極夜の空 無辺解釈(Alea iacta est.)7
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烈陽との会話ですっかり目も冴えた。あんな調子が常ということを考えるに、もしかしたら彼女のモーニングコールは案外効果的かもしれない。俺も朝は強い方じゃないしな。
ぼさぼさの髪を整え、さっさと着替えを済ませる。
そして机に置かれた銃を手に取る。その銃は俺が普段使うものではなく、銃身がやけに長いスナイパーライフルじみた長銃だった。ただし通常のそれとは違って弾倉は回転式であり、いわゆるリボルバーの形態を見せている。
リボルビングライフルというという十九世紀に出た銃の一種であるが、諸々の問題で歴史の闇に消えた失敗作である。現代を生きる人間ならば、まず使わない旧時代の異物だ。
普段から携帯するには大きすぎるし、俺の好みではないのだが、しかし懐に近づけると自然に紙片に変化した。
レイに渡された特殊な銃の一丁である。
曰く、魔術師を殺すための銃、だとか。
「・・・」
俺が仕舞った紙片に触れると、途端に銃の形態に戻る。こんな簡単に入れ替えが出来るというのに、俺が望むとき以外は誤って変形しないというのだから魔術は恐ろしい。
銃を構える。
一応今も部屋の中だが、人に見られる可能性がある外で試し撃ちをするわけにもいくまい、ということで俺は蹴り上げて浮かんだ適当なゴミにむけて撃ち出す。いや本当は外でやっても良かったのだ、ブラスクじゃ銃声は珍しくないし。俺が面倒くさがりな奴だっただけの話なのだが、それはともかく。
撃ち出された銃弾は見事に空の菓子の箱を撃ち抜いて見せ、そしてそれでは飽き足らずに壁を突き抜けていった。
恐ろしい威力である、壁に埋もれることもなく、勢いのまま空に向かって飛んでいくとは。レイによれば単純な威力だけではなく、結界などの通常の銃弾では対応できないものも貫く効果があるのだという。
しかしそれだけの威力を伴うのだ、当然代償は大きい。
まず一つは、銃弾は十九世紀に製造されたものに限る、ということだ。理由は魔術的な云々らしく俺はてんで理解できなかったが、これの入手経路は自前でなんとかしてくれ、ということだった。
ふざけんな。そんなイロモノの入手方法なんて知らねえよ。
そういうわけで俺はすぐにレイに噛みついたのだが、依頼で使われた銃弾の代金についてはあちらで支払う、ということで仕方なく退いてやった。この世界に浸るということは仕事以外でも魔術師と戦う可能性もある、上手いことやって多く金をせしめてやれば何とか採算は取れると俺は踏んだわけだ。
そしてもう一つ。
それは発砲時の異常なまでの反動の強さだった。
「いってえな・・・」
俺は持ち手をふらふらと揺らす。
拳銃だけでなく、スナイパーライフルにアサルトライフル、ショットガン、果ては機関銃までそれなりに使用できる俺だが、これほどの反動は初めてだった。敵と面と向かって戦う時に伏せ撃ちをするわけにもいかないし、これに慣れなければいけない。筋肉量も増やす必要があるだろう。
ただし、これら欠点を補って余りある威力を持っているのは確かだ。
魔術相手にも効くというし、当分はこの長銃を常用する形になるだろう。
俺はもう一度懐に長銃を近づけ、そして紙片にして仕舞う。
そして部屋を出る。
「おはようさん、ヴァルデ」
「おはようございます、宗弥様」
部屋の外、キッチンを兼ねた広間に佇む女性は、まるで俺が来るのを知っていたかのように淀みなく挨拶を返してきた。先の銃声について聞く様子はない。俺が家でいきなり発砲するなんざ、日常だしな。
その女性。女性は金髪に碧眼、決して短身ではない俺よりも大きく、その顔は美しくはあるが彫像じみていて、どこか不気味ですらある。無表情のその顔は怒りを湛えているようにもみえる。いや多分今の彼女は怒っているので、その感想は正しいだろうが。
ヴァルトルーデ・ビッケンバーグ。通称ヴァルデ。
とある事情からヴァルデは俺の家に住み込んでいる。しかしただ飯を食わせるのも癪なので、俺は彼女に雑事全般を任している。見れば、どうやら今も箒で掃除をしていたようだった。
俺の家で働く家政婦のような、それでいて母親代わりのような、今生の契りを交わした女性のような、そんな曖昧な場所に位置する女性こそがヴァルデだった。
「宗弥様、昨日は随分遅かったようですね」
「・・・まあ、な」
俺は目線を外して苦笑する。まるで不良少年に説教をする母親だ。何となく気恥ずかしくなる。申し訳ない、というかなんというか。
「魔術、ですか。また厄介なものに、そして厄介な女に出会いましたね」
彼女は俺が帰った頃には就寝していた。なので、魔術に関することはもちろんレイとの一幕について語っていないが、それでも俺が見てきたことをそうやって断言した。
俺はそこについて特段の疑問を持たない。織碕烈陽のような人間を越えた超越者が俺の傍にはいたのだ、この程度では何を思うわけもない。
精々が相変わらず凄まじい読心術だな、くらいである。
「いやな・・・最近のブラスクの事情を鑑みるに、そっち側の世界について調べなきゃいけないし、そうしたことにも強くなんなきゃいけねえだろ?そういうことだ」
「国外に逃げましょう、宗弥様。こんな馬鹿らしいことが起きているのはここだけです。この国だけです。貴方が魔術師なんていう、人間を越えてはいなくとも、人間を外れた連中を相手にしなきゃいけない道理はありません」
「うへぇ・・・」
口ぶりから察するに、やはり俺がレイから魔術師殺しの依頼をされたのも知っているようだった。恐ろしい女である。こうして考えていることも筒抜けなのだろうが。
その提案は俺を慮ってのものだということは分かる。俺を心配してのことだと。
しかし俺は首を縦に振ることはない。俺は考える。
さて、どうしたものか。
俺の全てを知っている彼女に嘘は通用しない。つまりは事実だけで、道理だけで攻めなきゃいけないわけだ・・・面倒だ。くだらねえ。
「なあヴァルデ。俺が今何を考えてると思う?」
「面倒なんで早く開放しろと、つーか思考読むなうぜえな、って感じでしょうか」
「正解だ。そんでもって、俺が今ロシアから出ていく気がねえってことも忘れんなよ」
「そうですね」
「けれど、分からねえんだよな。俺が何故出てかねえのか。だから思考の盗聴で済ませずわざわざ聞いたんだろ」
「いえ、分かってますが。国外に出ていくのを促すために言っただけです」
「マジか」
マジかよ。正直なところ、俺がそこまで考えてなかったので分からなかったと思ったのだが予想が外れた。
「宗弥様は既に戦うと決めています。昨夜、色々と考えて出した結論でした。しかしその結論にすら対して宗弥様自身あまり興味がなく、朝起きた時点で完全に忘れていました。私は分からないことが無いので分かりましたが」
「・・・」
恥ずかしい。恥をかいた。この思考すらも読まれていると思うと尚更だ。さっきの言葉の後に何を言おうとしたのかも全て吹き飛んだ。
ブラフかとも思ったが、俺のその適当具合は実に俺らしい。多分嘘じゃない。
「分からないのは一つだけです」
ヴァルデは続ける。ちなみに俺は視線を逸している。
「忘れているのに、何故宗弥様は魔術師と戦おうという気概が残っているか、という点です。もっというなら何故忘れたかも分からないですが。なんで興味ないんですか、自分のことでしょう」
「ごもっともです・・・」
普通に怒られていた。面目ない。すみません。
「反省の弁はいいです。答えてください」
「・・・何となく、とか」
「は?」
怒られて、威圧されていた。勘弁してくれ。
「何となくで命を懸けているんですか、貴方という人は」
「いやだってよ、今までも割とそうだったろ。いちいち倫理だって話すなよ。深く考えたら人間、何もできねえぜ。結局はそういうことだろ」
「話を逸らそうとしても無駄ですよ。貴方がこんなことに命を懸ける意味はありません」
「でもよ、ここで国外に出たところで俺は生き方を変えねえぜ。魔術と関係なくとも、死ぬまで命を懸け続けるぜ。これまでずっとそうしてきたようにな」
「む・・・」
ここにきて初めてヴァルデが怯んだ。その言い淀みを見逃さない俺ではない。
「俺にとっては魔術師相手だろうがなんだろうが、今までの延長線に過ぎねえ。物珍しさはあるが、特別なんかじゃねえ。やってることは変わらねえ。だから変えねえ」
「・・・」
「あえていうなら、そう、新鮮味だな。銃持ちばっかり相手してて、つまらなくなってきたんだ。そういう変な奴を殺せるってのは普通の奴よりも面白いと思うわけでよ」
「・・・もういいです、諦めました」
息を一つ吐いて、ヴァルデは上を向く。
「その時の気分で物事を進めるくせに、無駄に強情なのは変わらずですね」
「死んでも治らねえだろうな。不治の病だ」
なにはともあれ理解してもらって何よりだ。烈陽と同じく愛してるぜ、ヴァルデ。
「・・・愛を呟く一言に違う女性の名を出すのはどうかと思いますよ」
「だから呟いてねえだろうが」
俺の考えをそっちで勝手に読み取っただけだろうが。
「そうは言っても私には同じようなものですよ」
「・・・もういいや」
なんで口に出さずとも、会話のキャッチボールが成立してしまうのだろうか。そもそもとして俺はボールを投げていないというのに。
ヴァルトルーデ・ビッケンバーグ。ヴァルデ。俺の家で働く家政婦のような、それでいて母親代わりのような、今生の契りを交わした女性のような曖昧の立ち位置の彼女は、俺に負けず劣らずの面倒臭い奴だった。
「・・・お前にだけは絶対に言われたくない」
俺に気を遣ってのことだろうが、それでも堪えきれなかったのだろう、ぼそっと小さい声でヴァルデは反論してきた。こっちはその論を口に出してねえよ、反論も何もねえよ、と突っ込みを入れるのも億劫である、無視してやる。
てか、宗弥様呼びじゃなくて、お前って。素が出てるじゃねえか。
表情硬いのは昔からだが、裏では口が悪いの知ってるんだからな。
「・・・」
そう言うと(いや言ってないが)ヴァルデは渋々といった表情で黙り込んでみせる。
俺は冷蔵庫を開け、よくある黒色の炭酸飲料を喉に通す。同じラベルのやつがもう一つ入っていたが、悪ふざけだろう、その中にソースが入っていることを見逃す俺ではない。本能的ともいえるスピードで口を洗うことは二度としたくない。一度で十分だった。
「ちっ・・・」
舌打ちが聞こえた。それも無視してやる。優しいな、俺って。
「で、だ。ヴァルデ。知ってるだろ」
「・・・と、いいますと」
「あの銀髪魔術師、レイナルン・アスティバイヌスが所属する軍部とやらの事だ。連中はどれだけの影響力を持っているか、あとはまあ適当に」
ヴァルデはその異質さから、ありとあらゆることに精通している。知らないことなど本当にないのではと思わせるほどに。以前は異形人間については教えてくれなかったが、それも魔術の世界に関わらせたくない彼女なりの気遣いだったはずである。しかし、既に踏み込んでしまった現在では状況は変わっている。
であれば、何か聞けるのではと考えたが故の問いである。
「はぁ・・・まあ、そうですね。ええ」
うつむいて思索を巡らすヴァルデ。
彼女とは反対に俺はそこから何も見出すことはできない。ただ待つのみである。
思考に埋没してより一分、ヴァルデは顔を上げた。どことなく嫌そうな顔で、ため息を一つ吐く。
「魔術師なら誰でも知ってる程度なら・・・まあ、いいかなとは思います」
「よし」
あくまで第三者で在り続ける“観測者”である彼女なら、客観的で正確な情報が得られる。俺がレイにこれについて訊かなかったのもそのためだった。偏った見方など知らない方がいいってもんだ。
「やっぱり俺にはヴァルデしかいねえや。最高だぜ」
「私も宗弥様のことは、ずっとお慕い申し上げておりますよ」
そういって「では」といってヴァルデは続ける。
「宗弥様が軍部と呼ぶ組織は世界各国に点在する魔術組織の一つで、ロシアでは最大の組織となります。世界の規模と比べれば中の上といったところでしょうか。その性質上、ロシア当局の上層部は存在こそ認知してかなりの金を出していますが、ほとんど周知されていないと聞きます。あくまで秘匿されるべき組織ですからね。ですから影響力も魔術世界に限られたもので、さほど大きくないとのことです。ただ最近は事情が事情ということもあって、頻繁にロシア当局ともやり取りをしていると噂されています」
最低限のラインを守るため、あえて断言まではしない。
そこに彼女の信念が窺えた。
「中の上か。上には上がいるんだな。いや軍部なんざ、見たことねえけどよ。他にはどんな連中がいるんだ?烈陽は日本が陰陽師で、アメリカが超能力者とか言ってたが」
「代表的なものでいえば、世界大戦のごたごたを隠れ蓑にして出来上がった魔術の国、魔術師の国、最強の軍事国家ルガルバンダ。単純な戦闘能力だけでなく、敵を殺すためのその徹底ぶりからどこよりも恐れられる中国の殺人省。所有する異能はさほど強くないですが、例外的に最先端の武装で身を固めた洗練された部隊、アメリカの超能力者部隊。現在のトップスリーを上げるなら、こんな所でしょうか」
「ふうん」
ここらが彼女の伝えられる情報の限界だろう、俺はそう判断し、炭酸飲料をラッパ飲みして話の流れを断ち切った。
後述の二つは知らないが(都市伝説で超能力者部隊については聞いたことはあるが、参考にならないだろう)、しかしルガルバンダというのは聞き覚えがあった。
アフリカ辺りにある国で、とても閉鎖的でありながら異様なまでに発展しているとのことだった。外から一般に分かるのはそれくらいである。いつだったかルガルバンダの要人の暗殺の依頼をされたことがあるが、もしかしたらそれも魔術関連のものだったかもしれない。その時は誰がアフリカまで行くか、遠いし暑いしと断ったものだが。
誰か、いつかレイと似たような事を考えて、俺に接触しようとした人間がいたのかもしれない。
その時に依頼を受けていたら、俺は今と違う人生を辿っていたかもしれない。
まあ全ては仮定の話で、終わった話だ。気にしても仕方ない。
どうでもいい。俺がそんなとんでもルートに生きたとしても、今と同じで人殺しだったことに一部の疑いの余地もないのだから。
俺は変わらない。死ぬまで変わらない。
俺自身を殺して、最後の最後まで人殺しと生きるのが俺の目標である。
いや嘘だけど。死なんて曖昧なものに俺は特別な感情を抱いていないし。
しかし軍部。正式名称はないらしいが、レイがそう呼ぶので俺は軍部と呼ぶ。
ロシア当局の管轄ではないらしいが、彼らと付き合えるということは、やはり相当な大きさの組織らしい。そうした情報を調べるために軍部の襲撃も考えていた俺だが、 どうやら断念した方がよさそうだった。少なくとも、今のところは。
「当たり前じゃないですか。何を言っているんですか、宗弥様」
「いやだから言ってねえって」