01-10-03 風の音が聞こえる
「なんだったんだろうね」
ぽつりと呟いたのは、出流だった。
アルトたちがいるのは静かな病室。先ほどの部屋は窓が割れてしまったため、違う部屋に移されていた。
さきほどまで良く解らない人達に質問攻めに合っていたアルトたちだったが、マコトによってこの病室に押し込められてようやく一息ついたところだ。
とうのマコトはといえば、どこかに行ってしまって戻ってきていない。
「ねぇ、アルト……神楽崎って言ってたあの人って……」
「うん。おかあさんの親戚だと思う」
音川シルフはメイザーズ家の長女であった話は有名だ。出流もまた、なんどかアルトの母親と会い、いろいろ話を聞いている。
あまりにも印象の強いアルトの母親と先ほどの青年の姿を思い出すと、なんとなく似ている様な気がする。アルトはシルフとそっくりなところを考えると、アルトも神楽崎と似ているということにもなるのだが。
若干苛立ちながら、出流はいう。
「なんで、あんなにアルトのこと恨んでたの? ぜったい逆恨みでしょ」
アルトの普段の天然ぶりを知っている出流の言葉に、アルトは反応に困り曖昧に笑った。
「知らないうちになにかしちゃってたのかもしれないよ……」
「でもっ!」
「前だって、そうだったじゃん」
「……それは」
「あの時だって……わたしが――」
アルトの言葉を遮るようにドアが開くと、見るからに不機嫌そうなマコトが顔を出していた。
思わずその顔を見た出流とアルトに、マコトは目を細める。
「マコト君、どこ行ってたのっ?!」
「別に。……さっさと座ってくれる」
普段、あまり感情を見せないと言うのに、今日は傍から見ても不機嫌だ。
声を聞くだけでも苛立っているのか怒っているのか、いつもと違う。
そんな様子に顔を見合わせる二人をよそに、マコトはさっさと出流とアルトの前に座って大きな鞄を傍の机に置いた。
ごそごそとその中身を漁りながら、出流に手を出した。
「えっと?」
「傷、見せろ」
「あ……」
見れば、手際良く治療道具をひろげているところだった。
マコトが手当てを始めると、部屋に沈黙が下りる。
先ほどまで気づかなかった、というよりも気にしていなかったが、至る所に切り傷が出来ている。
風の刃で切り裂かれたのだろう。ほとんど血は止まっていたが、気づくとじくじくと痛みだす。
「ちょっとまって! ほんとちょっとまって! しみるっ」
「いづる、だらしなーい」
「ちょっと! アルトには言われたくないんだけどっ?!」
「……」
思わず声をあげる出流に反応もせず、マコトは黙々と消毒液をこれでもかと大量に使っていく。
「マ、マコト?」
「……なに」
「もしかして……怒ってる?」
どうして怒っているのか、まったく心当たりがない。だが、マコトの様子はどこか怒っている。
とりあえず、聞いてみようと出流は言った。
「…………なぜ庇った」
「へ?」
「お前もだ、音川」
「え。わたしも?」
まさかこちらにも話がふられるとは思っていなかったのだろう。
驚いた様子に、マコトはさらにしわを寄せる。
「……傷つくくらいなら……やるな」
マコトは静かにそういうと、それっきり口をつぐんで黙々と手当てをしていた。
「でも、やっぱり、まことが危なくなったりしたら、きっとまた、いづるもわたしも、たぶんあいりとかかりすも、みんな守ろうとするんじゃないかな」
帰り際。アルトはぽつりと言った。
片付けていた手を止めて、マコトは明後日の方向を見る。
「だってさ、友達だから」
青年が夜の庭を歩いていた。
周囲には赤や白の薔薇が咲き誇っている。すでに冬に向かうこの大陸で、季節はずれも甚だしい。
そんななかを、青年――プルートは歩いていた。
「まったく、こまったものですねぇ、神楽崎君は。たしかに彼は使えるんですけど、いささか音川関係になると使い勝手が悪い」
まったく困った様子もなく、彼はそううそぶいていた。
「まあ、今回のことで大した修正をすることもなさそうですし、いいんですけどねー」
嗤いながら彼は歩みを止めた。
「さて、問題はこの後ですよね……」
今までの潜伏期間は、いつまでもつづくかの様に苦痛の時間だった。
ようやく、『彼女』は戻り、すこしずつ仲間も増えて来た。
動くのは今だ。
音川家と日野家の者が大和から出たという計ったかのような動き。適合者を作りだすことの成功。未だ燻ぶる争いの火種。そして、長年探して来た神殺しの一族の発見。
すでに、舞台は整いつつある。
あとは――
「彼等が、どう、動くのかですね」
嗤いながら近くにあった薔薇を摘むと、躊躇いもなく握りつぶし、そのままばらばらにした。
こぼれた花弁は、そのまま風に乗って散っていく。
予測できない花弁の動き。それを嗤いながら、プルートはまた歩きだした。
「さて、どう動く……アーヴェ・ルゥ・シェラン?」
星原、皇の館――その裏庭に、突然時期外れの花を咲かすことがある桜がある。
空に向かって枝をひろげた桜は、時々マコトやアイリのベッドになっているという。
そこが、揺らいだ。
正確には、そのすぐ横の空間。木の幹の近くの空気が変わる。
空間が、歪む。
世界とは外れた場所にあると言う皇の館。そこに、誰かが侵入しようとしていた。
しかし、誰も気づかない。
普段なら厳重な結界や罠が仕掛けられ、誰でも侵入しようとすれば分かるはずだと言うのに。何者かは、誰にも悟られずに空間を壊していく。
ここに入りこむことが出来るなんて者は、そういない。だから、星原の者は安心していた。
その慢心だけが理由ではないが、それでも、そんな甘さがあったからこうも容易に侵入を許してしまったのだろう。
「――ツェーン。そこにいるのだろう?」
声が、風にのって響く。
だれにも聞こえないだろう。だが、『ソレ』には聞こえた。
「愛しいわが子。さぁ、そろそろそこにいる愚かな者達は夢から覚める時間だ」
揺らぎは、いつの間にか消えていた。
誰にも気づかれなかった。
それほど鮮やかな手並みで侵入し、消えた。
歪みなど、なにもなかったように。
風にのって響いた声など、なかったかのように。




