二人の準備
公園の奥にあるベンチに座ると、亜留はコーヒーを飲みながら、明に今までのことを始めから話した。
沙織が事故に遭い、その時に霊体となった沙織から告白されたこと。それから毎日、憑依した沙織と過ごしたこと。その沙織がいなくなったこと。そして、リラが憑依した経緯。
この場にリラがいなければ信じられないだろう話に、明は真剣に耳を傾ける。
「……つまり、今まで亜留の体にいた天川を探してほしいと?」
「そういうことだ。その、星海稲荷神社っていうところは、一人じゃ危ないらしいからな」
「そりゃそうだろ」
明はそういうと、飲みかけた缶コーヒーから口を離す。
「あそこはほとんど管理が行き届かなくなって、誰も行かなくなっているからな。俺らが遊んでいた頃でさえ、ほとんど道がなかったんだ。今となっちゃ、そのルートも通れないだろうし、多分崖を登ることになるぞ」
「そんなに危ないところなのか? しかし何でそんなところに神社があるんだ?」
「神社が建てられた頃には、きれいに整備された道があったし、参拝客もそこそこいたらしいんだ。ただ、他の所にも神社が出来ると、参拝客はそっちに行っちゃって、ほとんど参拝する人がいなくなったらしい。しかも、整備されていた道は台風やら土砂崩れやらでふさがれた挙句、修復工事もされずにほったらかしなんだって」
「神様が祀っている場所なのに、そんな扱いでいいのだろうか……」
どんな酷い扱い神社なんだと思いながら、亜留は持っていた缶コーヒーを飲みほした。
「とりあえず、そこに行ってみよう。少なくとも手がかりくらいはあるかもしれない」
「ちょっと待てよ、何も準備しないで行く気か? さっきも言った通り、それなりの準備がないと、たどり着くことすらできないぞ」
「そ、そんなに大変なのか?」
「行ってみればわかる。準備なしじゃ絶対無理だから」
明が強く言うと、亜留は「うーん」と腕を組んで考え事を始めた。
「ほれ、私の言った通りだ。まずはいろいろと準備をする必要がある。その辺は、アキラの方が詳しいだろう」
「リラの言う通りだ。もし行くなら一旦戻って準備する必要があるんだが、どうする?」
そう言うと、明も残っていたコーヒーを一気に飲み干した。
「僕も手伝うよ。そんなに大変なら、荷物が多くなるだろうし」
「いや、荷物自体はそんなに多くならないと思う。ただ、いろいろ調べることがあるから、そうだな……昼ごはんを食べて、一時くらいにここに集合でどうだ?」
「え、その間僕はどうすればいいのさ?」
「また亜留の家まで戻るのは大変だから、すまんがゲーセンかどこかで時間を潰しておいてくれないか?」
「そんな、僕が探しに行きたいっていうのに、それじゃ悪いよ」
「別に構わないよ。俺だって天川のことは気になるし、それに神社に行くのも久々だからな」
思ったよりめんどくさそうな顔をせず、むしろ明は生き生きとした顔をしている。
「アル、ここはアキラの言うとおりにした方が賢明だ。この辺の地理はアキラの方が詳しいし、そもそもアルが行ったところでできることは何もないと思うぞ」
「で、でも……」
「一人でできることには限界がある。時には誰かに任せて、自分はじっと時を待つというのも大事だぞ? それが適材適所というものだ」
「う、うーん……」
亜留が「でもなぁ」と悩んでいると、明がポン、と亜留の肩を叩いた。
「まあ、ここは俺に任せろ。ばっちり準備をしておいてやるから」
「……そうか。じゃあ、準備は任せるよ」
亜留がそう言うと明は立ち上がり、自動販売機の近くのゴミ箱へ空き缶を捨てに行った。亜留もその後をついていく。
「それにしてもリラ、その格好はどうかと思うぞ? 幽霊はいつもその格好なのか?」
自転車置き場に向かう途中、明はリラの服装を見てつぶやいた。
たしかにまだ半袖でも大丈夫な気候だ。しかし、それにしても薄緑色のシャツに短パンという恰好は、普通の人間なら肌寒い季節だろう。
「ああ、今見えている格好はデフォルトのイメージだ。普段の格好の方がイメージつきやすくて、エネルギー消費が少ないからな。パソコンのデスクトップにある、デフォルトの壁紙みたいなものだ」
「ってことは、服装も変えられるってことか?」
途中で亜留が口をはさむ。
「服だけでなく、姿も変えることができるぞ。エネルギーをコントロールすればいいだけの話だからな。そうだな、服装を変えるなら……」
そういうと、リラは目を閉じて意識を集中し始めた。
すると、徐々にリラの服装が変わっていく。薄緑色の箇所が徐々に肌色になり、やがて下着一枚の姿になった。
「極端にするとこうなるな。裸になることもできるぞ」
「ほう、なるほどねぇ」
上下下着一枚ずつとなったリラを、亜留は顎に手をあててじっと見つめる。しかし、それに気が付いたリラは、徐々に顔が赤くなっていく。
「な、何をじろじろ見ている! そんなになめまわすように女子中学生の肌を見おって、お前は真正ロリコンかこの変態が!」
「男子高生の目の前で下着一枚になる奴がよく言うよな。それに、それなら明にも言えよな」
「ふん、別にアキラはたとえ裸を見られたところでどうってことないわ。小さいころから一緒に風呂にも入っている仲だしな。それに、アキラも私の裸なんぞに興味はないだろ」
「ほう、だったらそこに倒れている男子高生はどういうことだ?」
そう言って亜留が指さした先には、鼻から血を出して倒れている明の姿がいた。
それを見て、リラは慌てて明のもとに駆け寄る。
「お、おい、アキラ、どうしたのだ! 一体誰にやられた? おのれ、誰かは知らんが、アキラをこのような目に遭わせおって……」
下着だけで怒鳴るリラを見ながら、「お前だよ」と亜留は内心突っ込む。そして鼻血を出している明を見て、亜留は一つ思い出したことがあった。
「あぁ、そうだった。明は二次元が大丈夫なくせに、三次元の女の裸に耐性がなかったんだ」
「え、そ、そうなのか? てっきりアルが平気だったから、アキラも問題ないと思っていたのだが……」
「男が全員女の裸や下着姿に耐性があるとは限らないからな。明は特に二次元ばかり見て本物に興味がなかったから、ひどく耐性がないんだ」
亜留はそういって明を起こし、ベンチにもたれさせた。
しばらくすると、明は意識を取り戻した。
「す、すまんなアキラ。まさかこんなことになるとは」
すぐさまリラが頭を下げて謝る。服は元の薄緑色のシャツと短パンに戻っている。
「いや、ちょっとびっくりしただけだよ。その、しばらく見てなかったから、体つきとか、胸とかちょっと大きくなってて……」
「明、それはいくらなんでもセクハラ……」
視線をそらしながら言う明に亜留が突っ込む。
「そ、そうか? ま、まあ私とて、あの頃よりは成長したからな。しかし、そう言ってくれるのはうれしいぞ」
亜留の心配とは裏腹に、リラは何故か顔を赤くして恥ずかしがっている。
「え、そ、そんな反応なのか? まあ、確かに良く見たらリラは中学生の割に発育がいいような気がしないでもないが……」
亜留がリラの身体をじろじろ見ながら言うと、リラは別の意味で顔を真っ赤にして怒鳴った。
「アルが言うとセクハラじゃ!」
「なんでそうなるんだよ!」
「アルの頭の中には性欲とスケベ心と女の裸のことしかないからな」
「んなわけ……ないとは言わないが、そればかりじゃないだろ」
「ああ、そうだったな、サオリとやらしことをやるという夢があったな」
「お前はそれでも中学生か!」
亜留とリラはお互い一歩も引かず言い合う。そばの道をランニングしていた男性が不思議そうに見ていたのを、亜留たちは気づかないまま言い合いは続いた。
明はその様子を、鼻をティッシュで拭きながらにやにやしながら見ている。
「まったく、二人は仲がいいな。これも、ずっと憑依して一緒にいたからか?」
明がつぶやくと、亜留とリラが同時に明の方に向かって怒鳴った。
「どこがだ!」
「どこがじゃ!」
風になびく草に、少しだけ、大地が震えたような感覚が伝わった。
昼食時が終わり、午前中同様、子供連れの親子の姿が多くみられる。
キャッチボールをする親子、フリスビーを飛ばす親子、芝生に寝転がる父親の姿、ベンチで缶ジュースを飲んで休憩している母親、それぞれがそれぞれの時間を過ごす。
絵に描いた休日を青空が見守る中、まるで止まりかけの時計のような時間が過ぎていった。
「明はまだ来てないみたいだな」
亜留は休憩所の自動販売機で、缶コーヒーを一つ買って手に取った。時刻は午後一時前。もうすぐ明との待ち合わせの時間だ。
『ただ遊んで飯を食っているアルとは違うのだ。いろいろと準備に手間取っておるのだろう』
亜留の脳内に、リラの毒がまき散らされる。
「時間を潰せって言われたから、ゲーセンで遊んでただけじゃないか。ここらで二時間も時間を潰すっていったら、映画かゲーセンくらいしかないからね」
『それにしても、私の言うことを無視してずっと音ゲーばかりやるのはどうなのだ?』
「僕はプライズゲームが苦手なんだ。そういうのは明に頼んでくれ」
『ああ、そういえばアキラは得意だったな。よくガラにも合わないぬいぐるみを取ってきては、私にくれていたな』
「あれ、明には妹がいるはずなのに、妹にはあげなかったのかな」
『そりゃ当然、妹にもあげていただろう。ただ、取る量が半端じゃなかったからな』
「どんだけはまってたんだよ、あいつ……」
亜留は明と一緒にゲームセンターに行った時に、明があっさりぬいぐるみを取っていたことを思い出した。
『まあ、今日はアルにはスケベ心以外に得意なことがあることには驚いたぞ。素直に認めてやろう』
「音ゲーが得意で褒められてもなぁ……まあ、僕も、幽霊は昼食の様子を見ると涎を垂らすことだけはわかったし」
『な、わ、私は涎など垂らしてない! ちょっとおいしそうなハンバーグだったから、うまそうだと思っただけだ!』
「僕がごはん食べている間に涎を垂れ流すイメージ送り続けたのは誰だっけ?」
冷たい缶コーヒー片手にベンチに座りながら、周りに誰もいないことを確かめながら亜留はつぶやいた。
『あ、あんなものを見せつけられては、食べたくなるのは当たり前ではないか。幽霊は食べたくても何も食べられないのだぞ?』
「なんか、沙織と同じことを言ってるな。やっぱり幽霊は死んでも食いしん坊なのか?」
缶コーヒーを開けると、少しだけ薄茶色の液体が吹きこぼれる。亜留はそれを口にした。
『まあ、霊体とはいえ、死亡当時の思考はそのまま受け継がれるからな。それに伴う欲望というのもいろいろと引き継がれてしまう。本来霊体ならば必要ないものでも、思考が欲することもあるのだ』
「なるほどねぇ。だから食欲もあるってわけか」
『まあ、そういうことだ。だから食事を摂るときは余計なことをしないように、本来は体から離れておいた方がいいのだがな』
「ならば、何故昼食の時に離れなかったのだ」
『ま、まあよいではないか。別にお前にとっていてもいなくても同じなのだからな』
ふうん、と言いながら缶コーヒーをベンチの隣に置く。
「まあ、どっちでもいいんだけどね」
空を眺めながら、流れていく雲はどんな形だろうと空想を描く。時計を見ると、既に午後一時を回っていた。




