02-11-05 それは、偽りの血戦
「さて、仕事の時間だ。霧原誠、もとい紫の悪魔。こちらに投降するつもりは?」
「ない」
「では、拘束してアーヴェ本部で裏切り者の結末をその身をもって味わってもらおうか」
紫の悪魔とカーリー・フィンドの戦いが、始まろうとしていた。
カーリーは裁き司筆頭として裏切り者の紫の悪魔を拘束しなければならない。
彼がどれほどのアーヴェの情報を奪ったのか、問いたださなければならない。
彼は、セレスティンの幹部でもある。情報を武器とする彼ならばセレスティンの内情も知っているはず。それを手に入れる為にも、紫の悪魔は捕獲対象である。
最初に動いたのはカーリーだった。
手に持った八つの剣を投擲しながら距離を詰める。幾つも投擲し、無くなるとコートの裏側から剣を抜く。
どれ程コートの裏に隠されているのか、異常なほどの量だ。
銀の剣を捨てた紫の悪魔はそれを避けながら同じくカーリーの元へ走る。
途中、付きたててあった赤の魔剣を回収すると二振りの剣を構えた。
カーリーと紫の悪魔がぶつかる。
金属と金属の重なる音が幾つも響く。
二刀流の紫の悪魔に合わせてか、カーリーもまた二刀流で対峙する。
身体強化している紫の悪魔に、カーリーはなんの強化していないと言うのに追いついていることに気付くと、紫の悪魔はすぐに後退した。
彼はふと頬を伝う血に気づく。どうやら、いつの間にか右の頬を斬られていたらしい。腕や脚にも幾つもさばき切れなかった傷ができていた。
腕から流れる血が、赤の魔剣の刃にも流れていく。
傷を負った紫の悪魔はカーリーを警戒するように睨む。
それに、カーリーは涼しい顔をしていたが、床に幾つも薄い金の髪が落ちているのに気付いた。
髪を斬られた。よく見れば、コートにも斬られた跡がある。
かわしきれていたと確信していたために、彼女は少しだけ驚いた顔をする。
そして、紫の悪魔を不可解そうに見た。
また、二人はぶつかり合う。
「そういえば、なぜ君はセレスティンにいる。君は、人間だろう?」
黒の剣を持っていた剣で防ぎ、赤の剣を避け、カーリーは戦闘中にもかかわらずに声をかけた。
紫の悪魔はなにも言わない。
「いや、魔力のほとんどないがゆえに差別でもされたか……?」
ほとんどの者が魔力を持つ世界で、彼は力を持たない。それゆえかと推論をするが、紫の悪魔はやはり応えない。
紫の悪魔の持つ赤い剣に炎が迸る。カーリーは刃をぎりぎりの所で裂けるが、炎が服と肌を焼く。
「それとも、彼らの目的である世界の崩壊を本当に願っているのか?」
傷を負いながらもカーリーは紫の悪魔の剣を捌く。
話しながら、しかも魔術など一切使わず。
これが本気ではないだろう。紫の悪魔は、最初から手加減されている事に気づきながらも、それをおくびにも出さずに戦い続ける。
今、しなければならない事は、彼女をここに留まらせることだ。
この先へは、これ以上進ませない。アスと数人を進ませたのは、元々そう命令されていたからだ。だが、もうこれ以上は進ませられない。せめて足止めを出来る限りしなければならない。
相手が本気を出さずにいるのなら好都合だった。
だが、カーリーの話は続く。
「ならば、世界の崩壊を願うほどの理由は、一体なになのか」
何度もぶつかりあう剣。
少しずつ、紫の悪魔は後ろへ下がっていく。
「仲間を裏切り、友人を殺し、神を殺し、多くの人々を巻き込んで」
赤の剣が弾き飛ばされた。思わずその剣に紫の悪魔の視線が向く。
カーリーはすぐに両手の剣を捨てると何も無くなった左手を掴み足払い、さらに背負い投げる。
地面に叩きつけられた紫の悪魔はすぐに起きあがろうとするが、カーリーによってさらに蹴り飛ばされる。
カランと黒の剣が手からこぼれ落ちる。
息がまともに吸えず転がり咳き込む彼は、落とした黒い剣を拾いながらどうにか起き上った。
「何をしたい、紫の悪魔」
カーリーはコートの裏から剣を取り出す。
彼女の酷く冷たい視線に、彼はようやく重い口を開いた。
「世界を、壊したい。だから、まだ、『倒れる訳にはいかない』」
カーリーは、少しだけ動揺するが、それをすぐに隠す。
紫の悪魔の言葉には、言霊が強く宿っていた。
倒れる訳にはいかないと、強く、強く。
言霊とは、言葉に力が宿ったものである。言霊で言われた者、そして聞いた者に作用する一種の呪い。
紫の悪魔は、己に言い聞かせるように言霊を使っていた。
それはまるで、洗脳である。
紫の悪魔は、連戦と身体強化の術の反動で体が限界を迎えようとしている。だから、言霊で体を騙そうとしているのだ。
それに気付いたカーリーの行動は早かった。
先ほどよりも、容赦なく攻めていく。
「世界を壊すなど、赦す事は出来ない!」
すでに地術による援護は無くなっている。
キセキとクリーが去って時間が立っている。おそらく、地術で援護をしていた人形使いは戦いに敗れたか逃亡したのだろう。通信機には砂嵐の様な音しか聞こえてこない。
黒の剣だけでどうにか耐えきろうとする紫の悪魔だが、少しずつカーリーの剣に追いつかなくなっている。傷が増え、少しずつ後退していく。
警戒するのは剣だけではない。幾つも武器を持っている事をいいことに、彼女は簡単に剣を捨てるとなにかの武術で容赦なく投げ飛ばそうとする。
紫の悪魔の動きが止まった。それを逃さずカーリーは彼を掴みあげると投げ飛ばす。
まだ幼さの残る少年は、簡単に壁に叩きつけられ黒の剣もまた手からこぼれ落ちた。
たまらず呻き声をあげた紫の悪魔は、ずるずると壁伝いに崩れ落ちる。
「終わりだ、紫の悪魔。あとの言い分はアーヴェの本部で聞こう」
立ちあがれない彼に、カーリーは静かに言うと近寄る。近くに落ちていた剣をまた拾えないようにと遠くへ蹴り飛ばした。
さらに、身体強化の術が解け、仄かに光っていた符の効力が無くなる。
「まだ……『戦える』。『立ちあがれる』。『痛みなど、無い』」
無理やり紫の悪魔はゆっくり立ちあがった。
体はぼろぼろだが、その目は諦めていない。負けを認めていない。
いつの間にか魔術を斬る短刀ヒトギを抜いていた彼はカーリーへそれを向ける。
「愚かな……」
そして、二人はまたぶつかり合う。
身体強化の術が失われた事で先ほどとは早さも力も無くなってしまったが、それでも紫の悪魔は先ほどのようにカーリーと互角に戦っていた。いや、それどころか未来でも分かるかのようにカーリーが攻撃する前に反応している。彼は、カーリーの剣を見きり始めていた。
しかし、カーリーは本気を出していない。
いくらカーリーの剣術を見きろうと、彼女は魔術をなにも使っていない。
紫の悪魔の剣が、カーリーの元に届き、かけた。
衝撃が彼を襲った。
カーリーの剣ではない。
突然体を上から下に叩きつけられる。
紫の悪魔は、カーリーの前で地面に無防備に倒れ込んだ。
体が、動かない。
上から強い圧力で押さえつけられているようだった。
一体何が起こったのか、すぐに彼は推察をする。
カーリーは少しも紫の悪魔に触ってはいない。おそらく、これはカーリーの魔術だ。
風術かそれとも視えないモノを操っているのか、分かるのは紫の悪魔はそれに押さえつけられて動く事ができないということ。
魔力のない彼に魔術を破るのは不可能に近い。
言霊でどうにか為る時もあるが、どんな魔術かも分からない状況ではどうにもできない。
「まだ、まだ……僕は……『動ける』」
それでも、やらなくてはならない事がある。
自身に仕込んである魔術がすぐに発動できるかと確認しながら、少しずつ動きはじめた紫の悪魔の様子に、カーリーは目を丸くした。
「……分からないな。君はプルートの様な邪神の信奉者ではないだろう?」
プルートは黒の女神に狂っている。ただ、彼女の為に人の世を乱す狂人だ。だが、彼は違うだろうとカーリーは判断していた。
紫の悪魔は、狂っていない。黒の女神の為に戦っていない。
「なのに、なぜそこまでして戦う」
カーリーは、這いつくばりそれでも抗おうとする少年を見降ろしていた。
ゆっくりと立ちあがった彼は、背の高いカーリーを見上げながらも心は対等とでも言いたげに真っすぐな視線を向けていた。
「自分の、ため、だ」
紫の悪魔はヒトギを振るう。バチンと音がして彼を押さえつけていた魔術が消えた。
なんの魔術なのかまでは分からなかったが、魔剣であるヒトギにとっては魔術である事には変わらない。消滅させるだけだ。
すばやく、彼はカーリーの元から離脱する。
「『大丈夫』『痛まない』『苦しく、ない』」
不自然なほど乱れた息を整えようとするが、なかなか元には戻らない。
無理な身体強化の反動が表れ始めているのだろう。
彼は、二重、三重の強化をしていたうえに、生命力や命を対価にする魔剣を操っていた。特に、黒と赤の魔剣は多用すれば命にかかわるというのに使っていた。
だが、倒れない。意地でも立って迎え撃つと、言霊で必死に取り繕って戦おうとしている。
「……死にたいのか?」
カーリーは心からそう思った。
たいして小さな声ではなかった。彼にその呟きはきっと聞こえたはずだ。だが、紫の悪魔は答えない。
短刀をカーリーに向けているだけだ。
カーリーは紫の悪魔を生け捕りにしたい。彼の持つ情報を、出来れば手に入れたかった。
だから、これ以上戦いを長引かせないようにと言葉を紡いだ。
「……『もう、終しまいにしよう』」
ほんの、一言だけ。
言霊使いというほどではない。が、本当にほんの少しだけだが彼女は言霊を紡ぐ事ができる。
言の葉を揺らす。
体から力が抜けるように、紫の悪魔はその場に崩れ落ちた。
「え……?」
目を見開き、なにが起こったのか彼はすぐには分からなかった。
ただ、気付いたら倒れていたのだ。
そして、敗北してしまったのかとようやく気付く。
体は、動かない。視界も、あやふやになり、さらに右手の感覚が失われていく。
カーリーの言霊のせい、ではない。彼女の言霊では体の動きを止めるほどの力はない。
そうではなく、元々……彼の体がもう限界だったからだ。
例えば、それは貯水湖に近いかもしれない。
言霊という柵を作り、水を……反動を溜め続けた。溜めて溜めて、溢れる手前で壊れる寸前だったそれを、カーリーの言霊が後押ししたのだ。
そんな中、閉ざされていた黒の女神のいる部屋への道が、突如開かれた。
紫の悪魔は、通信機から人形使いが撤退するとの連絡を受ける。
クリーとキセキが人形使いの居場所を突き止め、逃げたのだろう。
「どうやら、終わったようだな」
カーリーは満足そうに一人頷く。
そして、何者かが歩いて来る足音を聞いて、クリー達が戻ってきたのかと顔を向けた。
道が開けたと言う事はクリー達が戦って勝ったはずだ。彼等なら、きっと戻ってきてアスを追おうとするだろう。
しかし。
「まこ、と、くん?」
そこにいたのは、クリー達では無かった。
ぼろぼろになって、地面に横たわる少年を見て、驚きに目を丸くする二人の少女。
「君達は……音川アルトに日野出流? なぜ、ここに」
本来なら四番目のジョーカーであるファントムと共に居るはずの二人が、なぜこんな場所にいるのかと、カーリーは首を傾げた。が、まあ今はそんな些細な事はどうでもいいかと思いなおす。道が変化する迷宮でファントム達とはぐれてしまったのだろう。
幸い、この先に進まない限りは辺りにはもうセレスティンの輩はいないはずだ。そして、自分もいる。
「二人とも、ファントムはどうした」
「え、あ、の……あなた、は?」
アルトが、困惑しながらカーリーに問いかけた。
さりげなく、出流を庇うように前に出ているのは、カーリー達を警戒してのことだろう。
そこで、カーリーはようやく気付く。
カーリーはアルトの事も出流の事もよく知っていたが、彼女達はカーリーの事を知らない。
セレスティンの基地の中で這いつくばる紫の悪魔を上から見下ろす見知らぬ女性。彼女が敵なのか味方なのか二人は判断に迷っていたのだ。
とにかく状況を把握しようとアルトは辺りを見渡して、よく知った顔を見つける。
「あれ、お、お兄ちゃん?!」
正体無くした一番上の兄、ヒイラが倒れている。思わず駆け寄ろうとして出流の事を思い出し動きを止めた。
カーリーが敵だった時、出流を一人には出来ないと思ったのだ。
それに、ヒイラは小さな傷こそあれど、致命傷の様な傷を負った様子は無いし、カーリー達もヒイラを殺そうとはしていないと判断した。
じりじりと下がり、いつでも逃げ出せるようにとするアルトだが、後ろに庇われる出流は
紫の悪魔に厳しい視線を送り、動こうとはしなかった。
「私は、裁き司筆頭、カーリー・フィンドである。君達の敵ではないから安心しろ」
そうなのか、とアルトは出流に視線を送る。まだ星原に数カ月しかいないアルトは上層部の人物を全部覚えきれていない。
だが、出流もカーリーの事は知らなかった。裁き司筆頭と聞いても、そんな話は聞いた事が無かったからだ。裁き司に称号付きが居ない代わりにまとめ役がいる事は聞いていたが、それがカーリーだか判断は出来なかった。
それよりも、出流は知りたい事があった。
彼女が、紫の悪魔をどうしようとしているのか。
カーリーがアルト達にどう説明すれば信じてもらえるかと考えているなか、紫の悪魔は両手でなにかを探そうとでもいうのか動かしていた。
彼は出流の視線に気づくが、なんの反応もしない。
「マコト君を、どうするのですか?」
出流は、カーリーに思わず聞いていた。
「彼はアーヴェの情報を流した裏切り者。どれ程の情報を奪ったのか、そしてセレスティンの組織の概要を知る為にもこのままアーヴェ本部に拘束するつもりだ」
「じゃあ、こ、殺したりは、しないんですね」
ほっと、出流は息をつく。しかし。
「今のところは、だがな」
その言葉に、顔をこわばらせる。
紫の悪魔は、犯罪者だ。元暗殺者であり、裏切り者で在り、セレスティンの幹部という地位にまでいる。これから先、彼は罰を受ける事になるだろう。それがどんな罰になるかは分からないが、死を求められる事もあるかもしれない。
誘拐された立場であるにもかかわらず、出流が心配そうに紫の悪魔に視線を向けるのを、カーリーは不思議そうに見ていた。
そして、紫の悪魔に視線を戻す。
もう、彼は立ちあがることすらできない。拘束だけはしておこうとカーリーは紫の悪魔に近づく。
負けてしまったのかと、彼は静かに考えていた。
連戦と無茶な戦いを続けてきた積み重ねがそろそろ限界だったことは分かっていたし、それでもスフィラ達の戦いが終わるまでは持てばいいと思っていた。だが、まだプルートから連絡が来ない。
魔力が無く伝達手段が無いためレンデルから取り寄せた通信機から連絡がこないかと今か今かと待ち望んでいたが、このままでは連絡の来る前に終わってしまいそうだ。
せめて、いまどうなっているのかくらい連絡の欲しいところだが、プルートにそんな事を望んでも無駄だろう。プルートは紫の悪魔を毛嫌いしている。
そして、望んでいた連絡もあまりにも簡単な物だった。
『私だ。我が女神と共に撤退する』
ようやくか。ようやく、終わったのか。
近づいて来るカーリーを見て、すぐに行動を起こさなくてはと体を動かそうとする。
動かない。自分の意志ではほぼ不可能に近い。首が少し動く程度だ。
想定はしていた結果だ。
フィンドルでの神殺し、シェルランドでの神楽崎との交戦、アーヴェでの交渉と音川アルト達との戦い。他にも戦いが続いていた。その無理した影響がカーリーの言葉のひと押しで前面に出て来てしまっている。
だが。
想定はしていた。だから、その対処法もある。
「起動、しろ」
言葉まで影響しなくて良かったと思いつつ、彼はソレの起動の為の言葉を紡いだ。
傀儡術、というモノがある。
セレスティンだと人形使いが用いることの多い術だ。人形などを自分の思うままに操るものである。
中には、人を操り人形にする、など外道な術として使う者もいる。
意思を封じて人形のように他者が操ることは、大陸で禁術指定されている。
しかし、黄泉還りなどの禁術よりも容易で、傀儡術を応用すればすぐに使えるということで平気で使っている者も多い。
また、持っている者を傀儡とする魔術具なども存在するが、それは制限や魔術具よりも魔術への抵抗をされると魔術具を作った術者の技量によっては抵抗されてしまったり、いくつかの条件を満たさないといけないモノだったりと使いにくく実用的ではないとされる。
紫の悪魔が切り札として持っていた物は、ソレだった。
動かない体を、傀儡として無理やり動かす。
人形使いが創った魔術具を譲り受けたものである。条件のほうは、使用者が自分自身を操るために満たす事が簡単だった。
まさか、もう動けないだろうと油断していたカーリーは、操り人形のように動きはじめた紫の悪魔に虚を衝かれた。
向かってくるか? とっさに構えたカーリーをよそに、彼は奥へと駆けだした。その先は、黒の女神がいるはずの部屋だ。
「君たち二人はここで待機していなさい!」
黒の女神とアス達の戦いがどうなっているのか解らないが、彼をこのまま行かせるのはまずいと、アルト達に声をかけるとカーリーはその後を追いかける。
返事を聞かずに、カーリーは先を急いだ。
紫の悪魔はひたすら、走る。
彼は、どうしても知らなければならない事があった。
オベロン計画には必要ない事だが、彼にとっては重要なことだった。
すぐに、黒の女神のいるはずの部屋の扉に辿り着く。息を整えて、その扉を開けた。
――その先は、地獄のようだった。
なにかが爆発したような跡、黒ずみ腐敗した植物たち、至る所に飛び散る血痕。瘴気があたりに広がり、息をするだけで喉が焼けて苦しい。
一番目のジョーカーであるフィーユが、部屋の中央にいた。全身ボロボロで、血を流し、肌に黒いあざの様な物が広がっている。
そんなフィーユを支えるのは星原のクイーンの称号付きラピスだ。彼女は、服こそぼろぼろでかなりきわどいことになっているが、傷を負った様子は無い。ただ、その顔には疲労の色が濃い。
扉を開けて現れた紫の悪魔に、驚き目を丸くしていた。
「なんで、あなたが」
その問いに彼は応えない。
ぐるりと部屋とはもう言えない戦闘の後の空間を見渡して、それを見つける。
扉のすぐ横だったために見逃していた。以前紫の悪魔が契約していた魔剣であるサイが倒れていた。そして、もう一人……右手、右足を失い、さらに腹に大きな穴が開けられ、赤黒い油を流し続ける二番目のジョーカーであるアスがいた。倒れ、こちらも意識は無い。普通の人間ならば、致命傷だろう傷だが、生きてはいるようだった。
「よか、った……」
ぽつりと、彼は呟いた。
そのまま、力を抜いて座りこむ。気が抜けて、傀儡術も解けてしまう。
もう、これ以上は動けないだろう。
だが、構わなかった。
もう、目的は果たした。懸念事項は確認できた。
一番注意すべきフィーユとアスは、倒れている。
見る限り、しばらくは二人とも戦闘は出来ない。
後ろから追って来たカーリーがなにかを叫ぶ。だが、徐々にそれも聞こえなくなっていく。
あとはもう、準備は整っている。
そのまま彼は、意識を手放した。
「あ……」
マコトが、去っていく。そして、カーリーも。
取り残されたアルトは、途方に暮れていた。
出流は、厳しい顔でマコト達の進んで行った道を見ているが、動こうとはしなかった。
そして、アルトも動けなかった。
そんななか、呻き声が聞こえた。
気絶していたノインだ。
「手当て……お兄ちゃん達の、手当てしないと……」
思い出したように、アルトは動き出す。
ここには、倒れたヒイラとノインがいる。どちらも酷い傷などは見当たらないが、このまま地面に倒れたままではいけないだろう。
「出流」
名前を、呼ぶ。
「……ごめん、アルト。ヒイラさん達の傷を見ないとね」
出流は、名残惜しそうに視線を逸らし、そしてアルトに微笑んだ。
二人でヒイラとノインを部屋の隅に寝かせる。傷の手当てを簡単にしていく。
どちらも目覚めない。
この部屋で斃れたと言う事は、マコトに二人は倒されたのだろう。魔力が無く魔術を使えない彼に。
「あ、アルト、出流っ?!」
足音とよく知っている声が聞こえて、二人は顔をあげた。
「よかった、無事だったんだね!!」
ティアラ、そしてファントム達だった。
アルトと出流の知らない所で、カリス、アイリ、テイルはティアラとファントムに合流していたのだろう。第四部隊が勢揃いだ。
「ティアラ! うん、大丈夫だったよ。でも……」
ノインとヒイラを見て、言葉を濁す。と、ティアラ達を押しのけ、後ろから知っている青年が現れる。
「カーリーさんは? ここに、マコトとカーリーさんがいませんでした?!」
裁き司所属のクリーだ。さらに、第一部隊で集まっているのをみて顔を知った四葉所属の青年キセキもいる。
「あ、その……マコトが奥に走って行ってしまって、それを追って……」
「……わかりました」
クリーとキセキは顔を見合わせると、頷きあう。
「ファントムさん、申し訳ないですが私たちはここで別れさせていただきます」
「分かりました。ヒイラくんとノインさんはこちらで預かりましょう」
「助かります。では」
カーリーたちの後を追いクリーとキセキは走って行った。
「ふう……どうにかこうにか、落ち着きましたね」
二人が去った後、ファントムは息をつくとほっとしたように口元を緩ませる。
「無事で良かったです。どうやら、紫の悪魔……霧原マコトと会ったようですが」
「はい……」
でも、マコトはアルト達を気にせず、行ってしまった。
苦い顔になるアルトに、ファントムは首を振る。
「もうそろそろ、セレスティンの制圧も終わるでしょう。いろいろ聞きたい事もあります。今度こそ、戻りましょう」
意識を失った者達が多いため、簡単には戻れないだろうが、敵も少なくなっている。どうにかなるだろうとファントムは指示を出して行く。
一度だけ黒の女神がいるはずの方向を向き、そして顔をそむけた。
アーヴェによるセレスティン制圧が終わったのはその数時間後だった。
基地にいた者達はほとんどが捕縛されたが、捕らえられた幹部は二人のみ。アーヴェ本部を襲撃したタツヤと紫の悪魔だけであった。他の幹部であるミザール、プルート、人形使いは逃げ延び、黒の女神スフィラをも逃した。
幸い、死傷者はないが、第一部隊のスフィラと直接対決したセツナとフィーユは肌に広がる黒い呪詛の様なものにより現在意識不明。原因も呪詛の効力も分からず、隔離されている。
そして、アスもまた全身を激しく損傷し、意識不明である。すでに彼を造った技術は失われており、少しばかりアスの事に詳しい人物により下手に手を出すより彼自身が元々持つ自己修復機能による回復を待ったほうが良いとのことでやはり隔離されていた。
そして、年が明ける。
魔剣と身体強化による反動、そして無茶な戦いで意識を失っていた紫の悪魔は、数日のうちに意識を取り戻し、そしてこう言った。
「アーヴェ・ルゥ・シェランに会わせろ」
どうにかこうにか、ようやくここまで来ました。第二章神騙り編終了まであともう少しです。今年度中に書ききれたらと思います。
よいお年を。




