二人の夢想世界
入口の階段まで送り出すと、リラとルーシャはすぐにどこかに行ってしまった。亜留と明は自転車に乗り、帰りながら今後について話し合う。
「……と、いうことで、明日は九時くらいにセンタータウンのバス停でいいか? 確か社務所が開くのが午前十時だから」
「九時か。俺は大丈夫だが、亜留は起きれるのか?」
前を走る明が、ちらりと後ろを見ながら亜留に尋ねる。
「僕は意外と休みの日も早起きだよ。本当はもう少し早く出たいんだけど、さすがに社務所が開いてないんじゃあ仕方ないね」
「あれ、そうだったのか? てっきりゲームばっかりして、夜遅いのかと思ったら」
「僕、あまりゲームしないから」
「なるほど……つまり、夜はやらしい本で寂しさを紛らわせているというわけだな」
「何でそうなるんだよ。否定はしないけど」
「ま、まさか、天川がいるから夜の心配はないとか言うつもりじゃないだろうな」
「そんなわけないだろ」
そんなことを話している間に、中央公園が見えてきた。
「しかし、早く沙織を探さないと。長い間僕の体から離れてたんだから、もしかしたらどこかで弱っているかもしれない」
「亜留は冷静なんだかどうだかわからんな」
中央公園の入り口で止まると、亜留は「じゃあ、また明日」と言って星海センタータウンの方へ向かった。明は「またな」と言って反対側の住宅街へ向かう。そして、それぞれの帰り道へと向かった。
夕食後、亜留はインターネットで鱈瀬神社について調べることにした。
「鱈瀬神社……か。何回か行ったんだけどな」
ブラウザには、神社の映像や参拝客の様子が映し出されている。別のページには、アクセス方法や建物の紹介文が書かれていた。ほかの神社と比べても、書いてあることは大差がない。
唯一目を引くのが、「憑いている悪霊のお祓いします」という文章。恋愛成就で有名な神社だが、このお祓い依頼もかなり多いようだ。
公式ホームページでの情報はあまり得られなかったが、一方でこのお祓いに関しては、賛否両論があるようだ。
お祓いをして体調がよくなったり、勉強がはかどったりという意見がある一方で、守護霊がいなくなって事故が起こりやすくなったということも言われている。特に個人のブログでは、悪い印象を与えるようなことばかりが書かれている。
一概にこれらがお祓いのせいであるかは言えないが、どうやらリラが言っていることは本当のようだ。
「沙織、大丈夫かな」
そう思いながらブラウザを閉じ、パソコンの電源を切ると、亜留はベッドに身を投げた。
その瞬間、山道を歩き続けたせいか、全身に疲労が襲う。
「明日も早いし、もう寝ようか……」
部屋の電気を消すために立ち上がろうとするが、体が持ち上がらない。力が入らないまま、亜留は瞼をゆっくりと閉じた。
気が付くと、亜留はどことも知れない草原に寝転がっていた。
目の前には雲一つない青い空。ゆっくりと起き上がって周りを見渡すが、あたり一面背の低い草が生えている草原だ。他に目に着くような物はない。
強い風が吹いているせいか、一つ一つの草がゆらゆらと揺れる。しかし、風の感触はない。
「夢……か」
明るすぎる大地だが、空には太陽が見当たらない。不思議な空間に、亜留は一人立ち尽くしていた。
仰向けでもう一度寝ころべば、何か見えるだろうか。そう思い、亜留が倒れこもうとしようとしたときだった。
「アル、こっちだ」
聞いたことがある声が、亜留の後ろ側から聞こえた。振り返ると、そこにはリラの姿があった。いつもの霊体の時よりも、はっきりと姿が見える。
「リラか。ずっと帰ってこないと思ったら、夢の中に入り込んでるなんてな。今まで沙織のことを調べてたのか?」
「調べる、というほどのことはしていない。ただ、ルーシャとともに一度鱈瀬神社に偵察に行ったのだ。周囲を見渡しただけなのだが、予想通りというか、霊体の影一つすら見えなかった」
そう言って、リラは首を振った。
「そうなのか。ということは、神社に近寄った霊体は、残らず成仏させられたってことか」
亜留とリラは数十メートル離れている。夢の中ゆえにどのような距離でも声が聞こえないことはないのだが、なんとなくその距離感が気になり、亜留はリラの元に歩いて近づいた。
「あそこは他の神社と同様、霊的エネルギーのたまり場になっておる。といっても、他の神社や墓地などとは性質が異なっているがな」
「性質?」
「普通、墓地で大量に発生する霊体エネルギーは、死者の霊体を形成するエネルギーの余ったエネルギーや、霊体が活動し続けて消費されたエネルギーが溜まったものなのだ。神社や他の、心霊スポットと呼ばれる霊体エネルギーの高い場所も、長年霊体が活動し続けて消費されたエネルギーや、近くの植物の霊的エネルギーが蓄積したものであるのだ」
吹き続けていた感触のない風が、リラの茶色い長髪を下に降ろす。
「ところが、鱈瀬神社の霊体エネルギーは、霊体が成仏したことにより、エネルギーの塊である霊体が分解して生成されたエネルギーがほとんどなのだ。どうにも近寄るのが不気味で、中まで入ることはできなかったが、近寄る霊体もほとんどおるまい。まあ、蓼食う虫も好き好きと言うから、物好きな霊体は吸い寄せられるかもしれんがな」
「つまりは、霊体にとっては、住み心地の悪い環境、ってことか?」
「大体、そんなところだ。長時間いると、その妙なエネルギーに飲まれてしまうかもしれん。これでますますあそこにサオリがいる可能性は少なくなったぞ」
「たとえいないとしても、何かの手がかりはあるかもしれない」
「手がかり、ねぇ」
リラはぼそりとつぶやくと、亜留に背を向けて遠くを眺めた。
「なあ、アルよ。お前にとって、サオリとは、どういう存在なのだ? そこまで必死になる理由とは何なのだ?」
リラが半身だけ振り返り、亜留に聞いた。
わずかに吹く風が、草むらを揺らす。肩まであるリラの茶色い髪は、その風の流れにそってゆらゆらと揺れた。
「沙織とは、小さいころの幼馴染で、高校の時は同じクラスで、それから恋人になって、それで」
少し息を切らせた亜留は、一つ深呼吸して続けた。
「今は大切な存在だ」
一瞬にして、草の揺らぎが止まる。
「ふぅん、そうか。まあ、そうでなければ、そこまで必死にはならないわな」
そしてまた、リラは向こうの空を眺めた。
「私も、そういう存在になりたかったな。死んでもなお、必要としてくれる存在に。あるいは、死んでもなお、誰かのことを想える存在に」
「なんだ、リラでもそういうことを考えるのか?」
「死んだ者なら、誰でも考えることだ。どんなに満足な人生を送ったとしても、実際死んだ後霊体になると、やり残したことや後悔が残っているものだ。誰に聞いても、あの時にああしていれば、という話を聞く」
「そうか。そうだよな。死ぬときなんて、いつもいきなりなんだから」
「死んだ後になって思うことだが、やはり自分のやりたいことをやるべきだったな。もちろん、自己犠牲が必要なこともあるだろうが、すべての行動は自分のためにするべきだ。そうだと思わないか?」
リラに尋ねられ、亜留は「いや」と答える。
「僕はそうは思わないな。全部が自分のための行動だなんて、おかしいよ。人間はお互い支え合って生きているんだから」
「そうだ。相手が自分のために行動してくれるから、自分も相手のために行動しようと思う。感謝もなにもしない者のわがままなぞ、聞きたくないだろう?」
「それは……そうだけど」
「結局、なんだかんだきれいごとを言っても、人は自分の行動に対して見返りを求めているのだ。それはおかしなことではないし、むしろそうあるべきだと思う。それが、後悔しないということだとなのだ」
リラの熱弁を、亜留は納得できない様子で聞く。
「そんなものかねぇ」
「まあ、理想を抱きつづける者には、理解しがたいだろうな。アルも後悔したくなければ、自分のための行動を続けた方がよいだろう」
静かに風に揺られていた草たちが、少しずつ動きを止めていく。同時に、亜留とリラは時間が止まったような感覚に襲われた。
「そういえば、サオリはどうして死んだのだ?」
リラが尋ねると、亜留は一瞬はっとした顔をしたが、すぐにその表情を戻した。
「あれは、忘れもしない、七夕の前日、七月六日の夕方だった。僕は沙織から、前日に海岸公園に呼び出されて、待っていたんだ。そして、彼女になりたいと告白された。でも、その時沙織はすでに事故で……」
「なんだ、告白前に事故とは、サオリも運がないのう」
リラはそういって茶化すが、顔はいたってまじめだった。
「しかし、思いが伝えられただけでも、サオリは幸せだな。私は、そういうことができずに死んだからな」
「誰かに告白することか?」
「ま、まあ、そんなところだ」
何故かリラは言葉を濁す。亜留はその様子を見て、ふむ、と考えた。
「もしかして、その相手って、明のことか?」
明の名前が挙がった瞬間、リラは驚いて後ずさりした。
「な、何でそこでアキラが出てくるのだ! 私とアキラは、兄妹のようなものだ。アキラも、そう思ってるだろう」
明かな動揺に、赤面したリラの顔。やはり何かあるなと亜留は追い打ちをかける。
「そうか? そうには見えんがな」
「ま、まあ、そうは見えずともそういう関係なのだ。兄と妹でそんなに深い仲になることはなかろう」
「一応、近親相姦というのもあってだな」
「……お前はそういうのが趣味なのか?」
亜留の近親相姦という言葉に冷めたのか、リラは急に冷静を取り戻し、草原に座り込んだ。
「大体、想いを伝えるといっても、何も好意とは限らんだろう。感謝の気持ちとか、謝罪の気持ちとか、そういうのも想いというものだぞ?
「あぁ、なるほど。じゃあ、店長……お母さんには、何か伝えたのか?」
「それは……まだだが、そのうち伝えるとしよう」
「今度は言いたいことをちゃんと言うんだぞ。いつまでも霊体で居続けられるわけじゃないだろうし、消滅してしまったら、今度こそ伝える機会は無くなるんだから」
「そうだな。早めに伝えることにしよう」
リラは「ふぅ」と息をつくと、ゆっくりと顔を上げた。ゆっくりと流れる白い雲が、時の流れをゆるやかにしていく気がした。
「そうだ、一つ気になったことがあるんだが」
「ん、何だ?」
亜留に呼びかけられ、リラはきょとんとした顔で亜留の方を見た。その姿を見ると、やはり中学生のあどけなさが残る。
「何で僕が鱈瀬神社に行ったってことを知ってたんだ?」
亜留は星海稲荷神社でリラが言ったことを思い出した。
「え、そんなこと、言っておったか?」
「言ってたじゃないか。星海稲荷神社で」
「ん、そうだったか?」
「そうだよ。沙織が何回か行ったことがあるとは言ったけど、僕が行ったことがあるとは言った覚えがないぞ」
「ああ、それはだな、行ったことがある人間でなければ、あれだけ詳しく説明はできないと思ったからだろう。だから私は、アルが何度か行っていると思ったのだ」
徐々にリラの顔に焦りの色が見えてくる。
「百歩譲って僕が何度か行ったことが推理できたとしても、何故沙織と一緒に行ったってことがわかるんだ? そんなことは一言も言ってないぞ?」
「それは……」
何も言えなくなってしまったのかリラはすっかり俯いてしまった。
「まあ、でもよく考えればわかることだけどね。リラは僕の記憶を探っていたのなら、僕が何回か沙織と一緒に鱈瀬神社に行ったことくらいわかるだろう」
「……まあ、そうなのだが……」
「だとすれば一つ、お前を許せないことがある」
亜留はそう言って、リラに一歩近づいた。
「お前、本当は知ってたんだろ? 沙織が一番いそうな場所が、鱈瀬神社だってことを。なのに、何故言わなかった?」
強く吹く風が、リラと亜留の髪、そして足元の草を揺らした。




