第3話 「バグを穿つ騎士」
「はぁ……っ、はぁ……っ、なんで、こんな目に……」
月明かりのみを頼りに少年が走る。息を切らして、誰にともなく愚痴を零しながら。
ただ、同い年の女の子がずっと同じ方角を見ていたのが気になっただけだった。「そこに何かあるのだろうか?」「その何かを持ち帰ったら驚くかも」と、そんな軽い気持ちで村の外に出てみただけだった。
だがやがて陽は落ち、帰り道が分からなくなり……さらには……。
“ガンッ! ザザザザ……。ガンッ! ザザザザ……”
「ひっ。も、もう来た……っ」
何かを打ち付ける轟音に続いて、引きずる音。それは破矩が接近する音だ。
大人から聞かされていた、人を襲うバケモノ。ほどなくしてそれがテオの眼前に迫った。
赤く光る異形の単眼。鈍い光を放つ鋼の外殻。
まるで人の形を模したような上半身だが、何かの戦いの影響か下半身は存在しない。だが、それでも大人以上の巨体を誇る破矩が、己の身体を引きずりながらテオに接近しようとしていた。
単純な速度差なら、立つことすらできない破矩よりもテオの方が速い。だから今まで逃げることができていた。
しかし、もう体力の限界だ。
「父ちゃん、母ちゃん……。シオン……」
恐怖か、それとも疲労からか、震える脚はすでに言うことを聞かない。
観念したのか、テオは全身に回った震えを抑えることもできずに赤い単眼と見つめ合っていた。
だが、その時――。
「Mr.テオ、動かないでください!」
聞き慣れた、ヘンテコな呼び名が飛び込んだ。
命令されるまでもなくテオの身体は動かない。反応もできずに呆然としていると、何かが破矩に投げつけられ、それは“ガシャン”と音を立てて割れた。
中から何かの液体が飛び散り、破矩の全身を濡らす。
「こちらへ」
起きた出来事に理解が追い付かないまま、テオは腕を取られてそのまま引き倒される。抵抗はもちろん、声を出すこともできなかった。
「火をつけます。息を止めてください」
テオの返事すら待たず、唐突に現れた少女の指先が小さく光る。あれは、学校で教わった魔法だ。小さな火を、一瞬点けるだけの。
だがそれが先ほどの液体に触れた瞬間、巨大な炎が舞い上がった。破矩の巨体を巻き込んで。
「シ、シオ……げへっ」
「火を吸い込むと危険です。少し離れましょう」
テオは言われるがまま、シオンに手を引かれて移動する。
男として、少しだけ情けなくも恥ずかしくも感じたが、それどころではなかった。
「シオン、なんでここに!? それに、あの火はなんだ!?」
「Mr.テオの捜索に来ました。あれは害獣対策に家から持ち出した油壺です」
端的な回答を得たテオだったが、未だに理解が追い付かない。
しかし助かったということと、それがシオンのお陰だということだけは理解できた。
「と、とにかく……ありが――シオンっ、後ろ!!」
炎に包まれていた破矩だったが、死んではいなかった。
テオの正面……ちょうどシオンの背後から、その大きな右腕を振りかぶっていた。まだ、体のあちこちに炎をまといながら。
(回避――いえ、保護対象の安全を優先)
即座に反応したシオンは、両手でテオを突き飛ばした。
それと同時に巨腕が振り下ろされる。回避は間に合わない。
「ぐっ……!」
「シオンっ! 大丈夫か!? シオン!」
「問題ありません。戦闘継続可能です」
完全な回避は不可能だったが、体を捩り直撃を避けることはできた。
無傷とはいかないが。
(左腕中破、肩部に脱臼の疑いあり。戦力18%……訂正、35%低下)
前世の機械の身体だった頃は、単に片腕が使用不能になっただけだった。
だが生身の肉体がある今では激痛が全身を蝕む。動かした足の振動すらが左肩を刺激し、動作を躊躇させた。
「シオン、動けるなら逃げよう! 早くっ!」
その事実を煩わしく思いながらも、シオンは戦略を練る。
敵は下半身を損失している。恐らくテオを連れて逃げることは可能だ。しかし村まで追跡された場合、今度は他の村民が犠牲になる可能性が出る。
「否定。この場での撃破を優先します」
「な、なに言ってんだ!? 勝てるワケねぇだろ!?」
相手は大人よりずっと巨大な、しかも下半身がなくても動き続けるバケモノだ。子供が勝てる相手ではない。当然の予想だ。
だがシオンは違う。普通の子供ではない。
異形を見て恐怖することも、負傷をして泣き叫ぶこともなく、冷静に敵を分析して勝利を目指す。
(金属製の外殻。生物よりロボットに近い? ……四肢へのダメージや疲労は効果が薄いと推定。中枢部を特定し、一撃で破壊するのがベスト。そしてこのサイズなら――)
そこまで考えたシオンは、懐から果物ナイフを取り出した。これも害獣対策に持ち出した物なのだが……破矩の巨体に対して、なんと心細いものか。
「バカっ! そんなので歯が立つワケねぇだろ!?」
テオの言う通り、こんなちっぽけなナイフで鋼を貫けるわけがない。
そんなことはシオンも分かっている。
だから――。
「ブースト、最大戦速」
そう呟いた言葉は、マスターが逆転を狙う場面でよく使用していた命令だ。
急速接近を試み、一撃で敵を破壊するための――。
しかしスラスターが装備されていない今の身体では同じことはできない。だが魔法を使えば似たようなことは可能だ。
シオンは魔法で敵との直線上に「電磁気の壁」を作り、電子の動きを操作する。これに大きな力は必要ない。むしろ極僅かな力を複雑に操作する能力が必要だ。
元AIのシオンでなければ、できない芸当だ。
電磁加速により、シオンの身体は音の壁を破る。突き出したナイフの先端が空気の壁を叩き、衝撃波を生み出した。
それは破矩の外殻を容易く砕き――。
シオンの突き出した右腕は肩まで破矩の体内に埋まり、真っ直ぐに中枢部分を貫いた。
シオンは腕を引き抜き、同時に巨体が崩れる。
「――敵機、沈黙」
「シオンっ! おまっ、その腕……っ」
駆け寄ったテオが驚愕したのも無理はない。
炎の残り火に照らされたシオンの右腕はズタズタで、前腕はあらぬ方向に曲がっていたのだから。
むしろ起きた現象を考えれば、よくこの程度で済んだものかと思うほどなのだが。
「右腕損傷甚大。ですが歩行には問題ありません。村へ帰還しましょう」
だがシオンは事も無げに言い放ち、あろうことかテオを先導するように歩き出した。
たった10歳の、しかも女の子が……。
「どうかしましたか? もしや負傷を?」
「オ、オレが先を歩くから!」
それはテオの、男としての矜持だったのだろう。
最後に小さく聞こえないように「オレが守ってやるから」と呟いたのも、譲れない何かの想いがあったのだろう。
だが……。
「否定。人を守るのが私の使命です。それとMr.テオ、方角が違います」
テオの想いは、この少女の心を動かすことはできなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
それから2年後……。
シオンは騎士となるために、王都にある養成学校に入学していた。テオと共に。
シオンが騎士を目指した理由は2つ。
「人々を守るため」と、そして「国外に向かうため」――だ。
この2つを同時に満たせる騎士という立場は、シオンには都合が良かった。
そして最初の授業が始まる。
シオンとテオを含む数十名の新入生が囲む中、壮年の男が教壇に立った。
「これから諸君は騎士となるべく、厳しい訓練を課されることになる。心しておくといい。私のことは敬意を込めて師と呼ぶように」
言語の違うこの世界、この時代で、同じ単語を使っていたのはただの偶然か、それとも名残だったのかもしれない。
だがシオンは、それを受け入れることはしなかった。
「否定。貴方を搭乗者と認めることはできません」
「お、おい! シオン、入学早々マズいって!」
隣のテオが止めに入るが、もう遅い。
「確か、田舎者が紛れていると聞いたな。お前たちがそうか?」
「肯定。北の辺境村より来ました」
「ふん、よかろう。少し稽古をつけてやる。外に出たまえ」
「シオン、ダメだって! シオン! シオーンっ!!」
テオの静止が儚く教室内に響く。
シオンの、南極への道のりは遠い――。




