03-05-01 悪夢ノ中
ふと、気づくと居るのは、水中だった。
とても冷たい、水底へ沈んでいく。
それに、抵抗しようとは思わなかった。
そもそも、身体が自分の物ではないかのように動かない。
苦しくもない。ただ、堕ちていくだけ。
魚もなにもいない水中は、とても美しかった。
きらきらと光が反射する水面を見ながら、堕ちていく。
少しずつ、暗くなっていく。
沈んでいく。
もう一度気づいたとき、そこは戦場だった。
悲鳴も怒声も、どこか遠くから聞こえるような感覚がする。
だが、目の前で彼らは殺し合いをしている。
真っ赤な夕暮れ時に、彼らはすべてを緋に染めていく。
これは、夢だ。
ただの夢。
彼は目覚めようとした。
はやく、起きなければならない。
目覚めなければ、いけない。
まだ、終わっていないから。
あと、もう少しだけ。そう、少しで良いのだ。
やり残したことがある。
自分のせいで始まったことだから、終わらせなければならない。
太陽が西の空に沈んでいく。
そろそろ夕暮れ時。中途半端な時間に寝て、中途半端な時間に起きてしまったらしい。
寝起きのまだはっきりしない意識の中、ふらふらと立ち上がる。
ベッドのすぐ側にある机に、鳥がとまっていた。図鑑には載っていない黒く一抱えほどある鳥は、誰かの式だろう。
足についている筒を開けると、手紙が入っている。
こちらが紙を受け取ったことを確認すると、その鳥はポンと軽い音がして跡形もなく消えてしまった。
椅子に座ってその手紙を開ける。
協力者であるアインからの手紙だった。
今日起きたこと……研究所の跡地での黄泉還りとの接触、そしてアインを……グレーテルを殺害した魔術師の遺体の発見。読み進めていく。
調査で、黄泉還りの術の手がかりなどがいくつか見つかったようだ。
そろそろ、ウィルベルからの報告も来るはず。
黄泉還りに関する調査は順調に進んでいる。
誘拐事件では後手に回ってしまったが、発覚後は先手をうって行動できていたことが大きいだろう。
だが。
「彼等を関わらせるつもりはなかったのだがな……」
アーヴェの上層部は、若い者を黄泉還りの案件に関わらせないようにしている。なのに。
音川シルフ。あの魔女が確実に関わっている。
太陽が、やがて落ちきり、辺りは蒼闇に染まっていく。
燐寸で火を熾し、明かりをつけながら、マコトは明日の予定を立て始めた。
『それでさ、オレ達、霧原マコトに会わないといけないと思うんだけど、どう思う』
星原本部、アイリの少しばかり薄暗く呪具が至る所に置かれているその部屋の中心で、アルト、アイリ、ティアラが机に置かれた水盆を見ていた。そこから、どこか少しばかり遠い場所にいるような声が聞こえてくる。
『確実に、何か知っているだろ』
先ほどから聞こえてくるのは、カリスの声だ。
揺れる水面にカリスとテイルの姿が映し出されている。カリス達の方でもアイリと同じ水盆を使って連絡を取り合っていた。
普段は式を飛ばして手紙でやりとりをするのだが、今回は少しばかり面倒でも水盆を引っ張り出してきて呪術を使っている。時間のかかる式ではなく、直接話す必用があると考えたのだ。
話題はもちろん、千引玻璃と霧原マコトについて。
カリスとテイルがスワーグで分かった事と、アルト、ティアラ、アイリ達が誘拐事件によって分かった事……おそらく、アーヴェの本部が隠していた一部の真実が分かり、みなで連絡を取り合っていたのだ。
だが、ここに出流がいない。一応式を飛ばしてあるが、この呪術はカリスとアイリの二人のどちらかがいないとできないため、連絡は取れないし、すぐにアルト達と会えるような状況ではないらしい。
「だけど、会う手段がないよ。あいつとあれから一切連絡つかないし、噂じゃ今本部にも全く来てないって話だし」
ティアラが口をとがらせて言う。
霧原マコトに関して、彼女はあまりよく思っていない。
「……四番のあの仮面の人……あの人なら、どうかな」
霧原マコトに何かしら関心を持っている……いや、ちょっかいをかけているあの仮面をつけた謎の男。彼ならば霧原マコトのことを知っているかもしれないとアルトが提案する。
「あー……そう、だな。だが、その彼とも運良く会えるか分からないぞ」
『一番目のジョーカーとなら、もしかしたら連絡を取れるかもしれませんよ』
テイルがぼそりと言う。
『アマーリエさんは玻璃の持ち物を一番目のジョーカーから預かって調査して居るから』
「なるほど……なら、カリスとテイルは一番目のジョーカーと接触できるかやってみて、あたし達は四番目を探しながらマコトを探すって事でどう?」
ティアラの言葉に、ほとんどの人が頷く。
……その中で、唯一頷かなかったアルトは少しだけ考え。
「わたし、別行動でもいい?」
「えっ、いいとおもうけど」
「だが、一人で……一人は危険だ」
「あー、たしかに。アルトだけじゃ」
今回の事件で最も関わっているのはアルトだろう。そんな彼女が一人で行動するのは、とアイリが顔をしかめる。
「無理しないよ。というか、変なところには行かないから」
そう言うが、顔は晴れない。
『……まあ、良いんじゃないか? べつに、黄泉還りのやつらと会うわけじゃないんだし』
「そうかもしれないが……」
『あいつと会うのに、どうすれば良いのか全く分からない状況だし、何かしらいろいろな形で探した方が良いだろ。まあ、一人だから無理はしないように約束だけはしっかり守れよ?』
「うん! それだけは守る!」
「それだけって……まったく」
あきれつつも、しようが無いとアイリは頷いた。
『じゃあ、マコトと接触できたらすぐ式で知らせるって事でいいですね』
「りょうかい!」
「それがいいだろう」
そして、たわいない話が終わると呪術を切る。
薄暗くしていた部屋の明かりに火を灯す。すでに外は暗くなり、夜が訪れていた。
「とりあえず、明日から動き始めようか」
ティアラの言葉に、アルトとティアラは頷きその日は解散となった。
水盆に映っていた少女達の姿が見えなくなった頃、カリスとテイルは二人で顔を見合わせながら思案していた。
アマーリエになんと話してジョーカーの居場所を聞き出すか、簡単にはいかないだろうと二人は考え込む。
「……あー、もう、直球で聞いてみるか」
「そうですね……僕たちじゃアマーリエさんにどう聞いてもばれそうだし」
「まあ、陰陽師は口八丁なやつが多いからな」
水盆を片付けながら、カリスは小さくつぶやく。
「……あいつ、無茶しなきゃ良いけど」
おそらく、今一番混乱しているはずの風使いの少女を思い出しながら、カリスはため息をついた。
一人で考える時間が欲しいだろうと、一人で行動することを肯定したが、間違ってしまっただろうか。本当に、無茶をしなければ良いけれど。
そうこうしているうちに、夜は更けていく。
カリス達と話してから、どれほど経っただろうか。
まるで、これは夢のようだった。
ただの夢じゃない。悪夢だ。
歩いていても、話していても、戦っていても、まるで現実味がない。
そう、すべて嘘なんじゃないかと思ってしまう。
玻璃なんて居なかった。
自分が見ていた彼は、すでに死んでいた。
裏切っていた。
嘘だ。
じゃあ、マコトは、それを全部知っていたのか。
玻璃を殺したとき、本当は知っていたのか。
なら、なんで言わなかったのか。
玻璃もマコトも、何を考えていたのか、分からない。
そして、自分も。
また、玻璃と……彼と、遭った時、どうすれば良いのか、分からない。
立ち上がり窓を開けると、涼しい風が頬を撫でる。白みはじめた空が、アルトを少しずつ照らしていった。
3,4月と忙しくなりそうで、しばらく短くなってしまうかもしれません……。




