1.恋愛結婚いたしましょう
元々短編のつもりで書き始めたので、この1話だけ読んで終わりでも良いかと思います。
一応まとめたつもり。
「私は恋愛結婚がしたかった」
「……まあ」
ある晴れた日の昼下がり。
ガルゼア王国の由緒正しきカティーニ公爵家の庭で咲き誇る花々を見ながら、隣にいる男が口にした言葉にコリンズ伯爵令嬢オリヴィアは目を丸くした。
(何と答えるのが正解なのかしら。難しいわね)
オリヴィアに対して突拍子もないことを口にしたこの男の名はレイモンド・カティーニ。
このカティーニ公爵家嫡男であるオーウェル子爵レイモンドだ。
そしてオリヴィアの婚約者でもある。
(オーウェル卿はこの婚約が不服ということかしら。やっぱり、そうよね……。まあ、私よりももっと華やかな女性と縁を結びたかったと言われても、ご愁傷様ですとしか言えないけれど。まあ、こればっかりはねえ)
オリヴィアはレイモンドの顔を横目で見つつ、溜息を吐きたくなった。
それもそのはず。
この婚約は今日、つい先ほど結ばれたばかりなのだから。
これは両家の親同士が決めたもので、そこに子供である自分の気持ちは全くと言っていいほど介入していない。
父であるコリンズ伯爵から自身の婚約を聞かされ、異論は無いなと聞かれたくらいだ。
一応相手は誰なのかと話を聞けば、まさかのカティーニ公爵家。
異論は無かったし、あったとしても言うべきではないことくらい分かっていた。
この婚約は政略的なもので、この縁によってコリンズ領が今よりも潤うことはオリヴィアにも簡単に想像できた。
他にもカティー二公爵家にとって都合の良い相手はいただろうに、どうしてレイモンドの相手に自分が選ばれたかは分からない。
カティーニ公爵家のレイモンドと言えば、その名を知らぬ者は貴族ではないと言われるほどの人物だ。
公爵家という王族に次ぐ家格はもちろんのこと、レイモンド自身の能力の高さも目を見張るものがあった。
オリヴィアはレイモンドが卒業したのと同じ学園に通っていたが、彼が卒業した後も教師が「レイモンド・カティーニのように研鑽しろ」とつい口にしてしまうほど優れた成績を残していた。
そして何よりも目立つのがその美貌。
王妹であるカティーニ公爵夫人の美貌を色濃く受け継いだ彼は、まるで物語の中の王子様のように煌びやかな容姿を持っていた。
毛先に向かって明るさを増すダークブロンドの髪に淡い茶色の瞳。
色だけならばさほど珍しいものではないのだが、とにかく容姿に優れていた。
人によって好みの違いはあったとしても、それでもあるべき場所にあるべき物が収まったというくらいに誰もが美男子だと言うであろう容姿をしていた。
それこそ社交界に出始める以前から、婚約の打診が後を絶たないと噂されるほどだ。
夜会などではご令嬢からの熱烈なアプローチを受けない日は無いとまで言われている。
もちろんオリヴィアもそんなレイモンドの噂はよく耳にしていた。
初めてレイモンドを目にした時は、噂を超えてくる人もいるのだなと感心したくらいだ。
大概噂というものは事実よりも誇張され尾ひれが付いているものだと思っていたが、レイモンドに限ってはそうでなかった。
学園でもいまだに語られるほどの優秀さにあの美貌。
これは女性が放っておいてくれなさそうだと思ったし、実際にその時は多くの女性に囲まれていて大変そうだった。
無表情を貫くレイモンドに、どこに行ってもあれでは可哀想にと内心同情したほどだ。
まあ、ご令嬢を蔑ろにすることも無く振る舞いとしてはしっかり紳士のそれだったけれど。
だからこそ笑顔が無くとも優秀で人気のあったレイモンドではあったが、婚約者は決まらないままだった。
レイモンドが誰それと懇意にしているという噂も無いわけではなかったが、その多くは真実味に欠け、レイモンドの婚約者の座を狙っている女性側が嘘の噂を流しているのではないかと言われていた。
彼の相手はいずれ公爵が決めるのだろうと多くの者は見ていたが、まさかその相手が自分になるとはオリヴィアは全く考えていなかったのだ。
栗色の髪に青みがかった黒に近い瞳、決して不細工ではないが美人でもない。
そんな平凡な容姿をオリヴィアはしていた。
レイモンドの隣に立っても引けを取らないような華やかな年頃の女性もいたはずだが、カティーニ公爵が選んだのはオリヴィアだった。
選んだ理由がコリンズ伯爵家だったのか、オリヴィア本人なのかは分からないが。
もしもオリヴィアという人物を選んだというのなら、それは恐らく彼女の教養や身綺麗さを評価してのことだろう。
恋愛を経て結婚をする貴族が増えてきたとはいえ、いまだ大多数は政略による結婚が多い。
結婚し、跡取りをもうけてから各々が好きな相手と恋愛を楽しむという貴族も少なくない。
幸いオリヴィアの両親はそのようなことは無かったが、愛し合っているかと聞かれればそうではないと思えた。
オリヴィアの実母は彼女がまだ幼い頃に病気で他界したのだが、父親はその後すぐに後妻を娶った。
それは父親に愛人がいたとかそういうことではなく、男児―—この国では基本的に男が爵位を継ぐ――がいなかったことから早めに後妻を迎え跡取りをと周りからも言われていたからだとオリヴィアも分かっている。
つまり、結婚と恋愛は別と考える者も多く、結婚後だけでなく結婚前にも恋愛を楽しむ者も多いのだ。
その点オリヴィアはそういったことには興味が無かった。
いずれ自分も親の決めた相手と結婚することになるだろうが、その相手が結婚前も結婚後も自分以外の女性と親密な関係にあるのは嫌だと思う。
だから自分もそんなことはしない。
相手がどうかは分からないが自分だけでも誠実にいようとオリヴィアは考えていた。
自分がやられて嫌なことは人にもしないというのがオリヴィアの考え方だった。
だからこそレイモンドが言った言葉に溜息を吐きたくなったのだ。
恋愛がしたいだなんてことをこの場で言うなんて、勉学という意味では優秀でも人として馬鹿なのだろうかとオリヴィアは思った。
(なんだか出鼻を挫かれた感じね。私は愛情は無くても夫となる方に誠意をもって尽くそうと思っていたのに……)
そう思っても、もう婚約は成された。
せめてもう婚約したのだから、結婚して嫡子を成すまでは恋人を作るのは控えてほしいと伝えるべきだろう。
もし、現在進行形ですでに恋人がいるのなら、たとえその女性を愛していたとしても、自分を蔑ろにせず、きちんと婚約者として接してもらうようにお願いするしかないとオリヴィアは思った。
「オリヴィア嬢?」
「いくら私のことが気に食わなくても……他所で子をもうけるのだけはお止しになって下さいね。後継ぎ問題で揉めるのは御免です」
色々考えていたオリヴィアは、色々な部分をすっ飛ばして他所で子を作るなと言ってしまった。
カティーニ公爵家を継ぐのはレイモンドなのだ。
オリヴィアはただその伴侶に選ばれただけの存在。
公爵家の者に伯爵家の者が意見するなど出過ぎた真似だったかもしれない。
今の言葉は思っていても言うべきではなかったと気付いた時には時すでに遅し。
レイモンドは驚いたようにオリヴィアを見ていた。
「も、申し訳ありません」
「……オリヴィア嬢、今の発言は……」
「いえ、お気になさらず。オーウェル卿がどなたとお付き合いされようとも私が口を出すべきことではありませんでした。お忘れください」
オリヴィアが慌ててそう言うと、レイモンドはしばし動きを止めた後、ハッと何かに気付いたように目を見開いた。
「……オリヴィア嬢、君は恐らく勘違いをしていると思う。いや、私の言い方が悪かったのだが」
「勘違い、ですか?」
「ああ、少し座って話そうか」
レイモンドはオリヴィアの手を引くと庭の一角にある四阿へと向かった。
途中で会った使用人に頼んだお茶が運ばれてくると、レイモンドは「誤解を与えて申し訳ない」と頭を下げてから、先程の自分の発言に関して説明をすると言った。
「まず、オリヴィア嬢は何を考えてのあの言葉だったのか聞いても良いだろうか?」
「そ、れは」
オリヴィアは正直に話して良いものかどうか迷った。
基本的に、貴族の中では結婚相手に恋人や愛人がいようが、自分がぞんざいに扱われていないのならば見て見ぬ振りをするべしという謎の暗黙の了解がある。
腹の立つ話だが実際そうなのだ。
これは婚約者にも適応される。
非常に腹立たしい話だが。
そして今のところオリヴィアは不当な扱いは受けていない。
まだ婚約初日だが。
オリヴィアは俯いたまま何も言えずに黙ってしまう。
レイモンドはそんなオリヴィアを見て、両肘を突いて組んだ手に顎を乗せて溜息を吐いた。
「オリヴィア嬢。本当に私の言い方が良くなかったのだが……まず始めに、私は君との婚約を不服に思っていたりはしない。言い方は悪いが、オリヴィア嬢を選んだのは私だ。不服に思うはずがない」
レイモンドの言葉に驚いたのはオリヴィアだ。
そしてそのオリヴィアを見てレイモンドは苦笑を浮かべる。
「何にそんなに驚いたのか聞いても?」
「……オーウェル卿がお選びになったのですか?私を?貴方が?」
オリヴィアは不思議でしょうがなかった。
選ばれるほどの接点や利点が自分たちの間にあっただろうかと考えを巡らせる。
「もっと素敵な人がいたでしょうに」
「それを君が言うのか。変わった子だな。調査書を見る限り、オリヴィア嬢も十分素敵な女性だと思うよ」
「調査書?」
レイモンドの話によると、カティーニ公爵家では釣書が送られてくると、そのご令嬢を調査するそうだ。
家柄に学歴や社交界での評判、人となり、異性関係などなど、公爵家に相応しいかどうか、将来公爵夫人としてやっていけるかどうかを調べるのだという。
オリヴィアも、父親が勝手に釣書を送っていたようだ。
「その調査を通過した相手だけが私に知らされ、そこで初めて私は釣書を目にすることになる」
「けれど、私以外にもたくさんいらっしゃいましたでしょう?」
狭き門だとしても、オリヴィアだけが通過したわけではないはずだ。
なにせレイモンドを、カティーニ公爵夫人の座を狙う者は数多くいるのだから。
「オリヴィア嬢はその中でも飛び抜けて成績が優秀だった。成績表も目にしたが、さすが学園始まって以来の才媛と言われるだけのことはある」
そんな物まで確認したのかとオリヴィアは驚く。
たしかにオリヴィアは学園で成績優秀者だった。
入学した時と、1回目の試験こそ1位ではなかったが、あともう少しで1位になれたと知ったオリヴィアは生来の負けず嫌いを発揮して、1位を取るべく勉学に励んだ。
2回目の試験で1位を取ってからは、卒業までその位置を守り続けた。
元々知らないことを知るのが好きだったオリヴィアは勉強するのも全く苦にはならず、周りの子たちが誰それとデートだ何だと言っている時も、復習になると言って孤児院で子供たちに勉強を教えたりしていた。
「才媛ですか……女のくせにそんなに学んでどうするんだとか、賢すぎる女は嫌だなんて言われていましたけれど」
自分より賢い女は可愛くないらしいとその時知った。
まあ、だからと言って勉強を止めるという選択肢はなかったが。
要は出しゃばらなければ良いのだろうと思ったし、そんなことを言ってきた男子生徒は目も当てられないような成績だったのでさほど気にもしていないが。
「教養があって立ち回りが上手くなければ公爵家は無理だ。私自身も話の通じない女性よりは対等に話し合える女性の方が好ましい。それにオリヴィア嬢は外国語も得意だろう?」
「そんなことまでご存じでしたか」
「我が家の者は優秀でね。と、まあそれは良いとして、一番の決め手はオリヴィア嬢が結婚前も結婚後も恋人を作る気は無いと言っていたことだ」
「……本当にどこまで調査しているんですか」
友人たちとの会話の中でくらいしか言ったことは無いと思っていたのだが。
自分でも知らない自分のことが書かれていそうな調査書が怖い。
「けれど……そうですね。私はお調べになった通り、夫となる方以外に恋人を作ろうなどとは思っておりません。たとえ夫となる方に女として愛されなかったとしても。けれど、オーウェル卿にまでその考えを押し付けるつもりはありませんのよ?まあ派手に遊ぶのは控えていただきたいですし、恋人を同じお屋敷に住まわせるなんてことは止めていただきたいですけれど……ですが、いずれご当主となられるオーウェル卿に逆らうつもりはありません。もし、今のような小言ですら煩わしいと仰るのならもう言いません。口を噤むことをお約束いたします。今更この婚約は無かったことにと言われても困りますもの」
非常に不本意だがとオリヴィアは思う。
けれど、婚約を白紙にされてしまったら、父親も怒るだろうしコリンズ伯を継ぐまだ小さな弟にも迷惑がかかってしまうだろう。
領民にだって何らかの影響が及ぶかもしれない。
そうなっては困るので、オリヴィア一人の我慢で済むなら致し方ないと彼女は思う。
非常に不本意なのは変わらないが。
「いや、だから、そもそもそこから話がずれている。私に恋人などいないし、これから先も作る気は無い。子供も、君以外に産んでもらうつもりはない」
レイモンドの言葉にオリヴィアの頬がかぁっと赤く染まる。
先ほどまでオリヴィアの方からその話をしていたはずなのに、いざレイモンドの口から子供の話が出ると、なぜか恥ずかしく感じてしまった。
「私はね、いつか父の決めた相手と結婚するのだと幼い頃から思っていた。この公爵家という家に生まれたからには相手が誰でも良いというわけにはいかないだろうということも理解していた。この家で妻となる人が上手くやっていくには自分が選んだ者よりも、両親が認めた者の中から選ぶのが一番平和的だと思っていたんだ。だからなるべく女性と積極的に関わらないようにしていたし、敢えて心を傾けないようにしていた」
それで夜会ではあの無表情かとオリヴィアは納得する。
レイモンドは「お前が笑わない方が良い。女に笑いかけたら大変なことになる」と友人に言われていたらしい。
その友人はかなり的確なアドバイスをしたとオリヴィアは思った。
レイモンドが不用意に笑顔を向ければ、たとえレイモンドが恋人を欲しがっていなかったとしても、女性側が積極的に動いていたことだろう。
今までの笑わない彼でもそうだったのだから、笑顔を振りまいていたら今よりもっと大変なことになっていたはずだ。
「私の母が現国王の王妹だということはオリヴィア嬢も知っているだろう?父もそんな母を蔑ろにして他所に愛人を作るような愚かな男ではなかったが、そこに愛があるのかと聞かれるとよく分からない。もちろん家族としての情はあるだろうし、妻として母を尊重しているのは分かるが」
レイモンドは自分もいつか妻を娶って、このような形の家族を築いていくのだろうと漠然と思っていた。
けれど、街中で見かける庶民の夫婦や恋人である男女が幸せそうに微笑んでいる様子を見ていると、それを羨ましく感じている自分がいることにも気づいていた。
「庶民と同じように、などとは公爵家の長子である自分が望んではいけないことだということはよく分かっていた」
自分の相手はいずれ政略的に父親が選ぶ。
庶民のように、恋愛の末に結婚するなんてことは有り得ないだろう。
かと言って、妻となる人以外に恋人や愛人を作るなんて不誠実なことはしたくなかった。
恋愛結婚という憧れにも似た感情は早々に捨て去るべきだと自分に言い聞かせた。
「けれど、ある時気が付いたんだ。妻となる女性を好きになれればそれはもう恋愛結婚なのではないかと」
そう思った時、なぜ今までそのことに気付かなかったのかと笑ってしまった。
どこか結婚相手と恋愛相手は違うものだという貴族らしい考え方が染みついていたのだろう。
妻を愛していけないという決まりはどこにもない。
むしろそちらの方が健全であり、当たり前のことではないのか。
妻となる女性、つまり婚約者を愛し、その人に自分のことも愛してもらえれば、自分の憧れた恋愛結婚そのものではないかとレイモンドは嬉しくなった。
そして選ばれたのがオリヴィアだった。
優秀なのは間違いないが、勉強ばかりしているのかと思えばそうでもない。
社交にはしっかり顔を出し、その中で特に記憶に残らない当たり障りのない発言をし、上位貴族に目を付けられることも、下位貴族に妬まれることも無い。
一見、優秀さ以外記憶に残らない地味な令嬢と思いがちだが、オリヴィアの場合はそうではない。
『オリヴィア様?思慮深くて良い方よね』
『何でも答えてくださるからついついお話しし過ぎてしまうわ』
『あまり着飾らないからお洒落に興味が無いのかと思っていたけれど、意外と流行にも詳しいのよ』
自分の立ち位置をしっかり把握した上で、敢えて目立たないように、角が立たないように立ち回っているのだ。
さして興味が無いはずの流行のドレスや菓子もしっかり押さえ、どんな話題を振られても対応できる教養。
しかも身持ちも固い。
その賢さと清廉さ故に、頭の足りない男や恋人を持ちたい男からは敬遠されているようだが、レイモンドからすればこれ以上ない女性だった。
婚約を結べるようになったばかりの年齢と言っても、まだ誰からも求められていなかったのは幸運だった。
コリンズ伯爵家にも特に後ろ暗い所も無く、領地経営は安定しており、オリヴィアの弟である次期コリンズ伯爵になる嫡子も勤勉であり、次代も安定を継続していけるだろうと評価されている。
公爵家に届けられる釣書の中から厳しい審査を通ってレイモンドに渡されたということは両親揃ってこの娘ならとすでにお墨付きをもらっているようなものだった。
当時、オリヴィアとは別に候爵家の令嬢が2人審査を通ったが、その令嬢たちは華やかさこそオリヴィアに勝っていたが、教養や公爵夫人となる資質としてはオリヴィアよりも劣っていた。
けれど、審査を通ったということは、両親が定める基準はクリアしているということで、この中からなら誰を選んでも構わないということでもあった。
その中でレイモンドはオリヴィアを選んだ。
侯爵家は二つの家とも両親それぞれが愛人を囲っており、夫婦仲は冷め切っていた。
娘たちもそれが普通だと思っていたし、1人の令嬢には最近まで恋人がいたことも書かれていた。
彼女たちは自分の容姿と家格に自信を持ち、レイモンドの隣には自分が相応しいと思っていたが、それは恋愛感情からではない。
単純にレイモンドの手にする爵位と美貌に熱を上げ、夜会で顔を合わせれば近寄って来てアピールし、周りの者への牽制も忘れない。
彼女たちはレイモンドが好きなのではなく、レイモンドの持っている物が好きなのだ。
そんな彼女たちをレイモンドは愛せる気がしなかった。
そしてそうなれば彼女たちは自分を愛さないなんてと憤り、他に男を囲うのだろう。
それに比べてオリヴィアはどうか。
『結婚前も結婚後も恋人を作る気は無い。誰が相手になるか分からないが、相手に対して誠実でありたいと言っていた』と書かれていた。
実に好ましい。
この時点で好ましいならきっと愛することができる、そんな確信があった。
直接話をしたことも無く今日という日を迎えたが、レイモンドから見たオリヴィアは十分素敵な女性だった。
派手さの無い落ち着いた色合いの髪はオリヴィアの凛とした雰囲気によく合っていたし、何よりも光の加減によって藍色にも黒にも見える冬の夜空のような少し釣り目のつぶらな瞳は、自分を見透かされているような不思議な気持ちにさせられた。
レイモンドは気づいていないが、婚約者となった女性――つまりは心を傾けないようにしようと言う枷を外して良い相手――としてすでにかなり好意的に見ていたのだ。
「まだこうして話をするのも初めての段階だが、私の直感がおそらく君を女性として愛することができると言っている。できればオリヴィア嬢にも私のことを男として好きになってもらいたいと、そう思っているんだ」
「……それが、先程の恋愛結婚がしたい発言に繋がるのですか」
オリヴィアは絞り出すようにそう呟いた。
呆れているわけでも、怒っているわけでもない。
ただただ、恥ずかしくて仕方が無いのだ。
たしかにオリヴィアは結婚相手の支えとなり誠意をもって接しようと決めていた。
相手が誰になるかは分からないが、妻として誠意をもって接してもらいたいたいと思っていた。
けれど、女性として愛してもらおうとは思っていなかった。
いや、愛してもらえるとは思っていなかったのだ。
金銭に余裕のある家ほど伴侶以外の者と恋愛を楽しんだりすることが多いことは知っていた。
カティーニ家は力のある公爵家で、言わずもがな裕福で、レイモンドは文句のつけようのない美貌の持ち主で、黙っていても女性の方から寄ってくる存在だ。
だからレイモンドとの婚約の話を聞いた時、地味だが教養のある自分は公爵家の嫁として迎えられはしても、女性としては愛されないだろうと自然とそう思っていたのだ。
そしてレイモンドの「恋愛結婚がしたかった」という言葉を聞いて、ああやっぱりと思ったのだ。
ところがこの状況はどうだろう。
レイモンドは妻になる女性、つまりはオリヴィアと恋愛をしたいと言った。
オリヴィアのことを女性として愛せると言った。
そして自分のことを好きになってほしいと言ったのだ。
これはもう愛の告白と言っても良いのではないのだろうかとオリヴィアは思う。
レイモンドの言葉を頭の中で反芻し、恥ずかしさと嬉しさのあまり頬を赤く染めた。
オリヴィアは今まで生きてきてこんなに甘い言葉を掛けられたことは一度だって無かった。
女性として愛してもらえるかもしれないということがこんなに嬉しいことだとは思ってもいなかった。
オリヴィアが恐る恐るレイモンドを見ると、彼は不安気にオリヴィアを見ていた。
「いきなりこのようなことを言って困らせてしまったかもしれないが……なるべく君に好いてもらえるように不満なところがあるようなら言ってもらえればできる限り改善するように努めるつもりだ」
「ふ、不満だなんて、そんなものあるはずがありません」
この人に不満なんて持ったら罰が当たる。
オリヴィアは割と本気でそう思った。
元々非の打ち所の無いこの男は考え方までも完璧だった。
色々な相手との恋愛を楽しみたいと思っている者にとってはそうではないかもしれないが、少なくともオリヴィアにとっては最高の相手であることに間違いは無かった。
「本当に?分かりやすいところで言うと、この見た目はどうだ?オリヴィア嬢は私のこの男らしさに欠ける見た目は嫌ではないか?」
「素敵だと、思います。……オーウェル卿は嫌なのですか?」
「嫌というわけではないが……できればもう少し精悍な顔立ちの方がと思わなくもない」
誰もが羨む美貌の持ち主は自分の顔に不満があるらしい。
他人からすればとんでもなく贅沢なことだが、本人はいたって真剣に言っている。
(この方も、意外と普通の青年なんだわ)
そう思うと何だかおかしくなってきて、オリヴィアはつい笑ってしまった。
「オリヴィア嬢?」
「いえ、ずいぶん贅沢な悩みだなと思いまして。オーウェル卿のお顔はとても素敵だと思います。むしろオーウェル卿こそ私のような容姿の者が相手で良いのですか?努力でどうにかなる範囲内なら貴方の隣に見合うように頑張りますわ」
「オリヴィア嬢は今のままでも十分ではないか」
「……本気で仰ってます?」
「本気だが?特に君のその目はとても美しいと思う。初めは黒だと思ったが、光によっては藍色にも見える」
そう言ってレイモンドはテーブルに身を乗り出すと、その手でオリビアの額にかかった前髪をするっと横に流した。
オリヴィアとレイモンドの視線が交わる。
レイモンドは目を細めて「ほら、やっぱり美しい」と言った。
途端、オリヴィアの顔が真っ赤に染まる。
これはもう駄目だ。
この男にこんなことを言われて心を揺さぶられない女がいたら連れてきてほしいとオリヴィアは思う。
「オーウェル卿のご友人のアドバイスは正しいですわ。そんなお顔を向けられてそんなことを言われては……皆貴方に恋してしまいます」
オリヴィアの必死な返しにレイモンドは一瞬目を瞠った後、「では、これから先も私の笑顔はオリヴィア嬢だけに向けよう」と言って、社交界では見せたことのない笑顔を惜しげもなくオリヴィアに見せたのだった。
その笑顔が眩しすぎて、オリヴィアは一瞬意識を飛ばしかけた。
自分はとんでもない相手と婚約を結んでしまったかもしれないと思ったが、それは嬉しい悲鳴でもあった。
四阿を後にし、両親のいる部屋まで婚約者の腕に手を添えて歩きながら、オリヴィアはレイモンドに語り掛けた。
「オーウェル卿」
「何かな?」
「私、先程の笑顔ですっかりオーウェル卿の術中にはまってしまったようです。今更オーウェル卿のことを好きになってしまった私をやっぱり愛せなかったなどと仰っても困ってしまいますので、責任をもってしっかり私のことを愛してくださいね?そうでなければ恋愛結婚は成立しませんわよ?」
少し唇を尖らせて照れながらもそう言ったオリヴィアに、今度はレイモンドが頬を染めた。
「やはり……君を選んだ私の勘は間違っていなかった」
歩みを止めたレイモンドは隣にいるオリヴィアの顔を覗き込むと、「だったらまずは私のことはレイモンドと呼んでくれないか?恋人なら名前で呼び合うものだろう、オリヴィア?」と言ってオリヴィアの頬に軽く口付けを落としたのだった。
短編として書き始めたけれど、なんだかもう少し二人を書きたくなったので続けてみようと思います。
ラブラブカッポー♡目指します!笑
他にもやらないことがある時に限って何か書きたくなる不思議……。
のんびり更新予定です。
のんびりお付き合いください。