01-13-03 アーヴェ・ルゥ・シェラン
昔、むかしの話だ。
身近に神々がいた時。神話と呼ばれた時代。
一柱の神が、人に恋をした。生まれた子どもは神の血を色濃く受け継いでいたために、神がその子を大切に育てた。
その名は、スフィラ。
その頃はまだ、神と人が結ばれるなど赦されていなかった時で、神はその子を大切に守り、見つからないようにと独り閉じ込めた。
誰の目にも触れさせず、小さな子どもには大きすぎる屋敷に閉じ込めた。
友達は、自分の描いた絵と沢山あった本だけ。
無論、年を重ねるごとにスフィラは世界を知りたがり、どうして自分だけ独りなのかと嘆き、全てを恨んだ。
やがて、スフィラは力を手に入れ、誰も見てくれない世界に復讐しようとした。
神々は半神半人の子どもを殺そうとしたが、親神は殺せずに多くの犠牲を出しながら封印した。
その話は、やがて眠り姫の童話へと変容することとなる。
それが、神様の争いの始まり。
何度も繰り返される、戦いの始まりだった。
親神は、今でも後悔をしている。
「その封印された半神半人が――セレスティンが復活させようとしている存在、なのですよ」
フィーユの語った物語は、みな知っているような昔話だった。
そして、史実としてもその半神半人の神が戦争を起こしたと言う話が伝わっている。有名な、双子姫の昔話の元となった戦争だ。
アルトでさえ、少しぐらいは話を聞いたことがある。
「あ、あの組織は、邪神教のようなものということ、ですか? それとも……」
世界には、邪神だとか魔神だとか、世界を滅ぼそうとしたような存在がそれこそ物語の数だけいる。彼等を復活させようなどと考える者達は、だいたい二通りに分かれる。その神を崇める者、そして利用して世界を滅ぼそうとする者。
「どちらとも言えるでしょう。一部の者達は狂気にも似た信仰心をもっている。しかしその他大勢は自らの為にセレスティンにいる」
「……あ、の……どうして、それを私達に?」
そんな重要なことを伝えてしまっていいのか、出流は不穏な物を感じて問いかける。
ここまで成り行きで話を聞いてしまったが、これ以上聞いたら取り返しのつかないことになりそうだとようやく気付いた。なぜ、フィーユはそんな人々に伝わっていない話を出流たちに躊躇いも無く話したのか、わからない。出流もアルトも、星原に来るまでセレスティンに関わった事はなかった。
――もしかしたら、アレ?
ふと、アルトが会った青年の事を思い出す。神楽崎と名乗った、アルトを知る青年だ。それが、関係している? だとしても、出流とは縁もゆかりもない。
アルトのほうもまた、単純に疑問に思ったのか首をかしげている。
「ああ、そうですね……二人とも、なにも聞かされていないのですよね」
何かに気づいたのか、驚いた様に口元を隠す。そして、少しだけつらそうな顔をした。
まるで、憐れんでいるように。
「日野家と音川家何を祀っているのかも、白峰の神が守っている物も……」
「え?」
二人の声が重なった。
驚きに固まった二人に、フィーユは渋面する。
が、アルトが何かを思い出したのか、出流とフィーユを交互に見て、呟いた。
「嵐の巫女さまが、関係して……るの?」
「……ええ」
日野家と音川家は、嵐の巫女と呼ばれた女性の子孫だ。
白峰に仕え、日野の詩と音川の舞の原点を創った女性。どこからともなく現れ、流留歌の町を救い、白峰の巫女としてこの地にいついたとされている。
彼女は今でも日野家と音川家が行っている神事の全てを一代で創り上げた。まるで、誰かにせかされるように……。
彼女が生きたのは、神話と言われた時代。
丁度、半神半人の神が封印されたと言われたその時の話だ。
嵐の巫女と言う言葉に一瞬フィーユは目を細め、何事も無かったように頷いた。
「あなた達の詩も舞も……白峰山の封印を強化する為の物、なんですよ」
「なっ、まさかっ」
これまでの話の事を考えれば、その封印されたモノにすぐに気付くだろう。
そもそも、嵐の巫女はその時代を生きていたのだ。
「まさか、そんな」
毎年、春先に行われる祭祀。音川の舞と日野の詩は、先祖代々から続くものだ。
その由来は嵐の巫女と呼ばれた女性が、その舞と詩をもって嵐を鎮め、黄泉の扉をも閉め、流留歌に平穏をもたらしたから。白峰の神に今年も一年が無事に過ぎますようにと納めるもの。
だが、それ以外にも、理由があった?
「どうして、そんなことを」
「そんなことを知っているのか、と言うといならば、私もまた当事者だったからです。どうしてそんなことを私が教えたのか、ということならば……おそらくシルフがあなた達をここによこした理由がそれだから、ですよ」
忌々しい事に。その言葉だけは心のうちに秘めつつ、フィーユはため息をついた。
シルフはなにもかも分かっているようにふるまう。神話と呼ばれた時代を知るフィーユやアスですら知らない真実を知っているように。そして、それを誰にも言わずに一人で抱え込んでなんでも一人で行おうとする。
「アーヴェという組織は、そもそもは封印されてしまった神を目覚めさせない為の組織だから。そして、『ここ』は……その神が幼い時に過ごした牢獄とも言える屋敷があった場所」
二人は思わず辺りを見た。
何百年と生きているのであろう巨大な木々がそびえる林。耳をよくすませば川のせせらぎが聞こえてくる。穏やかな光は眠気を誘うほど平穏だ。
しかし、そこにはそれしかなかった。此処まで平穏で豊かな自然の中ならいるはずの精霊も、鳥も、虫でさえ、見当たらなかった。
「ここは、まるで異界、ですね」
皇の館があるのもまた、異界である。それを知っていた出流はすぐに気づいて言った。
皇の館は少しだけ世界とはずれた場所にある為に、天候だって外に影響を受けるし人以外の生き物だっている。しかし、ここは完全に外から隔離された世界だ。
世界に在って世界にはない場所。決して辿り着く事のない場所。
「え、でもなんで、そのしぇらん様?がここに?」
「ここに、住んでいるからですよ」
ここに、住んでいる? そう、胡乱げに出流が視線を向けるが、それ以上フィーユは応えることはなかった。
「お二人とも、気を付けてください。少しずつ、世界は動きだしています。おそらく、あなた達も、いえ、あなた達の周囲の人々も、その動きに巻き込まれることになる」
いつもと同じように始まった会議は、平穏に進んでいた。
と言っても、それはうわべだけで、張り詰めた雰囲気が広がっている。
以前のアーヴェ襲撃のときよりも、その緊張は高い。いったい、何事なのか、若干の不安を感じる。
ちらちらと月剣のクイーンが周囲を見ている。どうやら、各組織の要人たちの顔色をうかがっているらしい。こちらと目があうと、すぐに視線を外される。その様子を見ていた月剣のエースから一言二言いわれると、それ以上周囲を観察することなく静かにアーヴェを凝視し始める。他にも落ち着きなく辺りを見回していた月剣の者達は動きを止めていた。唯一、ジャックである青年だけは何事か思い悩むように顔を暗くしていた。
語部もまた、異様な雰囲気で座っていた。他の組織のことなど、眼中にはないとばかりの様にふるまっている。そして、周囲に近づくなとばかりに殺気を振りまいている。
四葉と星原はその二つの組織の異様さに、何事なのかと小声で話していたが結局わからなかった。
定期報告が終わり、アーヴェが立ち上がると、一斉に部屋の中が静まる。
「今回、集まってもらったのは他でもない、『セレスティン』のことです」
その言葉に、若干のざわめきが起こる。
ようやく、アーヴェは重い腰を上げたと。
半数以上の支部が襲われたにもかかわらずほとんど動きらしい動きをしなかった彼女が、ようやく動き出したのだ。
「こちらの独自の調査で、セレスティンは神殺しを探していること、そして神殺しがこの組織の中で匿わられていると思われていることが分かりました」
月剣と語部が睨みあった。沈黙の中、シェランは両者を見ながら言う。
「だが、問題なのは神殺しではなく彼等の真意……神殺しを探しているのは、ただの通過点であり本来の目的ではないこと。彼等は、神殺しを見つけるためにアーヴェを襲い、理由も無く各国の町を滅ぼすなど派手な行為をしながら、裏で密かに動いている」
「それは……一体なにを?」
唯一、神殺しの名前に動じた様子も無く、たんたんと受け止める四葉のエース、レナが問いかける。
他の組織の者たちは聞いてはいるのだろうが、それよりも神殺しに関して囁き合っている。
そんなようすをラピスは苦々しそうに見ていた。
「簡単ですよ。セレスティンの目的は最初からただ一つ。スフィラの完全なる復活のみ」
「スフィラ……災厄の黒の女神」
ぽつりと月剣のジャック、ヒイラが呟いた。
対して大きくなかったにもかかわらず、それは部屋に響いた。
「しかし、封印は……」
語部のエース、すでに五十代半ばのアダマスト・ローファンが眉をひそめた。
年を経た威厳と見る者を畏れさせる雰囲気を纏っている。
その横には黒髪の青年、語部のキングの称号を持つ茂賀美和史路たちが月剣の者たちを睨みつけていた。
「ええ、封印は七つ。そのうちの五つは場所がわかっています。それらの封印を解くこと、そしてその為にも争いを起こし世界を混乱させることを彼等は目的としている」
「争いを起こす? そんなことをしても意味はあるのかしら?」
また、レナが発言をする。
「それは、私が説明しましょうか」
影で見えないようにと隠れていたのだろう。目元を仮面で隠した男が遂に部屋に現れた。その声にはおかしくてしかたがない雰囲気が伝わってくる。
みな彼が何者なのか知らず、顔を見あっている。そんななか、四葉の人々とラピスだけが彼をじっと見つめていた。
「紹介が遅れましたが彼は、先ほどスカウトしてあらたなジョーカーとなることを承諾していただいた元セレスティンのファントムです」
神殺しの時ほどではないにしても、ざわめきが起こった。
「まっ、待って下さいっ。ファントムといえば、私達星原は何度か彼から襲撃を受けたことがありますっ。なぜ、彼がこともあろうかジョーカーに?!」
ラピスが思わず立ち上がって感情的に問いかけた。陸夜もそれに頷きながらシェランを見つめる。
「情報提供だけならともかく、なぜジョーカーに……」
ジョーカーはシェラン直属の部下であり、アーヴェの組織を勝手に動かすことが許されている。さらに組織に縛られずに行動する事が許された者たちだ。何をやっているのかはシェランすら把握していないとさえ言われている。
現在のジョーカー、フィーユとアスはどちらも何百年もジョーカーとして動いて来た。信頼があり、実績がある。むやみやたらに権力を振りかざす事も無く、誰もがジョーカーとして認めている。
だが、ファントムは今まで敵対する組織に所属し、あまつさえアーヴェの組織に属する者を襲ったこともある。信用にならない。そんな彼をジョーカーに任命するなど、認めたくはない。
そんな彼を援護するように、後ろからフェルナンドをひきつれた白い仮面をつけた赤髪の人物が現れる。
「これから先、ジョーカーが三人だけでは心もとないと判断したからだ」
誰もが存在を知りながらも、今までその姿を見ることが無かった三番目のジョーカーがはっきりと答えた。
アーヴェの創設当初から居る一番目のフィーユと二番目のアスとは違い、三番目は何度も交代したことがある。しかし、百年以上前の三番目のジョーカー、スカラムーシュが死亡してから、現在の様な状態となった。赤い髪の人物が何者なのか、何百年も生きているのか、それとも何度か交代をしたことがあるのか、それすらも分かっていない。それでもジョーカーとして認められているのは、様々な場所に残るスカラムーシュの後の三番目のジョーカーが各地に残していった功績があるからだ。
なんでも、何十年か前から、三番目のジョーカーらしき人物が中央大陸各地に現れて問題ごとややっかいごとをかいけつしていったらしい。
ともかく、ファントムが突如ジョーカーに任命されたと言う報告は、皆衝撃を受けていた。
その様子をファントムは口元に笑みを浮かべながら見ている。まるで面白そうな反応に、月剣と語部も難色を示していた。
「なにか問題があればすべての責任は私がとります」
しかし、そんな反応をよそに心配などないかのように平然とシェランは言う。
本当に裏切るとは思っていないらしい。
「そもそも、彼はセレスティンに正面切ってケンカをふっかけた身。セレスティンと対等な組織なんて此処くらいしかありませんから、アーヴェの加護から離れれば殺されるのは見えていますし」
さらりと、そんなことを無表情に呟いていた。
ファントムによってもたらされた情報は、事前にシェランが言った通り、各国での戦争を促す工作などについてが多かった。それとともに、各地で人々に虐げられた者たちへの勧誘やアーヴェなどの組織への攻撃について。そしてどこかの場所を探しているというものだった。
それらへの対策をまた後日話すこととなり、その日の会議は一応終了となった。
ラピスは、額にしわを創りながら、レナを見る。
彼女もまた、なにか腑に落ちない様子でラピスの元へと来た。
「あの、ファントムって人物……ラピス、あなた知らないかしら?」
「いえ……」
「でも、なにかひっかかるのでしょう?」
「……」
否定も肯定もできず、なんともいえない。ラピスは、もう一度シェランと小声で何事かを話しているようすのファントムを見た。
知っている……気がしたのだ。
最初は。最初見た瞬間だけは。
その雰囲気や話し方を見てると人違いだったと思うのだ。
「まあ、とにかく今はセレスティンの事を考えましょう」
そう言って、レナと別れる。
陸夜と守が心配そうに待っていた。
「あ、ごめんなさい。待たせたわね」
「いえ。あの新しいジョーカーは如何にも危なそうですからね……警戒はしておきましょう」
守がそう言っていると、その隣で何かに気づいた陸夜が慌てる。
「お、おい」
「なんですか?」
「いや、その……前っ前っ」
「?」
前。どうやらラピスの後ろを見て守は口を閉ざしてすぐに頭を下げる。
一体どうしたのかと後ろを向くと、その噂のジョーカーがいた。
黒髪に、目元を隠す仮面の男。彼は、やはり口元に笑みを張りつかせている。
「そうですねぇ、警戒は大切です」
「……これは、初めまして、ファントムさん。以前は、私の部下がお世話になった様で」
「いえいえ。アルトさんにはご迷惑をかけました。申し訳ない。ここは一つ、この情報で手を撃ってもらえないでしょうかね」
そう言うと、彼はラピスの耳許で一言、二言小声で言った。
その瞬間、ラピスの目が開かれ、驚いた様子でファントムを見つめる。
「あまり好ましく思われていないようなので、今日はここらへんで」
そう言って、彼は後ろを向いてジョーカーとシェランのいる場所へと歩いて行こうとした。
「……なにも話せなくて、すみません。あと、もう少しだけ……待っててください。ラピスさん……陸夜くん」
声も、雰囲気も、別人の様で、本当にファントムがその言葉を言ったのかわからなかった。
「え?」
陸夜が突然名前を呼ばれたことに、驚いて声を出す。
しかし、ファントムは振り返る事も無く去っていった。
ファントムの口元には、何時までも微笑みが残っていた。




