17.願いは叶いましたか?
ついに最終回です。
『恋愛結婚いたしましょう』の電子書籍化が決まりました。
8/8(火)より配信予定です。
よろしくお願いいたします!
あとがきに表紙イラストあります。
翌日、夕方になると約束通りレイモンドが馬車に乗ってオリヴィアを迎えにやってきた。
今日この屋敷を出れば、次に会うのは結婚式だ。
つまりオリヴィアはもうカティーニ公爵家の人間となる。
たとえ結婚したとしてもジョナサンたちの娘であり、アスランの姉であることには変わりないのだが、どうしても寂しさを感じてしまうのは仕方のないことだろう。
「お父様、エレナお母様。そんな顔をなさらないでください。またすぐ結婚式でお会いできます」
「わかっている。だが、こればかりはどうにもならん」
昨夜しっかりと言葉を交わしたはずなのに、見送りに来たジョナサンは眉間に皺を寄せ静かにそう言った。
以前ならば機嫌が悪いのかと勘違いしてしまうところだが、今はただ泣きそうなのを我慢しているのだとオリヴィアにもわかる。
「もう……他国に嫁ぐわけでもないのに。馬車で行き来できる距離ですよ」
「だが、お前はもう公爵家の人間となるのだ」
「嫁いだご令嬢が生家に顔を出し過ぎるのは良くないことだと聞きました……」
ジョナサンに続いてアスランまでも泣きそうな顔をして言った。
たしかに大した用もないのに生家に帰ってばかりの嫁は、世間的にはあまりいい顔をされない。
カティーニ公爵夫妻は快く送り出してくれるだろうが、良くも悪くもカティーニ公爵家は他の貴族の注目を集める存在だ。
他の者たちの目にどう映るのか考えて行動しなければならない。
頻繁に顔を出すことは難しいだろう。
「アスランはまだ社交デビューする歳ではないから余計に寂しいのよ」
エレナが言ったこともよくわかる。
ジョナサンやエレナは夜会やお茶会で会うこともあるだろうが、アスランが社交デビューするまでにはまだ数年ある。
屋敷に赴かないかぎりはなかなか会う機会はないだろう。
こればかりはどうしようもないことだ。
そう思っていたオリヴィアたちに、側にいたレイモンドが声をかけた。
「だったらアスランが公爵邸に遊びに来ればいい」
「……良いのですか?」
「ああ、アスランはオリヴィアの弟だ。何も遠慮することはない。オリヴィアだって君が会いに来てくれたら喜ぶよ。そうだろう?」
「ええ、アスランが来てくれたらとても嬉しいわ」
姉が公爵家に嫁ぐことで、自分たちよりも格上の貴族と顔を合わせる機会が今後増えるかもしれない。
コリンズ伯爵家に何かあれば、少なからずカティーニ公爵家も影響を受けるだろうから、今のうちから、彼らに良い様に使われたり軽んじられないようにする教育も必要だろうとレイモンドは言った。
半分本気で半分が建前だ。
そういう理由を付けておけば気兼ねなくオリヴィア会いに来られるだろうというレイモンドの気遣いだった。
「ありがとうございます、オーウェル卿!」
「いいんだよ。それよりもそろそろ義兄上と呼んでくれると嬉しいんだけど」
レイモンドはにっこり笑ってそう言った。
「え……? でも」
「なにも可笑しなことじゃないだろう? オリヴィアはずっと君の姉で、私はその夫となるのだから。アスランは私の義弟に違いない。これからは私とも仲良くしてくれるかい?」
「は、はい! よろしくお願いします、義兄上!」
アスランは輝くような笑顔でレイモンドを兄と呼んだ。
「ありがとうございます、レイ様」
「ん? 何がだい?」
二人並んで座る馬車の中、オリヴィアはコリンズ伯爵邸での別れ際のことに対してお礼を言った。
「アスランのことです。あの子本当に嬉しそうでした」
「私も可愛い義弟ができて嬉しいよ。ほら、私は兄弟がいなかったから」
あの後レイモンドはアスランだけでなくジョナサンたちにも自分はオリヴィアの夫となるのだからあなた方の息子ということだと言い、レイモンドと呼んでくれと言った。
未来の公爵にそんなことできない恐縮する二人に、レイモンドは家族だけの時はと押し切った。
「まあ、義父上たちが遠慮する気持ちもわかるけれどね。そんなことを言っていたらリヴィのことも名前で呼べなくなってしまうじゃないか。オーウェル子爵夫人、カティーニ公爵夫人なんて親から呼ばれたらリヴィが悲しむだろう?」
「レイ様……ありがとうございます」
レイモンドが考えるのはいつだってオリヴィアの気持ちだ。
ようやく家族らしくなれてオリヴィアはとても嬉しそうだった。
自分に向けるものとはまた違う彼女の笑顔を失いたくはないのだ。
「気にしないでくれ。半分は自分のためさ」
「レイ様の?」
「ああ。私はね、リヴィ。本当に君のことが大好きなんだ。リヴィが幸せなら私も嬉しい。君にはずっと笑顔でいてほしいし、私が笑顔にさせてあげたい。それは今もこれからもずっと変わらないよ」
「……ふふ、ふふふ!」
オリヴィアは一瞬きょとんとした表情をした後肩を震わせ始めた。
「……今、笑うところはあったか?」
「ふふ、いえ。私、幸せ者だなあと思いまして」
ここまで自分を大事にしてくれる存在が家族以外にいるだろうか。
初めてレイモンドと対面した時――婚約を結んだ時には「私は恋愛結婚がしたかった」という衝撃的な言葉をレイモンドから聞かされた。
自分のような者では不服だったのだろうと虚しくなったし、女性として愛されなくとも妻として夫に誠実に尽くそうと思っていたのに正直がっかりした。
けれどそれはすぐに誤解だということがわかった。
レイモンドは婚約者となったオリヴィアと恋愛をしたいのだとそう言ったのだ。
オリヴィアと愛し愛される存在になれればそれはもう恋愛結婚といえるのではないかと大真面目に語ったのだ。
そしてオリヴィアのことを美しいと、自分のことを好きになってほしいと言った。
予想外の展開に戸惑ったものの、レイモンドの自分だけに向けられた笑顔を見た瞬間あっさりと落ちてしまったのだ。
けれどそれは間違いではなかったし、それからの日々は本当に素晴らしいものだった。
レイモンドと婚約してからは全てが良い方に向かった。
長年もやもやとしていた家族仲も改善し、今までにないほどに穏やかな気持ちでいられる。
レイモンドの容姿や能力の素晴らしさは元から言われていたが、何よりもその人となりが素敵なのだとオリヴィアは思っている。
一緒にいればいるほど、レイモンドを知れば知るほど愛情は深まっていく。
いつも自分のことを考えてくれて、惜しみなく愛情を注いでくれる。
それがどれだけ嬉しく、オリヴィアに自信を持たせてくれたかわからない。
「レイ様と出会えて、貴方の婚約者になれて……私は本当に幸せです。本当に、本当に幸せなのです。私はきっと国一番の幸せな花嫁でしょう」
そう語るオリヴィアの目にうっすらと涙が浮かぶ。
その涙をそっと拭いながら、ふっと笑った。
「ではそんな君を妻に迎えられる私は、世界一幸せな花婿だ。私を受け入れてくれて、愛してくれてありがとう。君への想いはこの先も一生変わることはないと、大好きなリヴィの瞳に誓うよ」
そういってレイモンドはオリヴィアの目尻に口付けを落とした。
「私も誓います。ずっとレイ様のお傍にいさせてください」
幸せそうに笑うオリヴィアをレイモンドは腕の中に閉じ込める。
恥ずかしがりながらも身を預けてくれるこの愛しい人が明日自分の妻となる。そう思うと抱きしめる腕に力が入る。
婚約を結んでからもう一年が経とうとしていた。
レイモンドは今までの人生でここまで何かが待ち遠しいと思ったことはない。
(ああ、またリヴィのおかげで新しい感情を知ったな)
これからも彼女はこうしてレイモンド自身が知らなかった感情を与えてくれるのだろう。
時にそれは良い感情だけではないかもしれない。
それでもオリヴィアが隣にいる人生を想像するだけで何事も乗り越えていけるだろうと、レイモンドはこの幸福を噛み締めた。
「――では、こちらに署名と愛の証として指輪の交換を」
オリヴィアとレイモンドがそれぞれ指定された場所に署名し、互いの指に指輪をはめる。
「では、これをもって神の名のもとに二人が夫婦になったことをここに宣言致します」
二人で招待客に向かいお辞儀をするとあちらこちらから「おめでとう」「お幸せに」と拍手と祝福の声が上がる。
顔を上げたオリヴィアとレイモンドはその光景に目を細めた。
司祭の前での婚姻宣誓書への署名と指輪の交換がこの国の貴族の結婚には必要なことだった。
これら全てを終えて初めて夫婦となることができる。
招待客は午前中から集まり、まずは彼らだけのパーティーが開かれる。
そしてしばらくしてから主役の新郎新婦が登場し、式が執り行われ、それが終わると夫婦の初仕事として招待客に挨拶に回り、最後に彼らを見送って全ての工程が終了となるのだ。
全てが終わり屋敷に帰る頃には二人はくたくたになっていた。
ソファに二人で並んで腰を下ろすと口からは自然とため息が漏れる。
「……さすがに疲れたな」
レイモンドにしては珍しくだらしなく深々とソファに腰を掛け、頭を横に座るオリヴィアに預けていた。
そんな姿でさえもオリヴィアにとっては可愛らしく思えてしまうのだが。
「ふふ、本当に。レイ様にしては珍しく朝から気が昂っておいでのようでしたから、余計にでしょうね」
二人は朝から、特にオリヴィアはレイモンドよりも早く起こされ湯浴みに始まりマッサージに化粧などやることが多くて大変だった。
そして全ての準備を終えたところに、待ちきれないとばかりにレイモンドがやってきた。
部屋に入ってきたレイモンドの姿を目にし、オリヴィアは言葉にならなかった。
今までも素敵な人だと思っていたが、さらに上があったのかと思ったのだ。
「レイ様、なんて素敵なのかしら……」の声を絞り出すのがやっとだった。
対してレイモンドといえば、扉を開けたまま固まっていた。そして一言「綺麗だ」と呟くとゆっくりとオリヴィアに近づいて来てその手を伸ばした。
レイモンドの手がオリヴィアに届くというところで、側にいた侍女がそれを阻んだ。
「レイモンド様、そこまでです」
「……まだ何もしていないだろう」
「“まだ”ですよね? オリヴィアお嬢様を抱きしめたいお気持ちはわかりますがお式の後にしてくださいませ」
「……」
「そのような目で見られても困ります」
「少しくらいいいだろう」
「なりません。私共の仕事を無駄になさるおつもりですか? 確かに攫ってしまいたいほどお美しく、可憐でまるで女神のごときお姿ではございますが。けれどお嬢様は朝からこの為に頑張ってくださっていたのですよ? 何度も『レイモンド様に相応しい姿になったかしら?』と確認なさるほどレイモンド様のために頑張ったのです。それを貴方様が無駄になさいますか?」
「そのような愚かなことをするものか」
「そうでしょう、そうでしょう。お楽しみは後にとっておかれませ」
「ああ、そうしよう」
この様なオリヴィアからすれば恥ずかしい会話が式前に繰り広げられたかと思えば、式では王女殿下が王家からの祝辞を手に現れた。
元々は王家からの祝辞を使者が持ってくるということにはなっていた。
王家からの祝辞をいただくということだけでも名誉なことであるのに、そこにまさかの王族、王女殿下の登場に会場の他の招待客だけでなくオリヴィアも驚きを隠せなかった。
「私が陛下の名代として王家からの祝辞を直接持ってくる、つまりこの婚姻を王家もとても喜び祝福しているってことよ。王家に近い家臣の家が安定しているというのはとても良いことなのよ。ここまでやれば未だにレイモンドの愛人になろうと画策する者たちもいい加減諦めると思うのよね。安心して幸せになりなさい」
というのは王女殿下の言葉だ。
レイモンドは「こんなことをしなくても私はリヴィ以外お断りです」と言った。
オリヴィアの驚きや緊張をよそに、レイモンドはどこまでも通常運転だった。
誰もが二人を祝福し、驚きと幸せに満ちた結婚式を終えたのだった。
「お屋敷に戻って来て皆さんが私のことを若奥様と呼んでくれたのが新鮮でした」
「私も若旦那様となっていたな。今のところまだ違和感が強いが」
オリヴィアは先ほどのことを思い出しふふっと笑みを零す。
ああ、今日から自分はレイモンドの妻、オリヴィア・カティーニなのだと実感している。
「きっとすぐに慣れます。ね、旦那様」
「……それも良いが、やはり君には名前で呼んでもらいたいね」
「レイ様?」
「うん、やっぱりそれが良い。リヴィから呼ばれる名前は特別だから……愛しているよ、私のリヴィ」
レイモンドはオリヴィアの頬に口付けを一つ落とす。
たしかに愛しい人から呼ばれる自分の名は格別だとオリヴィアも感じていた。
「私も、愛しています。……レイ様、あなたの願いは叶いましたか?」
「願い?」
「あら、お忘れですか? 『私は恋愛結婚がしたかった』レイ様と私が初めて会った時にあなたが言った言葉です」
「……今思うとずいぶんな言葉を口にしたものだな」
「ふふ、ほんとうに。真意を聞くまではどうしたものかと思案しました」
「本当に、申し訳ないとしか……」
「いいのです。それで? 叶いました?」
オリヴィアはくすくすと笑いながらわかりきったことをレイモンドに聞いた。
「ああ、叶った。これ以上ないくらいに。ありがとう、リヴィ」
「私のほうこそありがとございます。人をこんなに好きになれるのだと教えてくれたのは間違いなくレイ様です」
「私たちは相思相愛だな」
「ええ。相思相愛です」
「では間違いなくこれは――」
「恋愛結婚だな」「恋愛結婚ですね」
二人の言葉が重なり、どちらからともなく笑い声が漏れた。
ガルゼア国の貴族は結婚、後継者の誕生後に愛人を持つ者も多い――というのは少し前の話だ。
現在では堂々と愛人を持つことは憚られている。
政略的な婚約だとしても互いを蔑ろにすることなく、婚約者と良い関係を築く努力を怠らないというのが美徳とされ始めている。
相手と真摯に向かい合い、少しずつ愛情を育てていく。
『恋愛をしたいのなら婚約者とすればいい。私はそうした』
これは公爵家の当主が言った言葉だ。
もちろん全ての者がこれを実現できるとは限らない。
どうしたって合わない人もいるだろう。
けれど、元は恋愛関係ではなかったのに年老いても未だに仲睦まじい公爵夫妻を目の当たりにし、誰もがその関係に憧れた。
もしかしたら自分たちも同じように、貴族の義務としての結婚ではなく、愛する人との幸せな結婚ができるかもしれないと夢を見た。
自分の発言がそこまで影響を及ぼしているとは知らない公爵は、今日も今日とて愛しい妻とともに日々を過ごしている。
―― 完 ――