悪役令嬢の娘の母親に転生したけど、家は没落寸前、夫は不倫中、娘は断罪目前――全部ひっくり返して家族の未来を変えてみせます!
「…………嘘でしょう?」
朝目覚めた私は、豪華な天蓋付きのベッドの中。だが、すぐに異常に気付く。これは私のアパートじゃない。第一、天井が高すぎる。
手を伸ばせば、白魚のような細い指。鏡を見れば、三十代後半くらいの美貌の女性。え、誰これ私?いや、私なの?!
――そして思い出す。昨晩読みふけっていた悪役令嬢ものの乙女ゲームのノベライズ。そして、風呂でスマホをいじりながら寝落ちしたこと。
「……まさかの転生ってやつ?」
しかも、ここはあの小説の世界。よりによって私は、断罪される悪役令嬢・アリシアの“母親”――モブ中のモブ、マルグリット・ベルトランに転生していた。
最悪なことに、現状はまさに娘が王太子から婚約破棄され、処刑ルートに突入寸前というタイミング。
「あのクソ王子……!ってそれより、このままだと娘が死ぬ!」
目覚めてすぐ、状況を整理。
・夫(侯爵)は愛人にうつつを抜かしており、家計は火の車。
・娘は、王太子の婚約者であるにも関わらず、ヒロインいじめの濡れ衣を着せられて断罪寸前。
・このままでは家は没落、娘は処刑、母(私)も幽閉または追放。
「元社畜OLの名に懸けて、この破滅フラグぜんぶぶっ壊してやるわ!」
――◆――
まず取り掛かったのは、娘の名誉回復。
幸い、転生特典なのか脳内にはゲーム内ルートと小説の詳細な情報が記録されていた。アリシアは確かに“高慢ちきなお嬢様”だったが、それは貴族としての教育を受けた結果。そしてヒロインいじめの証拠は――すべて愛人由来の偽造だった。
「ほら見なさい。ラヴィニア嬢のハンカチに仕込まれた香水、これ我が家の使用人が作れるものじゃないの。香料商組合に出入りしている女性といえば……?」
王太子の愛人として知られるラヴィニアが、ハンカチに毒を仕込んだ疑いを示すと、周囲の空気が一変した。
更に私が仕込んだのは、第三王子とのコネ。
かつて、商業ギルドを通じて彼に献策したことがあるという「記憶」を利用し、王族筋の後ろ盾を確保。王太子に楯突くなど本来無謀だが、私には一つの切り札がある。
「この国の産業構造と課税制度、あなた、理解しているかしら? 第三王子殿下の改革案、潰したら後で後悔するわよ?」
「……な、なんだと?」
――私は、娘の名誉を守ると同時に、王太子派に経済的な揺さぶりをかけ、政治力で圧をかけた。
――◆――
「母上……なぜ、私のためにここまで……」
しょんぼりしていたアリシアが、ぽつりと呟く。
「だって、あなたは私の娘だからよ」
そして、私は知っている。この娘は将来、内政面で王国の再興に関わる逸材になる――けれど、その芽がこの事件で摘まれる未来だった。
「私が、マルグリットとして生きる意味は……あなたを救うためにあったのかもしれないわね」
アリシアは泣きながら私に抱きついた。
――◆――
事件から二ヶ月後。
アリシアの濡れ衣は晴れ、王太子は婚約破棄の責任を問われて王位継承権を失った。ラヴィニアは国外追放。夫の侯爵には愛人と共に財政不正の証拠を突きつけ、名ばかりの地位と共に隠居を命じた。
「ふぅ、ようやく静かになったわね……」
「お母様、私、お嫁に行かずにずっとそばにいますわ!」
「それはやめなさい。私、孫の顔くらい見たいのよ」
のほほんと笑いながら、私たちは穏やかな日常を取り戻した。
モブだって、母だって、幸せになっていいじゃない。
――そう、たとえ転生で与えられたのが“脇役の中の脇役”でも。
誰よりも強く、大きな愛で、大切な人の未来を守る力くらい、あるんだから。
ーーー
「マルグリット様、前夫の侯爵が……“例の件”でついに公訴されました」
執務室に控えていた執事・カリムが静かに告げる。
私は頷いた。「ええ。思ったより早かったわね」
――夫、アルノー・ベルトラン侯爵。
娘のアリシアが断罪されかけていたあのとき、彼は私に向かってこう言い放った。
『所詮、子どもの教育は母親の責任だ。アリシアが断罪されるのなら、君も同罪だよ、マルグリット』
自分は愛人のラヴィニアと逃げる気満々。
家の財政は穴だらけ、しかも使用人や商人に未払いの山。
私はすべてを受け止めた。いいえ、受け止めた“ふり”をした。
だが、娘を救った今、次は――あの男に「私と娘がどれだけ傷ついたか」をわからせる番だった。
「第三王子殿下の監査が入ったおかげで、ベルトラン侯爵家の不正会計は隠しきれませんでした」
「私が旧帳簿を第三王子に“こっそり”送っておいたからよ」
「……さすがでございます、マルグリット様」
書類を指ではじきながら、私は微笑んだ。
侯爵家の名義を使い、愛人のラヴィニアと共に商業ギルドへ投資していた件――その見返りとして得ていた賄賂、不正入札、横領の証拠はすべて抑えてある。しかも、公爵家からの借用金を愛人との“避暑旅行”に使っていたという恥ずかしい事実まで。
「さて、貴族会議ではどんな顔を見せるのかしら?」
私は淡々と紅茶を口に運んだ。
――◆――
貴族会議当日。
アルノーは蒼白だった。議場にて、第三王子と監査官が次々と不正を暴いていく。
「これほどまでに私的流用の証拠が揃っているとなると、処罰は……爵位剥奪、及び財産の半分没収かと」
「なっ、待ってくれ! 私は侯爵だぞ! マルグリット、君からも何か言ってくれ……!」
「…………」
私は立ち上がり、ゆっくりと議場の中央に歩み出た。
「アルノー・ベルトラン侯爵は、私と娘を見捨て、不正に溺れ、責任を果たさなかった。それだけではなく、自らの娘が死刑宣告されようとしたとき、私に責任を押し付けた人間です」
議場が静まり返る。
「そんな男に、私はもう何の感情も抱いておりません。どうぞ、然るべき罰をお与えください」
そう言い終えると、私は会釈して席に戻った。
侯爵――いや、元・侯爵は、なにかを叫んでいたが、私の耳にはもう届かなかった。
ラヴィニアは国外追放されたのち、投資詐欺で捕まり、今では辺境の収容所暮らしだという。
「これで、終わったわね」
娘の手を取り、私は空を見上げた。
けれど――終わりではなかった。ここからが、本当の「始まり」だったのだ。
---
侯爵家の破滅劇から三ヶ月――。
私はいま、第三王子殿下の管轄する「王立内政庁」で臨時顧問として働いている。
「貴族の財務管理? もう滅びていいわ、あんなの」
そう口にしつつも、娘の将来を守るため、私は貴族社会にしっかりと根を張っていた。
そんなある日、王城から一通の書状が届いた。
――送り主は、第三王子・リオネル殿下。
「あの……母上、殿下が個人的に、お食事に誘っていらっしゃるのですか?」
アリシアが戸惑い顔で問いかける。
「ええ、まあ……この間の会議で少し、助言したからかしら?」
「でも三度目ですわよ、招待」
「三度目って多いかしら?」
「……恋の予感ですわね!」
何を言っているのだこの娘は、と思いながらも、内心、私も少しだけドキドキしていた。
――◆――
「本日はお越しいただき、ありがとうございます、マルグリット様」
王立庭園の一角、優雅なティーテーブルの前で、殿下は相変わらず端正だった。知的で冷静、政治においては辣腕で、でも、時折見せる微笑みがやたらと優しい。
「私、あなたと話すときだけ……変に素直になってしまいそうで怖いのです」
「それは、きっとお互い様ですね」
言葉が自然と溶け合っていく感覚があった。私は気づいていた――心が、少しずつ、彼に惹かれていくのを。
だが。
「私には、侯爵の“元妻”という肩書があります。娘もいますし、再婚など……」
「だからこそ、です」
リオネルは、私の手をそっと取った。
「私には、あなたのように現実を見据え、愛を貫く強さのある女性が必要です。今の私に、貴女のような人が……」
「……それ、本気で言ってらっしゃる?」
「私は王族です。冗談を口にするような立場ではありません」
――私は、頬が熱くなるのを感じた。何十年ぶりかの、本気の“恋”だった。
――◆――
それから数ヶ月、私たちは周囲の慎重な目をかいくぐりながら、静かに距離を縮めていった。
そして、ある日――
「マルグリット・ベルトラン様、私リオネル・アーデルハイトは、貴女との再婚を望みます」
王族による公開の“結婚宣言”。
貴族会議はざわめきに包まれたが、リオネル殿下の政治力と、私のこれまでの功績によって、反対の声は次第に消えた。
「まさか、母が再婚されるとは……」
「祝ってくれる?」
「……うん。でも条件がありますわ」
「条件?」
「殿下を、私の“義父”だと紹介する際は、ちゃんと照れながら言ってくださいませ!」
「やかましい!」
アリシアと笑い合いながら、私はふと思う。
――この未来は、あの地獄のような日々を乗り越えた私たちへの、神様からのご褒美なのかもしれない。
――◆――
結婚式の日。
リオネルは、花婿として堂々と私の手を取り、静かにささやいた。
「マルグリット、君と出会えたことが、私の人生で最大の幸福だ」
「……遅いのよ、もう。もっと早く言ってくれても良かったのに」
「なら、毎日言おう。これからはずっと隣で」
「――ええ、あなたになら、毎日聞かせてもらってもいいわ」
教会の鐘が鳴り響く中、私は確かに思った。
夫に裏切られ、家族が壊れかけた私が、
こうして“幸せ”を手に入れられたのは――
愛する娘と、自分自身を諦めなかったからだ。
モブでも、母でも、再婚でも。
人生は、何度でもやり直せる。
そして私は――
その証明として、これからの毎日を、幸せに生きていくつもりだ。