7.閑話 気持ちを記した日記帳
5話と6話の間のお話。
あの日、帰宅したオリヴィアは、一言挨拶をと言うレイモンドと共にその足で父であるコリンズ伯爵ジョナサンの元を訪れた。
本当は自分たちのことを愛してくれていたのかという疑問を解消するためだ。
セレスティアの言葉を信じ、隣にいてくれるレイモンドに背を押され、オリヴィアはジョナサンに「お父様は私やお母様のことを愛してくださっていたのですか?」と真正面から問いかけた。
その言葉に一瞬目を見開いた父の姿にオリヴィアは息を飲む。
オリヴィアは自分がとても緊張していることに気が付いた。
期待していた答えと違う言葉が返ってきたらどうしようと今さら怖気づき、俯きそうになったオリヴィアの背中にレイモンドの温かな手が添えられた。
レイモンドを見ると、大丈夫だと言うような微笑みをオリヴィアに向けてくれていた。
それだけでオリヴィアは背筋を伸ばすことが出来た。
オリヴィアが真っすぐ見つめる中、ジョナサンは一つ息を吐き苦笑を浮かべた。
「……その言葉を聞くのは二回目だな」
それに驚いたのはオリヴィアだった。
もう10年以上も前のあの出来事を父も覚えていたなんて、と。
「あの時、私は間違えた。あれ以来お前の私に対する態度に遠慮を感じるようになった」
あれ以来、自分と距離を取るようになったオリヴィアにジョナサンは後悔した。
あの時なぜ愛していると言えなかったのか。
その後もなぜ頑張っていて偉いなと声を掛けてやれなかったのか。
なぜお前は自慢の娘だと言ってやれなかったのか。
父親である自分に対して遠慮がちに接してくるオリヴィアに、この子はもう自分には何も期待していないのではないかと思った。
あの時すぐに愛していると言えなかった自分が今さらそんなことを言ったところで信じてもらえるわけがないと怖気づいてしまったのだとジョナサンは言った。
そしてそのままずるずると来て今に至ったわけだが。
そして亡くなった妻の代わりに後妻を迎え、息子が生まれた。
娘に対して愛情らしい愛情を見せられていない自分が、息子ばかりを可愛がってはオリヴィアにいらぬ誤解を与えてしまうかもしれないと、自然と息子に対してもそっけない態度をとるようになってしまった。
「怖気づくって……お父様、貴方お幾つですか……10年、もう10年以上も経っているのですよ?お父様はどれだけ長く怖気づけば気が済むのでしょう?」
オリヴィアは思わず呆れた声を出してしまった。
自分の倍以上生きているのにそんなことでもだもだするのは止めてほしい。
あの時からどれだけ時間が経っていると思っているのかとオリヴィアは生まれて初めて父親に苛立ちを覚えた。
オリヴィアはにっこりと笑顔で父に怒りを向けた。
「オ、オリヴィア?すまなかった……怒っているか?」
「ええ、ええ。私今とても怒っています。けれどそれはお父様だけにではありません。諦めていた自分にも腹が立っているのです」
寡黙で自分に関心のない父親だと思っていたが、セレスティアの見立てではただの口下手であるらしい。
それなのに、今まで同じ屋敷で暮らしていながらその事に気付かなかった自分にも腹が立った。
「お父様。私最近自分の気持ちを口に出すということの大切さを実感しています。全ての感情をさらけ出せとは言いませんが、私たちはもっとお互いのことを知るべきだと思うのです。もう一度聞きます……お父様は、私やお母様を愛してくださっているのですか?」
「……当たり前だ。オリヴィアも、シャーナも愛しているに決まっているだろう……!もちろんエレナもアスランも私の大切な家族だ」
シャーナとはオリヴィアの母のシャナンのことであり、エレナは継母、アスランは弟のことだ。
「その言葉を聞けて、心から嬉しく思います。アスランにもきちんと伝えてあげてくださいね。いくらエレナお母様からお父様は貴方を愛していると言われていても、やはり直接本人から聞かなければ信じられないこともあるでしょうから」
オリヴィア自身も母から言われても信じられなかったように、アスランも人伝では嘘だと思うかもしれない。
「う、うむ」
「……お父様?まさかまた怖気づいたとでも言う気ですか?」
「い、いや、そうではない。そうではないが……すでに嫌われていたらと考えると」
「まあ!」
なんとこの父は口下手な上にヘタレであったらしい。
今までであれば遠慮をしてこれ以上何も言わなかっただろうが、愛を知ったオリヴィアは強かった。
もしも父親からの愛しているという言葉が偽りだったとしても、自分のことを心から愛してくれているレイモンドが傍にいてくれる。
そう思えば、初めて父と真正面から向き合えている今こそ言いたいことを言ってやろうと言う気持ちになっていた。
「なんと情けない。そうだったとしても自業自得です。いつも眉間に皺を寄せて笑いかけもせず、必要最低限の会話しかしない父親だったのですもの。自分は愛情を見せないくせに、相手にそれを求めるのは傲慢というものですわ」
オリヴィアの辛辣な言葉に状況を見守っていたレイモンドが苦笑を浮かべ、ジョナサンは胸を押さえた。
オリヴィアの言葉が相当心を抉ったらしい。
そんな時「あまりジョナサンをいじめないであげて」と部屋に入ってきたのはエレナだった。
その傍らにアスランもいた。
「エレナお母様、それにアスランも……どうしてここに?」
「私が二人を連れて来てくれるようにメイドに頼んでおいたんだよ」
「オーウェル卿、ようこそお越しくださいました。お出迎えもせずに申し訳ありません」
気にしないでくれと言うようにレイモンドは笑顔を向けた。
オリヴィアはレイモンドの服をついと引っ張り耳に口を寄せて聞いた。
「もしかしてこうなることを予想していらっしゃいました?」
「いや?こうなったら良いなとは思っていたがこうも良いタイミングだとはね」
こそこそと話すオリヴィアとレイモンドの前で、ジョナサンがアスランに今の話を聞いていたのかと尋ね、アスランは首を縦に振った。
「そうか。今聞いた通りだが私はお前もエレナもオリヴィアも大切に思っている」
ジョナサンがアスランに向かって伸ばした手はその人物によって弾かれた。
「……う、嘘だ!」
「ア、アスラン?」
「絶対嘘だ!僕は信じない!」
「アスラン!嘘ではない。私は本当にお前たちを大切に思っている」
どうしたら良いのか分からないジョナサンはおろおろと視線を彷徨わせ、オリヴィアと妻であるエレナに助けを求めた。
アスランは今10歳。
物心ついた頃からずっと自分に嫡子として以外の関心が無いと思っていた父親からこの様なことを言われても信じることが出来ないのも無理はないだろう。
ジョナサンの心配は現実のものとなった。
「ですから自業自得です。大人ならばご自分で蒔いた種はご自分で回収するべきです」
「だから言ったではありませんか。気まずいのでしたら私が間に入りましょうか?と。それを拒絶してこれくらい自分で何とか出来ると言ったのは旦那様の方でしてよ?オリーの言うとおり自業自得ですわ」
娘と妻からそれぞれ突き放されたジョナサンは最後の頼みとしてレイモンドに助けを求める視線を寄こした。
やれやれと言った様子のレイモンドは、オリヴィアに「助け船を出しても良いかい?」とこっそり聞き、了承を得てからアスランの元へ近づいた。
「やあ、アスラン」
「オーウェル卿。あ、あの!お恥ずかしいところをお見せして申し訳ありません」
少し冷静さを取り戻したアスランはレイモンドに対し、きちんとした礼を取った。
「アスランは偉いな。しっかりと学んでいるようだ」
「いえ、そんな。姉上に比べれば僕なんてまだまだです」
そんなアスランの頭をレイモンドはポンポンと撫でた。
その姿にジョナサンから羨ましがるような視線を感じたがレイモンドは気づかないふりをして話を続ける。
「アスラン。君がお父上からの言葉を信じられないのも無理はない。お母上やオリヴィアから感じるものと同じ愛情をお父上からは感じたことが無いのだからね」
ちらっとレイモンドがジョナサンに視線をやると、彼は眉間に皺を寄せた。
その表情は傍から見れば怒っているように見えなくもない。
「あのお顔も怒っているわけではないのだよ。お父上は自分の今までの言動を省みて後悔されているんだ」
「父が、ですか?……まさか」
「うん、疑わしいよね。けれど世の中には口下手で恥ずかしがり屋で、自分の子に対してすら気持ちを言葉にも行動にも表わすことの出来ない大人がいるらしい」
オリヴィアは思わず笑いそうになった。
もちろん堪えたが。
この言葉はジョナサンだけでなくレイモンドの父モルディアスにも言いたい言葉なのだろうとオリヴィアは思った。
そしてレイモンドが話す度にグサグサと心を抉られているジョナサンを見て少しすっとした気持ちになる自分に気付いた。
(私って性格悪かったのね。お父様だけが悪いわけではないのに)
歩み寄りが足りなかったのはお互い様だ。
まあ子供よりも大人が頑張れと思わなくもないが。
そんな事を考えながらもオリヴィアはレイモンドとアスランのやりとりを見守っていた。
「そんな人物を少なくとも私は二人知っている」
「二人?」
「ああ、一人は君のお父上。もう一人は私の父だ」
「オーウェル卿の……カティーニ公爵様ですか?」
「そうだ。私もアスランと同じように父は自分や家族に対して多少の家族の情はあっても、それだけだと思っていた」
「違ったのですか?」
「うん。どうやら違うらしい。私も今日知ったばかりで半信半疑なのだけれどね。だからこれから父と話してみようと思うんだ。知らない信じないと拒絶するのは簡単な事だ。けれど、知る機会があるのに、しかも事態が好転する機会がるのにそれを手放すのは愚か者のすることだ。アスラン、君はオリヴィアに似て勤勉な子だ。オリヴィアはお父上と向き合うことを選んだが君はどうする?」
「僕は、」
アスランがちらっとジョナサンを見た。
向き合って、やっぱり愛されていなかったと思うことが怖いのだろう。
その気持ちがよく分かるオリヴィアはアスランの手を取り言った。
「ねえアスラン?愛されていないかもと思うことは怖いわ。今までのお父様の態度を見れば、疑ったってしかたないと思うの。姉様だって半信半疑だもの」
そう口にして、やっぱり自分は性格が悪いとオリヴィアは思う。
「愛されていない、興味を持たれていないと思うのは辛いことよね。でもね、もしお父様の愛が口先だけのものだったとしても、私やエレナお母様が貴方を愛していることに偽りは無いわ。だから大丈夫。何の心配もいらないのよ」
「姉様……」
「それにもし嘘だったとしたら三人でお父様を懲らしめてやりましょう。ね、エレナお母様?」
「そうねえ、私の大事なアスランとオリーを悲しませたのですものね。お仕置きは何が良いかしら。お友達に旦那様は平気で嘘を吐くって教えて差し上げようかしらねぇ」
本気ではないとは思うがエレナはなかなか恐ろしいことを口にする。
彼女も今までで何か思う所があったのかもしれないとオリヴィアは思う。
「母上、それはいけません。信用問題に関わります。お父様自身のことはさて置き、信用を無くせばコリンズ領で暮らす領民にも迷惑が掛かります」
そんなエレナにアスランが真剣に言い返した。
思わずみんなが笑った。
もちろんジョナサン以外がだが。
「ふふ、そうねアスラン。でも冗談だから安心しなさい」
「アスランは良い領主になるわね」
「偉いぞ、アスラン」
あはは、うふふと楽しげな声を上げる4人にジョナサンが引き出しから何かを取り出して近づいてきた。
そして眉間に皺を寄せたまま無言でそれを差し出した。
「あら、お父様。こちらは?」
「……私の日記帳だ」
「日記帳?」
読めということなのか、無言でずいずいと押し付けてくる。
仕方なくオリヴィアはそれを受け取り、パラッと分厚いその日記帳を捲った。
○年◇月△日
アスランが喋った。
素晴らしい!オリヴィアの時よりも早いかもしれない。
この子は天才だ。
可愛いだけではなく才能も有るなんて神に感謝するしかない。
□年○月×日
オリヴィアが学園の試験で首位を取った。
何と聡明な子だろう。
だがオリヴィアの日々の努力を考えれば当然の結果であるとも言える。
日に日にシャーナに似てくるオリヴィアを手放したくはないが、そろそろ真剣に嫁ぎ先を考えなければならない。
ああ、考えたくない。
「まあ……まあ、まあ」
日記はどこを開いてもオリヴィアたちのこと考えたり、褒めたりする言葉が綴られていた。
エレナはこの存在を知っていたのか大した驚きは見せなかったが、アスランとオリヴィアは目を丸くして互いの顔を見合わせた。
「話し合いなど必要の無いくらい饒舌に語られているわね」
「うん」
日記帳の中に登場するオリヴィアやアスランは、時に神の使いや妖精に例えられ、誰が見ても「ああ、この人子供たちが大好きなのね」と言いたくなるような事ばかりが書かれていた。
「本当に父上は僕たちのことが好きなんだ……そっか、そっかあ」
嬉しそうにアスランが呟く。
それを見て皆嬉しくなった。
やはり父の愛は期待しないという態度であっても、親に愛されたいと子が願うのは自然な事だ。
自分の秘密の日記帳を差し出したジョナサンは居たたまれないと言った様子だったが、それでも彼らは今までの人生の中で一番家族らしく、温かな空気に包まれていたのだった。
登場人物まとめ
≪コリンズ伯爵家≫
当主→ジョナサン・コリンズ
夫人→エレナ・コリンズ
娘→オリヴィア・コリンズ
息子→アスラン・コリンズ
≪カティーニ公爵家≫
当主→モルディアス・カティーニ
夫人→セレスティア・カティーニ
息子→レイモンド・カティーニ⇒オーウェル子爵
口下手でヘタレなオリヴィアのお父さんでした。
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