2 地下水道の秘密
とりあえず、この地下水道から出よう。僕はそう思った。
水道は幅広く、5mくらいはある。その脇に歩道があるけど、こちらもそれなりに広い。2mくらいの歩道だ。それがずっと、先まで続いている。
水面近くを歩いていると、またワニに襲われるかもしれない。僕は水面から一番離れて壁にへばりつくようにして、歩道を先へと歩いた。
しばらく歩く。不意に、水面が動くのが見えた。何か水面から突き出ている。
ワニの顔だ。特に、眼が水面から出ている。それが向うから、こっちに向かって流れてきてる。僕は慌てて壁に張り付き、動きを止めた。
ワニの顔が流れていく。やはりデカい。よく見たら、顔だけでなく、その後から身体、特に背びれのデコボコも水面を流れていった。
「ふぅ……」
ワニが後方に消えて、少し安堵した。というか、よく考えると、ちょっと安心材料だ。ワニは泳いでる時は判る。水中にいて、いきなり襲われる可能性を考えると、見れば判るのは凄くありがたい。
「こんな処、長居できないぞ」
僕は独り呟くと、地下水道を歩き続けた。
1km、2km……多分、3,4kmは歩いただろう。不意に、終着点が見えた。だが、それは期待した形じゃなかった。
丸い地下水道の出口に、鉄格子がはまっている。
鉄格子の太さは2cmくらい。格子の間は――僕の頭が通らないくらいの幅。
「嘘だろ……」
あまりの事に、泣きたくなった。
此処で行き止まりなのか? 僕は此処から出られないのか?
そう考えただけで、恐怖で心臓が脈を打つのが判った。
「いや、出られる、出られるはずだ」
僕は自分に言い聞かせた。
そうだ。石だ。さっき僕は、石みたいに堅くなって、ワニを凌いだ。あれだ。もう一回あれになれば、この格子くらい曲げられるんじゃないか?
「石……石だ」
そう念じながら、僕は拳で鉄格子を殴った。
「痛い!」
全然、僕の拳が堅くなってない。けど、構わず殴ってみる。痛い。物凄く痛い。けど、これで鉄格子を曲げられなかったら――僕は此処から出られない。
そう思うと、手が止まらなかった。
気付くと、僕の手が血まみれになっていた。痛い。やっぱり、痛い。我に返ると、手に激痛が襲ってきた。
「なんでだよ……さっきは堅くなったじゃんか…」
僕は膝から崩れ落ちた。絶望的な状況に、嫌だったけど涙がこぼれた。
けど、泣いてもどうしようもない。それだけは判った。僕は元来た道を戻った。
通り過ぎた処に、細い横道があったのを思い出したのだ。あっちが、外につながるかもしれない。
ほんの微かな希望を胸に、僕は進んだ。ワニは来ない。
横道の場所に来て、僕は横道に入った。この細さなら、あの巨大ワニは入ってこれないだろう。少なくとも、この中で休めれば、寝てる時にワニに襲われる心配はないと思った。
細い横道を先へ進む。しかし、それはやがて行き止まりへと到着した。僕は、絶望的な気分に襲われ、ため息をついた。
だが、異変に気付いた。そう、そこには何かがある。
木を組み立てた簡単な小さなテーブル。その傍に、小さなソファ。そしてテーブルの上には、木製の――カップ。
「人が……住んでたのか?」
こんな処に? 何故?
ふと、此処だけ少し明るいことに気付き、僕は上を見上げた。
行き止まりの竪穴の上方に、光が差し込んでいる横穴がある。高さは5mくらいあって、竪穴はとっかかりのない壁面だ。その横穴も多分細いもので、本当に僅かに光が差しているだけだった。
「なんだ? ――空気穴か?」
それくらいしか、横穴の必然性が判らない。
けど、此処は少しだけ、地下水道の中でも明るい。僕は小さなテーブルの傍のソファに座った。と、何か膝にあたる。
「これは?」
ふと、テーブルの下に、手帳が落ちているのを見つけ、拾った。
開いてみる。最初の方はカレンダーのページだったが、メモの欄に来て、文章が書いてあるのを見つけた。
『この地下水道に落とされて、多分、4日目』
そう、書かれた文字が眼に入った。
僕の心臓が、急激に脈を打ち始めた。
これは…僕よりも前に、この地下水道に落とされた人の――日記。
僕は先に眼を向ける。
『どうして私があのワニに喰われなかったのか最初は判らなかったが、今日ようやく判った。どうやら私は、透明になれるらしい』
どういう事だ? 透明になる? 僕の堅くなるのと同じ、『異能』か?
『透明になった時、私も自分の手足が見えない。歩いてみると、足音もしない。どうやら気配が完全に消せるらしい。この力のおかげで、私は助かったようだ。
……だが、助かったと言えるのかどうか。くまなく探索したが、此処から出る術はない。あの、入って来た井戸だけが、外へ出る場所だ』
ふと見ると、そのページの下のほうがゴワゴワになっている。紙が濡れて、乾いた痕だ。
「泣いたんだ……」
多分、泣いたのだろう。自分の置かれた絶望的状況に。けど多分、気持ちを静めるために、このメモを書いたんだろう。気持ちは痛い程判る。僕はページをめくった。
『食料を手に入れた』
そう書いてある。僕は驚きのなかで、文章の続きを読んだ。
『あの井戸から、残飯を日に一回、投棄する。それを食べるのが、あのワニだ。この部屋の空気穴から漏れる陽のことを考えると、投棄するのは夜。凄く大量の残飯だが、ワニはほとんどたいらげる。残った小さな屑は、ネズミたちが綺麗に掃除する。私は恐ろしくて、近づけないでいた。
が、もう三日くらい何も食べてない。限界だ。それが私を突き動かした』
そうだ。それで、どうしたんだ?
『私は透明になって、残飯に喰らいついてるワニの後ろから、近づいた。恐ろしかった。ワニと私は、数10cmの距離だ。もし、気配に気づかれたら、私がワニの餌になる。
けど、私はそっと近づいて、パンの欠片を一つ取った。急いでこの小部屋に帰り、むさぼった。食事がこんなにありがたいものだと、今まで知らなかった』
僕は息をついた。そうか…よかった。この人、ご飯にありつけたんだ。
けど、それからどうしたんだろう。
『清潔な水を見つけた。井戸の下の部屋の水路の向う側。鉄格子がはまっている傍に、水が壁から滴り落ちている場所がある。そこは多分、清潔な水だ。井戸の部屋から向うの方が上流で、水はそっちから流れてきているが、基本的にそちらから流れてきてる水は清潔に見えるが、水路自体が汚いので、壁の水の方がより清潔だ』
僕はメモから、テーブルの上においてあるカップを見た。
凄いぞ。この人は、食料に、水の確保までできたんだ。しかもその記録を、このメモに残してくれていた。
なんて、ありがたいんだ。これを活かせば、とりあえず死ななくて済む。ありがとう、メモ主さん。
僕は感謝の気持ちを誰に伝えるべきなのかと思い、メモ帳を調べてみた。しかし名前らしきものは見当たらない。
ふと、喉が渇いたのに気が付いた。緊張の連続で、息が詰まったせいだ。
メモにある通りなら、あの井戸の下の部屋まで行って、傍にある鉄格子の傍に壁に、水が流れてるはずだ。
行こうか。行くべきか?
……いや、僕の石化が、完全なものになるまでは、ワニの活動圏内に入るのは危ない。メモ主さんは気配まで消せるから行けたけど、僕は気配はあるはずだ。
けど、さっき鉄格子を叩いた時、手は石にならなかった。部分的には石になれないのか? それとも訓練が足りないのか?
僕はひとまず、うずくまって石になる事を念じた。
石になるんだ……石のように堅く。
ふと、お腹に力を入れる感覚があった。そうすると、身体が堅くなる感触が判る。
「やった……できたぞ!」
僕は石になった状態で、立ち上がった。まだ、身体は堅いままだ。
壁を手で殴ってみる。ゴン、という堅い音とともに、僕の手が跳ね返った。
が、痛くない。やはり、堅くなっている。力を抜くと、僕の身体は元に戻った。
「これを、立ったままでも自由にできるようにならないと」
僕はそれから、しばらく石化を訓練した。
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