3.婚約者の母親
明けましておめでとうございます。
年内間に合いませんでした。
というわけで新年一発目です。
夜会まで数日と迫ったある日。
オリヴィアはカティーニ公爵家にやって来ていた。
本日の呼び出し主はレイモンドではなく、現国王の王妹であるカティーニ公爵夫人セレスティアだ。
レイモンドと婚約を結んで以来、何度か公爵家を訪れてはいたが、レイモンドがいない日に公爵邸を訪れるのは初めてだった。
(カティーニ公爵夫人は私のことをどう思っておいでなのかしら。はあ、緊張するわ)
悪いようには思われていないと信じたい。
そう思わなければ心臓が口から飛び出してしまいそうだとオリヴィアは思う。
なにせ今日はカティーニ公爵夫人と一対一でのお茶会だ。
もし嫌われていようものなら地獄のような時間となるだろう。
しかし、社交の場で耳にする公爵夫人の話はいずれも良いもので、嫁いで来る娘をねちねちと虐げそうな印象はない。
王妹だから悪く言えないだけなのか、それとも本当に噂通りの人なのか。
きちんと挨拶したことが婚約した日の一度しかないオリヴィアにはまだ判断することは難しい。
(どちらにしても自分自身で判断しないと。それにレイモンド様のお母様なのですもの。悪い人ではない気がする)
恋は盲目とは言うけれど、自分とレイモンドにそれは当てはまらないとオリヴィアは思っている。
オリヴィアに対し深い愛情を向けてくれてはいるけれど、それは節度のある物であるし、仮に彼女が何か間違ったことをすれば、間違いなくレイモンドはそれを指摘し正してくれるだろう。
レイモンドのおかしな発言から始まったオリヴィアとの関係だが、二人の間には確かな愛情と信頼が築かれている。
使用人に案内され、レイモンドとも何度かお茶をしたサンルームに着くと、そこにはすでにカティーニ公爵夫人が待っていた。
「いらっしゃい、オリヴィアさん。お呼び立てしてごめんなさいね」
そう柔らかい声で言ったカティーニ公爵夫人はレイモンドとよく似ている。
レイモンドよりも明るいブロンドの髪に、淡い茶色の瞳、とてもレイモンドの歳の子供がいるとは思えないほど若く見える。
姉だと紹介されれば信じてしまうだろう。
(さすが結婚をして、出産をしても社交界の花と言われるだけのお方ね)
レイモンドの母、セレスティアは彼女がまだ王女殿下であった頃から社交界の花と言われ続けている。
父である先王陛下に溺愛されてはいたものの、幸いなことに我儘な子にはならず、華やかではあるが慎みを持った女性に育った。
可愛い娘を嫁にはやりたくない、けれど他国に嫁がせるのも嫌だと言う先王陛下の意向で、国内でも力のあるカティーニ公爵家が降嫁先に選ばれた。
当時、レイモンドの父――カティーニ公爵令息モルディアスには、未発表の婚約者がいたと言う噂もあるが、その辺りの詳しい事情は公にされていない。
(王命に逆らえなかったがための結婚だとか、王女殿下の美しさに心動かされたモルディアス様が元々いた婚約者を裏切ったとか、当時は色々と噂されて大変だったという話だわ。暇そうな貴族が食いつきそうな話だもの)
真実がどうかは今となっては――と言うより知ったところで何がどう変わるわけでもないのだから他人がどうこう言うことではないのだが、好奇の視線に晒される社交の場にも彼女は臆することなく参加し続け、いつの間にかそのような噂を口にする者はいなくなったという話だ。
強い女性である。
そんな女性がにこやかな笑顔を向けて自分を手招きしている。
ただの社交ならば表面的なお付き合いで乗り切ることは可能だろうが、セレスティアはレイモンドの母親であり、今後オリヴィアが長く付き合っていく相手でもある。
それ以上に、好いた相手の母親だ。
なるべく良い関係を築きたい。できれば好かれたい。
何を聞かれても、どんな話題でも付いて行けるように準備はしてきたつもりだ。
(さあ!行くわよ!)
オリヴィアは何かの挑戦者のような気持ちでセレスティアとのお茶の席に着いた。
けれど、すぐにその気持ちは消え去った。
なぜなら、セレスティアの口から出てきた話題はレイモンドとオリヴィアの関係を心配するものだったからだ。
「レイモンドは何か失礼なことはしていない?婚約者として不足はないかしら?」
不足があるとすれば、それは自分の方ではないのかとオリヴィアは思う。
恋人関係となった今ですら、レイモンドには自分よりももっと相応しい相手がいるのではと思うことが多々ある。
その度に、その感情をレイモンドに勘付かれ、叱られることになるのだが。
「不足だなんて、十分すぎるほど大切にしてくださっています。私の方こそレイモンド様にご迷惑を掛けていないか心配なくらいです」
「あら、それは大丈夫よ。だって最近のあの子、とても楽しそうだもの」
ふふっとセレスティアは笑う。
その顔は息子を想う母親そのものだ。
「レイモンドが恋愛結婚がしたかったとオリヴィアさんに言ったと聞いた時には頭を抱えたけれど、上手くいっているようなら何よりだわ」
「……え?……えっ?!」
セレスティアが言った言葉にオリヴィアはつい驚きの声を上げてしまった。
彼女が言っているのは、婚約を結んだ日の会話で間違いないだろう。
オリヴィアが驚きの視線をセレスティアに向けると、彼女は困ったように笑った。
「ごめんなさいね、でも全ての会話を聞いたわけではないから許してちょうだい。近くにいた使用人がたまたまその会話を耳にしてしまったらしいの」
そしてそれを後から報告されたらしい。
何てことを言ったのだと頭を抱え、その後レイモンドに対して怒りを覚えたが、問いただそうにもその日からやけに楽しそうな息子がセレスティアには不思議だった。
しかもその後からいそいそと数種類の便箋の用意を使用人に頼んだり、流行のアクセサリーを自分に聞いてくるようになった。
今まで女性が身に付ける装飾品など全く興味を持たなかったレイモンドの変化にセレスティアは驚きを隠せなかった。
「最近では毎日のように自分宛の手紙は来ていないかって確認しているのよ。着る物だって無頓着で全て人任せだったのに、オリヴィアさんとお出掛けする日は鏡の前でおかしな所はないかって確認しているんですって」
セレスティアの話を聞いて、なぜかオリヴィアのほうが恥ずかしくなってきた。
あんなに余裕があるように見せて、実際はそんなに可愛らしい行動をしていたとは。
「ふふふっ、笑ってしまうでしょう?あんなレイモンドの姿を見られるだなんて思ってもみなかったのよ。一体どうやったら『恋愛結婚がしたかった』というあのありえない発言から今の状態になるのか不思議で仕方が無かったの」
やはりあの発言は、誰が聞いてもありえないものだった。
婚約者であるオリヴィアを蔑ろにするようであれば、見過ごすことは出来ないとセレスティアは密かに憤っていたのだが、蓋を開けてみれば何やら仲睦まじい様子。
あんな言葉を宣ったレイモンドと、それを言われたオリヴィアの今の良好そうな関係がセレスティアには不思議でならなかった。
それとなく息子に聞いても「母上たちが認めた婚約者候補の中にオリヴィアがいて良かったです。ありがとうございます」というだけでこちらの欲しい答えをくれそうにもない。
セレスティアからは流行などを色々と聞き出そうとするくせに、自分のことはだんまりとは卑怯な男だ。
まあ、成人しても何でもかんでも母親に相談するようなべったり息子ではなくて良かったと言えば良かったのだがとセレスティアは思う。
しかし、二人の関係が気になるのもまた事実。
息子に聞けないのであればオリヴィアに聞くしかない。
「オリヴィアさん。レイモンドと貴女の間に一体何があったか教えて?レイモンドったら何にも教えてくれないんだもの」
セレスティアは元王女で現公爵夫人、そしてレイモンドの母である自分からの頼みをオリヴィアが断れないと分かった上で聞いた。
オリヴィアは身分や権力の上に、さらに極上の笑みを乗せた顔を向けられて、実際には光っていないのに目がチカチカした気がした。
(隠す必要は無いわよね)
レイモンドからも特段口止めはされていない。
むしろ、セレスティアが自分たちのことを聞きたがっているということをオリヴィアはレイモンドから聞き及んでいた。
「リヴィはどんな子なんだ、釣書通りの子なのか、上手くやれているのかと煩くてかなわない」
レイモンドが面倒臭そうに溜息を吐きながら言ったことは記憶に新しい。
だからこそオリヴィアは、今日のこの場はセレスティアがオリヴィアという人間を見定めるつもりなのではと思っていたのだ。
けれど、予想と違い、セレスティアが確かめたかったのはオリヴィアの人柄でもなんでもなく、レイモンドとの関係性の方だった。
「……公爵夫人、私は今日は私の事を見定めるために呼ばれたのかと思っておりました」
「見定める?」
オリヴィアの言葉にセレスティアは首を傾げた。
その仕草さえも美しいとは恐れ入る。
「私がカティーニ公爵家に、レイモンド様の妻に本当に相応しいかどうか問われる場だと思って参りました。ですが、そうではなかったのですね」
正直気が抜けたのは事実だ。
けれど、それはそれで自分の人間性はどうでも良いと言われているようで悔しい気持ちになる。
(私は釣書に目を通しただけで済むような存在なのかと思うと……)
そう考えて落ち込みそうになったところへ、セレスティアの否定の言葉が掛かった。
「あら、そんな意地の悪いことしないわよ。大体コリンズ伯爵家から贈られてきた釣書を元に貴女の調査を行ったのはこの私よ?きっとオリヴィアさんが思っている以上に私は貴女のことを知っているわよ」
「……え?」
カティーニ公爵家が縁談を申し込んできた家とご令嬢の調査を行っているということはレイモンドからも聞いていた。
(けれど、それを行っているのが公爵夫人?使用人や調査員ではないの?)
驚きを隠せずにいるオリヴィアに、セレスティアは不敵な笑みを浮かべた。
「まあ、そんなに驚くような事かしら?この家で誰が一番人脈を持っていると思って?この手のことに関しては夫よりも私の方が上手なの」
社交の場での女性の会話の多くは誰それの噂話、少し話題を振るだけで勝手に周りが情報をくれるのだとセレスティアは言う。
そうして集めた話を精査し、真実のみを導き出すことが彼女は得意なのだと言った。
「貴女は人目がある所でも無い所でも、使用人や身分が下の者に対して態度を変えることもない。無理難題を叩きつけることも、理不尽な怒りをぶつけることもない。もちろん学園での成績や生活態度も申し分ない。学業以外で目立つようなことはないけれど、決して流行に乗り遅れることもなく、様々な分野の話についていけるだけのアンテナを張っている。どう?過不足無いでしょう?他にも色々調べたけれど、貴女を悪く言う人ってほとんどいないのよ。立ち回り方が上手なのね」
「ど、どちらかと言うと過大評価が過ぎるかと……」
セレスティアが自分を調べていたことよりも、その評価の高さに逆に恐れおののく。
出発点が高すぎると後は下がるだけではないかとオリヴィアは気が気でない。
「そんなことないわ。それにね、候補者の中でも私の一押しはオリヴィアさんだったのだけれど、レイモンドが選んだのも貴女だったでしょう?相手は親任せで誰でも良いのかと思っていたけれど、ちゃんと見る目があるようで安心したの。でもそうかと思っていたら“恋愛結婚がしたかった”でしょう?さあ!どういうことなのか聞かせてちょうだい!」
色々、色々と気になる所はあるが、今はまずこのセレスティアの期待に応える方が先だろう。
オリヴィアはレイモンドのあの発言の後のことを掻い摘んでセレスティアに話した。
話を聞き終えたセレスティアは、口元に手を当てて笑い始めた。
「ふ、ふふ、ごめんなさいね。いやだ、あの子ったら、ふふ。レイモンドが恋愛に憧れていた時期があるのは知っていたのだけれど、誰かと恋人関係になることもなかったようだから興味が無くなったのかと思っていたのだけれど……ふふふっ、そう、諦めていなかったのね」
いずれ政略的な婚姻を結ぶのなら、妻となる人以外に恋人を持つなど不誠実なことはしたくないとレイモンドが言っていたと伝えれば、セレスティアは嬉しそうに目を細めた。
「本当に、良い男に育ってくれたわ。あの人そっくり。オリヴィアさんにも感謝しなくてはね。レイモンドの突拍子もない申し出を快く受け入れてくれたんですもの」
「いえ。ただ、私がレイモンド様と同じような考えだったというだけの話です。たとえ愛の無い結婚になろうとも、夫となる方に誠意をもって尽くそうと考えていた私にとって、レイモンド様の提案は素晴らしいものでした」
「そうね。いずれ結婚する二人が愛を育むことに異を唱える人は誰もいないわ。お互いがお互いを尊重し合い、愛し合えるなんてとても素敵だもの。本来ならそれが正しい形のはずなのよ。結婚相手は伴侶であり、恋人であり、家族。そして時には友人でもあると私は思うわ」
セレスティアはなおもにこにこと嬉しそうだ。
どうやら彼女の考え方は自分やレイモンドと同じようだとオリヴィアは思う。
レイモンドは自分の両親の間に家族としてではなく、愛しい人へと向ける情があるのかは分からないと言っていたが、今の話を聞く限り、少なくともセレスティアはモルディアスに対してそういった想いも持っているのではないかとオリヴィアには思えた。
「それで?オリヴィアさんといる時のレイモンドはどのような感じなの?やっぱり蕩けるように甘い表情になるのかしら?苦い紅茶でもお砂糖がいらなくなるくらい甘い言葉を囁くのかしら?」
「え?!いえ、あの」
どんどんセレスティアが前のめりになってきた。
以前社交の場で見かけた際にはもっと落ち着いた女性だったと思ったが、もしやこちらが彼女の素だろうか。
「あの子愛の言葉なんて囁けるのかしら……どうなの、オリヴィアさん?」
「いえ、あの、その」
セレスティアの目が爛々と輝いている。
逃げ道は……無かった。
「囁いて、くださいます……」
ふしゅ~と顔から煙が出そうなほど恥ずかしい。
恋人の親からこういった話を聞かれるととてつもなく恥ずかしいというのは新しい発見だ。
どんなことを言うのなどと聞かれても答えられない。
レイモンドだってそれを母親に知られるのは流石に嫌だろう。
「言いたくないのなら仕方がないわ。愛の言葉は自分だけの胸にしまっておきたいものね。それじゃあレイモンドはオリヴィアさんのことを何て呼んでいるの?恋愛に憧れていたのなら絶対愛称で呼んでいるはずよ」
なぜそんなところに鋭い勘を働かせるのだと思うが、先程までの質問に比べれば断然答えやすい。
「レイモンド様は、私のことをリヴィと呼んでくださいます」
「リヴィ?オリーではなくて?オリヴィアなら通常はオリーではない?」
「……っ、それは、皆がオリーと呼ぶのであれば、自分はリヴィと呼ぶと仰って」
またしてもオリヴィアの顔に熱が集まる。
視線を下げることで赤くなる顔を隠してはいるが、ここにセレスティアがいなければパタパタと自分の顔を扇いでいるところだ。
「リヴィ、リヴィ……良いわね。私もリヴィと呼ばせてもらおうかしら」
「え?」
セレスティアの言葉に思わず下げていた顔を上げる。
「オリーも良いけれど、リヴィも可愛らしいわよね。それにレイモンドと私たちだけがリヴィと呼ぶのであれば、あなたのことを公爵家が特別に思っていると知らしめることが出来ると思わない?」
「それは、そうかもしれませんが……」
オリヴィアはそれに続く言葉を紡げなかった。
(けれどリヴィは、私とレイモンド様だけの……)
リヴィという愛称はオリヴィアにとって、すでにレイモンドだけが呼ぶ特別な名になっていた。
レイモンドが、自分だけが呼ぶ特別な名だと言ってくれた時から宝物のようになったのだ。
出来ることなら彼以外の人に呼ばせたくなかった。
それがたとえ彼の母親であり、自分のことを気遣って言ってくれたのだとしても。
失礼にならないように断るにはどうしたら良いのかと考えを巡らせていると、「リヴィ?どうかしたの?そうだわ、私のことも公爵夫人だなんて他人行儀な言い方は止めてセレスティアと呼んでちょうだい」と言われた。
もうすっかりオリヴィアのことをリヴィと呼ぶことに決めてしまったようなセレスティアに、オリヴィアは意を決して口を開いた。
「セレスティア様、その名は――」
「母上、リヴィだけは駄目ですよ。それは私だけが呼ぶ名です。諦めてオリーにしておいてください」
オリヴィアがその名だけは駄目だと言う前にセレスティアに待ったを掛けたのは、いつの間にか帰宅してサンルームにやって来ていたレイモンドだった。
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