2.歩幅は違えど想いは同じ
早速のブクマに感想&評価、そして誤字報告などありがとうございます!
遅くなりましたが2話目です。
頬への口付けは、レイモンドがとても幼い頃に母親にしたことがあった。
もちろん物心がついてからは誰にもしたことが無い。
頬を膨らませる仕草が可愛らしく、愛情を感じ始めた婚約者であるオリヴィアに、恋人らしいことがしてみたくなったが故の行動だった。
何の関係も無い男女では不埒な行為とされるが、恋人同士なら許される可愛らしい触れ合いだとレイモンドは思っている。
友人たちから聞かされる話からも、それは間違いないはずだった。
一方のオリヴィアは自分の身に起こったことを理解するまでに数秒の時間を要した。
そして、理解した途端あまりの衝撃に顔を真っ赤に染めてへなへなと力が抜けてしまった。
そんなオリヴィアをレイモンドが腰を引き寄せて支えると、オリヴィアは口付けられた頬を手で押さえながらレイモンドを睨んで震える声で叫んだ。
その姿はレイモンドにとってはさらに可愛らしく見えるだけだったが。
「な、なな、何を、いきなり何なさるのですか!?」
「君を見ていたら恋人的な触れ合いをしてみたくなった。駄目だったか?」
「ふれ、触れ合い?!私はオーウェル卿と違って男性と二人でいることにすら慣れていないのです!もう少し、ゆっくり!ゆっくりでお願いします!」
「オリヴィア、レイモンドだ。君は私がこういったことに慣れていると言うのか。心外だ」
「そうではなく!お手柔らかに……私たちは今日初めてお会いしたも同然なのですよ?わ、私、手の早い男性は好きではありません!」
好きではないと言ったオリヴィアの言葉に目に見えてレイモンドが肩を落としてしゅんとした。
成人した男性に対して可愛いなどと思ってしまうのは失礼な事だろうが、オリヴィアはこの時自分よりも年上のレイモンドのことを可愛いと思った。
「あの、オーウェ……レ、レイモンド様のことが嫌いということではありませんよ?その、す、好きです。けれど、展開の速さについていけないと言いますか、もっとゆっくり関係を深めていきたいと言いますか……」
今度は好きだという言葉にあからさまにレイモンドが表情を明るくする。
夜会などで見かけた時の無表情な男と同一人物だとは思えないほど今日だけで色々な表情をオリヴィアに見せてくれていた。
恐らくあの無表情は外向けの顔で、こちらが素のレイモンドなのだろう。
「分かった。……しかし、恋人同士と言うのはどうやって仲を深めていくんだ?」
愛し愛される恋人関係に憧れはあっても、今まではそう言ったものとは無縁の生活をしてきた。
熱意はあっても知識は無い。
それはオリヴィアにも言えることだった。
「そうですね……やはりお話ししたり、お手紙などを送りあったりではないでしょうか?恋を題材とした物語などではよく恋文などが出てきますもの」
「物語?オリヴィアもそう言った本を読むのか?」
「……いけませんか?私にだって人並みに恋愛への憧れというものがありましたもの」
オリヴィアにだって恋愛への憧れはあった。
けれど、自分には叶わない事だと思っていたからこそ物語として楽しんでいたのだ。
それがまさか、そんな自分がこんな状況になるとは思ってもいなかったが。
「いや、意外だっただけだ。……しかし、そうだな。手紙か。それは良いかもしれない」
レイモンドは会えない時は手紙を送るとオリヴィアに言った。
しかも参考にするからオリヴィアにお勧めの恋物語を教えてくれと言ってきた。
「読まれるのですか?オーウェル卿が?」
「おかしいだろうか?参考にもなる上にオリヴィアの好きな物まで知ることが出来て一石二鳥だと思うのだが。それとオーウェル卿ではなくレイモンドだ。もう戻っているぞ」
すぐさま呼び方を訂正された。
そして、君の好きな物を知りたいと言われてはそれ以上オリヴィアには何も言えなかった。
始終レイモンドに押され気味のまま、この日は互いに手紙を送り合うことを約束してオリヴィアは帰宅した。
それ以来、本当にレイモンドから手紙が届くようになった。
本当に他愛もないことがレイモンドの整った文字で書かれ、手紙の最後には必ずオリヴィアへの愛の言葉が綴られていた。
読む度に心臓はうるさく鳴ったが、それさえもレイモンドへの想いが募っていく証拠だと思えば嬉しかった。
レイモンドもオリヴィアからの手紙に綴られる自分への可愛らしい愛の言葉に頬を緩ませ、直接会うことが出来た日にはオリヴィアの許可を得てからその手を握り、その度に頬を赤く染める恋人のことを一層愛おしく思うようになった。
「オリヴィアも慣れないな。いつまで経っても初心なままだ」
「もうっ、揶揄わないでください」
一つの季節が終わる頃になると、レイモンドはオリヴィアの許可を得ずにその手を取るようになっていた。
オリヴィアが一々確認されるのは恥ずかしいとレイモンドに訴えたからであり、もう許可など取らなくても良いと言う二人の距離が近づいた証拠でもあった。
「今日はどこへ連れて行って下さるんですか?」
「ちょっと馴染みの店へね」
そう言って連れて来られたのは、服やアクセサリーを取り扱うお店だった。
「ここは……メゾン・トリヴァータ?」
「さすがだ。よく知っているな」
知っているも何も有名も有名なお店だ。
人気があり過ぎて、なかなか服を作ってもらえないと聞く。
話題作りのために情報としては知っていたが、オリヴィアにとっては分不相応な店であることに違いはない。
入口の前に二人が立つとすぐさま扉が開かれ、入店した二人を見るや否や、奥から支配人らしき人物が現れそのまま奥の個室へと案内された。
「オーウェル卿、お久しぶりでございます。ようこそいらっしゃいました。ご連絡いただければ私共の方からお伺いしましたのに」
「いや、今日は彼女に直接選んでもらいたかったんでね。紹介するよ。婚約者のオリヴィア・コリンズ嬢だ」
レイモンドに名を呼ばれたオリヴィアは、名乗ってお辞儀をする。
「これはこれは、ご丁寧にありがとうございます。ご婚約おめでとうございます。コリンズ伯爵家のお嬢様でございましたか」
伯爵家の者だとは一言も言っていないはずだが、支配人は当たり前のようにその名を口にした。
これくらい大きなお店ともなるとそういった情報は持っておくのは大事な事なのだろう。
ここは少し値の張る富裕層向けの品も置いてはあるが、その中でもやはり貴族は上客となることが多い。
少しでも悪い印象を与えてはこの先の商売に支障が出るというものだ。
けれど、わざわざオリヴィアのことを紹介したところや二人の会話の様子を見ると、比較的親しい間柄のように思えた。
「まだ私共の耳にも届いていない所を見ると、大事に隠されておいでということですかな?」
「いや?特に隠しているわけでもないのだけれどね。婚約してからまだ二人で社交に出ていないから知られていないだけだろう」
「おや、左様でございましたか。そうすると次に開かれる王家主催の夜会がお二人揃っての初めての夜会となるのですね」
「ああ。だから彼女に似合いのドレスを用意したい」
「ふふ、お任せください。私共も力が入りますな」
ドレスを贈りたいと言ったレイモンドに、オリヴィアは驚いた。
たしかに婚約者が相手の女性にドレスなどを贈るのはよくあることだ。
けれどこの店は駄目だ。
何をとってもオリヴィアが普段身に着けている物よりかなり、かなり高価なのだ。
しかし、固辞の姿勢をとるオリヴィアにレイモンドは一歩も引く様子はない。
「私の服もここで仕立てたものだ。隣に立つオリヴィアにも相応の物を身に着けてもらわなければね。公爵家に嫁げば基本はここで服を作ることにもなるし」
この言葉だけならオリヴィアはまだ抗えた。
けれど次のレイモンドの行動にオリヴィアは白旗を上げることになる。
「君を輝かせるドレスを贈らせてほしいんだ。それにここなら2人でゆっくりと選ぶことが出来るだろ?私の我儘に付き合っておくれ、リヴィ」
耳元でそう囁かれてオリヴィアは諦めた。
どう足掻いてもこの男に敵う気がしない。
オリヴィアは常に負けっぱなしだ。
「っ分かりました。ですからそのように囁かれるのはお止めになって」
オリヴィアは囁かれて熱を持った耳を押さえながら小声で怒る。
近頃のレイモンドは以前よりももっとオリヴィアに対して気安くなった。
口調も崩しがちで、時には声を出して笑うこともある。
オリヴィアが親しい者からオリーと言う愛称で呼ばれていることを知ったレイモンドは、それならば自分はリヴィと呼ぶと言い出した。
なぜオリーではないのかと聞くと、「その方が特別感があって良いだろ?私だけが呼ぶ名だ」と愛おしそうに目を細めた。
オリヴィアの心臓が鷲掴みにされたのは言うまでもない。
レイモンドは思っていたよりも深い愛情をオリヴィアに注いでくれている。
これまで誰かに想いを寄せないようにと固くしていた心が解放され、その愛情が一心にオリヴィアに向けられているのだ。
愛情を向けても良い相手だということもあるが、それ以上にレイモンドはオリヴィアという人物を気に入っていた。
話をしていても話題が豊富だし、会話の端々に知性を感じさせる。
今までレイモンドにアピールしてきた女性たちと違い、中身のある会話が出来ることも楽しい。
そうかと思えば、ゆったりと流れる雲を見て、「あの雲、焼き立てのパンの様で美味しそうですね」などと可愛らしいことを口にしたりもする。
そのギャップがまた面白くもある。
レイモンドは婚約者がオリヴィアで良かったと心の底から思っていた。
オリヴィアもそのように想いを寄せられて嬉しくない訳が無い。
恥ずかしくてレイモンドほどの愛情を返せているかは分からないが、拙いなりに一生懸命レイモンドへの想いを伝えていた。
その姿がまた愛おしく、愛情を知ったレイモンドはその美貌に色気までもが追加された。
その顔に見つめられては心臓がいくつあっても足りない。
健康に害が出そうだとオリヴィアは思う。
けれど、その色気もオリヴィア以外には向けられないのだから害が出るのはオリヴィアだけなのだが。
ちなみにレイモンドはオリヴィアに自分のこともレイという愛称で呼んでほしいと言ったのだが、恥ずかしがってなかなかそう呼べないのがオリヴィアである。
頬を赤く染めるオリヴィアとそれを見て笑うレイモンドに支配人は表情を変えぬまま驚いていた。
(この方はこんなに表情豊かな方だったのか)
それくらい今のレイモンドが珍しいということだ。
カティーニ公爵家と長く付き合い、幼い頃からレイモンドを知っている支配人は、レイモンドが良い婚約者を迎えられたのだなと少し嬉しくもあった。
「仲睦まじい様子でなによりでございます。さあさあ、どうぞこちらにお掛けになって下さい。デザイナーと針子を呼びましょう」
支配人に呼ばれた女性たちが部屋へとやってきて、ドレスを纏ったトルソーが並べられた。
「様々な形のドレスを数着お並べ致しました。これを元にデザインを考えてまいりましょう。オーウェル卿、この度はご婚約誠におめでとうございます」
そう言って礼を取ったのは丸い眼鏡をかけた初老の女性だった。
「ありがとう、カレッド夫人。婚約者のオリヴィア・コリンズ嬢だ。オリヴィア、こちらはこの店の専任デザイナーのカレッド夫人だ」
「初めまして、カレッド夫人。オリヴィア・コリンズと申します」
「まあまあ、凛とした雰囲気をお持ちのお嬢様ですねえ。ふふふ、私レイモンド坊ちゃまのお相手のドレスを作る日をとても楽しみにしていたのですよ」
「レイモンド、坊ちゃま?」
「……カレッド夫人。もう坊ちゃまは止してくれ」
「あら嫌だ、私ったら。申し訳ございません、オーウェル卿」
レイモンドが眉間に皺を寄せて呟く。
昔からカティーニ公爵家と縁のあるこの店のデザイナーであるカレッド夫人は幼い頃のレイモンドのこともよく知っているのだと言う。
時折ふらっとこの店にやって来ては店内でこっそり庶民風の服に着替え、お忍びで街を歩き回っていたらしい。
そんな事に協力させられていた支配人もカレッド夫人も、どこかでレイモンドのことを孫や子供のように思っているようだった。
その話を聞いたオリヴィアは思わずレイモンドをじっと見た。
「何だその顔は」
「……意外と悪戯なお子様だったのですか?」
「私だって息抜きくらいするさ。ずっとレイモンド・カティーニでいるのは肩が凝る」
どうやらこの人にはまだまだ自分の知らない所がありそうだとオリヴィアは思った。
真面目で品行方正なのは違いないだろうが、それだけではないようだ。
「オリヴィアも今度一緒にやってみるか?」
「考えておきます」
てっきり断られるかと思ったのに、意外と柔軟な反応を見せるオリヴィアにレイモンドは目を丸くした。
「何か?」
「いや、断られるか咎められるかどちらかだと思った」
「あら、誰にだって息抜きは必要でしょう?レイモンド様ほどの方がそうなさるということは、それは貴方が貴方でいるために必要な時間ということです。それにお供させていただけるなんて光栄です。それに少し面白そうですもの」
そう言ってにっこり笑ったオリヴィアにレイモンドは固まり、カレッド夫人は楽しそうに笑った。
「本当に素敵なお嬢様ですわね。オーウェル卿、得難い女性ですよ。手放してはなりませんよ?」
「……もちろん、手放す気などさらさらない」
「レイモンド様?」
「何でも無い。ほら、早くドレスを選ぼう」
レイモンドに促され、オリヴィアはトルソーに飾られたドレスに目を向ける。
首元から肩までざっくりと開いている物から襟の詰まった物までその形は様々だ。
「どれも素敵だわ……」
ドレスを見てオリヴィアはほうっと溜息を吐く。
さすがメゾン・トリヴァータ。
一目で生地の良さが分かる。
服に興味のない者が見たとしても、このドレスの素晴らしさは分かるに違いない。
(どれもこれも素敵だけれど、どんな形が良いのかしら。せっかくならレイモンド様の好みにあったものにしたいわ)
自分にはどれが似合うのかも分からないし、せっかくレイモンドの横に立つのだから彼の好みに合わせたい。
そう考えてオリヴィアはレイモンドを振り返る。
「レイモンド様。レイモンド様はどういった形がお好みですか?」
「着るのはオリヴィアだ。君の気に入った物にすると良い」
「初めてレイモンド様から贈っていただくドレスです。貴方の好みにあった物を私は着たいのです」
「……ではその右端の物は止めてくれ。それとその中央の物も駄目だ」
好きな物を選べと言っていた割に、考える間も無く駄目な物を指定してきたことにオリヴィアは驚いた。
言われた二つのドレスは、ここに並べられた物の中でも肌の露出の多い物だった。
「この二つですか?」
「ああ。右端のは胸元が開き過ぎだし、中央の物は背中が開き過ぎだ。他の男に君の肌を見せてやる必要は無い」
レイモンドの言葉にオリヴィアはきょとんとした顔をした。
そして言葉の意味を理解し、恥ずかしさと嬉しさが込み上げる。
「……では、こちらの形にします。色はこちらと同じ色合いが良いです」
オリヴィアが選んだのはベアトップの上から立ち襟の厚手のレースでデコルテ部分を隠したもので、ウエストの切り替え部分は大きめなリボンが付いているとても上品に見えるドレスだ。
そして選んだ色は淡いグリーン。
レースとリボンの部分は光沢のあるブロンズ色を指定した。
全てをブロンズにすると、若いオリヴィアにはかなり地味になってしまう。
けれどレイモンドのダークブロンドの髪と、光の下では淡い琥珀色にも見えるような瞳の色を併せ持ったような色をどこかに入れたかった。
「どうでしょうか?」
「素晴らしいよ。今から楽しみだ」
オリヴィアの意図をしっかりと汲み取ったレイモンドは目を細めた。
こんなにも夜会が待ち遠しいと感じるのは初めてだった。
そうして微笑み合うオリヴィアとレイモンドを、カレッド夫人をはじめとした店の者は存在感を極限まで消して温かく見守るのだった。
メゾン・トリヴァータの店員
「(私たちは空気、私たちは空気……)」
「(私はトルソー……、オブジェみたいなものよ!)」