二人の行先
玄関を飛び出すと、亜留はすぐさま車庫に向かい、自転車を取り出す。
一瞬風が吹き身震いする。朝日のまぶしさについ、目を片手で覆った。
「アル、自転車なんぞ手にして、一体どこに行くつもりなのだ?」
亜留は自転車の留め金を外し、荷物をかごに入れて車庫から取り出す。
「まあ、せっかくだからちょっとサイクリングをしながら話を、と思って」
カラカラと家の前の道路まで出ると、亜留は自転車にまたがった。
「家の中だと母さんいるし、そこらをぶつぶつ言いながら散歩っていうのもね。ということで、行くぞ」
ペダルに足をかけ、一気に体重をかけると、自転車はゆっくりと前へ進んでいく。
徐々に加速を始める自転車は、風を切って海へ向かって行った。
「ちょ、ちょっと待て、私を置いていくな! おい、アル、聞いているのか!」
土曜日の海沿いの道は、朝とはいえ車通りは少ない。
ほとんどの住人はまだ家の中でゆっくりしているのか、人通りもまばらだった。
遠くから聞こえる細波の音と、海面に反射する日の光を受けながら、亜留はその道を走っていく。
『まったく、話し相手を置いていくとは、何を考えているのだ』
亜留の脳内に、不機嫌そうなリラの声が聞こえてきた。
「幽霊だから、てっきり自転車と等速でついてくるのかと思ったんだけどな」
まるで後ろに誰かが載っているかのように、亜留はリラに話しかけた。
『私たち幽霊は、エネルギーの塊なのだぞ。こんなエネルギー供給源もない平凡な場所でスピードなんかだしたら、エネルギー消費が激しくて一気に消滅してしまうわ』
「よくわからんが、なかなか不便だな」
開店直前のスーパーを通り過ぎ、徐々に海が離れていく。自転車はスピードを落とすことなく、風に向かって走り続ける。
『まあ、そんなことより、サオリとやらのことだが』
リラから沙織の名前が出ると、亜留はペダルを踏むのを一瞬止めた。
『憑依している間にお前の記憶情報を探ってみたのだが、どうやらサオリは、時々お前から離れて、どこかに行ってしまうようだな』
「そうだな、沙織は『バランスよくエネルギーを摂らないと』みたいなことを言ってたな」
『ふむ、その通りだ。生きている人間からのエネルギーばかりだと、思考能力や霊感、ほかのエネルギー発信能力などが偏って、うまく霊体状態を維持できなくなるのだ』
「なるほど、わからん……って、ちょっと待て」
思わず、亜留はブレーキをかけてしまった。
「生きてる人間からのエネルギーって、沙織やリラが僕に憑依しているのは、自分のエネルギーを維持するためじゃなかったのか?」
『もちろんそうだ。しかし、憑依しているからといって、エネルギーを消費しないわけではないからな。消費したエネルギーを、憑依している相手から少しずつもらっているのだ』
「なるほど、通りで僕の体から出てくるとき、力が抜けていく感じがしたのか」
『まあ、そういうことだな』
信号でもないところで止まったので、慌ててペダルを踏んで自転車を進める。
『まあ、女子高生の霊がどこに行くかはわからん。おそらく霊的エネルギーが高いところだろうが、そんなところ、いくらでもあるしな。母上なら知っているかもしれんが、私はあまり詳しくないぞ』
「ん、母親なら詳しいって、どういうことだ?」
徐々に海が遠く離れていく道を、スピードを落とさずに自転車は走っていく。
途中トンネルに入ると、自転車のライトが前方を照らした。
『星谷の家系は、大体霊感が強くてな。母方も、霊感が強い家系だったらしい。だから、私の両親や祖父母は全員霊感持ちなのだ。その中でも、母上は特別強くて、時々家に迷い込む霊を慰めておった』
「霊が人間に慰められるのかよ。てか、お前の母さん世話焼きだな」
『ある意味では、母上の趣味だ。しかし、あんまり人前でやるものではないから、こっそりとやっていたそうだ。仕事中に霊が見えてしまって困ったこともあって、その時は大変だったな』
「なるほどねぇ。じゃあ、リラの母さんに話せば、何かわかるかもしれないということか」
昼間でも暗いトンネルはあまり長くなく、ほどなくして明るさを取り戻した。
『まあ、それでサオリの居場所がわかるかもしれんが、私の母上まで巻き込むことはないだろう。そもそも、私の母上、つまり私の家がどこにあるのか、お前はわかっているのか?』
「それはまあ、共有しているリラの思考から抽出すればいいだけの話で」
『私の母は関係ないだろ。私からは情報は与えぬ』
「なんだ、協力してくれないのか? それとも、母親に会うのをためらっているとか?」
『それは……』
トンネルの先にある住宅街に入ると、そこの住人と思われる人たちが、何人かバス停で待っている姿が見られた。
近くの公園を覗くと、子供たちが遊ぶ姿も見られる。
「まあ、大体予想はついていたから、特に問題はないがな」
『予想? どういうことだ?』
ちょうどリラが尋ねてきたとき、自転車は交差点の信号に引っかかった。ブレーキをかけて信号待ちしていると、歩道を歩いていた人が徐々に信号待ちの横断歩道の前にたまってきた。
『星谷という苗字、それに母親の霊感が強いってこと。まあ、苗字だけでなんとなくわかるけど、さっきのでほぼ確信したよ』
周りに人が増えたため、亜留は口頭ではなく、脳内での意思伝達でリラに話しかけた。
『確信? 私の家がわかったと?』
信号が赤から青に変わる。同時に、信号待ちの人たちが動き出す。それに合わせて、亜留自転車をこぎ始める。そして、スピードが乗ったところで次々と通行人を抜き去っていく。
「まあ、答え合わせは到着してからだ」
そういうと、亜留は立ちこぎで自転車の速度を上げた。
風に乗って亜留の上着がひらひらとはためいていく。その隣を、行先表示に「星海センタータウン」と書かれたバスが通り抜けていった。
星海市最大の商業地域、星海センタータウンは、まだ朝八時と早いためか、人もまばらだった。
ほとんどの店がシャッターを閉めている中、亜留は大型スーパーの近くの駐輪場に自転車を止める。
亜留が歩き始めようとしたとき、ふと力が抜けるのを感じた。
後ろを振り返ると、半透明のリラの霊体が、なにやらふてくされた様子で立っていた。
「……? どうした、行くぞ?」
亜留は霊体のリラに手を差し伸べる。もちろん、手に触れようとしても、触れることはできない。
「私は、ここで待っている。お前だけ行けばいい」
そういうと、リラは後ろを向いてしまった。
「お前が来ないと意味がないだろ。さっさと行くぞ」
差し伸べた手をひっこめ、亜留はさらに声をかけるが、リラは首を振って動こうとしない。
「……話を聞くだけなら、アルだけでもいいだろう。私は、その、行きたくない」
かたくなに動かないリラの背中を、亜留は見つめていたが、しばらくして振り返り、数歩だけ歩いた。
「行かないなら、それでもいい。もともと、僕と沙織の問題だったしな。ただ」
亜留はちらりと後ろを見る。
「それなら、お前は無関係になるから、僕に憑依させることはできない。新しい憑依先でも探すんだな」
そう言い放つと、亜留は再び歩き始めた。
「ま、待て。そうは言っても、私がいたほうが、霊体の性質やら何やらを知ることができるだろう。それに、霊体は霊体にしかわからないこともあってだな」
「霊体については、お前の母親から聞くことにするよ。元々一人で探す気だったし、一人で十分だ」
「し、しかしだな……」
「行きたくない奴を無理に連れていってもしょうがないからな」
人通りがほとんどない自転車置き場から、亜留は徐々に離れていく。リラの距離は、徐々に広がっていった。
「……わかった」
わずかながら聞き取れたリラの声に反応し、亜留は足を止める。
「私も行く。新しい憑依先を探すなど、面倒だからな」
亜留が振り向くと、相変わらず乗り気でない顔をしたリラが、こちらに歩いてくるところだった。
「よし、いい子だ」
そういうと、亜留は再び目的の場所に向かって行った。
スーパーの隣にある小さな喫茶店の入り口には、まだCLOSEDの看板がかかっていた。もちろん、メニューも出ていない。
店内では、開店準備のためか、何名かの従業員が掃除をしていた。
「……アルよ、まだ店は開いていないぞ。開いてからでよいのではないのか?」
何故か亜留の後ろに隠れるようにして、リラがつぶやいた。
「開店しているときだったら、お客さんがいて話ができないだろ。さて、行くぞ」
そういって、亜留はスーパーの近くの喫茶店、「ミルキーキャニオン」の入り口に向かった。
準備中とはいえ、亜留が入り口のドアを押すと、あっさりと開いてしまった。
ドアの開閉に呼応して、備え付けられた呼び鈴がチリンとなる。
それを聞いて、掃除をしていた中腰姿勢の四十代の女性が、立ち上がってこちらに振り返った。
亜留もよくしっている、この店の店長である。
「あらいらっしゃい」
店長が声をかけると、亜留も「おはようございます」と返す。
「でもごめんなさいね、まだ準備中で……」
店長が言いかけた時、彼女は持っていた箒とちりとりを手放し、何か見えないものを見たような顔で驚いた。落とした箒やちりとりが、からんと音を立てる。
「そ、そんな……」
店長の反応を見て、亜留は自分の右背後をちらりと見る。
「やっぱり、僕が思った通り。見えているんでしょ?」
そういうと、亜留は半歩左側に体を動かす。その後ろには、俯き加減のリラの姿があった。
「店長はこの子、星谷リラのお母さんではないですか?」
あまりの驚きに、店長は返事ができる様子ではない。
「少し、お話を聞きたいんです。リラのこと、そして、霊感について」
亜留の話を聞いて、少しずつ落ち着きを取り戻したのか、店長はふぅ、と一息付いた。
「……コーヒーを入れるから、適当な席に座って待っていてくれるかしら」
そういうと、彼女は箒とちりとりをもって厨房に向かった。
暗かった店内に照明がともされ、暖房がつけられる。
にぎやかないつもの店内と違い、厨房から包丁の音が聞こえてくるほど静かだ。
亜留は適当な席に座ると、窓の外を見た。相変わらず、まだ人通りは少ない。
隣には、霊体状態のリラが、足をぶらぶらさせながらおとなしく座っている。
「はい、どうぞ」
ふぅ、と亜留が息をついたとき、店長がコーヒーを出した。
暖かいコーヒーの湯気と、心地の良い香りが店内に広がる。
「ありがとうございます」
亜留は出されたコーヒーを手に取ると、その香りを確かめながら一つ口にした。




