彼氏の死
槿という花がある。奈良時代から日本人に親しまれ、和歌にも多く詠まれている。
優美な花だが、朝咲いても夕方にはしぼんでしまう一日花だ。
19年間生きた私の人生で中で最も慕っている人の名前が「むくげ」だった。
むくげが死んだのは、高校2年生の6月のことだ。私がそれを知ったのはひどく湿気の多い日だった。
部活の同じ生徒だけが放課後一つの教室に呼び出された。そこには私たちをメデューサとでも思っているかのように目を伏せた先生が並んでいる。その怯えた人達に隠れていた校長が一歩進み、静かな深呼吸を響かせた後で、口を動かした。
「鈴木むくげ君がお亡くなりになりました。」
ちゃんと理解するよりも前に頭がフラフラして視界がくらんだ。身体は震えが止まらなった。
「貴理子!」
友達が何度も名前を読んでくれのは頭に残っているが、目の前はなにも見えなかった。口に涙のしょっぱい味が広がったあとでようやく自分が泣いていることに気が付いた。
あまりに唐突すぎる恐ろしいことがおきたのだ。この日のことはあまり憶えていない。
強いて記憶にあるのは担任の先生がひたすら私の背中をさすってくれていたことくらいだ。
翌日に何事もなかったかのように朝がきたことに驚いた。当たり前のように学校に行って授業を受け、部活に行った。部活では一人ひとり事情聴取を受けた。何か変わった様子はなかったか、誰とよく一緒にいたのか、など。はっきりと知らされたわけではないが、ここまで厳たる取り調べは、おそらく死因は自殺ということを意味する。悲しみと悔しさが怒涛のように押し寄せてきた。なぜこんなにも急にいなくなってしまったのか。何が彼を死まで追い詰めたのか。家に帰ってからも、再び太陽が昇っても、何回月が輝いても、頭がはち切れるほど考えた。
彼の死を頭では納得し始めたころにはセミが鳴き止んでいた。もう誰も彼の名を口にすることはなくなったが、まだ私は彼と向き合いきれずにいる。定期テストはどの科目もクラスの上位3位にはいるくらいには勉強したし、テニス部の活動にも打ち込んだ。そんな私を見かねた友達たち、特に里桜がたくさん遊びに連れ出してくれた。それでも私の頭の中は彼だけだった。
夏休みの入る前の部活終わり、里桜が死にそうな外灯を見つめながら切り出した。
「川が海のようになる話知ってる?」
私は戸惑いを隠せないまま首を振ると里桜は続ける。
「死んだ人がその人の誕生日の夜に川に帰ってくるのよ。ただ、帰ってくると言っても鯨に姿を変えてね。しかも条件があって、死んだ人が死ぬ最後の瞬間に想ったことを本当に理解していないといけないの。」
虚ろな目で話す里桜の言っている意味が分からなかった。
「川?鯨?」
「そう。小さいときに聞いたことあるでしょ川に光る鯨の話。川はどこでもいいの。水辺にさえいれば向こうが見つけてくれるから。私のおばあちゃんが亡くなる直前に教えてくれたことなの。毎年鯨になったおじいちゃんと会っていたんだって。」
私は歩みを止めて里桜を真っ直ぐ見つめたまま沈黙を続けた。
「ごめん、こんな話。ごめん、私はただ貴理子に元気になってほしかっただけで、」
そのままバツが悪そうに俯きながら再び歩き始めた。
私は、月の光に負けんとばかりに輝きを放つ外灯を見つめながら口を開いた。
「むくげの誕生日の日に、川に会いに行こう。」
里桜は長いポニーテールを激しく揺らしながら振り向いた。里桜自身年老いた祖母の話なんて信じていなかったのだろうし、ましては私が本気にすると思っていなかったのだろう。
私にとって本当に彼に会えるかどうかなんてことはさほど問題ではなかった。毎日とにかく
息が苦しくて藁にもすがりたい思いだったから。