婚約破棄した途端、彼の転落が始まりました
※私は宮部みゆき先生のファンです。
◆宣伝
『美貌を失い、愛を得る』
https://ncode.syosetu.com/n3714lk/
『学園で黒い噂が渦巻いてますが、彼の愛が欲しいだけなんです。』
https://ncode.syosetu.com/n7972lf/
「フェリアナ・エイデル。俺は君との婚約を破棄したい」
フェリアナは目を見開いた。頬から血の気が引き、手にしていた扇がぱたりと床に落ちる。
「そ、そんな……どうして?」
動揺を隠せない彼女を前に、レオン・グレイスは胸を張った。
「俺は田舎の跡継ぎなんてごめんだ。
オフィーリアは伯爵家のご令嬢だ。俺に相応しいと思わないか?」
フェリアナは、胸元のネックレスを握りしめ、かろうじて声を出した。
「……レオン。あなたは、ご自身の立場をご存知なのですか?」
レオンはフンと鼻を鳴らす。
「グレイス家の三男坊だから何だというんだ?
問題ない。オフィーリアは俺と結婚してくれるはずだ」
「レオン……どうか考えなおして——」
「くどいぞ! ……まぁお前は俺の家の金目当てなんだから当たり前か」
「……っ」
彼女の肩がわずかに震えた。
「グレイス家の支援がなければお前の家はおしまいだもんな」
フェリアナは唇を噛み、うなだれた。白い指先が扇を拾い上げながら小さく震えていた。
「私は、決してそれだけでは……」
「図星だろ? 俺はそんな金目当ての女なんてごめんだ」
フェリアナの瞳は潤んだが、ネックレスを握りしめていた手を下ろし、静かに言う。
「私は……あなたを縛っていたのですね」
涙を流さぬように目に力を込めた。
「ごめんなさい……どうかお幸せに」
「……あ、ちょっと待ってくれ。オフィーリアにまだプロポーズしてないから、婚約破棄の件は広めるなよ」
「……わかりました」
うなだれた背が扉の向こうに消える。
その刹那、レオンは勝利を確信した。
自分の人生がようやく光を掴んだと思っていた。
◇
「遊びでしょ? 当たり前じゃない」
数週間後、オフィーリアは爪を磨きながら、涼しい声で言った。
煌びやかなシャンデリアの光が、彼女の髪に反射して眩しかった。
「なっ……俺は本気で——」
豊かな金髪をなびかせながら、彼女はあざけるように微笑む。
「本気? 三男坊に何の価値があるの? 鏡、見直しなさいよ」
ぱちん、と指先が軽く弾かれる。
「俺といるのが楽しいって言ってただろ!」
「遊び相手としてはね。結婚は別の話よ。
王都にはね、男爵家の三男坊より“いい男”がいっぱいいるの。……どうして気づかなかったのかしら?」
オフィーリアは爪に息を吹きかけながら笑った。
「私、今度公爵家のご子息とお見合いすることが決まったの。素敵でしょ?
だからもう私に話しかけないでね」
その冷たい笑みに、レオンの喉が塞がった。声は出なかった。
◇
「お前、自分が何をしたかわかっているのか!」
父の怒声が部屋に響いた。机の上の書類が、びりりと震える。
「えっ……」
父はくしゃりと一枚の書簡を握りつぶし、さらに怒鳴った。
「今しがたエイデル家から“婚約破棄受理”の報せが届いたわ!
もう正式に破談として扱われるということだぞ!
お前、いったい何をやらかしたんだ!!」
レオンの顔から血の気が引き、ほんの一瞬、やばいと悟った色が走った。
「だって、俺は——」
「愚か者が! 折角エイデル家と繋がりを持てたのに!」
「没落しかけの家だろ? グレイス家がなければ立ち直れない——」
「だからこそ婚約を結んだのだ!」
父は机を叩き、身を乗り出した。
「エイデル家とは新しい交易契約が進んでいた!
あの家の鉱山ルートを借りる予定だったのだぞ!」
「は? そんなの聞いてな——」
「言っただろう! お前は田舎が嫌だと駄々をこねていただろ!」
レオンは思わず一歩退いた。
言葉を詰まらせ、視線を彷徨わせる。
思い返せば、婚約が決まったとき「地味で田舎臭い女だ」と口にした。
あの時、フェリアナが悲しげに俯いた姿が脳裏をかすめる。
「フェリアナなら、きっとお前を上手く導くと思っていたのに……」
「どういう意味だよ!」
レオンは思わず声を荒げたが、父は冷ややかに視線を落とした。
「フェリアナに謝罪してこい」
父の声は低く沈んでいた。
「婚約が破談になれば、エイデル家との取引もなくなる。
あの家の鉱山から出る銀は、王都で高値がつくんだぞ。
家の儲けになる話を、自分から潰すつもりか」
レオンは息を呑む。
父の手が机を叩く音が響く。
「今すぐフェリアナに頭を下げろ。
それができなければ、家から除名だ」
父の怒気に、レオンはただ唇を噛んだ。
最悪だ……俺にだって選択肢はあるだろう!
◇
翌日の学園。
フェリアナを探したが、姿はなかった。
仕方がないので、彼女のクラスに向かい、友人らしき人に声をかけた。
彼女の友人は睨みつけるように言い放った。
「なんで婚約破棄したの? バカなの?」
開口一番の言葉に、レオンは固まる。
「友達想いでいい子だったのに……知らないだろうから教えてあげる。地元の家を継ぐために、あの子、ずっと勉強してたのよ」
レオンは鼻で笑った。
「夫人になるのに? 必要ないだろ」
友人は眉を吊り上げ、怒りのままに言葉を叩きつけた。
「エイデル家が鉱山と交易の家だって、本当に知らなかったの?」
レオンは口ごもる。
「……細かいことまで、いちいち覚えてられるかよ」
友人はゆっくり息を吐き、冷えた声で言った。
「細かいこと? それ、婚約者の“家業”よ」
言葉の刃が静かに落ちる。
友人はため息とともに続けた。
「だからフェリアナは……あなたを支えられるように、
毎日家の資料を読み込んでたの。
あなたが一度も聞こうとしなかった“細かいこと”をね!」
——俺のために?
その一言が胸の奥に突き刺さる。
言葉を探す前に、友人は顔を背けた。
「行方? 言うわけないでしょう」
冷たく告げられ、レオンは何も言い返せなかった。
フェリアナが生徒会委員だったことを思い出し、生徒会室に向かった。
◇
生徒会室を訪ねると、後輩が冷たい目を向けた。
「俺、フェリアナ先輩に憧れてたんです。
後輩の面倒見もよくて、誰にでも丁寧で……」
レオンが眉をひそめて問い返した。
「……そうなのか?」
本気で知らなかったらしいその反応に、
後輩の表情が一瞬で険しくなる。
驚きではなく、明らかな苛立ちだった。
「去年の学園祭で、屋台の運営を全部取り仕切ってくれたんですよ。
あの混乱をまとめたのは先輩でした」
「あいつが?」
信じられず呟くと、後輩は眉をひそめた。
「そんな先輩を泣かせるなんて」
胸の奥が鈍く痛む。
行方を尋ねるが、「知っていても教えません」とだけ返された。
◇
学園の廊下を歩いていると、同級生のベンが笑いながら声をかけてきた。
「聞いたぞ、フェリアナさんと婚約破棄したんだってな」
「ちっ……うるさいな」
(まだしてねぇよ)
肩をすくめると、ベンは呆れたように笑った。
「もったいないことしたよな。フェリアナさん、けっこう好かれてたのに」
「……あいつが? あんな地味なのに?」
「は? 本気で言ってんのか?」
ベンは苦笑して首を振る。
「去年だって、お前が来なかったパーティーで何人も言い寄られてたぞ」
「……え?」
レオンは間の抜けた声を出した。
——あの日は、オフィーリアと抜け出したのだった。
「でも“婚約者がいるから”って、全部断ってたんだ」
軽口の裏に、ほんの少しの憐れみがあった。
「……俺の、ために……?」
ベンは小さく息をついた。
「お前、大切にされてたんだよ」
その言葉が胸を貫いた。
喉の奥が焼けるように痛い。
俺……愛されてた?
フェリアナの居場所は勿論彼も知らなかった為、レオンは彼女の担任に会いに向かった。
◇
教師クラウディアを訪ねると、彼女は事実しか語らない口調で答えた。
「彼女なら、学校を辞めたわ」
「そんな……まさか!」
クラウディアは眼鏡を外し、レンズを拭きながら言う。
「優秀だったのに……地元の年上の方との婚約が決まりかけてるそうよ。仕方がないわね」
眼鏡をかけ直し、冷ややかに見下ろした。
「婚約破棄したのでしょう? もう関係ないはずよ」
その視線に、声が喉で止まった。
胸の奥で、言葉にならない反発が渦を巻く。
——まだだ。まだ終わりじゃない。
正式に破談が公表されていない以上、俺は“婚約者”のままだ!
フェリアナは、俺を待っている……!
そう思った途端、全身が燃えるように熱くなった。
レオンは踵を返し、勢いのまま屋敷へ向かう馬車へ乗り込んでいた。
◇
フェリアナの故郷へ向かう馬車の中、レオンの胸は焦燥で焼けていた。
窓の外の風景が遠ざかるたび、鼓動が速くなる。
まだ間に合う。俺が助ければ——。
屋敷の門前に立ちはだかったのは、フェリアナの父だった。
「娘はもう……他の方との縁談を進めている」
父の声は淡々としていた。
「破談が届いたその日から、エドガー殿が動いてくださった」
思わずレオンは叫んだ。
「家のために娘を嫁がせるのか!」
「娘が望んだことだ」
レオンは拳を握りしめた。
「……思えば、最初から間違っていた」
父は静かに息をついた。
「資金繰りに困っていた折、グレイス家から縁談の話があった。
私は迷ったが……フェリアナは家のためになるならと、あの婚約を受け入れてくれた」
父は目頭を押さえながら、低く続けた。
「娘には好きな男がいた事を知っておきながら、私は……娘の幸せをもっと考えるべきだったのに……」
フェリアナに好きな男?
「エドガーは自分の力で未来を掴んだ。
地方の士官として戦場に赴き、王国の国境戦で功を挙げた。
その働きを認められ、王の恩命により男爵の爵位を賜ったのだ。
戦場で得た褒賞金と恩給を倹しく貯め、我が家の借財を返してまで、婚約を整えた。
——彼になら、娘を任せられる」
「そ、そんなの——金で娘を売ったのか!? 彼女が好きなのは、俺なのに!」
レオンの声は震えていた。
「それは違う。娘が昔から好きなのはエドガーだ」
レオンは勢いで立ち上がり、叫んだ。
「そんなわけない! 俺のために努力してたんだ!」
父は小さくため息をついた。
「……君が頼りないからだよ」
その声に怒気はなく、ただ静かな疲れが滲んでいた。
「婚約が決まってから、一度でも我が家を訪れ、家業を学ぼうとしたことがあったか?
娘は君を支えるために学び続けていたというのに——君は何をしていた?」
「それはっ……」
「娘は……君を愛していたわけではない。
だが、寄り添うつもりはあったのにな」
父の声は、責めるでもなく、ただ静かに沈んでいた。
(そんな訳ない! 婚約破棄を言った時、あんな悲しそうにしていた!
俺と別れたくなかったからだ!)
反論しようと息を吸ったその時、庭の奥からフェリアナが現れた。
白いドレスの裾が風に揺れ、胸元のシルバーのネックレスが陽光を受けてきらめく。
久しく見なかったその姿は、記憶よりもずっと——美しかった。
まるで彼女自身が、新しい光を纏っているかのように。
「フェリアナ……!!」
そして——隣には、新しい婚約者。
二人は穏やかに寄り添い、笑い合っていた。
フェリアナとエドガーが寄り添うのを見た瞬間、
レオンの喉がひゅっと鳴った。
何かを言おうとして、言葉が裏返る。
「う、浮気者!」
「?」
「お前は俺のことが好きだったんだろぉぉ!」
叫びながら駆け寄るが、エドガーが無駄のない動きで、レオンの肩を地面へ押し伏せた。
顔が泥に擦れ、ひやりとした土の匂いが鼻を刺す。
それでももがきながら叫んだ。
「離せ! どうしてだよ!」
家の警備兵が駆けつけ、レオンは引きずられる。
泥のついた手が、虚しく空を掴んだ。
そういえば——
彼女が俺にあんな幸せそうに微笑んだことなんて、一度もなかった。
「フェリアナ……! なんで、笑わないんだよ……!」
最後に見たのは、
哀しみでも怒りでもなく、
ただ困惑だけを湛えた彼女の視線だった。
※この短編には、ほんの少しだけ“視点に関する仕掛け”が入っています。
気づいた人は、どこで気づいたか教えてくれると嬉しいです(^^)
「これどういう意味?」という部分があれば、お気軽にメッセージでどうぞ。
(ネタバレになるため、ここでは詳細を語りません)




