01-15-02 日常の終わり
それに気づいたのは、たまたまだった。
窓から入ってくる明かりに不穏な物を感じて窓の外を覗いて見れば、火の手が上がっていた。
それに気づいてからの行動は早かった。いつか、来るかも知れないと思っていたから。
すでに自分のベッドに横になって本を読んでいたカリスに異変を知らせてそこから避難する。
「くそっ、一体どういう事なんだ。皇の館は結界に守られてんじゃなかったのか?!」
文句を言いながらも避難を誘導するカリスに、テイルは唇を噛んだ。
皇の館は普通の場所に無い。世界とずれた空間にあり、常に結界が敷かれ、普通の手段では入ることができない。はずなのだ。
それなのに館から不自然な火災が起こるわ、魔物が現れるわ。おかしすぎる。
「男子寮のほうはどうにか避難は終わったみてぇだけど、女子のほうはどうなんだ……?」
「大丈夫だよ。あっちにはフィーユ様がいるはずだし」
「あぁ、そうか」
ここ数日皇の館に留まっているジョーカー、フィーユは大抵女子の部屋のあるほうに控えていた。
おそらく、今日もそちらに居たはずだ。
テイルは周囲を見る。すでに人はいない。
いや……。
「カリス、君も避難をした方がいいですよ」
「ああ。って、お前もだろ、ほら行くぞ」
「……いえ」
カリスの言葉に、首を振る。
「あの人達の目的は僕ですから。君は逃げてください」
「なっ、おまえも--」
「逃げてください。僕が避難したら、元も子もないじゃないですか」
自傷気味に笑うテイルを呆然とカリスは見たあと、ため息をついた。
そして、首を振る。
「馬鹿だな、お前。仲間を見捨てて逃げれる訳ねぇだろ」
「そんな事を言っている場合では……」
「仲間を見捨てるくらいなら、死んだ方がましだね! オレは、そんな大人にだけはなりたくない! 誰かが傷ついているのに、自分だけのほほんと隠れているなんて、胸糞わりぃ! オレは、嫌なんだよ!!」
テイルはカリスに驚いていた。
ここまでカリスの本音を聞いたことは初めてだったかもしれない。
まるで、憎い誰かと比較して言っているようだった。カリスが何年も家出をしているのは……その想いのせいなのかもしれない。
そんな中、驚いているテイルの前で、突如光が溢れだしていた。
『よく言った、カリス。それでこそ、妾が認めた主だ』
光が収まると、そこにはカリスの祖国である日本国の古くからの民族衣装をまとった女性がいた。傍には、炎の蛇と金色の蛇が控えている。
彼女がそこに居るだけだというのに周囲に満ちていく神気。それは、彼女が神の眷族であることを示していた。
彼女は、カリスと契約をした神の一柱。
「ったく。なんだよ、呼んだ時にはこねぇくせして、こんな時だけ主呼ばわりか」
『なんだ。もっと感謝して良いのだぞ? こんな危機的な状況だからこそ妾がわざわざ足を運んでやったのだというのに』
「足を運んだって……どうせ騰蛇に引っ張られてきたくせに」
かるぐちを叩きながらも、カリスの目は笑っていない。
彼女は、めったなことでは現れない。一応は主であるはずのカリスが呼びかけても、だ。
彼女が自ら現れた……それすなわち、カリスが契約している他の同胞に任せられないほどの危険が迫っていることである。
「ったく、何が起こってんだよ」
『古の神が来た。カリス、黒の女神に手を出すでないぞ? アレはお前には荷が重すぎる。それよりも、目の前の敵から逃げろ。神の名を名乗るあ奴でも、お前では手も足もでないだろう』
「……なんだよそれ。逃げろって言われて、素直にオレが逃げると思うか?」
『思わないな。まあ、だからこそ妾が参ったのだが』
「はいはい。とりあえず、テイル」
「えっ、あ、なんですか?」
蚊帳の外だったテイルはいきなり話を振られてびくりと反応する。
カリスが契約しているというこの女神は誰なのかを問おうとしたところだった。
カリスは日の本の陰陽師。ならば、関連のあるその国の神で在ろう。たとえば、よく聞く泰山府君だとか。以前から召喚している朱雀や玄武、青龍、白虎など、四神たちと関連のある神なのか。普段のテイルならば気付いたかもしれないが、さすがにこの異常事態の起こっている時に冷静に考え事をする余裕はなかった。
「とりあえず、あいつをどうにかしよう」
「……そう、ですね」
そう言って、二人は同時に同じ方角を見た。
そこには、不機嫌そうな青年が一人――抜き身の剣をぶらぶらとさせて、こちらを見ていた。
「やあ」
不機嫌ではあったがふつうに声をかけて来る。
どこか、掴みどころのない微笑みを浮かべる。そして疲れたようにため息をつく。
「面白いものを見せてもらったよ。まさか、茂賀美家の陰陽師がいるとはね」
「……」
ぴくりとカリスの眉が動いた。
『茂賀美』という名前に反応して、彼よりも不機嫌な顔になっていく。
その様子に、こうなるとは思っていなかったのか青年は少しだけ驚いたような顔をした。
「お前、なにもんだ」
「なにもんっていわれても……そうだねぇ……神様に恋をした、愚かな人間。とでも称しておこうか。それでもって、神殺しの一族であるテイル・クージス君を探しに来た、セレスティンの一人。名前は、プルート。以後、お見知りおきを」
芝居かかった動きで一礼をして、彼は嗤った。
「さて、テイル君。挨拶も早々に悪いのですが、君に二つの選択肢を選んで欲しい」
プルートは抜き身だった剣を鞘に納めると両手をあげてまるで敵意が無いかのようにふるまう。
カリスはどうしていいのか解らず思わずテイルを見るが、彼は感情を押し殺した瞳で彼を見つめている。それに反して、己の式神は敵意をむき出しですでにいつでも攻撃ができる様にと控えている。
。同じく主に無断で勝手に顕現した金色の蛇と焔の蛇もまた敵意をむき出しにして唸っている。
何人かの式神は勝手に現れることもあるが、彼等が自主的に現れるなんてそうそうにない。それだけ、目の前の男がヤバイということだ。
心なしか、周囲の温度が下がっている様な気がした。
「僕等は戦いに来た訳ではないんだ。神殺し一族……君を救いに来たんだよ」
嗤いかけて来る彼は片手をテイルに差し出した。
「アーヴェという組織に囚われた神殺しをね」
は? とカリスは思わず声を漏らす。
囚われてる? 誰が? やはり、テイルの顔を見るが、彼は首を振った。
「まさか。僕は自分の意志で星原に居ます」
「たしかに。でも、アーヴェは違う。月剣も語部も、神殺しを血眼で探している」
「彼らにばれなければいい話です。しかし、あなた達のおせっかいのせいでそれも怪しくなりましたが」
「どちらにせよ、君の事はおいおい彼らにばれていたと思うけどねぇ……。もしかして、君は気付いていないのかな? 星原には、たくさん嘘つきがいる」
「……知っていますよ、それくらい」
「まぁ、いいや。こちらからの本題を言わせてもらうよ。このまま星原に居るか、セレスティンに来るか、どちらかを選んで欲しい」
「それは……」
「よく考えてね。セレスティンは、君のような世界から外れてしまった者たちを、助ける為の組織だ。異端を持つ者、差別される人種の者、狩られる者、追われる者、どんな者たちも受け入れて自由を約束する。神殺しとして追われる君を、このままにしておくことはできない」
この世界は、異端の者たちに優しくない。亜人だというだけで差別され、獣人だというだけで迫害され、呪われた者と言うだけでおいだされる。
無論、例外もある。だが、世間一般では、異端者は弾かれて、傷つけられて、ボロボロになって、生きていく。
だから、言葉だけ聞いていれば、それは甘い言葉だった。
ふと、なにも知らなければ、ついていってしまっただろう言葉。
だが
「その為に、多くの人を殺したのですか」
彼等が、神殺しを探してアーヴェの組織を片っ端から襲い、人々を殺していったことをテイルは知っている。
「いるかいないかも分からない神殺しの一族を探して、人々を殺したのですか」
その問いに、彼は笑顔で応えた。
「はい」
すがすがしいまでに悪びれもせず、彼は言い切る。
「人間なんて、どれだけ殺したっていいじゃないですか。そもそも、君はこれまで、彼らに理由も無い差別を受けて来たんですよ? セレスティンの同朋は、みなそう。親をいわれない罪で殺された者、ただ存在するだけで死刑を受けた者、異端者として一族もろとも歴史の闇に葬り去られた者、誰もが、人間を憎んでいる」
絶句したカリスはただただ目の前の男を見た。
「べつに、死んだってなんだっていい。私達には関係ない。彼等は、私達を同じ存在とは扱わないんだから自業自得でしょう」
くすくすと嗤う彼に、思わずカリスはあとずさる。
カリスには、彼らの思いはわからない。きっと、一生わかることはないだろう。
だが
「……たしかに、そうですね」
テイルは彼を肯定した。
「ですが」
そして
「憎む相手を間違っている。それに、残念ながら私には心配をしてくれる仲間がいて、かけがえのない友人がいる。あなた達の元へは行けません」
「テイル……」
肯定をしたテイルにどうなることかとびくついていたカリスだったが、最後の言葉にほっと息をつく。
少しだけ、心配だったのだ。
断られたプルートはというと、にこやかにテイルを見ているだけだった。
まったく変わらない様子で、口を開く。
「そう。じゃあ、立て前の話は終わりにしようか」
『カリスっ、来るぞ!!』
式神が警告を叫び前に飛び出る。黄金の蛇と焔の蛇がカリスの元に控え、威嚇の声を出す。
その瞬間、何かがテイルとカリスの前にぶつかって火花を散らしながら轟音を立てる。
煙が晴れると、廊下には幾つもの日々が蜘蛛の巣のように入り、その中心に式神とプルートがいた。
いや、式神が若干後ろに下がっている。
その顔に余裕はなく、忌々しそうにプルートを睨みつけていた。
「下級の神が……この、才も力もない人間に使役されるような低神が、止められると?」
『……たしかに、こやつは才も力も、妾を使役出来うる最低の水準しかもってはおらん……だが、貴様等にとやかく言われるような主人ではない……!』
言うが早いか、再び二人はぶつかり合う。
魔法や魔術ではない。純粋な魔力と神力のぶつかり合い。
それだけで周囲の窓ガラスが震えてひびを入れ、風が巻き起こり火花が散る。
それを見る二人は、周囲に満ちる濃密な殺気に動けずにいた。
『何をしておる、さっさと--』
逃げろ、と言おうとしたのだろう。その一瞬の隙をプルートは逃さない。
全ての言葉が言い終わる前に、式神の身体が吹き飛ばされる。
「天乙貴人!?」
『疾く去ね、愚か者!』
カリスの叫びになんら変わらずに応えた式神は、悠然と立ちあがってまたプルートと対峙する。
『天乙貴人の言うとおりです。ここは撤退を』
『アンタがしんじゃぁ、こっちが困るんだ』
紅の蛇と金の蛇が口々にカリスに言い含める。
この蛇、話せたのかとテイルがびくりと身を怯ませるのを片目に、二柱の式神はカリスをせかす。
「それは……わーったよ! おい、いくぞ」
「で、でも」
「くそっ、ほら!!」
無理やりテイルを引っ張ると、カリスはちらりと残して行く式神を見て――それ以上そこにとどまれないとばかりに走りだした。
カリス、テイルが居なくなると、式神――天乙貴人はやれやれとばかりに息をついた。
『まったく。あ奴は我等一二柱の命運をになっていると言う事を、本当に自覚しているのか否か……』
「どうなんでしょうねぇ? まあいいや。とりあえず、私の相手はかの御高名な式神ですか」
『……』
あれほど執着していたはずの神殺しを追わず、ただ目の前の敵に目標を定めるプルートに、天乙貴人は警戒する。
彼は、始めから変わらない笑顔で嗤っていた。
その暗い笑みにぞっと背筋が寒くなる。
いつの間にか、彼を中心に暗い靄のような瘴気が沸き立っていた。
「どうせ、力を無くした神殺しは捨て置いてもよさそうだし、いいかげんあのクソガキにうんざりしてたんだよ……」
ぶつぶつと独り言のように彼は呟いて、腰の剣をすらりと抜いた。
「うん。苛立ちの発散って大事だよね」
『ふむ……お主、本当に何者だ?』
神ではない。と、神の末席に名を連ねる天乙貴人は判断する。では、人か? と問われれば否と答える。彼は人ではない。唯人が神話の時代から生きることなど出来ない。
そう……プルートは、天乙貴人が知っている限り、神話の時代から生きている。
神々に反旗を翻したスフィラの傍に常に佇み、彼女を信奉し、彼女の為だけに在る。
彼が、どこで生まれ、一体なぜ冥界の神の名を騙り、スフィラの為に動くのか、誰も知らない。
「なんでもいいから、死んでもらえるかな?」
たいする答えは、無かった。




