13.負けないオリヴィア(3)
「……聞いてらっしゃるの?あなたなんかレイモンド様に相応しくないと言っているのよ」
「そうよ。惨めな思いをされる前に婚約者の立場を辞退なさった方がよろしいのではなくて?」
アトリスとソフィアはレイモンドを巡ってお互い牽制し合っていたはずなのに、自分という共通の獲物を前にするとあっさりと手を組むのだなとオリヴィアは思った。
(嫌いなものや苦手なものが一緒だと仲良くなりやすいとは言うけれど、我の強いこの方たちは私という獲物がいなくなれば、またいがみ合うのでしょうね)
「ご心配していただきありがとうございます。レイモンド様の隣に立つに相応しいと思っていただけるよう努力いたします」
結局言いたい事は婚約を解消しろということなのに、ずいぶんと時間を無駄にしたものだとオリヴィアは思う。
笑顔のまま返したオリヴィアにアトリスたちは顔を顰めた。
「あなた本当にわかってらっしゃらないの?やはり王立学園始まって以来の才媛なんていう噂はただの噂でしかありませんでしたのね」
「そうですわね。これだけ言ってもご自分の立場がわかっていらっしゃらないようですもの」
「なぜこんな方をレイモンド様がお相手に選ばれたのか甚だ疑問ですわ」
「ほんとうに。カティーニ公爵家の皆様は騙されているのではなくて?」
「ご理解いただけないようなので教えて差し上げるわ。レイモンド様の隣には私こそが相応しいの。あなたのような方が傍にいてはレイモンド様の価値も下がるというものよ」
アトリスがそう言えば、ソフィアも「そのとおりよ。ただしレイモンド様の隣に相応しいのは私だけれど」と言う。
「ご自分で辞退できないのであれば、そうできるようにして差し上げますわ」
「それは脅し、と受け取ってもよろしいのでしょうか?」
「いやだわ。脅しだなんて物騒な事を。これは私たちからの忠告ですわ」
「忠告ね……」
いよいよ救いようのない人たちだとオリヴィアは思う。
心配くらいで収めておけば良かったのに、自分たちで事を大きくし、首を絞めている。
ご苦労なことだ。
オリヴィアはカティーニ公爵が認め、レイモンド自身が選んだ相手だ。
その婚約を甚だ疑問と言ったり、騙されていると言うなんて、カティーニ公爵家自体を侮辱していると取られても不思議ではない。
それに始まりこそ少しおかしなものではあったが、レイモンドとオリヴィアは結婚に関する考え方が似ているし、何より今はお互いを愛しく思っている。
学園始まって以来の才媛という呼び方も、オリヴィア自身は恥ずかしく感じるところもあるが事実である。
「テルトン侯爵令嬢はこの国以外の言葉をお話になることはできますか?」
「……いきなり何なの?」
「そのご様子では他国の言語はご理解されていないようですわね。ではスチュアート侯爵令嬢や他の方々は?」
「私は……」
皆が視線を逸らす。
ソフィアだけは読み書きだけなら2か国語可能だということだったが、その答えを受けてオリヴィアはさらに笑みを深くした。
「それが何だって言うの!?」
その様子にアトリスがカッとなった。
「その程度ではレイモンド様、いえカティーニ公爵家に嫁ぐのは難しいと思います」
「……何ですって?それならコリンズ伯爵令嬢はどれだけできるというの?私たちにこれだけのことを言うのであればご自分はさぞかし優秀でいらっしゃるのでしょうね?」
「私は3か国語、読み書きだけで良いのであれば4か国語は理解しております」
「よ、よん……?」
オリヴィアの答えに皆目が点になった。
男性ですら4か国語も操れるものは少ないだろう。
この国は非常に大きく豊かで、他国との繋がりが無くても全て自国での物で生活が成り立つ。
それ故、周辺諸国の言葉など理解出来なくても特に困ることはないし、本当に必要な場合は専用の通訳を付ければ良い。
特に貴族の女性ならなおさらだ。
「そ、そんなの……!だから何だって言うのよ!」
たしかに今まで生きてきて、外国語を理解できなくて困ったことはないだろう。
4か国語も理解出来るオリヴィアが異常なのだ。
「普通に生活している分には何も困りません。けれどレイモンド様はカティーニ公爵家のお方です」
すべて自国で事足りるとは言っても、国交や交易が無いわけではない。
公爵家ともなれば、他国からの貴賓と接する機会もそれなりにある。
「そんな時、相手の言葉を一々通訳を通してでしか会話できない者と、すらすらと会話できる者、どちらが好意的に見られるかなどわかりきったことでしょう」
公爵家はただ家格が高いだけではない。
高いだけの義務と役割があるのだ。それは他の貴族も同じだろうに、ここにいるご令嬢たちは言われて初めて気づいたというような顔をしている。
きちんと理解している者の方が多いとは思うが、このご令嬢たちやゴブレスのような者たちは、同じような考え方の者だけで集まっているせいで誰も忠告する人がいないのだろう。
嘆かわしいことである。
「それにレイモンド様の価値とは何でしょう?皆様のお話を聞いていると、まるで彼をアクセサリーか何かだと勘違いされているような気がしてなりません。レイモンド様も私のことを自慢できる、できないで考えるような方ではございませんわ」
とはいってもレイモンドの口から語られるオリヴィアは自慢の婚約者以外の何者でもないのだが。
まあそこは自慢するために婚約したのではなく、レイモンドがオリヴィアの素晴らしさを語ったらそうなってしまうだけなので仕方がない。
「たしかに私は皆様に比べれば見劣りする容姿かもしれません。華やかさも足りないかもしれません。けれど、レイモンド様が私が良いのだと仰ってくれるのです。誰に何と言われようと私はレイモンド様のお気持ちを信じておりますし、この婚約を辞退する気などございません」
元々相手が誰であれ、自分は一生結婚相手だけに誠実であろうとオリヴィアは決めていたのだ。
万が一、万が一にでもレイモンドの気持ちが離れて行ったとしてもこの思いは変わることはない。
「それと、これは本日特によく思ったことなのですけれど……」
オリヴィアは顔の前で扇を開き、あえて視線だけ動かして周りを見渡した。
「気に食わない相手がいるのは仕方のないことですわよね。人間ですもの」
オリヴィアだって今ここにいるご令嬢たちのことを好きにはなれないし、ゴブレスのような人も嫌いだ。
「だからといってその感情を全て表に出したり、相手を貶めるような行動ばかりされるのはどうかと思いますわ。ただのお友達との会話なら問題ないでしょうが、公爵家の人間となるならば己を律することができない者など、それこそ相応しくありません。そう思いませんか?」
小首を傾げてオリヴィアがそう言えば場の空気が凍った。
それもそのはずだ。「つまり皆様は私などよりもよほど公爵家の人間となるにはふさわしくないとご理解いただけて?」と言外に言われたも同然なのだから。
オリヴィアは自分を睨みつける視線などものともせず話し続ける。
「そうでした。私、皆様にお願いしたいことがございましたの」
「お願いですって……?」
「ええ、そうです。レイモンド様のお名前を呼ぶことを控えてくださいませんか?今後はぜひオーウェル卿とお呼びください」
「なっ……なぜコリンズ伯爵令嬢にそのようなことを言われなければなりませんの!?」
「そうよ!あなただって呼んでいるじゃない。レイモンド様から言われるのならまだしも!」
「私の前だからわざとレイモンド様とお名前を呼んでいらっしゃるのはわかっておりますのよ?」
以前の夜会ではレイモンドの前ではきちんとオーウェル卿と呼んでいたはずだ。
オリヴィアの前だからこそあえて挑発的にレイモンドの名を呼んでいるであろうことは明白だった。
「お忘れのようですけれど私はレイモンド様の婚約者です。お名前をお呼びする権利がありますわ。もちろん許可を得ておりますし、名を呼んでほしいとレイモンド様からも言われておりますもの。対して皆さまは違いますでしょう?」
「私は許可をいただいたわ!」
「――ご冗談を」
オリヴィアの声がワントーン下がる。
「嘘はいけませんわ、アトリス様」
「……本当のことよ」
「あら、おかしいですわね。私レイモンド様より、他のご令嬢に名を呼ぶことを許したことはないとお聞きしているのですけれど」
「っ……」
なぜこんなにすぐにわかるような嘘をつくのかオリヴィアは理解に苦しむ。
レイモンドは親しくもない女性に名を呼ぶことを許すような人間ではない。
自分の立場と影響力をよくよく理解している彼が、そのような軽はずみな行動をするわけがないのだ。
公爵家の人間に関しての嘘を意図的に口にしたとなれば正式に抗議されてもおかしくない。
オリヴィアは口から零れそうな溜息を飲み込んで席を立つ。
「今日あったことは全てレイモンド様にご報告させていただきます」
「……卑怯者」
「あら、何をもって卑怯だなんておっしゃるのです?」
「ただの婚約者の分際で公爵家の権力に縋ろうだなんて卑怯じゃないの!」
自分のことくらい自分で対処しろとでも言うのだろうか。
オリヴィアだってできることならそうしたい。けれど今回ばかりはそれでは駄目なのだ。
「私も、私のことだけでしたらそうしましたわ。けれど皆様はカティーニ公爵家を侮辱なさいました。これは私一人の問題ではありません」
「何を言っているの?」
「私たちがいつあの方たちを侮辱したというのよ!?」
「……それがわからないのならば、皆様は一から教育を受け直した方がよろしいかと思います」
「なんですって!?」
「私を見下すだけなら大した問題にはならないでしょう。アトリス様とソフィア様は侯爵家の方でいらっしゃいますもの。けれど皆様は私を通してカティーニ公爵家を、レイモンド様を侮辱したことがなぜおわかりになりませんの?皆様は先ほどレイモンド様は結婚後は妻を省みず、捨てるような非道なお方だと仰ったのですよ?あとは私を選んだことが甚だ疑問、でしたかしら?つまり私のような者を選ぶなど人を見る目が無いと言ったも同然です。そして公爵家の方々は私のような小娘に騙されるような愚か者だと侮辱した」
「そ、そんなこと言っていませんわ!」
「そ、そうですわ。被害妄想が激しいのではなくて?」
「そうお思いならそれでもよろしいですけれど。どう判断されるかは公爵家の方々にお任せいたしますわ。ご自分の行動が正しいと、恥ずべきところがないとお思いならば何も恐れることなどございませんわね」
オリヴィアはにっこりと笑って「では皆様、ごきげんよう」と言ってその場を離れた。
皆一様に顔色を悪くし、中には震えている者もいたようだが自業自得だとオリヴィアは思う。
皆もう大人なのだ。自分の思い通りにならないもの全てに悪態を吐いていれば、いずれは痛い目に遭う。
オリヴィアよりも多くのお茶会などに参加しているだろうに、その辺りを学んでいないところをみると、本当に自分の都合の良いものばかりを多く選んで参加していたのだろう。
彼女たちよりも一世代上の夫人たち主催のお茶会やパーティーに参加していたならば、もっと多くを学び、人と人との駆け引きや、どこまでが許される発言なのかのぎりぎりの境目を見分ける能力が付いたはずだ。
(自分にとって都合の良いものばかりに目を向け、苦手なものを遠ざけるからあんな甘ったれた人間になるのだわ)
自分も気を付けねばと思いながら、何度もこちらを気にしていた休憩スペースに控える給仕係に「ご苦労様。気に掛けていただき助かりました。申し訳ないけれど、あちらの方々が倒れるようなことがあればよろしくお願いしますね」と声を掛けてメインのパーティー会場へと戻った。
その後ベアトリスと合流し、お互いにあったことを報告し合っていると、会場がざわざわとにわかに騒がしくなった。
何事かと人が集まるほうへ行ってみれば、そこには開催者の夫人と挨拶を交わす男性の姿があった。
「ちょっとオリー。あれオーウェル卿じゃない?」
「そうね。どこからどう見てもレイモンド様だわ」
集まった人々の隙間からオリヴィアたちがレイモンドを見ていると、それに気づいた開催者の夫人がオリヴィアたちに手を振った。
それにつられるようにしてこちらを向いたレイモンドとオリヴィアの目が合うと、彼はその麗しい顔に蕩けるような笑顔浮かべて「リヴィ」と手を振った。
途端、周りの女性陣から黄色い声が上がる。
オリヴィアの隣にいたベアトリスでさえも少し頬を赤らめて「あれは目に毒だわ。オリーったら本当にすごい人の婚約者になったのねえ」と感心したように言った。
勝者オリヴィア!
まあ初めから勝負にならないというか何というか( ̄▽ ̄)
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