01-14-03 過去
夜になると、かなり冷え込む時期になってきた。
皇の館があるこの場所から出れば、季節はもう冬になる。
だというのに、庭の桜は花を咲かせたようだ。
夕食の時その話を聞いていたアルトは、夜の散歩にその噂の桜の元まで来ていた。他にも、話を聞いていた人達がちらほらと桜の様子を見ていく。
本当に、少しだけ花が咲いている。まだ、満開とはいかないが、この様子だと一週間もしないうちに満開になるのではないだろうか。
庭の桜に蕾が出来てから楽しみにしていたので、思わずにっこりとほほ笑む。しかし、その笑みはすぐにひっこむ。
最初に花が咲いた事に気づいた出流は、なぜかやることがあると言って部屋に閉じこもってしまったから、少しだけ寂しかったりする。ほんとは、誰かとみたかったのだ。
「あ、はりをさそってくればよかった」
たぶん、玻璃ならなんだかんだ言ってついて来てくれたはずだ。
とりあえず、戻ろうかとすると、すぐそばを青年が通り過ぎていった事に気づく。
「あ……」
その後ろ姿を見た時、アルトは思わず走りだしていた。
彼は歩いていた為に、すぐに追いつく。
「テイル!」
「?」
名前を呼べば、青年はすぐに足を止めた。
背が高いので見上げる形になりながら、アルトはにこりと笑った。
「ちょっとだけ、いい?」
アルト達がなにかを話すとなると、大抵談話室に集まる。だから、なんとなくアルトはそこを避けて、食堂に来ていた。
夕食の時間帯が過ぎ、人もちらほらいるかいないかの食堂のほうが、いいと判断したのだ。この時間、図書室にはけっこう人がいることがおおい。それに、図書室には大抵マコトがいる。だからでもあった。
「どうしました、アルトさん?」
「えーっと」
いつものように微笑むテイルに、アルトは少しだけ首を傾げた。
見た目は何時も通りだが、違和感があった。
無理やり、笑っているのだ。
気付くと、それを無視してアルトは言葉を続けることにする。
「テイル、星原さ、やっぱり辞めるの?」
「……わからなく、なってしまいました」
彼は、一瞬の間の後、困ったように微笑んだ。
「私は、誰かを自分のせいで傷つけるのが怖い。でも……」
「星原から、出て行きたくない……」
「ええ。情けないですよね。みんなに説得されたら、簡単になびいちゃいました。でも……」
「……。いいんじゃないかな。だって、そうやって引きとめてくれる人がいるんだから。もちろん、わたしだってテイルがいなくなるのはいやだよ。」
「……」
「それにね、わたし、テイルの気持ち、わかるよ。だからこそ、独りになっちゃいけないと思う」
それは、実体験から。
「私も、そう思っていた。だから、たぶん……一番楽な方法をとった」
誰かを傷つけない為に、誰も寄せ付けない。
そうやって、自分を守っていた。
ふと、少年の姿が浮かぶ。いつも、何も言わずに本を読んでいる少年。
「でもね、そんなとき、助けてくれたのが……玻璃、だったんだよ」
それは、遠い過去。
黒髪の、自分と同じくらいの年の少年は、言った。
『あのね、ちぐさちゃんは生きてるよ。だってね、おにいちゃんが言ってた』
『いつまでもうじうじうじうじ、なやむんじゃないって』
『人はね、忘れられた時に、死ぬんだって。だから、まだ彼女は死んでいない』
『そんなに泣いていたら、嫌われるぞ』
『それに、気休めでしかないかもしれないけど、きっと……』
「きっと、テイルが笑ってることが一番なんじゃないかな」
「……ははっ。そう、ですね」
「あっ、えっと、ごめん! テイルのことなんにも知らないのに偉そうに言って、その、えっと」
「いいんですよ。……アルトさんも、大切な人を亡くしたことがあるんですね」
苦笑しながら頷く。
「わたしの、代わりに。うんうん。私に間違えられて。だから、ちょっとだけだけどわかるよ」
ろくに顔も調べずにやってきた刺客は、アルトが着るはずだった浴衣を纏った少女を、殺した。
自分が着るよりもにあっているから、なんて言って衣装を交換した結果のことだった。
楽しみにしていた、祭での出来事だった。
「……私も、同じような物です。私の代わりに……弟が、殺されました」
「そうだったんだ」
「ええ。弟は、私の様に神殺しの一族である印は現れなかった。それなのに、私を庇って。ひどい話ですよ。本来なら弟を助けるはずの兄が、無様に守られて生きているなんてね」
「でも……わたしもおにいちゃんのことを庇うだろうな」
テイルは、そういえばアルトには二人の兄がいたことを思い出す。
よしよしと子犬の頭を撫ぜるようにアルトはテイルの頭を撫ぜ回していた。
アルトが食堂から部屋へ戻ろうと裏庭の見える廊下を歩いていると、桜の木の下に少年がいるのが見えた。テイルに逢わなければ誘いに行こうかと思っていた人物だ。
なにかをしているようで、アルトが見ている事に気づかない。
それに気付いたアルトは、思わず悪い笑みを浮かべた。
「よーし……」
そっと近寄る。足音は風向きを変えて聞こえないようにして、息を殺す。
そして、そのまま飛び込んだ。
「なにしてるの!」
「っ?!」
驚きすぎて声が出なかったのか、玻璃は驚いた顔でアルトを受け止める。
「な、なんだよ、びっくりした……アルトか」
衝撃から抜け出して、何度か瞬きをして目の前のアルトを確認してから、玻璃はほっと息をついた。
同時に、飛び込んできたアルトを受け止めていた手をそっと離す。
「おどろいたー?!」
「ばかっ驚くに決まってんだろっ。まったく、オレが受け止められたからいいものを、いきなり人に飛びつくんじゃない。危ないだろ」
「だってー」
「だってもくそもあるか! 女の子が顔に傷でも作ったらどうするんだ」
「えー」
「えーじゃない」
「ぶー」
「ぶーでもなんでもない。まったく」
口おとがらせて怒る玻璃の手を、アルトは笑って逃げ回る。
「それで、なんのようだよ」
「なんとなく。はりこそ、どうしたの?」
「……別に。さ、桜が咲いたって言うから……来てみただけだ」
「そっかー。まだ少ししか咲いてないけどねー」
二人して桜を見上げる。
大きな桜は、幾つもの蕾を抱えて佇んでいた。
ふと、故郷のあの場所を思い出す。
「そういえば、はりとはじめて会ったのも、さくらの下だったよね」
「……え、あ、あぁ」
そうだったな。と、小さな声で応える玻璃は、なぜか顔を逸らした。
流留歌の町の外れ。白峰の山とは反対の方角には首都大和に続く道と丘がある。そこに一本だけ植わった桜の木。その樹の下で、アルトと玻璃は出逢った。
「こんな感じで、花が咲きはじめたころだっけ」
「いや、満開じゃなかったか?」
「あれ?」
「おいおい、しっかりしてくれよ?」
苦笑しながら、玻璃はアルトに手招きをした。
何事かと近づくと、なぜか後ろ向きにされる。
「ちょっと、はり?」
「なんだー」
「なにするの?」
「まあ……」
そう、言葉を濁しながらアルトの髪をごそごそといじる。
流留歌ではよく玻璃が髪を結んでくれていたのでなれていたアルトは、何も言わずされるがままにした。
「はい。いっちょあがり」
「ありがと? なにしたの?」
「あとで鏡でも見とけ」
「?」
思わず一本に結んでいたはずの髪の毛を触ると、なにか、布の様な物がついていた。
「この前、依頼で町に行った時に、売ってたから……お前、リボンとか持ってないだろ?」
「うん。ありがと」
大和国にはリボンなどなかった。その代わりに、色とりどりの紐で結んでいたのだ。
思わずリボンがあるはずの場所を触りかけて、取れるだろと玻璃に止められる。若干赤くなった目を逸らしている所からすると、恥ずかしいのかもしれない。
そんな玻璃にアルトは満面の笑みでお礼を言った。
「でもさ、なんで?」
「いや、そろそろだと思って……」
「?」
「そろそろ、その、誕生日、だろ?」
言いにくそうに玻璃は途切れ途切れ言った。やはりその目は明後日の方向を向いている。
対するアルトは、すっかり忘れていたのか、ぽかんと口を開けて穴が開くように玻璃を見ていた。
その視線に耐えきれなくなったのか、玻璃はアルトを無理やり背中を向かせて、館の出入り口のほうへと背中を押す。
「ほ、ほら、さっさと中に入れよ。いくら桜が咲きそうだからって、最近はかなり寒いんだから」
「え、うん」
玻璃に急き立てられてアルトは後ろ髪を引かれながらも中へ入っていく。
「アルト」
「なに?」
「あのさ……おれのこと、どう、思ってる?」
「?」
突然の問いに、アルトは首を傾げた。だが、すぐに躊躇いも無く答える。
「大好きだよ」
――友達として。
「どうしたの、いきなり」
笑って聞いて来るアルトに、玻璃もまた笑い介した。
「なんでもない。おやすみ!!」
「うん。おやすみ!」
アルトの姿が見えなくなると、ほっと玻璃は息をついた。同時に、苦虫をつぶしたかのように渋面を作る。
「鈍感すぎるだろ」
なんで気付いてくれないんだろうなー。と、一人ぐちりながら、口をとがらせる。
大好き、だなんて言われて、嬉しくないはずが無い。でも、そうじゃない。アルトは、なんでそんなに鈍感なのだろうかと玻璃は目を伏せた。
きっと、アルトは玻璃を異性として見られてないのだ。ただ、友達として見てる。
アルトが見えなくなった辺りをずっと、玻璃h見ていた。そして、もう一度桜の木の根元へと向かう。
そして、その樹の幹に握りしめた手をぶつけた。
「なにしてんだか……ばかみたいだな」
冷たい表情で、地面を見つめる。
望んだ答えをもらえたとしても、辛いだけなのに、なぜ聞いたのだろう。
「ほんと、ばか……」
自らに嫌気がさして、玻璃は館に戻ろうと身をひるがえし--すぐ近くに来ていた少年に気づいた。
「……おま、え」
いつもと変わらず、彼は立っている。
何を思っているのか解らない無表情の仮面をかぶった、霧原誠が――
「確かに、愚かだな」
そう、言った。
「お前には……お前だけには、言われたくないっ」
歯を食いしばりながら玻璃は吼える様に言い放つ。
しかし、マコトはそれがどうしたとばかりに視線を送る。
「どれだけ後悔しようと、それだけならば誰だって出来るだろう」
嘲笑うように、言う。だが、その顔にはなんの表情も浮かんでいない。
「そんなこと、知ってる!」
「今のお前では音川アルトも、誰も、守れない」
何もかも知っているかのように見下してマコトは言う。
「解ってるさ!!」
「わかってなどいないだろう」
今度こそ、マコトは笑った。
呆れたように、わがままを言う子どもをあやすように。
その表情にさすがにキレかかった玻璃が口を開く前に、彼は言い放った。
「お前は誰も守れない。その手で殺すだけだ」
「っ--!!」
死者は蘇らない。過去は覆されない。だから、現在を精いっぱい生きようと彼等は出逢って決めた――けれど。
そんなこと許されていなかった。




