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騙る世界のフィリアリア  作者: 絢無晴蘿
第二章 -神騙り-
93/154

02-11-02 それは、偽りの血戦

アルト達は、未だ基地から脱出できていなかった。

走り、走っても出口につかない。

遠回りさせられた道は、最初に通ってきた道よりも長い。

「……あっ、ま、まってください!!」

出流が、突如なにかに気づいたかのように足を止めた。

突然の事に、アルトは足を止めたが、前に行くファントム、ティアラは止まれない。

「っ?!」

突然、天井が崩れ、大量の土砂が降り注ぐ。ファントムとティアラの姿が、見えなくなる。

「ティアラっ?!」

運よく巻き込まれなかったアイリが叫ぶ。

カリスとテイルは、呆然と壊れた天井を見ていた。

なにか、仕掛けでもしてあったのだろう。

「……も、もっと早く……気付いていればっ」

出流は、自らの意思で五秒後の未来を見る事ができる。敵と遭遇しないか、先ほどの人形遣いと遭遇してからずっと未来視をしていたのだが、あまり役には立たなかった。ファントムとティアラの姿は見当たらない。

「……まさか、し」

最悪の予想をカリスが言おうとした時だった。

『ちょっと、勝手に殺さないでよ!』

くぐもってよく聞こえないが、知っている少女のこえが響いた。

『こちらはどうにか、直撃を免れました』

さらに、ファントムの声まで聞こえて来る。どうやら、大丈夫だったようだ。

ほっと顔を見合わせるアルト達だが、崩れた場所は先ほど遠回りしなければならなかった場所同様通り抜けられそうにない。

『地図を、みなさん持っていますね』

「は、はい!!」

カリスとテイルが懐から少ししわの入った紙を出す。

『一つ前の分かれ道からさらに遠回りになってしまいますが、こちらの道とつなっている道があるのは、分かりますか? その道から合流しましょう。こちらも、そちらに向かいます。どうしようもない時は、アイリさんかカリスくんの式神で連絡してください』

簡単に打ち合わせをする。元々、分断されていた場合の動きも決まっていたので、話す事は少ない。

『戦闘は、出来うる限り避けてください。では』

それが合図となり、またアルト達は元来た道を戻っていく。

すぐに分かれ道には来たが、カリスは浮かない顔だった。

「どうした、カリス」

「いや……これ、誘導されてるんじゃないかって……」

「……その可能性は高いだろうな。だが、私達には進むしか道は無い」

今もどこかで他のアーヴェの人達がセレスティンを制圧していっているはずだ。もしもファントム達に合流できなくても、どうにかなるだろう。

そう、アイリはいい方向へと考える。

だが、アーヴェの者達と……それどころか、セレスティンの者たちとも会うことなく進むこととなった。

どういうことなのか、先ほどまでは遠くから聞こえて来ていた戦闘音すら聞こえない。

「ねぇ、ここって……本当にこの地図って、あってるのかな」

アルトが不安そうに地図を見ながら道の先を見る。

先ほどから、同じところを回っている様な、そもそも地図を見ながら歩いているが、本当にこの地図はあっているのか……。

分かれ道に差し掛かった。一本、道からそれて左に向かっている。

地図の通りなら、まっすぐ進むべきだ。

戦闘を行くカリスとアルト、出流は迷わず真っすぐに行こうとした。

「まこ、と?」

アイリの声だった。

呆然と、ありえないとばかりに左へ向かう道を見て――駆けだした。

「アイリっ?! ちょ、待て!!」

不意のことだった。

テイルがその手を掴もうとするが、するりとアイリは駆け抜けていく。

慌てて追いかけるが、アイリの足は速かった。

カリスはアイリが駆けだす先を見て、アイリの跡を追うように走りだした。

「待て、アイリ! ダメだ、行くな!!」

その先には、青みがかった髪の少年の後ろ姿が。

「アルト、そこで出流を守れ!」

びくりと、震える。アルトは動けなかった。

出流の手を握りしめ……動かない。あれは、マコトじゃない。そんな確信があった。

おそらく、あれは誘導。それにひっかかる訳にはいかない。

だが、その判断は間違いだった。

「うわっ?!」

上からなにか音がする、とアルトはすぐに気付き上を見て慌てて出流と共に後ろへ逃げた。

轟音。思わず目を閉じた。

近くでなにか落ちた音。それと共に衝撃で起きた風が顔を撫でる。

ゆっくりと目を開く。と、目の前にあった分かれ道が消えていた。アイリ、カリス、テイルと共に。

「な、に……これ」

出流は、しずしずと先ほどまでなかった壁に近づく。

おそるおそる、ぺたりと触る。変化なし。

叩いてみる。なにも起きない。

「カリス、テイル! アイリ!!」

叫ぶが、廊下に虚しく響くだけだった。

「……」

混乱する出流の横で、アルトは考える。

これは誘導されていたのだろう。カリス達の安否はとても不安だが、それよりもアルトはこちらをどうにかしなければならない。

カリスは十二神将という神様を使役出来るのだと簡単に事情を聞かされていた。かの十二神将の事は話しに聞いた事がある。人間に使役されているとはいえ神は神。その中でも気まぐれで出て来てくれる天乙貴人の強さはプルートと戦えるぐらいにはあるのだとかなんとか。そして、テイルはゴーレムを使役して戦う事ができる。アイリも戦いは苦手だと言うが、実は面倒この上ない呪術の使い手であることを知っている。だから、三人の事は心配ない。というより、三人ならどうにか斬りぬけるはずだ。なにより、式を飛ばしてファントムや他のアーヴェの仲間と連絡が取れるはず。

問題はこちら。二人しかいない上に、出流を取り戻そうとするセレスティンの者がいるかもしれない。

すぐにでも仲間と合流したほうが良い。アルト周囲に風を放つ。少しぐらいなら、風で離れた場所を見る事ができる。

だが、誰もいない。

「……とにかく、先に進もう」

打ちひしがれていてもしょうがない。前を向いて、アルトは言った。

「うん」

心配そうな顔をしながらも、出流はアルトの後に続く。

たった二人っきり。いや、二人もいる。仲間がいる。

だから、大丈夫だと進んだ。








「アイリ!!」

ようやく追いついたテイルは、アイリの手を掴むと引きとめようとした。それでも振り切ろうとするアイリの頬を、カリスがひっぱたいた。

「アイリ! オレが言えたことじゃないって分かってるけど、勝手な行動すんじゃねぇよ!!」

「で、でも、マコトが……」

ようやく足を止めたアイリは、下を向いて苦しそうに言った。

頬が、赤くはれていた。

「本当にマコトなのか? マコトと会って、どうするつもりなんだ? 今、最優先なのは出流の事だろ!! ……って、あぁっ?!」

出流、の事で後ろを向くと、誰もいない。ようやくカリスは後ろにアルトと出流がいない事に気付いた。というより、後ろにあった道が無くなっている。

アルトと出流が待っていたはずの場所が、ない。

「くそ、やられたっ!!」

「やっぱり、誘導でしたか……」

事態に気づいた二人が神妙に言うと、ようやくアイリも事態が分かってきた。

「す、すまない……」

「まったくだ、こんちくしょう。とにかく、ファントムの野郎に式を……」

今の状況をさらさらと書き示すと式神を飛ばそうとする。が、いくら飛ばしてもこちらに戻って来てしまう。どうやら、先ほどまで式が飛ばせていたと言うのに妨害の魔術をかけられでもしてしまったらしい。

「こまりましたね……地図とはどうも道が違うようです。どこにいるのかすら分からなくなってしまいました。

「……まじか」

地図を広げるテイルに、カリスは困った事になったと頭を掻く。

「すまない……」

しゅんとうなだれるアイリに、テイルは困ったようにあいまいに微笑む。

カリスはまったくだとアイリの頭をこづついた。

「ったく、どうするんだよ、これ……?」

普段アイリにやられっぱなしのカリスはやりかえすように言葉で攻めようとして――前方から来る黒い物体に目を細めた。

「白虎」

『はい、ここに』

後ろに気配を感じる。カリスは、黒い物体から目を離さず小声で指示を出す。白虎の気配が遠ざかっていく。

「騰虵、勾陣」

炎の蛇と金色の蛇がカリスを中心に現れた。

「敵だ。とりあえずオレたちだけで乗り切るぞ」

気付いたテイルもすでに戦える体制で、アイリもまた後ろに下がり符の準備をしている。

黒い物体はどんどん近付いて来る。近づいて来る度に、その巨大な姿がよく見えるようになった。

それは、不気味な生き物だった。

足は巨大で太く、蜘蛛のように沢山、そしてトカゲの様な手が二つ。無理やり付けられたような人間の上半身の様な物があるが、大きさが大きすぎるため人間ではないだろう。黒い体毛やうろこが全身を覆い、八つも十もある赤い目が顔らしき場所にいくつも散らばっていた。

それが、操り人形のように動き、ぎょろりとカリス達を見る。正直、生きた心地がしない。

「おや、釣れたのはお前たちか」

上から、少女の声が響いた。

巨大な化物の背に、場違いな少女がいたのだ。

シンプルな桃色のワンピースを着飾った少女。彼女は、恐がりもせずに化物に体を預けている。

「まぁいい。殺すか」

やはり、どこか操られているかのように不自然に化物が動く。

それは、踏みつぶそうとでもいうのか、カリス達の元へとさらに近づいて来る。

少女は、化物の体からふわりと浮きあがる様に跳ねると、すとんと地上に着地する。

少女と言う荷物が無くなった化物は――先ほどとは程遠い、俊敏な動きで腕を薙ぎ払った。

「なっ、んだよ!!」

カリスとアイリが瞬時に結界を張る。が、すぐに破られて、カリスに迫る。

が、なにかがぶつかり合う音が響いた。

化物が唸り声をあげながら後ろに下がった。

薙ぎ払った腕が、燃えている。

そして、カリスの前には、カリスを守る様に紅蓮の蛇が威嚇していた。

「助かった、騰虵」

「まさか、こうも結界を軽く壊してくるとは……」

困惑するアイリにカリスも頷く。

カリスは玄武を顕現させる。

「あの化物、おそらくあの女の子に操られている。それさえ、どうにか出来れば……」

「分かりました。あそこの敵を倒せばいいのですね」

少女の姿をした神。玄武はカリスの返事を聞くとすぐさま走りだす。

身軽な玄武は、すぐに化物を操る少女の元へと辿り着き、一撃。

「はっ!!」

地に叩きつけられた拳は、廊下を破壊して大きな穴を作っていた。が、そこにいたはずの少女は居ない。

玄武はその場から離脱。玄武がいた場所を少女の蹴りが空振りする。

玄武はすぐさま拳を握りしめ、二度目の攻撃を行う。

少女は攻撃の後ですぐに動けず、どてっぱらに一撃。吹き飛び壁にぶつかり咳き込んだ。

「今だ!」

化物に防戦一方だったカリス達は、少女が吹き飛ばされると共に動きの鈍った化物へ一気に攻撃を行う。

アイリが操る闇が化物の動きをさらに止めると、その隙にテイルがゴーレムを呼びだし、攻撃する。カリスが操る不動明王の炎が化物を焼き尽くした。

「……あーあ、やられたか」

化物の動きが、止まった。

壁にもたれかかった少女は、それを冷たい目で見る。

「強度が足りないな。君のゴーレムのように、無機物で作った方がいいかもしれない」

玄武が、少女の服の首元を掴み、壁に押し付けた。

「死体は壊れやすいし、人形は壊すとプルートがうるさいし」

玄武に捕まっているにもかかわらず、少女は気にした様子無く話す。

「プルートって、なんだかんだ人の事をこき使うくせにうるさいよね」

「……君は……人形使い?」

テイルは、複雑な顔で聞いた。

目の前の少女が人形使いである確信はしていた。しかし、目の前の少女は、初めて会ったときと同じく人形だろうか。それとも本物なのだろうか。

「そうだね」

簡単に、少女は頷いた。

「残念ながら、君達には捕まえられないけどね。オレを殺す気のない人に、殺させてあげるつもりはないから」

にこりと少女は嗤うと、突如魔力が少女の体から集まる。

「主よ、伏せよ!!」

珍しく焦った玄武が声をあげた。

少女の変化は止まらない。体が膨張し、ぼこぼこと体が膨れ上がり、化物のように姿を変え――内側から爆発した。

「なっ?!」

アイリが呆然とするテイルを無理やり地面に伏せさせる。カリスが、三人を守る様に結界を作る。玄武が神気で爆発を抑え込もうとするが、どうにもできない。

爆発は周囲を巻き込み、熱で壁を溶かし、爆風で全てを吹き飛ばした。




ファントムとティアラ。あまり接点のない二人はアルト達と合流するために走っていた。

距離的に、そろそろ合流出来るはずなのだが、まったく人気が無い。

「やはり、偽の情報握らされましたかね……」

くすくすとおかしそうにファントムは独り言をいう。その言葉に、ティアラは眉をひそめた。

「それってどいういう……」

問いただそうとしたティアラの口を、ファントムが塞いだ。

その顔は、先ほどとはうって変わって真剣そのもの。

『ティアラ、気をつけろ……』

ソードの声が、ティアラの耳許で響いた。

『誰かが、来る!!』

ソードの声はファントムに聞こえていないはずだが、まるでそれが合図だったかのように、ファントムは剣を抜いた。ティアラも、一緒になって槍を構える。

「おや、ファントムじゃん」

聞いた事がある声がした。ファントムはおや? と抜いていた剣を戻してしまう。

現れたのは、つい先日アーヴェの本部に現れたマコトと一緒にいた人物――タツヤだった。

ティアラと同じ槍使いの青年だが、その身は以前と違い所々赤く染まっていた。タツヤの物ではない、誰かの……おそらく今回の作戦に参加した誰かの返り血。それを見たティアラは、息を飲み、タツヤを睨みつけた。

「あー、ファントム? 出来れば昔のよしみで見逃してくれたりとか?」

「今の立場ではできませんねぇ。それに、私の部下が現在進行形であなたの事を攻撃する気満々で」

「当たり前でしょ!」

最初に動いたのは、ティアラだった。

タツヤがそれ以上なにかを言う前に。とばかりに攻める。攻める。攻める。

怒涛の連撃に、タツヤは苦笑いをしながら後ろにじりじりと下がっていく。

さらに、ファントムが剣を抜く。

「やべっ、うそっ、まじかよっ、勘弁してくれよ!!!!」

ティアラの槍とファントムの剣がタツヤに迫り――二つの刃がぶつかった。

「っ?! アンタ、やっぱり敵だったのっ?!」

タツヤを庇うようにファントムがティアラの前に立ちふさがる。

彼は涼しい顔をして、ティアラの槍を剣で止めていた。

ティアラは正直ファントムはどうも胡散臭いと思っていた。いや、結構な人数が彼の事を胡散臭いし味方なのか疑っていただろう。しかし、敵であるはずのタツヤ、セレスティンの幹部であると言う彼を庇ったことで、その疑いはティアラの中で確信に変わる。

「いえ。名実ともに私はセレスティンの裏切り者ですから。どれだけがんばってもセレスティンには戻れませんし戻る気もありませんよ。でも、まぁ、彼等に関してはちょっといろいろありましてね」

しかし、彼はしらをきるつもりのようだ。と、ティアラは槍を振るう。それを、ファントムは軽く止めてしまう。

「……おまえ、ほんと性格悪いよな。助けるつもりなら最初から助けろし」

「助ける訳ではないですよ。貴方にはせめて無傷でこちらに降伏してもらえたらいろいろと助かるかなと。特にセレスティア関連で」

「あー……えげつない。やっぱりお前に助けを求めるべきじゃなかったな」

諦めた様子で、タツヤは両手をあげた。

「えーっと、槍使いのお嬢さん? そいつの言ってる事は本当だよ。胡散臭い仮面男だけど、こいつは本当にセレスティンを裏切りやがった野郎だ」

「……」

無言でティアラはファントムを睨みつける。

「ほんとうですよー。胡散臭い仮面男ですみませんねー」

「その証拠は」

「シェラン嬢とちゃんと契約を交わしてますと口では何とでも言えますけど、証拠って言う物的証拠は持ち歩いてませんからなんとも言えませんねぇ。信じてもらうしか」

「……」

ティアラはしばらく彼を睨みつけた後、静かに槍を降ろした。

「よかった。信じてもらえて」

「……これ以上時間を潰してる暇はないと思ったから」

アルト達とはぐれて時間が経っている。これ以上は時間をかけて居たくなかった。だが、まあ本心では彼が裏切る事は無いだろうと思っていたからだ。なにしろ、彼はアーヴェの総帥アーヴェ・ルゥ・シェランに認められて今の地位についたのだ。本人も否定している以上、これ以上は無駄な問答になると思って。

「で、ファントム。俺を捕まえてなにしたいんだ」

タツヤが、話しは終わったのかと、横から口を出す。

「まーいくつかありますけど。……今のこの状況について説明していただきたい」

「んー、人形遣いの奴が一枚かんでる。この地下を迷宮に作り替え、常時道を複雑に変え、時に封鎖してアーヴェの侵攻を遅らせてる。お前が居なくなった後、この迷宮を作っていろいろ強化したんだよ。アーヴェの襲撃に備えてな」

「……なるほど。では、とりあえずあと一つ。オベロン計画について、知ってる事を全部話してください」

「……」

「オベロン計画?」

聞き慣れない名前に、ティアラは思わず聞き返した。

一体、彼は何を言っているのか。今回のセレスティン襲撃の際にそんな言葉を一度も聞かなかった。

オベロン、とは? 一体なんの計画だと言うのか。

「……俺も詳しく知ってるわけじゃない。ほとんどプルートの野郎が仕切っていたからな……あとはお前が知ってる内容ぐらいしか俺も知らないよ……いや、俺が言えることが、一つだけ。オベロン計画は、もう八割がた成功している。お前たちは詰んでるよ」

「……そう、ですか」

「そうそう。シェランを殺すのは、もうすぐだ……って、あれ?」

「聞きたい事は聞いたので、先を急ぎましょうか、ティアラさん」

「え?」

さっさとタツヤの事を放っておいて、ファントムが走りだす。

「ちょっと、シェラン様を殺すとか何か聞き捨てならないこと聞いた気がするんだけど?! 放っておくってどういうことなの?!」

「大丈夫、彼はもう動けないでしょうから後から来る人達に任せましょう。はい、足を動かして」

「ちょ、ほんとになんなのよあんたはっ?!」

ばたばたと二人が走っていく。

ティアラがちらちらと後ろを振り返るが、確かにタツヤは動かなかった。

いや、もはやファントムの術中にはまって動く事が出来なかった。

目の前に知っている景色が映るのだ。それは、タツヤにとっての起源。

暗い洞窟。暗く淀んだ目。嘆きと悲しみしかない空間。誰もが絶望し、また一人、一人と姿を消して行く。そこで、ずっと彼は叩かれ続ける。時に火にあぶられ、腕を切られ、首を絞められ、足を折られ、なんどもなんどもなんども死にかけて。

「くそ……ほんと性格悪いよ、ファントムの野郎……」

タツヤの身を縛るのは簡単な捕縛術だ。破ろうと思えば破れるだろう。普段のタツヤなら。だが、過去が、忘れたいと願うほど苦しみをもたらす過去が、心を惑わす。

がたがたと手が震え、吐き気がする。

「く、そ……」

ファントムの言うとおり、彼はここから動く事は出来なかった。

「あー、はやく脱出するべきだった……プルートの野郎、ぜってぇ殴ってやる……」




走りつづけるファントムを、ちらりとティアラは見た。

先ほどの問答が何度も繰り返される。

彼は、敵ではないだろう。だが、やはり完全にこちらの味方ではないとティアラは思っている。

彼は胡散臭すぎる。

だが、シェランにジョーカーに指名されたのは事実。敵対する意思がないと認められたからなのだろう。

だが、彼は味方ならば伝えるべき事を誰かに伝えた様子は無い。

オベロン計画なんて、知らない。

タツヤの口調から言って、ファントムはずいぶん内容を知っているようだった。しかも、その計画は始動していて、ほぼ完成していると言う。

なぜ、そんな重要な事をアーヴェが知らないと言うのか。

「……悪く思わないでください」

ティアラの咎めるような視線に気付いたのかは分からないが、突然ファントムは言った。

「これまで、オベロン計画を知らせるのは早いと思っていたので」

「じゃあ、いまは」

「今は、事情が変わりました。今まで、私があの計画の内容を知っている事をプルートに知られる事を避けなければならなかった。それだけは避けなければならなかった。もしも、計画を変更されたら、私が今まで準備して来たことが水の泡になってしまうから」

「……止めるために?」

「えぇ。不確定要素をこれ以上増やしたくは無かったから、アーヴェには知らせなかった」

「もしも、計画を止められなかったら、どうするつもりなのさ」

アーヴェの要であるシェランを殺す計画。それがもし、止められなかったら大変な事になるだろう。だというのに、彼は誰にも言わずにいたのかとティアラは疑いの目を向ける。だが。

「止められますよ。計画はきっと止められてしまいます」

他人事のように、彼は言った。そして、少しだけ時間を置いた後、静かに言う。

「私が止めなければならないのは、他にありますから」

「それは?」

「私、約束は守る性質(たち)なんです」

ティアラは、意味がわからず首を傾げた。





赤い髪が、翻る。

もう一人の仮面、三番目のジョーカーが走っていた。

彼は、今回限りの部下達に鋭く指令を送ると、どんどん先に進んでいった。

部下たちは三人一組で次々に各施設を制圧して行く。その連絡がくると、すぐに彼は新たに指示を出す。彼は、一人で進む。

そして、足を止めた。

部下たちは彼について行けていない。だが、それでも彼はよかった。


「君は、ジョーカー、だろう?」


三番目を待っていたかのように、青年がふらりと現れた。

黒い刃の刀を持つ青年――ムラクモ。

彼の刀は神殺しの刀で在る。

幹部ではないものの、その刀とその実力から要注意人物とされている。

そんなかれが、足を止めた三番目の前で、地面に膝をついた。

自慢の刀を地面に置き、手から離す。

「どうか、頼みがある」

彼は、ずいぶん憔悴している様子だった。

その目には、迷いがあり、そして必死さがあった。

「……私は敵だ。敵である相手に、どんな頼みがある」

「話しを聞いてくれるのだな。ありがたい」

彼は、静かに目を閉じる。なにか考えるように、祈る様に。

そして、見開いた眼には、もう迷いは無かった。

「私の部下を、保護してもらいたい」

仮面がある為に彼の表情は読みづらい。驚いているのか、困惑しているのか、それとも何とも思っていないのか、彼はあまり動かなかった。

「もう調べは付いていると思うが、星原の皇の館襲撃時に襲撃に参加した二人……ギースとミスティルの事だ」

「……なぜ?」

「彼等は、セレスティンの思惑なんて知らない。彼等は……戦災孤児なんだ。私が保護し、セレスティンに加入してしまった。べつに差別がどうだとか、亜人だからなんだとかでもない。ただ、私が巻きこんでしまったんだ」

だから、拘束では無く保護をして欲しいと言うのか。三番目は首を振った。

「保護、はできない。だが、彼等が改心すると言うのならば、おそらく拘束は解かれるだろう。必要ならば、セレスティンからの報復からも守る」

「本当か」

保護なんて無理、当たり前かとうなだれるムラクモは、顔をあげて明るい表情になった。

ムラクモが一番心配していた事は、セレスティンから離脱した時のかの組織による報復だ。セレスティンは裏切り者を許さない。ファントムなどは実力で逃げ切ってしまったようだが、ギースやミスティルはそうはいかない。未熟な彼らなど、もしセレスティンから逃げ出そうとする者ならすぐに殺されてバラされるのが落ちだ。

「戦争で孤児になった者は多い……セレスティンは戦える者を見つけては拾い育て、恩を売って手ごろな戦力として来た。私が助けたのはギースとミスティルだけだったが、ほかにも多くがいる、のだが……」

「その事についてはシェランに報告しておこう。彼女はなんだかんだ言って甘いからな……悪い様にはしないはずだ」

「たすかる……本当に……」

あまり表情を見せないようにとしているムラクモらしからぬ、心底ほっとした顔だった。

目の前にいるのが敵である事を忘れているかのように、無防備に微笑む。

すると、三番目がどんな表情をしているのか、分かりにくい声で問いかけてきた。

「しかし、なぜその事を告げようと思った?」

「……私は、母が亜人だった。人間に迫害され、最終的に死んだと聞いている。故郷ではなんともなかった。だが、一歩外の世界に出た時、私は根付いた差別を知った。だから、セレスティンに入った。復讐とまでは行かない。ただ、人間達に私たちのことを見せ知らしめたかった」

おそらく、父は普通の人間だったのだろう。亜人だったという母を持つ割にまったく亜人のような外見的特徴を持たないムラクモを、三番目は観察する。

「だが、ギース達は違う。私達セレスティンは戦力とする為に戦場で拾って来た何も知らない子どもにむちゃくちゃな教えを施し、セレスティンに忠誠を捧げさせていた! ギース達は、本当の世界を知らない! ……私は、これ以上私達の私怨で子ども達に罪を重ねさせるのが、もう、耐えきれないんだ」

ギースとミスティル。二人を拾ったのは十年も昔になる。幼い二人に、戦い方を教えたのはムラクモだ。その時は、なにも考えていなかった。ただ、セレスティンの教えに従ったまでだった。

しかし、年を重ねるごとに……ギースとミスティルが本当の家族のように大切になっていた。自分が拾い、セレスティンに入れてしまったことで、彼らの未来が閉ざされてしまったことにようやく気付いた。アーヴェや無茶な任務で、彼等が死ぬかもしれないと言う恐怖に、今さらながら、震えた。彼等が罪を重ねるたびに、自分のやってしまったことに後悔しかなかった。

「あの子たちは、私が拾わなければ、普通の少年少女として道を歩んだはずなんだ」

亜人でも獣人でもない。普通の、子ども達。彼等がセレスティンの為に戦う理由は、本当はない。それどころか、戦争を激化させるために暗躍していたセレスティンは戦争を長引かせ彼らの故郷を滅ぼす結果に導いた元凶なのだから、憎むべき敵だったはずなのだ。

「どうか、あの子たちを、頼む」

「……わかった」

三番目のジョーカーが頷くと、ムラクモは微笑んだ。

ようやく、肩の荷が下りたと。

「よかった」

そう言って、袖の下に隠していたナイフで首をかっ切った。

「なっ?!」

血が、噴水のように飛び散る。

三番目の真っ白な無地の仮面にも、それが飛び散った。

「馬鹿者! いったい、なにをっ!!」

慌てて、三番目はムラクモに駆けよって首の傷を手で押さえた。血が、流れていく。

ムラクモの手から、ナイフが落ちた。

ただのナイフではなかったのだろう。体のあちこちから血が流れ出ていく。よくよくナイフを見れば、魔術式が刻まれている。

「……わたし、は……あのこたちとは、ちがう。覚悟して、セレスティンに……はいったんだ」

「もういい、しゃべるな! 第九十三章二十三頁癒しの水よ」

聞いた事もない呪文を唱えると、ムラクモの傷が癒えて――いかない。

「治癒の妨害術か、また厄介なものを!」

「わたしが、いきていたら……こまる、だろう」

どうせ、沢山悪事を働き、人を殺し、神殺しにまで手を染めたのだ。許されない。

これは、ムラクモのけじめだった。

「ヒトが目の前で死ぬのは、さすがにお断りだ!!」

作り物の口調をかなぐり捨てて、三番目はムラクモの傷を塞ごうとあがく。

最初から、死ぬつもりだったと言うのに、三番目のジョーカーを選んだのは失敗だったかとムラクモは暗くなっていく視界の中、考えた。

ジョーカーなら誰でもよかった。ただ、彼がたまたま最初に見つかっただけで。

まぁ、いいかと彼は開き直る。

これだけ人を死なすまいとするのだから、きっとギースとミスティルの事も彼は悪くしないだろうと。

すぐに、意識は遠のいていった。




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