あたしのカレはゴリラ
「今まで黙っててごめん」
三回目のデートの時だった。
向かい合ったカフェの席で、亮太が唐突に信じられないような告白をしてきた。
「俺、じつはゴリラなんだ」
あたしは飲もうとしていたフラペチーノのストローから口を離し、そのままその口をあんぐりと開いたまま、彼の顔を眺めるしかできなかった。
どこをどう見てもゴリラとは程遠い。
シュッとした顔つきに尖ったあご──その精悍な顔つきはどちらかというと豹。華奢で長身なスタイルはチーターみたいだ。
「ゴリラじゃないよ〜」
あたしはようやく笑顔を浮かべ、フラペチーノをストローでかき回しながら、彼の冗談を受け流す。
「こんなイケメンなゴリラがいたらびっくりだよぅ」
亮太が顔を近づけてきた。
綺麗な顔の接近に思わずドキリとした。
小声で彼が言う。
「本当なんだ。俺、じつは人間じゃなくてゴリラなんだ」
「何を言ってるの!?」
「愛華にだけは打ち明けるよ。今、ゴリラが人間にとってかわろうとしている」
「何のSF!?」
「本当なんだ。人間は地球をめちゃめちゃにしてしまった。ゴリラがその支配を奪って文明社会をやり直さないと手遅れになってしまう。だから俺たちは、人間の社会に溶け込んで準備を進めてるんだ」
亮太の目はどこまでも真剣だった。冗談を言っている人の目じゃない。あたしは背中に冷や汗が流れるのを感じた。
「……待って。百歩譲ってその話を信じるとしてさ」
ストローを指でつつきながら、なんとか冷静さを保とうと、あたしは声を絞り出す。
「亮太のどこがゴリラなの? 毛深くもないし、胸ぐら叩いてバナナ食べたりもしないじゃん。そもそも体系がチーターだよ」
「それは『擬態』が完璧だからだ」
そう言うと、亮太は自分の胸元にそっと手を当てた。
「俺たちの科学力……いや、ゴリラ力は君たちの想像を超えている。皮膚のホログラム投影、骨格の収縮技術。これらを使って人間に化けているんだ。そのうち遺伝子操作でほんとうに人間そっくりなゴリラが作れるようになるとも言われている。でも、本質はゴリラだ。精神も、魂も、そして――」
彼がスッと指先を立てる。
「握力も」
亮太は自分の鞄からジッポのライターを取り出した。特に力を入れた風でもなく、ただ優しくそれを握りしめる。
――メキメキメキッ!
耳を疑うような金属音が響き、頑丈な真鍮で作られているはずのライターが、丸められた紙くずみたいに小さくなった。カフェの店員も客も誰も気づいていない。あまりにも一瞬で、無駄のない動きだったから。
「うそ……」
「信じてくれたかい?」
ジッポが本物なのは間違いなかった。だってそれは一緒にドンキに行った時に彼が買ったものだったから。タバコを吸わないのに何に使うのかはわからなかったけど──
握り潰した金属の塊を静かに鞄へしまいながら、亮太は切ない眼差しであたしを見つめた。
「俺は君を愛している。だから嘘をつき続けるのが辛かった。近いうち、世界中の『潜入ゴリラ』が一斉に立ち上がる。でも……君だけは俺が絶対に守る。だから俺と一緒に来てほしい。新しいゴリラ帝国の、第一号人間市民として」
あまりの情報量に頭が破裂しそうだった。
目の前にいるのは、大好きなイケメンの彼氏。
でもその中身は、地球の未来を背負った超科学ゴリラ。
あたしはぬるくなったフラペチーノをごくりと飲み干し、深く息を吐いた。
「とりあえず亮太……一つだけ聞かせて」
「なんだい?」
「デートの割り勘、いつもきっちり一円単位まで計算してたのって……」
「ああ。ゴリラは群れの規律と公平性を何よりも重んじるからね」
真顔で答える彼を見て、あたしは『やっぱりかわいい』と思って安心した。
「……で、どうするの?」
カフェを出て、並んで街を歩きながら、あたしは亮太に聞いた。
「え、何が?」
亮太はいつもの亮太だった。見とれるほどにカッコよくて、嬉しくなるほどに優しくて──
でも、人間じゃないんだ。ゴリラなんだ。
まだ半信半疑ではあるけど、色々聞きたいことがあった。
「戦争でも起こすの? ゴリラは人間よりも高度な科学兵器を持っていて、それを使って人間を滅ぼすとか?」
「そんなことはしないよ」
優しく笑った彼の顔が少し寂しそうだった。
「ゴリラは争いごとは嫌いなんだ。野蛮で怖いイメージがあるんだろうけど、怖い顔をするのも、胸をばんばん鳴らして威嚇するのも、ほんとうは戦いたくなんかないからなんだ。戦わずして相手が逃げていってくれるのを願うからなんだ」
「ふーん……。じゃあどうやって? どんなふうに人間から地球の支配権を奪うつもり?」
「あくまで理性的に、知的にだよ。……ごめん、これ以上は教えられないんだ」
「擬態して、人間社会に紛れてるってことは──」
あたしは周りの通行人を眺め回した。
「この中にもいるの?」
「いるよ。たとえばほら、あそこを歩いてるおじさんだ」
亮太が視線で指すほうを見ると、白いスーツを着こなした、スマートな紳士が歩いていた。ゴリラというよりは往年のイケメン俳優という感じだ。優しい目をして公園の鳩を眺めていた。
「あの女子高生もだよ。真ん中の娘」
仲良さそうに三人並んで歩いてくるセーラー服の女の子たちの、真ん中の娘はモデル体型の美人さんだった。ちょっとillitのイロハちゃんに似てる。
「illitのメンバーもウォンヒ以外は全員ゴリラだよ」
目からウロコだった。
あんな細くてかわいいアイドルの娘たちが、じつはゴリラだったなんて──!
違和感が拭えなかった。
「ゴリラって──もっと、こう……ごっつくてイカツいイメージがあるんだけど……」
「それは人間の印象さ。僕らの目から見たら、たとえば横浜流星なんかはゴリラにそっくりだよ」
価値観の違いなんだろうか。
価値観の違いで、そこまで物の見え方も変わるということなんだろうか。
ちょっと話に無理があるような気がして、半信半疑だったのが疑念のほうへ傾きはじめた。これはやっぱり亮太のジョーク? まぁ、楽しいジョークだから、いいけど──
「それにね……」
大好きなものを語る時のように照れながら、亮太があたしの顔を見ながら、言った。
「愛華もだよ。ゴリラそっくりだ」
新鮮だった。
そんなことを言われたのは初めてだった。何より亮太のそれが最大級の褒め言葉だというのがわかるので、言われてとても嬉しいセリフだった。
illitのミンジュちゃんに似て美人だとかはよく言われるけど、ゴリラは初めてのことだった。
行き交うひとたちが、あたしたちを振り返る。
『なんだあの美しいカップルは』みたいな顔をする。いつものことだから慣れている。
誰もこれがゴリラとゴリラ似の人間のカップルだなんて思わないことだろう。
あれ──
待てよ?
「もしかして……」
あたしは亮太のほうへ振り向き、聞いた。
「亮太があたしを『好き』って言ってくれたのは、あたしがゴリラに似てるから?」
思い出す。
大学の構内を歩いていた時、いきなり求愛された。
初対面だったのに、彼に突然前に立ち塞がれ、言われた。
「運命のひと、見つけた!」
そうか──
あれは単に、『ゴリラに似た人間、見つけた!』みたいな意味だったのか……。
「正直に言うね」
亮太の声は変わらず優しい。
「最初はそうだった。単に見た目がいいなって思った。でもね、付き合ってるうちに、どんどん本気で惹かれていったんだ、愛華の内面に。心が優しくて、他人思いで、特に家族に対しては自分に対する以上の愛情を示す。すごく傷つきやすいのに、誰かを守るためなら先頭に立って威嚇するだろ? そういうところ、内面まで見事にゴリラだなって──」
幸せな気分に、返す言葉は何も出てこなかった。
涼しい風が、火照った頬を撫でて、たんぽぽの綿毛みたいにふわふわと飛んでいきそうな気持ちになった。
確かにあたしはバナナも大好物だし、ゴリラ帝国が実現したらいいゴリラになれるかもしれない。すごく幸せに暮らして行けそう。
でも、人類が滅ぼされるのなら、それはなんかやだな……。
そう考えていると、急にけたたましい車の走行音が聞こえた。
車道に車はまばらだった。
その広い隙間を一台の小型トラックがフラフラと、しかしスピードを上げながら、暴走してくる。
運転席を見るとおじさんがハンドルにもたれるように顔を伏せていた。
運転中に何かの発作で意識を失ったんだ!
それが少しむこうの歩道を歩く幼稚園児たちのほうへ突っ込んで行くところだった。
「あぶない!」
巨大なゴリラが地響きを立てて走っていき、小型トラックの横から体当たりをすると、トラックはその場でスピンして、ゆっくりと横向きに倒れて止まった。あたしの足元には亮太が着ていた衣服一式と鞄が投げ出されていた。
通行人がみんな、呆気にとられて亮太を眺めていた。
「ゴリラだ……」
「どこから出てきた?」
「急に現れたぞ」
「通報しろ!」
亮太は倒れたトラックの運転席を覗き込むと、上向きになっててものすごく重たくなっているはずのドアを開け、おじさんを優しくお姫様抱っこで救い出した。
それから幼稚園児たちのほうを振り返り、「大丈夫?」と聞くように顔を傾けた。突然の騒ぎに怯えていた子どもたちが笑顔になり、「ゴリラさんだー!」と喜んで手を振った。
大人たちは騒ぎ続けていた。
「動物園から逃げてきたのか?」
「早くなんとかしないと!」
「あれは最も凶暴なローランドゴリラだ」
「マタギを呼べ!」
口々に勝手なことを言う。
亮太が大事故になるのを防いだというのに、みんなゴリラの出現ばかり気にしている。助けられたのに恩を仇で返そうとしてる。
衆人環視の中で擬態するわけにもいかないらしく、亮太は困ったようにあたしのほうを見ている。
あたしは前へ進み出ると、その場のみんなに届く声で、言った。
「すみません。この子、あたしのペットなんです」
そして亮太の前で立ち止まり、彼の頭を撫でた。
亮太は綺麗な顔で微笑み、その口が「ありがとう」と動いた。
「ペットだって!?」
「そんなもん飼ってもいいのか?」
「大体、さっきまでいなかったのに、急に現れたぞ?」
「カプセル怪獣なんです」
咄嗟に思いついた嘘でごまかした。
「さ、亮太。帰るわよ」
あたしが言うと、亮太はお姫様抱っこしていた運転手のおじさんをそっとアスファルトの上に寝かせた。失神しているけど痙攣が収まっているのを確認すると横向きに寝かせ、どこから取り出したのか、ちいかわのイラストの入ったクッションを頭の下に入れた。それからどこからともなく取り出したスマートフォンで救急車を呼んだ。
完璧な応急処置を施すとようやくあたしをお姫様抱っこし、どんどこどんどこ駆け出した。
人間の街が流れて行く。
あたしにはそれが原始のジャングルみたいに生き生きとして見えた。
人目のない場所まで走ると、亮太はあたしを降ろし、人間に擬態した。巨大なゴリラが一瞬で細身のイケメンに変わる。
「ふー……。助かったよ」
綺麗な人間の顔に戻っても、なんだかちっとも違和感がなかった。
「パワーを出す時にはどうしても擬態が解けてしまうんだ。ありがとう、愛華。助けてくれて」
「かっこよかったよ、亮太」
あたしもお礼を言った。
「人間を助けてくれて、どうもありがとう」
本当にかっこよかった。
ゴリラの正体を見せた亮太は、イケメンの人間の時よりもかっこよかったかもしれない。
お天気はとてもよくて、振り注ぐ秋の陽射しがキラキラと、微笑む亮太を背後からライトアップしていた。
これから人間がゴリラに支配されるなんて、とても信じられないようないい天気だった。




