02-11-03 それは、偽りの血戦
第一部隊、黒の女神の拘束を最優先とするアスを中心としたチーム。彼等は、薄暗い廊下を走っていた。
そこにはアルトの兄、音川ヒイラの姿もある。
ついこの前、セレスティンの幹部であった神楽崎卓との戦闘による負傷はすでに全快している。前回は国王を守りながらの戦闘であったため後れをとってしまったが、普段の彼は月剣の称号持ちで在り、次期キング候補でもあった。その彼が第一部隊に志願し認められたのは当然であった。
また、風術師は重宝されやすい。風の使いようによっては一戦場全てを支配する。一流の風術師は周囲の索敵、生き残りの有無を感知し、遠距離戦も防衛線もこなす。そして、最も得意な事は対多数戦であり、広範囲を殲滅させる。
彼は、黒の女神がいると言う場所に近づくにつれ、異様なモノを感じていた。
それは、以前も感じた事のあるものだ。しかし、周囲の風は異常を訴えていない。
広範囲に風を放っても同じだ。
何とも言えない、掴みどころのないモノだ。
「……音川ヒイラ。なにかあったか」
「いえ……」
索敵の担当であるヒイラが納得いかない様な顔をしている事に気づき、移動しながらも二番目のジョーカーアスが問いかけてきた。
アスが問いかけてきたことで、周囲の仲間達も何事かとヒイラを見る。
「……特に、周囲に脅威となるような存在はいません。幹部も、こちらの動きについて来れてはいないようです」
「だが、なにかおかしいと感じている。私はそう言う直感や第六感のような感覚を感じるのが苦手なので、なにか少しでもおかしいと感じたら報告をお願いします。他の皆さんも、どうか。ここはセレスティンの根城。何が起こるか分かりませんから」
「は、い……」
二番目のジョーカーである彼は、一番目のジョーカーであるハーフエルフのフィーユよりも貴重な存在である。と、ヒイラ達は聞いている。
なんでも、彼は……機械、なのだと。
人間とほぼ変わらず生活し、人間のように笑い、怒り、自分の意志で行動する彼が本当に機械なのかとみな疑ってはいたが、今の話を聞いてその一端を覗いたような気がした。
「つい先日、セレスティンの幹部神楽崎卓と交戦した時に感じた異様な力をこの先から感じます」
気のせいかもしれない、だが、伝えたほうがいいと感じたヒイラは、アスの後押しもありすぐに報告した。
「シェルランドでの一件はこちらでも聞いていましたが……たしか、神楽崎卓は異様な風術を使って来たと」
「はい。普通の風術ではありませんでした。風術師であった神楽崎は、その影響か闇術のような奇怪な術も使用するようになっていました。そして、黒の女神からその力を受け取ったとも言っていました」
「……この先に、黒の女神がいる可能性が、高いということですね」
異様な力。それとおなじモノがこの先にいると言うのならば、おそらくそれはその異様な力の元であった黒の女神だ。もちろん、彼女が力を譲渡した者がいる可能性もあるが。だとしても、それは幹部である可能性が高い。
現在、分かっている幹部は
プルート、本名不明の人形使い、ミザール、タツヤ、そして紫の悪魔。彼等はまだ拘束されたと言う情報は来ていない。
「そろそろ、警戒地区です」
地図を見ながら、少女――セツナ・クロキが言った。
星原のシエラル支部に所属しこの集団の中で特に地位を持たず目立った功績も無くかなり若いが、本人の志願、そしてこのメンバーの中で唯一シェラン直々の推薦故に第一部隊に所属する事になった少女だ。
星原のキングの称号付き霧原陸夜と星原加入前から知り合いだったこと以外、特に情報は無いが、シェランが推薦したと言う事はかなりの実力者であるだろう。
ヒイラはなんの得物も持っていない丸腰の少女を見る。
妹であるアルトよりも、そろそろ女性と言ってもいいだろう。大人びた雰囲気がある。
「この先を抜ければ、あとは一本道、ね……」
その横にいたノインが呟いた。
語部のクイーンの称号付き、ノイン・ノインは張りきった様子で足を速める。
彼女は語部の中でも実力者であり、第一部隊に積極的に志願して来ていた。エース、アダマストが任務の危険性から止めようとしたが、説得は失敗したらしい。
その横には、裁き司所属のクリーがいる。いつも一緒にいるシヴァは居ない。
彼は裁き司の中でも重要な地位にいる人物から推薦されていやいやながらこの部隊に入ってきたという。最初に集まった時には不機嫌だったが、セレスティンに潜入してからは真剣な様子で周囲を警戒している。彼についても特に目立った功績は無いはずだが、慣れた様子でこの部隊にいた。
そういえば、とヒイラは思い出す。クリーの名前が長すぎて先ほど聞いたばかりだが忘れてしまった。
「少し開けた空間があるんだっけか。そこで待ち伏せされてるかも知れねぇし、要注意だな」
後ろから声をかけられ、ヒイラは振り返る。
殿を務める顔色が少し悪い青年がいた。
四葉のキング、キセキだ。
その口元を思わず見てしまう。八重歯が覗く口元が笑った。
「そんなに珍しいか、吸血鬼?」
そう、彼は吸血鬼である。
しかも、あの白蓮の大虐殺を生き抜いた生き残り、なのだとか。
四葉は元々亜人や獣人を保護し援助している組織だ。そこに、人外の存在が所属している事は多い。
なんでも、彼は吸血鬼の中でも異端で、吸血鬼の中では生きづらく、人々の中で生きる事にしたらしい。吸血鬼と言う先入観から、少しばかり後ろを預けるのは不安がある。
「はい。初めて、吸血鬼の方とは会いました。一応、そこに誰もいないようですが……術に頼り過ぎて不意をつかれる可能性もありますから、警戒はした方がいいでしょう」
ヒイラは頷いて肯定する。
様々な能力を持ち、不老不死とも噂の吸血鬼が部隊にいるのはかなり心強いがやはり少しばかり恐い。
アスを中心に、ヒイラ、セツナ、ノイン、キセキ、クリーそしてもう一人、姿を消している人物を含め計七人が第一部隊となる。
精鋭中の精鋭、と言う割に功績のない人物もいるが、アスはまったく気にせず、むしろ知り合いの用でよく相談をしていて頼っている様子だった。
セツナとクリー。この二人は実力をこれまで隠してきたのだろう。このさき月剣にとって要注意人物になる可能性が高い。ヒイラはそれを今回の戦いで見極めようと決める。
「そろそろです――」
セツナが気を引き締めようと言った瞬間だった。
世界が、白く塗りつぶされた。
「っ?!」
不意打ち、というよりも考えていなかった罠。
眩しい。あまりにも眩しすぎる。
そ薄暗い地下の廊下を歩いた先に、突如現れたあまりにも眩い光源。ヒイラの世界は白く染まり、視界を潰される。
風が、何者かの接近を伝えるが、上手く動けない。
「ぐぁっ!!」
「ノイン、さん?!」
近くにいたノインの声が響き、近くになにかがうちつけられる音が聞こえた。
「各自、散らばれ!!」
アスの声に、ヒイラはまだ自由の利かない視界の中移動しようとした。
足がなにかにひっかかる。
「は?」
罠? 魔力も何も感じなかった。いや、思えば先ほどの光も魔力を感じなかった。おそらく、ごく普通の灯りをヒイラ達が来た瞬間明るく灯して目潰ししたのだろう。
ほとんどの人々は魔力を感じて行動している。魔術の使われた罠があればすぐ分かる。だが、今回魔力をまったく使っていなかったために気付けなかったのだ。
そして、今、原始的な罠で体勢を崩そうとしている。
紐が、足元に張られているだと?
ヒイラはようやく戻ってきた視界のさきにあるロープを見て悔しく歯を食いしばった。
床に倒れ、すぐに起きようとする。
「くそ……なんだ、ここは……」
まるで闘技場のように開けた場所に入った途端、至る所から魔力を感じた。
魔術具が開けた空間の至る所に巧妙に隠されている。
起きようとするヒイラの胴を、なにかがぶつかってきた。衝撃に床を転げる。風の防御が間にあわない。
剣が首筋に突きつけられようとするのが霞む視界の中見えた。が、それが遠のく。
「大丈夫ですか」
その声の主はセツナだった。
先ほどまでなかった黒い外套を纏い、さらに黒い巨大な鎌を持っている。
ヒイラを庇うように立つ。
事前に彼女の能力は知っていたが、それを見るのは初めてだった。
彼女は闇術に長け、自在に操る。特に防御が得意で、闇術で造り出した武器で近接戦闘を行うのだと言う。
「陸夜君の弟君、です」
「陸夜……霧原陸夜? なら、今のは……」
ようやく、しっかり辺りを視えるようになった。
ヒイラは、この先に進む為の道を塞ぐように立ちふさがる少年を見つける。
青みがかった黒髪に、薄紫の瞳。血の気のない顔は完全に感情を押し殺した無表情。真っ黒なコートに同色の手袋と靴。そして、耳元に無線らしきものを付けている。露出している肌は顔だけで、白く目立っていた。
紫の悪魔。
そう、星原の裏切り者。
音川アルトの目の前で、彼女の友人であった千引玻璃を殺した殺人者。
ヒイラは、そんな彼を睨みつける。
「霧原、マコトっ」
ヒイラにとって、許せない相手だ。
彼は、二振りの剣を持っていた。さらに、腰にはさらにもう一本。
赤い刃に繊細な細工を施された剣、そして、黒ずんだ刃の無骨な剣。黒ずんだ剣のほうは先日のアーヴェ襲撃時に能力を晒しているため、魔剣の名と能力が割れていた。
魔剣メイスイ。所有者の命や魔力を吸い、攻撃に変える。魔剣の能力としては地味で単純だが、強い。
入ってきた場所の近くに、剣で斬られ、壁に打ち付けられたのだろう、血を流し倒れるノイン・ノインが倒れているのに気付く。
ノインは戦闘能力もあるが回復術も得意とするという事で回復面でも期待していたのだが、それは敵わないようだ。完全に気絶してしまっている。
回復役が最初に狙われた……改めて、紫の悪魔の危険性をヒイラは思い知った。
紫の悪魔は魔術を使えない。
その代わり、情報を使う。
相手の力量、流派、得意な術、戦術、性格、戦い方、あらゆる情報を使い、自らが有利な条件を整えて負けない戦いをする。
ノインがこの面子の中の回復の要だと情報を手に入れていたのだろう。だから、彼女が真っ先に狙われ、脱落した。無論、回復術を使える者はまだいるが、彼女には劣る。
周囲を見る。ノイン以外の脱落者はいないようだった。
クリーは紫の悪魔を苦々しそうにいや、どこか悲しそうに見ながら戦闘態勢をとっている。キセキは、なぜか死者でも見たかのように呆然と紫の悪魔を見ていた。そして、アスは紫の悪魔から少し離れた真正面にいた。
「……アス、先に、行ってくれ」
キセキが、言葉に詰まりながら言った。
「こいつはおそらく時間稼ぎだろう。黒の女神が、逃げる前に行け!!」
キセキの言葉に、クリーも頷く。
「彼は、私が止めます」
ヒイラは思わず言っていた。
紫の悪魔に対してわだかまりがあった。
「……キセキ、ヒイラ。彼の足止めをお願いします」
アスは、苦々しそうに言う。
魔術の使えない暗殺者に対して二人。二人もの人数をあてると言うのか。ヒイラは驚きアスを見る。
アスの顔は真剣そのものだ。
紫の悪魔は、ヒイラ一人では止められない。それほどの相手だと彼は判断したのだ。
「おそらく、彼以外にも伏兵がいるはずです」
紫の悪魔から目を離さず、アスは言いきる。
「分かりました」
「了解っ」
アスは二人の返事に頷く。
「セツナさん、クリーディウス殿、行けますね」
「はい」
「了解です」
そして、二人が頷く。
「突破します」
紫の悪魔に向かってアスは走りだす。懐から、奇妙な形の剣を取り出す。筒が取り付けられ、先端に穴のあいた不思議な剣だ。握る部分も異様な形になっている。
セツナとクリーがアスが攻め込む間に先に進む道へ出ようとする。
それを援助するためにキセキは動きだす。その身が霧のように見えなくなると、一瞬で紫の悪魔の元へ辿り着いた。
「アス、俺が止める!」
「……頼んだ」
抜いた剣を納め、アスは紫の悪魔の横を通り過ぎようとした。
が、雷が起こる。
「待って下さい、この辺り一帯に罠が仕掛けられている!」
一瞬遅れて響いたヒイラの声は届かなかった。
雷に打たれたアスはその場にうずくまっていた。そして、苦々しそうに立ち上がる。
セツナもクリーも、同じく雷に邪魔されかけ、アスの事もあってどうにか避けた。
「辺りに魔術具が張りめぐらされている。今、破壊します!」
ここまで、まったく罠と言う罠が無かったため油断していたが、ここは罠だらけの地帯。魔術具だけでも破壊しなければと魔力を感じる場所へ風術を放った。
一つ、二つ、ヒイラの魔力検知能力はかなり高い。確実に地面に埋め込まれた魔術具、描かれた魔術陣を破壊して――魔術具が、壊れたとたんに魔術を作動させた。
「なっ?!」
ヒイラの下に壊れた魔術具が矢のように降り注ぎ襲う。が、あの雷を発生させていた魔術具は意地でも壊す。
「ヒイラっ?!」
キセキがヒイラの負傷に声をあげた。
「くそ、あの魔術具……」
魔術具全部が罠だと壊してしまったが、いくつか壊された時に作動する対抗の魔術具が紛れていたのだ。
風でどうにか守護し、直撃は免れたが、かなりの魔力が込められていたせいで完全には防ぎきれなかった。頭を庇い、酷く出血する右腕を庇いながら、ヒイラは紫の悪魔を睨みつける。
涼しい顔で剣をふるい、キセキを相手取る。そして、隙を見てアスへ向かって魔剣メイスイを振るった。
魔剣メイスイは命を吸い攻撃に変える。遠くから振るった剣でも、地面を削り、暴風を起こし、その残撃はアスの元へ向かう。が、距離があったその攻撃は容易く避けてしまう。
だが、避けた先の地面がアスを呑み込むように変形した。
「これはっ?!」
ヒイラ、クリー、そしてセツナが立っていた地面も隆起して三人を呑み込もうと暴れ出す。
「地術?! こいつは魔術が使えないんじゃなかったのか?!」
キセキは紫の悪魔に再度攻撃をしかけながら叫んだ。ヒイラは風術で安全圏まで飛んで逃げ、クリー、セツナ、アスはひらりとその魔術を抜け出し先に進もうとする。が、その道の上から遮断扉が下りて来る。
「行かせないつもりですか!」
アス、セツナが滑り込むが、若干クリーが間にあわない。
轟音を立てて巨大な遮断扉が閉まってしまう。黒の女神に辿り着くための道が、閉ざされた。
相変わらず、紫の悪魔は涼しい顔でキセキと剣を交えている。
そんななか、無線にぽつりと漏らした。
「……そちらに三人、行った」
「……まさか」
ヒイラは、その言葉に戦慄した。
この場に残ったのは三人。ヒイラ、キセキ、クリー。ノインは気絶中。そして、黒の女神の下に行ったのはアスとセツナ……そして、姿の見えないもう一人もいた。
姿を見せない、どころか気配もなかったはずだ。だというのに、なぜ彼は三人目に気付いたのか。
誰かが気付く事はまずあり得ないと姿を消して同行していた者が言っていた。そして、感知に優れたヒイラもまず誰にも気づかれないだろうと思っていた。だというのに、紫の悪魔は三人と言った。
「情報を、流している者がいた、ということですか」
クリーが、ヒイラの代弁をした。
彼も、三人と言った言葉の意味に気付いていたのだ。
「……」
紫の悪魔は何も言わない。キセキは、突如紫の悪魔から距離をとっていた。
「キセキ?」
「うかつに近づけなくなった……」
紫の悪魔は、赤い剣を傍に付きたてて、もうひと振りの剣を抜いていた。その剣は、美しい銀色。銀で作られた、剣だった。
吸血鬼には幾つもの弱点がある。銀は、そのうちの一つである。
最初から、彼は三本の剣を持っていた。つまり、ここに来る者達の中に銀の剣が必要な相手がいると知っていたのだろう。
明らかに、こちらの情報が漏れている。
動揺する三人に、さらに地術がまたしても襲う。ヒイラは飛んで逃げ、キセキも体を霧化させて逃げる。術者が、見当たらない。まさか、紫の悪魔が行っている魔術だと言うのか。
「あぁっ、めんどくさいな!! とにかくこいつをどうにかするぞ!」
キセキがクリー、ヒイラに叫んだ。立場的にキセキが最も上位の立場であった事もあるだろう。
そんな三人を見ながら、紫の悪魔は懐から黒水晶の眼鏡をだしてどうどうと付けていた。あまりにもこちらを軽視している。
キセキの体がまたしても霧化する。クリーはしぶしぶと言った様子で剣を抜くと紫の悪魔の元へ向かう。ヒイラは、二人を援護するように風を放った。しかし、紫の悪魔を守る様に地面が隆起すると盾を作ってしまう。
クリーをあっさりとかわすと、紫の悪魔は何も無い様な場所を銀色の剣を振るう。
くるりと側転しながらキセキがそのすぐそばから現れてその剣を回避した。
しかし、避けるだけではなく攻撃も忘れない。
炎が巻き起こると、紫の悪魔を焼こうと襲いかかる。
すぐさま回避。しかし、間にあわず左そでが焼かれ、肌を露出させた。
「……」
紫の悪魔の表所は変わらない。
たいして、キセキは非常に困惑していた。
ようやく攻撃を命中させる事が出来たが、なぜ鬼視の才も持たない唯人である、ましてや魔力もない暗殺者が、キセキが霧化して移動していた場所を当てたのか。今まで、彼はキセキが霧化していた時どこに本体が居るのか気付いていなかったはずだ。それとも、それは演技だったと言うのか。
いや、と思いなおす。彼は、先ほど眼鏡をかけた。
あの眼鏡がからくりの正体だろうと当たりをつける。
魔術で熾した炎を纏い、キセキは再度紫の悪魔の元へ向かった。
そんなキセキを、一歩離れた場所からクリーは見ていた。何度か紫の悪魔の元へ攻撃を仕掛けるが、すぐに後ろに下がってと言うことを繰り返していた。
正直、彼は紫の悪魔と戦いたくなかった。
そもそも、この第一部隊に所属するのもかなり嫌だった。関わりたくなかった。
それでも来る事になってしまったのは、裁き司の総統である女性のせいだ。彼女がシヴァがクリーから離れる良い訓練だろうとクリーをシヴァとは違う部隊に入れようとしたせいだ。しかも、お前は実力あるのだからと第一部隊に推薦までしてきた。
クリーはシヴァと一緒にいたかっただけなのに、なんでこんな場所に……しかも、以前の友人と戦う事になってしまったのか。
クリーと紫の悪魔……当時は霧原誠と名乗っていた彼は、実は知り合いである。友人だと思っていた。クリーの名前を正確に覚えて、しかも初対面で正体を看破して来た数少ない人物でもある。
紫の悪魔のえげつなさは伝え聞いている。
しかも、第一部隊の所属する者達を知っていた様子だ。クリーへの対策をしている可能性がある。
シヴァ。彼女の事を思い出して、クリーは嘆息する。
彼は、クリーがシヴァの事をことさら宝物のように扱っている事を知っている。彼女もまた、この作戦に第二部隊で参加していることも知っている可能性が高い。シヴァの身の安全とかつての関係を考えると、どうしても、紫の悪魔を攻撃するのを躊躇してしまうのだ。
シヴァはクリーが思うほど弱くない。そんな気遣いは無用なのだが、それでもクリーは心配だった。
そんな攻撃を躊躇するクリーに、キセキとヒイラが気付かないはずが無い。理由は分からないが、それでもなにかしら弱みを握られているのかとその表情から察してはいた。
「くそ、あの地術……一体誰が……」
ヒイラは、相変わらず紫の悪魔に攻撃が通らないでいた。
ヒイラの魔術を、地面から盾が瞬時に作られてことごとく防いでしまうのだ。
どれだけ風を放っても、術者らしき人物は周囲に居ない。紫の悪魔も、よく観察すればやはり魔力をまったく感じないため魔術を使っていない事は明白だ。
誰かが、ヒイラの風が感知できない遠距離から地術で妨害してきているのだろう。
どうすれば、いい?
ヒイラの持つ手段では地術を行っている魔術師の場所を特定できない。
ならば、あの盾を突破するしかない。
「ルチル……」
ヒイラは小さな声で、呼びかける。
呼ぶのは、自らの半身とも言える最も信頼する相棒、銀色の風を纏う精霊。
小さな銀色の小鳥がひらりとヒイラの肩に降り立った。
「すまない、力を借りる」
「謝る必要なんてない。私はヒイラの唯一の精霊。ヒイラのお願いを、断る筈が無い」
銀色の小鳥がふわりと羽ばたく。
ヒイラと契約している唯一の精霊、銀色の風とも呼ばれるルチルだ。
「行くぞ」
「いつでも」
小鳥の周囲で風が、巻き起こる。先ほどよりも強く、鋭く、矢のように放つ。銀色の矢が、放たれた。続けて、五つ。連続して放たれる。
やはり、地面が隆起すると盾を作る。魔力で造られたそれは、かなりの厚さと硬さがある。が、風が削っていく。
一点集中、銀色の風が、盾を抉る、削る、貫く!!
五つの風の弾丸が盾を叩きつける音が響いた。
「……っ!」
初めて、紫の悪魔が表情を動かした。
盾が砕け散る。
ヒイラは攻撃の手を緩めずにさらに連続して放つ。
盾を突破した風が紫の悪魔の下に届き――かけるが激しくぶつかり硝子がぶつかる音がして、紫の悪魔は結界に守られた。
音川アルトと対峙した時にも保持していた護符だ。
と言っても、完全に魔術を防ぎきれず、それなりに衝撃は伝わった様で、紫の悪魔の表情が歪んだ。
その隙を逃さず、クリーとキセキが剣を振るう。
体制を立て直せない紫の悪魔はそれを防ぐことで精一杯の様子だ。
しかし、クリーもキセキも油断はしない。
紫の悪魔は、音川アルトとの戦いで見せた呪具による身体強化をしていないし、言霊も使っていないのだ。これは簡単な腕試しの様な物だ。
ヒイラの風術から立ち直った彼は、すぐにクリーとキセキを翻弄させると、距離を取る。
「……なぁ、一つ聞いて言いか」
そんななか、キセキが、ぶっきらぼうに声をかけた。
「……」
こんな戦いの中でなにを聞くと言うのか。
クリーもヒイラも驚いてキセキを見る。
彼は、今まで見た中で最も真剣そうに、そしてどこか悲しそうに言った。
「サラ・クラウチって修道女を知ってるか?」
紫の悪魔の反応はない。
クリーもヒイラもそんな名の修道女の事を知らない。アーヴェの関係者ではないはずだ。
「そう……知らない、か」
反応も返答もない紫の悪魔の様子に、キセキは落胆して、それでも笑う。
修道女というと聖十字教団と呼ばれる宗教の一部の聖職者の事を指す。
一般的な宗教で、多くの国で普及しているが、ヴァンパイアを毛嫌いしていて、彼等を殺すための役職がいると言う。そんな宗教の聖職者をキセキはなぜ知っているのか不思議だが、長く人との距離が近かったキセキは彼らとまみえる事がよくあったのだろう。
「どうせ、興味が無いとは思うが、一応言っておくよ。死んだよ、彼女」
こともなげに、彼は言う。まったく気にしていないように。
そして、紫の悪魔の反応も無かった。
しばらく、四人は静かに睨みあった。
遠くでなにかが壊される音がする。その瞬間、紫の悪魔が初めて自分から動く。
構えたキセキ達だったが、紫の悪魔の姿を隠すように広範囲の地面が隆起した。
「なっ?!」
姿が見えない。一体どこへ向かったのかが分からない。
ヒイラが放った風が破壊するが、そのほんのわずかに見えなかった時間で紫の悪魔は三人の視界から消えた。
一体どこへ?
地面に降りていたヒイラは空気が震えるのを感じて思わずその場から離れた。嫌な予感がした。
その瞬間、ヒイラがいた場所を紫の悪魔が切り裂く。
避けたヒイラを確認すると、すぐにもう一太刀。
目にもとまらぬ速さで動く彼の手足に、淡く光が灯っている。
身体強化の術がほどかされているとすぐにわかった。先ほどの動きとあまりにも違いすぎた。
おそらく、一つ、二つではない。幾つも術が重ね掛けされている。
ヒイラは、先ほどまでのわだかまりを忘れて、彼が心配になった。まだ幼さが残る彼の体は完全に出来上がっていないはずだ。そんな、少年が身体強化を重ねて掛けるなど狂気の沙汰ではない。
そもそも、身体強化自体あまり推奨されていない術なのだ。
使えば確実に体を痛める。損傷させる。酷使すればそれ相応の代償が術の解けた後に待っている。それで廃人になったものもいるほどだ。
「ヒイラ!!」
キセキがヒイラと紫の悪魔の間に入った。
先ほどよりも彼も早さが上がっている。よく見れば、彼も身体強化の術を施していた。
しかし、彼は紫の悪魔よりも強化具合が低い。重ね掛けなどという無茶をやっているからという理由だけでなく、どうやらクリーの術によるものらしいとヒイラは気付く。
身体強化の術が好まれない理由の一つ、他者のかける身体強化関連の術は効き目が弱い。ということがある。そのくせに術の解けた後は酷く体を損傷させる。その上使える者が少ないために身体強化の術は普及されていない。
キセキなど見なかったように紫の悪魔はするりと横を抜けるとヒイラへ向かう。
どうしてもヒイラを潰したいらしい。
ヒイラは飛びあがり、風で吹き飛ばそうとする。
だが、地面が隆起すると紫の悪魔の足場になる様に動き、彼の動きを補助する。
なんて厄介な術師なのか。
だが、ヒイラは風で近づけはさせない。
紫の悪魔はすぐに諦めたのか少しだけ距離をとる。しかし、それはヒイラの得意な距離だ。
風を、放つ。
切り裂こうと四方から襲いかかる風を彼はひらりと身体強化した速さで避けていく。
キセキとクリーも彼をヒイラに近づけさせまいとする。
だが。
「『音川柊羅』」
びくりと、ヒイラの体が震えた。
悪寒が走る。
名前を呼ばれただけなのに。
いや、違う。
紫の悪魔は、彼は、言霊使いである。
家族と数人しか知らないはずの名を呼ばれた。
「言の葉を紡がせるな!!」
キセキが慌てて襲いかかる。クリーも、気付いているが、どうにもできない。ヒイラは、思わず耳を塞ごうとしたが遅かった。
「『動くなよ』」
時が、止まったようだった。
体が、こわばり、指一本動かせなくなる。
それは、キセキとクリーにも影響があった。ヒイラよりもすぐに動けるようにはなるが、その隙は逃さない。
「ヒイラ!!」
ルチルが風を起こして結界を創ろうとする。
「『斬り、墜とせ』」
黒の魔剣から、斬撃が放たれた。直線状に居るヒイラに向かい避ける事ができずヒイラはもろに吹き飛ばされる。
ルチルがどうにか風を近くに集められた事で衝撃は抑えられたが、全ては殺しきれなかった。天井にぶつかり、地面に落ちてしまう。
一瞬のうちに近くに現れた紫の悪魔は、そのまま動けないヒイラのみぞうちに蹴りを入れる。ヒイラは気を失っていた。
紫の悪魔は、気絶した音川ヒイラを確認すると、周りを見た。
四葉に所属する吸血鬼と裁き司に所属する顔見知りであったクリーディウス。
ヒイラを気絶させた事で二人になった。
クリーがどうも戦いに消極的なため、このままならどうにかなるはずだ。
そう思っていた。
正直、二人……この場に居ないが術で援護を少しだけしている奴を含めれば二人……で彼等と戦う事はさすがにごめんこうむりたいところだった。
平気な顔をしているが、余裕はない。
『一人、異常な勢いでそちらに向かっている。気をつけろ』
耳元の無線から雑音と共にそんな声が届けられる。
『身長の高い幾つもの剣をコートに隠し持っている女、こちらではそれ以上分からない』
「わかった」
ヒイラをようやく倒したというのに、また新手かとため息をつく。
とりあえず、目の前の怒りを隠しきれない吸血鬼をどうにかしようと考えた。
彼に対してはすぐに対策をとっていた。
銀の剣、そして黒水晶の眼鏡……。見鬼の才を持たない彼は、霊を見る事ができない。力の弱い精霊を見る事ができない。そして、魔力を見る事が難しい。
……精霊の声を聞こえたり、魔力を感じる事は出来るのだが、視ることが一切できない。だが、それを補うための黒水晶だ。闇を司る精霊咲闇に譲り受けた彼女の子ども石を通して見ることで、唯人には見えないモノを見る事が出来ていた。
吸血鬼キセキが霧化をしても、その本体も捕らえる事ができるのだ。
「くっ!!」
銀の剣で斬られたキセキが、うめきながら後退する。
クリーが庇うように彼の前に出る。
せめて、どちらか一人でも――そう足を踏み出した時、天を衝くような堂々とした声が響いた。
「クリーディウス!!」
びしっっと音を立てて身を正すクリーはぎぎぎと音が聞こえそうな動きで後ろを振り返る。
敵を前にしてそれは危険な行為だったが、そういう紫の悪魔は動けなかった。
声の主は、彼らの戦場に辿り着く。
それは、男のように背の高い女だった。
褐色の肌に金髪。鋭く鋭利な刃物を思わせる容貌の美女。高い位置で一つ結ばれた薄い金色の髪が揺れている。
「ひぃっ」
クリーたちの味方、であろう彼女に対して、クリーは悲鳴を上げた。
驚き、まさかなんでこの人がここに居るんだと顔が引きつっている。
「なんだ、その返事は。クリーディウス!」
「は、はいっ?!」
棒立ちになったクリーは顔をひきつらせながら応える。
「なんだ、そのざまは」
酷く冷静でいて冷たい声だった。
「私は、あなたのそんな姿を見たくて第一部隊に推薦したつもりはないのだが」
「い、いや、それは……」
「いい訳はいらん!!」
「は、はいっ!」
「それで、クリーディウス。あなたはいったい、なぜこんな場所で戦っている。キセキ殿もだ」
「は、はい……?」
クリーは彼女の事を知っているようだが、キセキはまったく知らない。心当たりもない。
だが、名前を呼ばれて酷く心が乱れる。
「カーリーさん、でも、道がふさがれて……」
「いい訳はいらん! そういう意味でもない!!」
「は、はいぃっ!!」
どうもおかしくなってきた戦いの行方に、紫の悪魔は無言で見守っていた。
別に、彼は勝たなければならない訳ではない。これ以上、人がこの先に行くのを妨害する役なのだ。自分から手を出す事もない。
しかし、情報収集はする。
「カーリー……カーリー・フィンド?」
クリーの口走った名前を聞いて、思い当たる人物の名を呟く。
「ほう、若いのによく知っているな」
カーリーの注目が紫の悪魔に行く。
「その通り。私はカーリー・フィンド。亡きアーリア皇国、護神官長であり、現在の肩書は……アーヴェ・ルゥ・シェランの裁き司筆頭、カーリー・フィンドである。つまり、お前を罰し、拘束する者だ」
「……」
紫の悪魔は目を細めて彼女を見る。
裁き司はアーヴェの組織内で裏切り者を探し粛清する役割を担う組織だ。
星原を裏切り、皇の館で千引玻璃を殺した霧原誠の粛清ならば裁き司の者が現れるのは当然だ。
裁き司には称号付きが居ない。が、その中心となる人物が彼女だと伝え聞いている。
彼女の事は噂だけで、めったに姿を見せず、しかし裁き司の者たちからは異常なほど親しまれていると聞いていた。
が、裁き司所属のクリーの様子を見ると、親しんでいない者もいるようだが。
「クリーディウス、キセキ殿、あなた達にもあなた達の戦いをして貰いたい。私は、この厄介この上ない小僧を始末……おっと、まだ殺してはならなかったな。そうだ、拘束しよう」
彼女は、危険だ。
「……」
紫の悪魔は考える。どうやって彼女と戦うかを。
「クリーディウス・カウル・ギルティス・シファー・フォルディン・クラント・アーゼリウス・ランカ・グランテーゼ!!」
普段、まったく呼ばれない名を呼ばれて、クリーはびくりと肩を震わせた。
あまりにも長い名前で、一文字も間違えず暗記している人は少ない。
「その名の真価を、示していただきたい」
「でも」
「まったく。未熟者が!!」
「は、はいっ!!」
またしても叱責にクリーは身を正し直す。
「うじうじと悩んで! かつて友人であった者と戦うのが嫌か? 好んだ相手が傷つくと思ってか? 私が戦ってやるから他の事に手を抜くな! そしてシヴァをもっと信頼し信用しろ!」
「っ! ……わかり、ましたよ」
嫌そうに、だが確かにクリーは頷いた。
すっと跪き、地面に手をあてる。すると、彼の周りが薄く輝きはじめ、すぐに立ちあがった。
その目を見て、もう大丈夫だとカーリーは頷く。
「キセキ、行きましょう」
「どこに?」
「先ほどから妨害して来る術者の下にです。此処を突破するにはマコ……紫の悪魔を倒し、さらにその術師を倒す必要がある。ここはカーリーさんに任せて、行きましょう」
「……わかった」
カーリーの事は知らないが、唯モノではないだろう。それを肌で感じていたキセキは頷く。
それに、どこかクリーが吹っ切れた様子だったからだ。
「カーリーさん、お願いします」
「任せておけばいい。私は強いからな」
ようやく動き出したかとカーリーはクリーを見て微笑む。
まったく、彼はいつだって初動が遅いのだ。やればできるというのに。
クリーとキセキが走って行くのを見送り、そして前に向きなおす。
何度も襲撃の機会はあったと言うのにまったくなんの動きも無かった少年と対峙した。
紫の悪魔。
かつて星原で霧原誠として所属していた裏切り者だ。
「気にくわないな」
カーリーは裁き司筆頭。裏切り者がいないか日々アーヴェの組織内を調べていると言うのに、彼の事を二年もの間見逃し続けた。
そんな自分たちが、気にくわない。
コートをはためかす。その裏側に幾つもの細く普通よりも少し短い剣が吊り下げられていた。
それを一つ、二つ、三つ、四つ。両手に八つ、指の間に挟み込み、構える。
「さて、仕事の時間だ。霧原誠、もとい紫の悪魔。こちらに投降するつもりは?」
「ない」
「では、拘束してアーヴェ本部で裏切り者の結末をその身をもって味わってもらおうか」
二章の最初の頃に少し出てきたセツナさん再登場です。
そして、クリーの名前がようやくお披露目。長いです。みんな、覚えてくれません。
クリーディウス・カウル・ギルティス・シファー・フォルディン・クラント・アーゼリウス・ランカ・グランテーゼ
知り合いからはクリー、もしくはクリーディウスと呼ばれています。名字を書いてくださいと言われた時はクリーディウス・アーゼリウス・ランカ・グランテーゼ、もしくはさらに省略してクリーディウス・グランテーゼ。
アーゼリウスと呼ばれると嬉しがります。
実は、いまだ完全復活出来ていない黒の女神程度なら互角で戦えるはずの実力者ですが、メンタル面が弱くて実力を出せずよくうじうじしたり勝てる相手に負けたりシルフさんとかによく利用されては落ち込んでいます。




