廃ホテルで、修学旅行
注意:残酷・暴力描写。救い無し。
来たれ、廃墟の日。
「当ホテルは、明日最後のお客様をお見送りして、百年の歴史に幕を閉じます」
支配人を名乗る初老の男性が、キンキンとノイズのまじるマイクを前に、気持ち良さそうに話している。
その目の前に雑然とした様子で一応「整列」させられた中学生たちは、もはや何も聞いていない。前後や隣の誰かとくすくす笑いながら小声でしゃべっている。
なにせ今日は修学旅行。体育の授業や朝礼のように身長順ではなく、「仲良し」グループで固まっている。話は尽きない。
一方で、聴衆がほぼ何も聞いていない様子を、「支配人」も特に気にしているそぶりはない。
キイィィィィンとハウリング音のなるマイクを、手で軽く叩きながら続ける。
「なお、この建物及び内装は買い手がつきませんで、このままここにすべて置いて行くことになります。何もかもが古い上に、値打ものもないですからね。やむを得ないかと」
アンティークと呼べるような、値のつくものはとうに売却済み。いま館内に残っているのは、かろうじて最後の日まで営業をもたせるためだけの、古びただけの廉価品のみ。
生徒たちが集められた広間も、何もかもがくすんだ色合いをしていた。
擦り切れた絨毯。黄ばんだレースのカーテン。タッセルで留めたドレープカーテンは刺繍風のプリントごと色褪せ、ほんのりと残った地のグリーンにかつての色がようやく知れる。
壁紙は合わせ目から剥がれてまくれあがり、ベニヤ板のような壁が数か所で剥き出しになっていた。
等間隔に並んだ壁付けのブラケットランプも、なんの変哲もない筒状のくもりガラス。中でほわっとオレンジ色の光が灯っている。
「ですので、今日宿泊の皆さんは、ここで何をしても自由です。明日、皆さんがお立ちになられた後、我々も全員ここをこのままにして鍵を締めて退去することになっています。重要なものはすべて運び出していますからね。あとは取り壊しの目途が付き次第、解体屋がきてすべてを壊すだけ」
キィィィン、と何度目かの甲高いノイズ。
支配人はばしっとマイクを叩いた後、何を思ったのか、いきなりマイクを手にして床に叩きつけた。
ノイズにまじって、ガチャンゴキッ、メリメリバキバキバキっといった音が鳴り響く。
さすがに異様な気配が漂い、生徒たちは「なに?」と顔を見合わせ口をつぐんだ。
一瞬、広間はしんと凪のように静まり返る。
転がったマイクを、支配人が黒の革靴で念入りに踏みつけた。
ゴリッという破砕音の後、機器はすべて沈黙。
先程までのキイイィィンというノイズだけが、ずっと耳の奥で鳴り響いているかのような静けさの中、支配人はにこやかな表情で口を開いた。
「ああ、ずっと耳障りだと思っていたんです。このマイク、ここ何年もの間、調子のいい日がなくてですね」
のっぺりとした笑顔。笑うという行為を忘れたまま、惰性で表情筋が動いているだけの。
そのこめかみに、つっと汗が伝う。暑い日でもないのに。支配人は、神経質な仕草でジャケットの内側に手を入れて、胸ポケットから真っ黒のハンカチを取り出して汗を拭きとった。
そして、何気ない口調で続けた。
「このようにですね、何を壊しても自由! おとがめなしです! 皆さんは、今日、好きなだけこのホテルの中にあるものを壊してしまっても構いません! 食事のお皿を床に叩きつけようが、窓ガラスをすべて粉々にしようが! 皆さんの中に刃物をお持ちの方がいたら、布団カバーを引き裂いて羽毛を撒き散らしても、机をずたずたに傷つけてもいい。そうだ、ここで今日あなたがたが最後を見届けた記念に、壁に日付や名前を刻むのも良いかもしれませんね。片付けることなど気にせず、日ごろの苛立ちをすべてをぶつけて構いませんよ。どうせなら廃墟らしい内装に生まれ変わらせてください。見違えるほどに」
支配人は、目の前に残ったマイクスタンドを手にする。両手で握りしめて、
何気ない仕草の続きのように最前列にいた少年の頭に振り下ろした。
異音が響いた。骨が砕ける。
壊れたはずのマイクが幻の中でハウリング音を響かせた。キィィィンと、警告のように。
――え、うそ、なに。やばい。いまのなに? 殴った? たけしどうした? 血? 動かない?
さざ波のように声が広がる。
凍り付き、身動きができなくなる者、咄嗟に退いた体勢になる者、引率の教師の姿を目で探す者。
殴られた生徒が、妙に緩慢な動作で倒れ、横にいた「友人」にもたれかかる。血がべたりとシャツについた男子生徒は、慌てたように彼を突き飛ばした。
どうっと、音を立てて床に倒れる。
そのまま、ピクリとも動かない。
「え……?」
冗談でもなんでもないと再確認させられるような光景。目を瞠った男子生徒は、それが最後に見た景色になったに違いない。
ゴキャ、っと不吉な音を響かせながら、彼もその場に倒れ伏す。
その背後には、マイクスタンドを振り下ろした姿勢で止まったままの支配人の姿。
「い、い、いや、いやああああああああああっ」
恐怖が空気を伝って凄まじい緊張感を生む中、耐え切れなかった女子生徒が悲鳴を上げた。
笑ったままの支配人は次々にスタンドを振り下ろすも、さすがに「くる」とわかっていた生徒たちは逃げ始める。
その後を、支配人はスタンドを持ったまま歩きながら追いかけた。
「逃げても構いませんよ~。ただし、当ホテルの立地は崖の上。窓から逃げるのは死と同然。出入口はすべて施錠済み。すみませんねぇ、従業員もほとんど残っていないので、あなた方をお迎えする準備も満足に整っていないので、こうするしかなかったんですよ」
笑ってる。笑いながらしゃべり続けている。
「ついでに言うと、解体屋の手配もできそうにないんですよね。それで私考えまして、館内のあちこちにすでにオイルをまいています。五分後に火を放ちますので、どのみち長く逃げ回ることはできませんよ。まぁ、死に方はお好きな方をお選びください」
悲鳴でかき消されて、聞こえている生徒はほとんどいないだろう。
それでも特に構わないのかもしれない。
彼はスタンドを握りしめ、近くで震える少年を見かけるとにこりと微笑みかけて、
力いっぱい振り下ろした。