二つの告白
「大事な話があります。今日の午後七時、海岸公園のベンチで待ってます」
学校帰りに彦野亜留は幼馴染の天川沙織にそう言われ、海岸公園の前にやってきた。
今の時刻は午後六時四十五分。少し早く来すぎたか、と亜留は近くのベンチに座った。
海岸沿いの片田舎の道路は、そろそろ帰宅ラッシュがあってもおかしく無い時間帯だ。それなのに車の通りも少なく、人もまばらにしか歩いていない。
阿流野辺海岸公園、通称海岸公園は、その名の通りそんな道路と海との間に儲けられた公園である。
サッカーができるほどの広さがあるのだが、普段は老人がゲートボールを楽しむのに使う程度である。ブランコや滑り台といった遊具はあるものの、子供達の姿はあまり見かけない。
夜は特に、夏祭りなどの行事が無い限りは、ほとんど人がやってこない。七月六日の特に何もないこの日は、静かなものだった。
静かな海岸公園のベンチ、そこで亜留は、長身な体を投げ出し、だらしなく空を見上げる。
夜とはいえ今は夏。普段のこの時間なら、太陽の面影が残るかのように、空は明るい青色を示すはずである。
しかし、今日は天気があまりよく無く、灰色の雲が天を覆い、あたりを一足早く闇に染めようとしているように見える。
すこし急いでいたせいか、Tシャツやデニムにまとわりつく汗が気持ち悪い。その感触を、夏とは思えない涼しい風が冷やしていく。
「一体、話って何だろうな」
天を仰ぎながら、亜留は今日の話についていろいろ想像する。
沙織とは小学校の頃からの付き合いで、ほぼ毎日一緒に登校していた。小学校、中学校と同じ学校に通い、高校も同じ学校を受験した。
一年の頃は違うクラスだったが、今年の二年では同じクラスとなった。ただ、互いに別の友達もおり、高校になると部活動の関係もあって、一緒に登下校することはなくなってしまった。
「大切な話、か」
一緒にいて当たり前だった存在。学校では友達と遊ぶことに夢中で、沙織も亜留にとって、遊び友達の一人に過ぎないと思っていた。
特に意識せず、ずっと過ごした十六年間。女の子から、しかもいつも一緒にいた子からそんな「大切な話があるから」などといわれては、健全な男子なら期待するものもあるだろう。
もしかしたら違うかもしれない。しかし、言われてすぐに返事ができないのもかっこ悪いと思い、何かしらの返事を考える。
たしかに沙織はかわいいし、男女共に人気がある。一年の頃には告白された経験もあるらしい。
今までは友人から沙織との関係を聞かれても、「ただの幼馴染」で通してきた。しかし、もしかしたら今日でそれも最後になるかもしれない。
時折聞こえる細波の音と、道路から聞こえる車の走行音が、亜留の考えをかき乱す。その走行音に混ざって、遠くから車のブレーキ音が聞こえた気がした。
ここら辺は車の通りが少ないから、かなりスピードを出している車も少なくない。そういった車が、急ブレーキでもかけたのだろう。
そんなことよりも、いったいどう返事を返そうかと考える。今までの関係を続けるのか、それとも……
徐々に厚くなっていく雲を眺めながらそんなことを考えていると、遠くからパトカーと救急車のサイレンの音が聞こえた。振り返ると、すごいスピードで亜留がいる海岸公園を通り過ぎていった。そのままその音は道路の向こうに消えていくと思ったが、その数百メートル先で止まった。考え事をしていて気が付かなかったのだが、事故でもあったのだろうか。
すぐに現場に向かいたいところだが、今は待ち合わせ中だ。ここから離れるわけにはいかない。
時計を見る。時刻は午後七時を少し過ぎたところだった。そろそろか、と公園の入口付近に目をやると、一人の人影が見えた。
亜留はベンチを立ち、その人影の正体を確認しようとする。と、同時に公園の電灯が点灯した。
白いワンピースにサンダルを履いた、ショートヘアの女性。間違いなく、待ち人の天川沙織だった。
「亜留君、ごめん、待たせちゃったね」
「いや、僕が早く来すぎたんだよ」
ゆっくりと歩いていた沙織の足が、亜留の数メートル前でぴたりと止まる。
その瞬間を待っていたかのように、涼しげな夜風が、亜留の髪をなで上げる。
「それで、話って?」
こんな時間に、人気の無い場所で、高校生の男女二人。大切な話といえば、一つしか無いだろう。少し俯きながら、恥ずかしそうにもじもじとする沙織。やがて、意を決したように亜留を見つめ、口を開く。
「亜留君、小学校のころからずっと一緒にいたけど、やっぱり亜留君のことが好きです。幼馴染や友達じゃなくて、私の彼氏になってください」
予想通りの言葉とはいえ、多少の動揺は隠せない。亜留は一呼吸して、先ほど考えていた返事をする。
「僕も、沙織のことが好きです。これからも、よろしくお願いします」
亜留からの告白の返事を聞き、その満面の笑みを見て、沙織の不安な顔が一気に笑顔になる。
小さい頃から一緒にいて、時にはけんかをし、時には慰めあいながらここまで来た、パートナーと言ってもいい存在。そんな関係を、これからも続けたい。答えは一つしかなかった。
「ありがとう」
これからは幼馴染から恋人同士になるのか。そう考えると、このあとの生活をいろいろ考えてしまう。
「あ、それと」
亜留がそんな妄想に浸ろうとしたとき、沙織の声がその妄想をさえぎった。
「もう一つ言わないといけないことがあって」
「え?」
沙織は少し困った顔をしながら、閉ざされた口を開く。
「実はさっき、そこの道路で事故にあっちゃって……」
「は?」
何を言っているのか、さっぱり理解できない亜留。
「あの、だから、そこで車に轢かれちゃって、それで……」
その意味を理解しようと、必死に思考をめぐらす。沙織の体には傷一つ無い。もし車に轢かれたのであれば、少なくともどこかしら怪我をしているはず。ましてや、こんなところに来れるはずが無い。
「……幽霊だとでも言いたいの?」
「えっと、正確には違うんだけど、そうね、霊体状態っていうのかな、魂だけの状態なの」
そういえば沙織は幽霊とか魂とか、そういうオカルトに詳しかった。もしかしたら、それでからかっているのかもしれない。
「ははは、冗談はよせよ沙織」
と、亜留は沙織の肩を叩こうとする。しかし、その手は沙織の肩をすり抜け、全くの手ごたえ無く、空気をすくうように空振りした。
「え……」
こけそうになる体を支え、体勢を立て直す。そして、よく沙織を見てみると、うっすらと向こう側の景色が見えた。
「嘘……だろ?」
信じられない状態が起こっている。幼馴染の女の子から告白されたと思ったら、別のことまで告白されたのだ。しかも、その内容が、「自分は幽霊だ」ということなのだ。もはや理解しようとしても頭が追いつかない。
「本当だよ。だって、さっき私に触れられなかったでしょ?」
確かにそうだが、信じろと言われて信じられるわけが無い。
「じゃあさ、あそこの事故現場に行ってみて。そしたら、本当だって分かるから」
そう言われ、亜留は心より先に体が動き出した。公園の入口を飛び出し、海岸沿いの道路の歩道を走り抜ける。
「あ、亜留君、待ってよ!」
亜留が走った後を、沙織も必死で追った。
事故現場はさほど遠くなく、数分とかからずたどり着いた。周りには、何人か近所の人が集まっている。
一台の車が道路上で止まっており、その車の持ち主と思われる男性が、警察になにか話をしている。走っている途中、救急車が反対側へ走り抜けて行ったのを見た。恐らく、被害者が運ばれたのだろう。
車の前面から少し離れたところを、鑑識だと思われる人が何か調べている。日が暮れかけていて良く見えないが、アスファルトの道路にわずかに血が飛び散っていた。
その、人ごみの中に、見覚えがある顔があった。沙織の母親だ。
「おばさん!」
「あ、亜留君、沙織が……」
沙織の母親の顔はかなり動揺しており、大泣きしている。
「そんな、本当に……」
亜留のひざががっくりと膝が崩れ、アスファルトの地面に両手をつく。と、同時に、電話がかかってきた。亜留はゆっくりと電話を取る。
『あ、亜留? さっき、沙織ちゃんが……』
電話の主は亜留の母親だった。震えた声が、受話器を通して聞こえてくる。
「うん、わかってる。今現場にいるところ」
できるだけ冷静さを保とうとする。しかし、何とかいろいろこらえるのが精一杯だ。
『母さん、今から病院にいくけど、亜留はどうするの?』
「じゃあ、一緒に行くよ。おばさんもいるから、一緒に乗せてあげて」
そういうと、亜留は電話を切り、沙織の母親の元へ向かった。
「……おばさん、今から母さんが車出すから、一緒に病院いこう」
どうしたらいいかわからない様子でうずくまっている沙織の母親に声を掛ける。
沙織の母親の話によると、沙織の父親が付き添いで救急車に乗ったようだ。沙織の母親には、後からタクシーで来るように言っていたらしい。
沙織の母親に話し終わると、自分の母親が来るまでの間、少し現場を離れ、人気の無いところに向かった。
「……沙織、本当に……」
亜留は下を見ながら、霊体となった沙織に震える声で尋ねる。
「えっと、亜留君はもしかしたら誤解しているかもしれないけれど」
沙織の言葉に、亜留はゆっくりと顔を上げる。
「私は、事故には遭ったけど、死んではいないの」
「え?」
沙織の言葉に驚き、途中で声を詰まらせる亜留。
「なんていうのかな、事故のショックで霊体だけ抜けちゃった、って言うのかな。怪我はしているけど、今のところ命に別状はないの」
沙織が何を言っているのか、まだ理解仕切れていないのか、亜留は呆然としている。
「うーん、とりあえず病院行くんでしょ? そこで分かるかな」
「……」
混乱した頭で事態を理解しようとする。目の前に沙織の霊体があって、しかし死んではいなくて、命には別状がなくて……。
そうして亜留が混乱している時、ちょうど母親の白い車がやってきたのが見えた。
「亜留、迎えに着たわよ」
「ああ、母さん」
亜留の母親は車を降りると、近くにいた沙織の母親を見つけ、自分の車に誘導した。亜留はそれを見届けると、自分も後部座席に乗り込む。その後を追って、同じく沙織もふらりと亜留の隣に座った。
普段から車で出かけるときには沙織と一緒に後部座席に乗ることが多かったが、今日の沙織は霊体であるためか、少し透けている。もしも霊体であることを知らされていなければ、思わず話しかけるところだっただろう。
二人の母親の様子を見る限り、沙織は見えていないようだ。もし見えているならば、とんでもないリアクションが飛んできたところだろう。
全員が乗ったところで、亜留の母親も運転席に着き、シートベルトを締める。エンジンをかけると、現場検証が続いている事故現場を後に、車は病院へと向かった。
車内は当然のように、誰もしゃべらず静かだ。車のエンジンの音だけが、社内に響く。
亜留の母親は黙々と運転するだけで、沙織の母親は下を向いて黙っている。亜留の隣の沙織も、膝に手を当てて、下を向いたままだ。
声を掛けられることも無く、声を掛けることもできない。重い沈黙が続く。
「お母さん……」
突然、沙織が呟いた。亜留は思わず声を上げそうになったが、前の二人に聞こえているはずも無いので、ぐっと声を押し殺した。
(それにしても、突然どうしたんだ? 急に声を上げるなんて)
車が赤信号に引っかかったとき、亜留はそう思いながら沙織の顔をちらりと見た。薄暗い中、信号と電灯に照らされた沙織は、まるで目の前にいる母親が事故に遭ったような顔をしている。
信号が赤から青になり、車が動き出す。照らされていた沙織の顔もまた暗闇へと消えていった。