白い結婚なら補償をいただきます
「僕は君を戸籍上の妻としか扱わない」
結婚後初めての夜、寝室に入るやいなや戸籍上の夫からこの宣言だ。
予想はしていた。
アーヴィン様は私を嫌ってはいないだろうけれど、もっと愛する人がいらっしゃるからだ。
「承知しました」
「む? リビーは僕に文句はないのか?」
「文句よりも建設的な話をしたいですね。アーヴィン様も夜中に揉めたくはないでしょう?」
「その通りだな」
アーヴィン様はオールディス伯爵家の当主だ。
貴族的といえば貴族的なのだけれど、俗なことに疎い傾向がある。
先代様がそこを心配して、またオールディス伯爵家の経営状況が芳しくないことを勘案して、商人の娘に過ぎない私をアーヴィン様の婚約者にした、のだが。
残念なことに先代様が亡くなってしまい、アーヴィン様を抑えられる人がいなくなってしまった。
家人も平民の私のことを軽く見ているしな。
先代様の遺言に従って私の嫁入りだけは予定通り行われたが、どうなることかと思っていた。
こうなってしまうと私が協力するのは、アーヴィン様の意識が変わらない限り難しいのだ。
白い結婚宣言が飛び出しても、まあそうだよねとしか思わない。
「私は商人ですから、私にメリットがあることなら従います」
「ふむ、リビーにメリット?」
「アーヴィン様はジュリアナ・ラッカム子爵令嬢を迎え入れる所存かと思います」
アーヴィン様とジュリアナ様は同い年の幼馴染だ。
当然将来は結婚する心積もりでいたようなのだが、突然私が割り込んだ形になっているので、実は私はジュリアナ様にもよく思われていない。
……貴族に煙たがられるなんて商人としては面白くない状況なのだ。
好きでこんなポジションにいるわけじゃないと、アーヴィン様も察して欲しい。
「リビーはジュリアナを知っていたか」
「私も先代様の命でアーヴィン様の戸籍上の妻になっただけで、アーヴィン様とジュリアナ様を邪魔しようという意図はないのです」
「おお、そうであったか。オールディス伯爵家という高位貴族に嫁いだからには、僕の妻の地位に固執するものと思っていた」
名実ともに妻としていただけるならば、もちろん万々歳だったよ。
でも状況がそれを許さないものな。
「妻の地位にメリットがあるなら固執したでしょう。しかし少なくともそれはアーヴィン様のメリットにはならないようです」
「ふむ?」
「サマーズ商会ではウィンウィンをモットーにしております。すなわち、アーヴィン様にはジュリアナ様と仲良くできるというメリットがあるわけですね? 私にも同等のメリットをくだされば、潔く引き下がります」
「同等のメリット? ではリビーに愛人を認めればいいということか?」
「足りませんよ。私は通常の規定通り、二年間の白い結婚期間を経たら離縁という形を取るのがアーヴィン様とジュリアナ様のためだと思います。それでよろしいですか?」
婚姻成立直後から白い結婚が二年間続いたら問題なく離婚できるというのは、制度ではないが一般的なことだ。
「うむ」
「世間は私をオールディス伯爵家に捨てられた女と見るわけですよ。オールディス伯爵家は名家ですよ? 私とサマーズ商会のダメージは大きいです」
「もっともなことだな」
ふふっ、思った通りだ。
オールディス伯爵家を持ち上げる方向なら納得させやすい。
「伯爵家領のどこかの開発許可をいただけると嬉しいですね。もちろんサマーズ商会で行いますので、オールディス伯爵家に金を出せとは言いません」
「実質支払いなしでリビーへの補償ができるということだな?」
「さようです」
「いいのではないか?」
ありがたいなあ。
アーヴィン様人が好過ぎない?
「ではどこを開発するかについては、また後ほど許可をいただきにあがりますね」
「わかった」
「ところで私はどこかに姿を隠した方がよろしいですかね?」
「む、どういう意味だ?」
「私がいなければ、すぐジュリアナ様をお呼びになれるではないですか」
「リビーは賢いな。あっ、結婚式を行わなかったのも?」
アーヴィン様気付いたか。
「白い結婚を言い出される可能性が高いと思っておりました。御当家の経済事情を理由にしておりましたが」
「つまり結婚したとだけ報告してジュリアナと暮らしていれば、皆がジュリアナと結婚したと思うわけだな?」
「さようです。しかし二年間は私と籍が入っていることをお忘れなく。報道機関に感付かれると、つまらないスキャンダルを抱えますからね」
「わかった。それで姿を隠すというのは?」
「私もばつが悪いのですよ。オールディス伯爵家に嫁に出たことを、近親者や上得意様は知っているわけですし」
「む、どうすればよい?」
かかった。
ここは慎重に。
「伯爵家領のゲヴァ島がありますでしょう?」
「ゲヴァ島? ああ」
「あそこに住んでもよろしいでしょうか?」
「住めるわけないだろう。魔物島だぞ」
「存じております。しかし逆に言うと誰もいないわけでして」
「危険だ!」
「では、先ほどの開発許可の対象をゲヴァ島に設定してもよろしいでしょうか? それでしたら問題ないかと思いますが」
「……オールディス伯爵家を当てにするなよ?」
「心得ております」
よし、許可を取った。
現在誰も住んでいない土地というシチュエーションが重要なのだ。
「では私は下がります。お休みなさいませ」
◇
――――――――――翌日、サマーズ商会の使用人、ディル視点。
リビーお嬢様は平民ながらも王立ノーブルスクールで学んだ才媛で。
未成年の時既に商売を始め新商品をヒットさせた実績を買われて、オールディス伯爵家に嫁いだのです。
しかしお嬢様を評価してくださった先代伯爵様は亡くなり。
無下に扱われるのではないかと危惧しておりました。
そのお嬢様から結婚した次の日に呼び出しです。
嫌な予感がします。
オールディス伯爵家王都タウンハウスに急ぎます。
「お嬢様」
「ディル、早かったわね」
「どうなりました?」
「予想の範囲内ね。白い結婚、そして二年後離縁よ」
やっぱり!
リビーお嬢様を蔑ろにするなんて許せん!
「あれ? ディル怒ってる?」
「当然です」
「ダメよ。貴族とケンカしようなんて考えちゃ。食い物にすることを考えないと」
食い物ですか。
全然堪えていないですね。
さすがお嬢様。
「アーヴィン・オールディス伯爵令息に未練はないのですか?」
「アーヴィン様は見た目いい男ではあるわよ? でも未練を持つほど付き合いなかったもの」
「ですよね」
「亡くなった義父様は私のことを評価してくださっていたから、アーヴィン様が私を妻として遇してくださるなら本気出したけど」
本気とはオールディス伯爵家の経営の立て直しと、サマーズ商会との商売上のリンクということでしょうね。
お嬢様の独自の手法もあるのでしょうけれども。
「やはりどこぞの子爵家の令嬢と切れていないということですか?」
「そうね。アーヴィン様は平民を見下しているところがあるから」
「しかしその子爵家と組んだところで、オールディス伯爵家が衰退していくのは止められないのでしょう?」
「ムリでしょうね。義父様もそういう判断だったからこそ、遺言してまで私をアーヴィン様の嫁にしたのですし」
リビーお嬢様は本当にアーヴィン様のことを何とも思っていらっしゃらないようです。
心の傷が残らなくてよかった。
「今後の方針はどうなりますか?」
「プランAよ」
「えっ? プランAですか?」
お嬢様がオールディス伯爵家に放り出される時どういう対応を取るかのプランの内、サマーズ商会にとって最高の儲けになると考えられるもの?
「ゲヴァ島開発を軸にしたものですよね? 認めさせたのですか、あれを?」
「ええ。私も王都にいづらいからどこかに移住していいですか、というふうに持ちかけて」
「魔物のいる島じゃないですか。普通じゃ怪しまれるでしょう?」
「あたしへの補償として伯爵領のどこかの開発を商会に任せて、って感じに誘導して」
「何とまあ」
お嬢様は呆れるほどしっかりしてますねえ。
「お父様を説得してゲヴァ島開発にかかるわよ。ディルも手伝ってね」
「もちろんですとも」
「……本当は私が愛人を持つことも認めさせたの」
「えっ?」
そんなことまで?
「愛しているわ、ディル。でもどう考えても婚姻期間中は清い身体でいないとまずいの。ごめんなさいね」
法廷闘争になった際、愛人の存在がバレると陪審員の印象が悪くなるということのようです。
お嬢様は女性ですし、向こうは貴族ですしね。
いかに認めさせているとは言っても、条件的に不利になるのは否めないでしょう。
「正式に離婚する二年後まで待っててくれる?」
「旦那様が俺をお嬢様の婿と認めてくれるまでに二年くらいかかりそうなのですけれども」
「うふふ、そうかもね」
お嬢様は何と可愛らしいのでしょう。
思わず抱きしめたくなってしまいます。
二年で旦那様に認めてもらわねば!
燃えますね。
◇
――――――――――二年後、オールディス伯爵家邸にて。リビー視点。
「これで離婚は成立か」
「書類は揃っています。役所に届ければ離婚成立ですね」
久しぶりにアーヴィン様の顔を見た。
相変わらずイケメンだこと。
「届けは私が出しておいてよろしいですか?」
「うむ」
「ジュリアナ様と結婚なさるのでしょう?」
「うむ」
「婚姻届の書類ありますよ。まだ取り寄せていなければどうぞ」
「気が利くな」
「アーヴィン様と男女の縁はありませんでしたが、今後ともサマーズ商会を御贔屓に」
「おう、ゲヴァ島開発のおかげで、領にも金が落ちているそうじゃないか」
「少しだけですけれどね」
ふうん、アーヴィン様も一応領地からの収支報告書に目を通してはいるようだ。
ようやく魔物の駆逐に目処が立ったところ。
人数を動員しているから、その分ものが売れるってだけだよ。
ゲヴァ島のポテンシャルはまだ全然発揮されていない。
「ところでリビーに相談があるのだ」
「何でしょうか?」
相談?
調査によると、オールディス伯爵家は私がゲヴァ島に行ってからも派手な金遣いはない。
困るようなことはないと思っていたけれど?
「ジュリアナが妊娠してな」
「おめでとうございます」
「今度王太子になられたデズモンド殿下の立太子記念パーティーがあるのだ」
「はあ」
「僕も出席しなければならないが、ジュリアナの体調が悪いのだ。リビーよ、僕のパートナーとしてパーティーに出てくれ」
「は?」
離婚したばかりの元戸籍上の妻にパートナーを頼むってさすがにあり得ん。
アーヴィン様の思考回路はどうなっているんだろ?
「いや、私ではまずいですよ。ジュリアナ様に悪いですし、アーヴィン様だって妻の妊娠中に何だと言われてしまいます。メリットがないです」
「しかし適当な相手がいなくて困っているのだ。立太子記念パーティーに欠席では、僕の忠誠が疑われてしまって、これまた都合が悪い」
「そうですね……」
アーヴィン様、こういう貴族的な事情に関しては頭の回る人なんだよな。
既婚の貴族家当主が一人で出席というのも格好がつかない。
しかし他所の誰かを誘うと余計な思惑を招きかねない。
かと言って先のことを考えると欠席はさらによろしくない。
ならばどうする?
「アーヴィン様、適当な相手を見繕ってパーティーに出席するのは、どう考えてもムリです。おかしなスキャンダルになりかねないですし、ジュリアナ様も不満でしょう」
「欠席か? しかし……」
「欠席はやむなしですが、プレゼントを贈りましょう」
「えっ? 王太子殿下を納得させるだけの贈り物か? そ、そんなものは我が家に……」
「お任せください。ゲヴァ島で出た、それはそれは立派な水晶があります」
結晶がにょきにょきって生えてる、思わず唸ってしまうくらい結構な見栄えの水晶だ。
「かなりの勇壮さを感じさせる逸品です。水晶は『完全』や『繁栄』を象徴する石なんですよ。王太子殿下へのプレゼントにピッタリだと思います」
「う、うむ。だがサマーズ商会の開発によって掘り出されたものなのだろう? 王太子殿下へのプレゼントにできるほどのものの料金など払えんのだが」
あれ、アーヴィン様この二年間で、随分お金のことを考えるようになったみたいだな。
オールディス伯爵家が衰退するなら乗っ取ってやろうかと思ったが、金勘定を理解できる人なら話は別だ。
ウィンウィンの関係の方が、うちもオールディス伯爵家の影響力を利用できる。
作戦を変更するか。
「いえ、開発を許してもらっているのです。水晶はアーヴィン様に進呈しますよ」
「おお、すまんな!」
「サマーズ商会に開発させているゲヴァ島で産出したものだと、ちゃんと伝えてくださいね。出所の怪しい品は受け取ってもらえないかもしれません」
「うむ、わかった」
ハハッ、王太子殿下の頭に『サマーズ商会』と『ゲヴァ島』を刻み込んでやる。
貴重とは言ってもただの石だよ。
収支は十分プラスだな。
「では私は失礼いたします。届けは間違いなく提出しておきます」
「うむ、さらばだ」
後日アーヴィン様から入った連絡によると、水晶は王太子殿下に大層喜ばれたらしい。
『ゲヴァ島産だな』と、何度も念を押されたとか。
またいい石が手に入ったら連絡をくれって言われたそうなので、殿下は石コレクターなんだろうな。
多分御機嫌取りが多くなるのが嫌で、石好きを公表してないのだろう。
しめしめ、面白いことを知ったぞ。
◇
――――――――――一〇年後、オールディス伯爵家邸にて。アーヴィン視点。
「取得時効、だと?」
「はい。オールディス伯爵家が所有し誰も居住していなかったゲヴァ島に、リビー・サマーズ様が一〇年間の居住実績を得ました。取得時効による所有権の移動申請がなされましたので、国土省でこれを受理、以後ゲヴァ島はリビー・サマーズ様が所有権を取得します」
「ば、バカな!」
国土省の役人が来てそう説明していった。
リビーのやつ、ゲヴァ島に住みたいなどと言ったのは、オールディス伯爵家から奪い取る算段だったのか。
くそっ、一杯食わされた!
サマーズ商会に問い質すと、今後リビーは王都住みになるとのことだった。
リビーが王都に帰り次第、すぐ呼び出した。
「アーヴィン様、お久しぶりでございます」
「リビー、どういうことだっ!」
「は? 何のことでございましょう?」
「ゲヴァ島のことだっ! 最初から巻き上げるつもりだったんだな?」
「国法に則った正当な行為です。巻き上げるというのは人聞きが悪うございますが、その通りでございます」
ぐっ、悪びれもしないじゃないか。
何てやつだ!
「でもオールディス伯爵家にとってはお得ですよね?」
「は? 何がだ」
「今後ゲヴァ島の固定資産税を払わなくてよくなるのですから」
「……えっ?」
「事業収入に対する課税は当然サマーズ商会が支払っておりましたし」
待てよ?
ゲヴァ島の開発はリビーに対する補償だったから、当然開発許可料などは受け取っていない。
が、ゲヴァ島の開発が進んで対岸のオールディス伯爵家本土領にも訪れる人が増えたから、好景気に沸いている。
ゲヴァ島を騙し取られたというと外聞が悪いものの、リビーの言う通り固定資産税分だけ得になる?
「ようやくゲヴァ島をリゾート地としてオープンできそうなのですよ」
「リゾート地だと?」
漁業と南国作物の島ではなく?
「はい。年中泳げるビーチとカジノをメインとするリゾート地ですね。ゲヴァ島のいいところはその立地ですよ」
「気候が暖かいから、魔物さえいなければもの珍しさで人を呼べると?」
「ということもありますね。そして隣国とも近いでしょう? 大きな港を作れますから、我が国だけでなく海外からも大勢人が押し寄せるようにしたいですね」
「何と!」
リビーはそんなスケールの大きいことを考えていたのか。
「調べさせましたら、ゲヴァ島は変わった石や化石が出るのですよ。珍しい石を観察できる遊歩道を作っておりますので、王太子殿下にもお勧めしておいてくださいな」
「王太子殿下を宣伝に使おうというのか?」
「殿下に損はさせませんよ。開発途中で出たよさげな石を、お土産用にたくさん保存してありますからね」
呆れてものが言えない。
もしリビーが僕の真の妻だったら。
莫大な収入があって侯爵への昇爵もあり得たのだろうな。
いや、そんな考えはジュリアナに悪い。
ジュリアナも十分僕に尽くしてくれている。
先の見えない僕が愚かだったのだ。
リビーの隣に控えている一言も喋らない男。
リビーの態度からすると、従者ではなく夫なのだろう。
できる商人という雰囲気がある。
うん、リビーとはお似合いだ。
「ゲヴァ島のリゾート地化が進むと、対岸の伯爵家本土領に訪れる人の量はさらに増えますよ。伯爵家領の開発も必要になってくると思います」
「まことか。楽しみだな」
「その時はぜひサマーズ商会を関わらせてください。今までの実績から、どうすれば儲けが出るか熟知しておりますからね」
キラキラした瞳で夢を語るリビーは奇麗だ。
ついぞ僕が知ることのなかった顔。
隣の男はこの表情を独占していたんだな。
僕が拒絶したはずの愛だったのに、少々妬ける。
「うむ、協力できる事業があったらよろしく頼む」
「お任せください」
「最後に、今更ながらだが結婚おめでとう」
ハハッ、意表を突かれたようだな。
恥ずかしそうな二人が初々しく見える。
僕は最高ではなかったかもしれないが、まずまず良い人生を手に入れた。
それでいいじゃないか。
リビーよ、君も幸せに。
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