p0-00-00 暗い夜の夢
暗い夜だった。
『機械仕掛けの破壊神って、素敵な名前じゃない?』
小雨の降る、冷たい夜だった。
『機械のように正確に、一片の迷いもなく、ただ手順に従ってこの世界を壊しつくしてくれるのよ。貴方は、どうかしら』
記憶に在る限り、最初の夜のことだった。
『貴方は……私の、破壊神になってくれるかしら?』
目の前にいるのは、雨雲で月は隠れていると言うのに、月光に照らされた矛盾の神だった。
『ねぇ、私の眷族』
嗚呼、思い出したくない。
あの声を、あの女を、あの夜を、記憶の底に閉じ込めて、消し去りたい。
嗚呼、なんで、なんで……あの世界はこんなに汚いんだ。
『月海神の眷族よ』『不要だ』『負け犬が』『界を渡れば』『生きることに意味など無く、死ぬことで意味を為すだろう』『追放を』『否、存在する事が罪である』『邪なる者だ』『今はただの子犬なれど』『生ぬるい』『死を持って修正せよ』『在りえぬ者など不要である』『双子鳥が消えた』『さらばだ』『どうしても、生きたいか』【……貴方の願いは、なに? お願い、貴方の願いは……なに?】
嫌な記憶の最後に、愛おしい声が響く。
嫌な事ばかりだったが、それでも彼女と出逢えた奇跡があったからここまで来られた。
だと言うのに、もう彼女はいない。
愛しい黒の女神は、ここに居ない。
憎々しい人間どもとそれに協力した神によって封印されてしまった。
特に、紅の小僧とシェルリーズ、双子神の片割れ……そしてシェラン。
彼等を思い出しただけで怒りに震える。
【ねぇ、願いを、教えて】
初めて出逢った時の言葉。美しい人の声を思い出して、目を開けた。
暗い空間にプルートはいた。
どうしてこんな場所にいるのかは分からない。
ただ、とても嫌な気配がした。とてつもない不吉だ。
「……誰だ」
思い当たる事が無く、きつい言葉で問う。
暗い世界に、淡い雪が降り始める。
ほんのりと周囲を照らす粉雪だ。そのおかげで、すぐそばにいたらしい彼に気づく事が出来た。
「貴様っ、ルカっ!!」
忘れもしない。黒の女神を封印した神のうちの一柱、ルカ。氷の鳥の化身で、あの戦いで、あの封印の礎となって消滅したはずの神だ。
それが故に、彼の双子の兄弟であるリアは黒の女神とプルートの事を深く憎んでいるのだ。
「なんで、お前がっ」
そして、プルートも彼の事が憎い。
彼がいなければ、黒の女神は封印などされなかったはずなのだから。
「久しぶり、プルートさん。まさか、貴方の所に現れる事ができるなんて思わなかったよ」
あの頃と変わらない様子でルカは何事もない様に答えた。
「答えろっ、なぜ俺の前に出て来たんだっ。貴様は消滅したはずだろう!!」
黒の女神を封印したとき、彼はその力を使い尽くして消滅した。封印に巻き込まれたのだとかなんだとかいろいろ言われても居たが、どちらにしても彼は今、この世界に存在しない。
「神であるこの身は簡単には消滅できようです。この身を持って証明してしまった事ですが」
「忌々しいっ」
そう言うと、プルートはルカから背を向けて何も無い場所を見る。
彼から離れようと歩けども、まったく周囲は変わらず、そしてルカとの距離も離れなかった。
完全にここは異界のようだった。
「もしかしたら、封印に組み込まれてしまったせいもあるかもしれませんが……。そんなに僕の事が嫌いですか」
笑いながら、彼は問いかけてくる。
「嫌いだっ。貴様の顔なんて、見たくもないっ」
本当なら、言葉だって交わしたくもない。
「そう、ですか……」
少し落ち込んだ様子で、ルカは座りこむ。
「でも、追憶してくれましたよね」
「は?」
「僕は……ルカという存在は、『散りゆく花を追憶より留める氷鳥』……追憶と言う永遠を司る存在です。だから、貴方の前に現れる事が出来たんでしょうね」
「貴様の事なんか思い出したくもなかった」
ルカを思い出すたびに会う事になるかもしれないと解ると、もう二度と思いだすモノかと全力で彼に関する記憶を消そうとする。
「そんな事、言わないでください。僕は、貴方の事、すごく尊敬しているのですよ?」
尊敬している相手に拒否されるのは寂しい、とルカは言う。
なんて白々しいのかとプルートは目をそむけた。
ルカが、プルートの事を尊敬するなんてありえない。
だって、ルカが守護するなかでもお気に入りだった少女達を、プルートは壊した。
心を壊し、なにもかも奪い、死よりも辛い責め苦を負わした。憎まれる事こそあれど、尊敬される記憶など無い。
「……だって、世界を壊したいほど、貴方は大切な人を見つけた。どれ程の者達を敵に回そうとも、貫きたい感情を見つけた。それが、羨ましく、そして妬ましい」
ルカも、プルートも大切なヒトを見つけて、二人は違う道を選んだ。
ルカは、大切なヒトに対して何もしないことを。プルートは、世界を敵に回してでも大切なヒトを守ることを。その結果が、コレだ。
「それは……尊敬じゃなくて嫉妬だろ」
「そうとも言うかもしれない。うーん、気持ちを言葉に表すのは難しい」
「もういいから、黙って消えろ」
「えぇっ、僕は貴方と会うのを楽しみにしてたのにっ?!」
「うるさいっ」
彼は、いつもこちらに何も言わず襲いかかってきて、やりたい事をやるとさっさと逃げていく煩わしい蠅だった。そんな記憶に在る彼とはどこか違うようで、ここまでうるさい奴だったかとプルートは顔を逸らしながら思った。
「あっ、そうそう。貴方に伝言を預かってるんです」
「……」
いきなりまじめな顔になり、逆に胡散臭さを増しながら彼は唐突に言った。
「シエルから」
「……は?」
聞き間違えかと、プルートは思わず聞き返してしまう。
「シェルリーズ・アヴィアからですよ。正式な名前はシェルリーズ・ブルーネル。シェンラルの双子姫の片割れで、クレナイヤヅキと結婚して、ほら、嵐の巫女なんて大層な名前をもらって白峰の地に巫女として残った。ここまで言えば分かりますよね?」
もう、いっそのこと目の前の小鳥を潰してしまおうかとプルートは殺気を放った。
なにが分かりますよね?だ。分かるも何も、不本意ながらよく知っている。
知ってしまっている。
不本意なことに。
だが、彼女は死んでいる。墓だってあるし子孫だって居る。なのに、彼女からの伝言?
ふざけるな。死んだ者が一体なにを伝えてきたというのか。
「これ以上、あの女の名前を言うな」
怒りのあまり震える声でプルートはルカの胸倉を掴むと言い放った。
だが、ルカは構わずに言い続ける。
「彼女からの伝言です。白峰の地で、貴方を待っているヒトがいる。と」
その瞬間、ルカの体が消えた。
掴んでいた服の感触が無くなり、まるでなにも無かったかのように空間が広がっている。
「そうそう。僕も貴方の事、大っ嫌いです」
そんな捨て台詞めいた言葉を残して。
待ってるヒトと聞いて、真っ先に思い浮かんだのは白峰の神だ。
かつて利用したことのある彼は、きっとプルートの事を許さないだろう。
だが、わざわざ彼の事をシェルリーズが伝えるとは思えない。彼は、あの地からめったなことでは離れられないはずだから。
プルートの事を殺したいほど憎んでいるヒトたちは思い当たるが、わざわざ白峰の地で待っているというのは……考えても思い当たる人物はいない。
戯言だと思いたかったが、頭から離れなかった。
――白峰の地で、貴方を待っているヒトがいる。
それは、誰だろうか。
暗く、くらく、クライ、闇の底。
まどろみの中で、少女は幸せだった頃の夢を視る。
大好きなあの子。
あの子の笑顔は温かくて、優しくて、私の存在を認めてくれた。
少女は、夢を視る。
大好きだったあの子……自分が殺してしまった大切だったはずの存在が、一緒に笑ってくれる夢を。
「るぅい……」
優しい闇に抱かれて、少女は夢を視続ける。




