす。
「いたた……ん、女の子? 誰のことだ?」
まさかと思いながらも、亜留は起き上がって重菜に言った。
「ほ、ほら、あそこ」
亜留が重菜の指さす方を向くと、リラは不機嫌そうに座っている。
一度重菜の方に向き直し、亜留は一つため息をついた。
『リラ、もしかして重菜に見えるようにしたのか?』
「おう、そうじゃ。なにやらややこしいことになりそうだったんでな」
リラの返信に、亜留は頭を抱えた。
「重菜、もしかして、この生意気な女子中学生が見えてる?」
「だ、誰が生意気な女子中学生じゃ、このエターナルロリコンブレインが!」
亜留が振り返らずに親指だけでリラを指さすと、リラは亜留に怒鳴り散らした。
「えっと、その子は一体……?」
突然現れた女子高生に、重菜はリラを指さしたままぽかんとしている。
「ああ、こいつはリラっていって、明のいとこで……」
「え、明君のいとこ?」
「そうそう、それでいつの間にか僕の身体に取り憑いてて……」
「え、とりつく?」
亜留はなんとか説明するが、重菜の頭の上にははてなマークが浮かんでいるようだ。
「ああもう、お前が説明するとややこしい! 私が説明するわ!」
ぐだぐだな説明をする亜留に業を煮やし、リラは亜留に怒鳴った。
結局、亜留の代わりにリラがこれまでの経緯を重菜に説明した。
リラが明のいとこであること、既に死んでいて幽霊であること、現在亜留に憑依していること、沙織の霊体を探していること。
幽霊をあまり信じていない重菜だったが、リラの体に触れられないことで簡単に信じてくれた。
「というわけで、今はこいつの女のケツを追っているというわけだ」
「誰が女のケツだよ」
リラが説明し終わった後も、ちょくちょくと亜留とリラは言い争っていた。
重菜はしんじられないという顔をしながらも、下に俯いて口元を緩めた。
「そっか。沙織、死んでもまだ亜留君のそばにいたんだ。だから、亜留君は沙織が死んでも、寂しそうにしてなかったんだね」
ぼそりとつぶやいた重菜の声を聴き、亜留とリラは言い争いをやめた。
「それで、沙織は今どこに?」
「確証は持てんが、さっきも亜留が言っておったように、鱈瀬神社にいる可能性が非常に高い。私の仲間の霊体による目撃情報もあるしな」
「それで、明君と一緒に鱈瀬神社に?」
「そうじゃ。アキラも、サオリを探すのに一緒に手伝ってくれているのでな。むしろ、サオリの情報が分かったのもアキラのおかげというわけだ」
リラが重菜に説明し終わると、すっと重菜はベンチから立ち上がった。
「私も、沙織を探すのを手伝う!」
いきなりの重菜の提案に、亜留は驚いて立ち上がった。
「ま、待ってくれ、もしかしたら、危険なこともあるかもしれない。そんなことに、女の子を巻き込むことはできないって」
「私も、沙織に会いたいの。沙織に会って、いろいろ話をしたい。それに、鱈瀬神社って、男二人で行くようなところじゃないわよ。絶対、怪しい目で見られるから」
「あう、それは……」
重菜の勢いに圧倒され、亜留は続きを言えずに口ごもった。
「ふむ、確かにシゲナの言うことは一理あるぞ。あそこは女同士、あるいはカップルがほとんどだからな。男二人となると、妙に浮いて他の参拝客からの視線が痛いと思うぞ。アルだけならともかく、アキラまでそんな目で見られてはかわいそうだ」
「何で僕はいいのさ」
「別に、アルが変な目で見られようと関係ないからな。しかし、今のままではそういう結末になりそうだが、どうするのだ?」
リラの言葉を受け、亜留はしばらく考え込んだ。
(確かに、鱈瀬神社に行くなら、女の子である重菜を連れて行った方がいいかもしれない。しかし、わざわざ重菜を巻き込むようなことなのか……)
強い風が吹きぬけ、考える熱を奪っていく。
静かな公園で、大きな波が音を上げ、同時に車の通りすぎる音が聞こえた時、亜留は重菜に向かって言った。
「わかった、一緒に沙織を探しに行こう、重菜」
「うん、ありがとう、亜留君」
先ほどよりも優しい風が吹き抜け、重菜の茶色く長い髪を揺らす。ふと、亜留は携帯電話を取り出して時間を確認した。
「七時四十五分、か。今から外に出かける準備したら、どのくらいかかりそう?」
「そうね、大体三十分くらいはかかるかな」
「えっと、たしか次のバスは八時三十二分だから……直接阿流野辺バス停に集合の方がいいかな」
「うん、そうね。それじゃあ、一度家に帰って準備してくるね」
そういうと、重菜は「また後で」と言って急いで家に向かった。
「はあ、それにしても重菜まで巻き込むとは……」
重菜を見送ると、亜留はそっとため息をついた。
「まあよいではないか。そのまま鱈瀬神社に行って恥をかくよりは」
「まあそうだけど……」
そう言いながら、亜留は公園の向こうにある堤防に上った。
気が付けば、太陽も少し高い位置まで昇っていた。道路から聞こえる車のエンジン音も、徐々に数を増していった。




