極夜の空 無辺解釈(Alea iacta est.)5
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異形人間共を回収するため、そしてカバーストーリーの流布をするからと、俺は銀髪少女と共にホテルを早足で後にした。
彼女の部下が工作をするらしい。その年で部下いるのかよ(年齢は聞いてないけど)。
時刻は零時を回っていた。この時間ともなると大抵の店は開いていない。案の定、街並みには街灯の光がポツンと浮かぶだけだった。まあブラスクはまともではないので、少し裏通りを歩けば、そこは途端に活気に満ちているのだが。
何となく分かっていたことだが、彼女はブラスクに詳しくないということなので、俺が先導する形で歩いている(なんでも彼女は今までモスクワを中心に戦っていたらしく、ブラスクどころかシベリアに来たことすらも数えるほどしかないという)。
さて、ここらでいいだろう。
俺は無駄に賑やかな店の中に入る。店内にはビールジョッキ片手に歩く酔っ払いだらけだった。よくある英国式のパブである。
続いて、銀髪少女も店内に入る。おびただしいほどの酒気に明らかに顔を顰めるも、寒い夜空の下を歩くよりはマシと考えたのだろう、文句も言わず付いてくる。ちなみに明らかに未成年な彼女を注意する者はいない。ブラスクにそんな奴がいるわけもない。
「俺は織碕宗弥だ」
「は?」
店内の隅に置かれた丸椅子に座ったところで俺は名乗りから切り出したが、彼女からは馬鹿を見たような目を向けられた。今さらだろう、とでも言いたいらしい。
「話しをするんだ、名乗りくらい必要だと俺は思うぜ」
「・・・変に律儀なんだな。そういうところ全く気を遣わない奴だと思っていたが」
「人のことを勝手に分かった気になるなよ、気持ち悪い」
「それもそうだ」
銀髪少女は、うんうんと頷く。我ながら酷い言い草だったが、自分に非があると考えれば彼女は特に気にしないらしい。良い奴だな、おい。
「改めて、織碕宗弥だ。織物の織に、ストーンの石に奇跡の奇を組んで碕。織碕。下も一応漢字はあるが、正確を期すならトムソーヤの冒険のソーヤと同じ英語読みだ」
前半はともかく、後半は嘘である。そんなわけあるか。ただ皮肉が効いているという理由で、偽名を使う時はトムを用いることが俺は多い。
トムは嘘でも、ソーヤなのは事実なわけだしな。
「織碕ソーヤか。なるほど」
「いや嘘だ。織碕宗弥だ」
字面が気に喰わなかったので即刻撤回した。何となくゴーヤみたいで吐き気がする。
織碕ゴーヤ。勘弁してくれ。苦いのは嫌いだ。
「ふむ?まあ、どうでもいいが・・・というかだな、こちら側の人間に字の形を説かれてもな。まるで分からんぞ」
「日本は海を隔ててるけどよ、近いじゃん、中国。勉強しろよ」
「ある程度は話すことは出来るが、字体までは把握しておらんよ。そこまでのスキルが求められる状況というのは極めて限定的だ。魔術師には必要ない」
そうか、こいつは魔術師という冗談みたいな奴だった。
それを考えると、もしかしたら中国語を覚える必要もないのかもしれない。彼女が見せたアレ、魔術と呼ばれるものなら言語の翻訳も出来そうである。
というか、不可能なことがあまり思いつかない。
銃弾の受け止め、そして爆撃。もっと遡れば俺がつい最近殺し、闇医者に預けた異形人間の遺体の完璧な誘拐(これの犯人は彼女ではない可能性もあるが)、などなど、どれも明らかに異なる異能である。
それらが出来て、他のことが出来ないなどというのは変な話にも思える。
万能ではないと思いたいが、しかし利用できる範囲はかなり広範に渡ると思われる。
「さて、私もお前に倣おうかな。私はレイナルン・アスティバイヌスだ。生まれはモスクワだが、両親はウェールズの出身だ。Reinalun Astibuynasでレイナルン・アスティバイヌスとなる。アスティバイヌスではなく、アスティバイヌァスがより正確な呼び方だが、出身によっては言い辛いし、それはいい」
「・・・それでも呼びにくいな。長いから“レイ”でいいよな」
「別に構わんが・・・」
この略称を付けられたことがないのか、一瞬戸惑う彼女。いやレイ。
銀髪少女のレイ。多分今までは苗字の方を略して“アスティ”とでも呼ばれていたのだろうが、俺はより短い方を好む。楽だしな。
「で、レイ」
さっそく俺は略称を使っていく。使っていかないと慣れないし。
「俺を誘いたいってさ、つまり俺に魔術師になれってことか?」
「そんなわけあるか」
言下に否定された。分かっていたことではあるが、よかった。怪しげな服を着て杖を振ることはしなくていいのだ。
「魔術師になるには相応の年月がかかる。危険な魔術などで一時的に行使することも可能だが、その果てには、お前も見ただろう、異形人間に成り果てる。もっとも彼らとて望んでああなった訳ではないがね。半ば強制的に、あるいは無理に仕立てられた訳だが」
半端者が力を欲すれば、相応の代償は支払わなければならんだよ。
レイはそう言って続けた。
魔術師の成れの果て。あんな化け物をも魔術は生み出せるというのか。
「私がお前に求めてるのは単純な人殺しとして能力のみだよ。そうした人間を魔術師相手にぶつけるとどうなるか、そこを見てみたい」
「私、ねえ。あくまでお前の意見なわけだ。上の方は、軍部とやらの考えは?」
俺のしてきたことは自分でいうのもアレなほど惨憺たるものである。その来歴を追えば血の足跡が常に付いていることが分かるはずだ。
そんな人間を引き込むことに抵抗はないのか、という問いだった。
「いや、私の独断だ。事後報告こそしているがね」
「そりゃ・・・まあ、そうか。俺が組織側の人間なら、こんなリスクは抱えねえし」
「もっといえばブラスクに来たのも独断だ。本来なら私はここにいない人間だよ」
「やりたい放題じゃねえか」
思わず突っ込んでしまった。
「それが許されるほどには私も力があってね。たとえ軍部の人間が許可しなくとも、私はお前を招きたいと思っている。私はブラスクの事情について明るくないし、現地の協力者は必須だ。あのような怪物を作る魔術師は早々に捕まえなければな」
「つまりはなんだ。あの化け物はテメエら軍部が作ったんじゃないのか?」
「軍部は治安維持組織だ。心外だな・・・ああ、そういうことか」
得心したのか頷くレイ。
これまでの言い方から察するに、先のホテルでの戦闘はレイが仕組んだのは間違いないので、俺はてっきり全部が全部仕組まれていたと思っていたが、どうやらそうではなく、あの連中は普通に軍部の敵だったのだ。おそらくは俺と戦わせるのに都合が良かったから利用して、引き合わせたに過ぎないのだろう。
それを読み取ってのレイの得心だと思われる。多分だけど。
「レイ、あんな化け物はブラスク以外にもいるのか?」
「これほどの規模はブラスクだけだ。極めて閉鎖的で完全に治外法権というこの都市は魔術師、もっといえば悪人にとっては居心地がいいからな。外部であれば世界中に一面で報じられることも、ここではまず伝わらない。ただブラスク以外での事件がないわけではない。私も詳しくは知らないが、サハリンでの大地震はそうした魔術師が原因なのではと、仲間内では言われているね」
ちなみに、と言ってレイは続ける。
「事件を起こしているのは魔術師であって、異形共は“副産物”に過ぎない。あのゲテモノは数や狂暴性からどうしても目立つが、その裏では魔術師が暗躍しているわけだ」
氾濫する異形人間、暗躍する魔術師。
俺は後者と正面から戦ったことはないが、レイによると先の三人の異形人間の先導者はやはり魔術師だったという。あんな怪物を複数操れるのだから彼も中々の怪物だ。国家に牙を向いた場合の危険性は計り知れないものがある。
魔術という事でどこか非現実的に考えてしまいがちだが、彼らならば国際問題に発展する事件だって容易く起こせただろう。その場所に近付くことに成功さえすれば。
そうなる前に潰す。
それが俺の手だろうとも。血に塗れた人殺しの手だろうとも。
「なあレイ」
ただ訊くべきことは訊く。言うべきことは、言う。
「その軍部に入って、てめえが気に喰わない魔術師を片っ端から殺してほしいってのが、俺への誘いってことで、いいか」
「悪意を感じる解釈だが、そうなるな」
「断る。誰であろうと、俺はそういうのは無理だ」
それは明確な拒絶だった。
これまでの会話の流れから何となしにレイは上手く行くと思っていたのだろう、顔をこれでもかと顰める。
俺の性格を考えれば、すぐにでも分かっただろうに。俺は金が好きだが、そこに執着があるわけでもない。大金を手にしたい一心で尻尾を振るわけがない。
第一、金を稼ぎたいだけなら俺は株にでも手を出している。もちろんそこにもリスクは伴うが、少なくとも今のように常に生命の危機に晒されることはないだろう。
俺は俺だから、こうしているに過ぎない。
誰かの下に付くなど、そもそもの在り様からして在り得ないのだ。
とはいっても、だ。
「とはいっても、代案が俺にはある」
「・・・聞こう」
「俺が人殺しとして金を稼いでるのは知ってるだろ。例外も時々あるが、基本的には依頼されて金を積まれて、そして俺は人を殺している」
「ふむ」
「だから、あくまで依頼主としてなら、俺は依頼を受けるのも吝かじゃねえってことさ。依頼を受けるかどうかは、こっちで決めさせてもらうが」
顧客としてなら、俺はレイからの依頼を受けても構わない。頭を垂れて隷従するのは断固として拒否するが、対等な関係ならば検討には値する。
依頼の殺害目標が、たとえ魔術師相手だろうとも俺は一向に構わない。
「それなら宗弥、さっそく一つ依頼があるのだが」
「ああ」
「魔術師相手なんだがな、殺してほしい奴がいるんだ。ただし脳髄はそのままにしておいてほしい。そこさえ無事なら、こちらで無理矢理にでも蘇生させるから」
しょっぱなから、とんでもない依頼内容だった。
くだらねえ、と俺は内心で呟いた。
ある程度、依頼内容について聞き終えた後、レイは「これは依頼には関係ないんだが」といって続けた。
「宗弥、お前、私がご老体を助けたことを酷い選択だと先のホテルで言ってたな。あれはどういう意味だ」
時刻は午前二時を過ぎている。この時間ともなるとパブの人間も、だいぶ少なくなってきていた。来たばかりの時は歩くのにも若干の苦労があったが、今はそうでもない。
話も終わった。俺らもそろそろ解散の頃合いである。
帰り支度も終え、俺は軽く肩を回して言う。
「気にしても仕方ねえぜ」
俺の他愛ない一言を気にしたところで何が変わるわけでもないだろう。俺は特にそういうことはあまり気にしないので、心底どうでもいいと思った。
ただまあ雑談だ、そうやって思うことすらどうでもいいと思ったので、俺は答えてやることにした。
「あのジジイをレイ、お前は無辜の人間だと思っただろう。虐げられていたのは確かだしな。あいつが何の罪もないと思うのも無理はねえ」
「・・・何か知ってるのか、あのご老体のことを」
「知らねえさ。ただブラスクについては嫌というほど知ってる」
ブラスク。シベリアで最も栄える悪人たちの街。
「なあレイ、なあレイよ、あいつだってブラスクの人間なんだぜ。しかもジジイだ、長いことこの世界で生きてるんだろうよ。つまりはあの若者とかよりも、よっぽどあくどい可能性が少なくねえんだ。いや高いとさえいえる」
「・・・」
「今頃メンツを揃えて、さっきの連中を殺してるかもな。それだけで収まればいいが、これからも人を殺す可能性だってあるだろう・・・ブラスクで老人は一番危険な人種だ。俺が前にああ言ったのは、つまり、そういうことだ」
「・・・」
「なに、難しい話じゃない。何事にも二面性が伴うという話だ。たとえば俺は人殺しで、人殺しは誰に訊いても悪いことだと答えるだろうが、しかし百パーセント悪いかというとそうじゃない。俺は依頼で人を殺す。その対象は恨みを持たれるに足る人物だ。俺の所に来るのは特に人を殺すような奴が多い。つまりのつまり、俺はそいつを殺すことで、そいつに将来的に殺される人間を助けているともいえる。人助けに人殺しという面が伴うように、人殺しには人助けという側面も存在する」
「・・・」
「分かったか、ミセス偽善者。当たり前のことだけどよ、これから行動する時は、よく考えてからにするんだな」
人を生かす、ということは、そういうことだ。
これから先、生かした人間が何かすれば、その責任の一端は生かした側に圧し掛かる。
あのジジイが人殺しを為せば、彼女も人殺しを為したに等しい。
そうしたアレコレを明らかに考えないで、身に余る正義感だけで行動するから、だから俺はレイを偽善者と呼んだ。
やらない善より、やる偽善とは誰が言った言葉なのだろう。
彼女と同じ状況にあった場合、同じことをはたして言えるだろうか。
まあ俺なんかは完全に開き直っていて、あまり、というか普通に人のことは言えないのだが。それでも聞き入る辺り、こいつは良い奴に過ぎる。
それとも、そうせざるを得ないほどの何かが彼女にはあるのだろうか。何かが。
「それなら・・・私は、どうすれば良かったんだろうか。あのまま見過ごして、いいように殺されるのを・・・」
「それが正しいんだろうぜ。リスクを考えるなら、そっちの方がいい」
「でも・・・」
「正しくはあっても、美しくはねえな。汚すぎて反吐が出る。つまる所、正義とは悪者そのものってことだな。ははっ、くだらねえ。正しさを標榜するほど憧れから遠ざかって、自分の嫌いな奴になっていくなんざ。俺好みの皮肉の利いたオチだ」
「・・・」
「だからよ、好きにすりゃいいだろうが」
俺は突き放したように言う。
「色々言葉を弄したけどよ、所詮は言葉遊びの範疇だ。気にするほどのものじゃねえよ。たとえお前の判断が間違ってたとしても、それならそれでカバーすればいいだけの話だ。人間はミスをする生き物だ。仕事のできる人間ってのはミスをしない奴じゃなくて、そのミスの時に上手く処理する奴だと俺は思うぜ」
「・・・好きに、か。お前は、何も考えてなさそうだな」
「そうだな。そういうまどろっこしいのは嫌いだ。ただ・・・俺もまあこういう性格なんでな、何となく色々と考えることはある」
「嫌いという事実ですら、あまり気にしない、か」
うんうんと、やけに神妙な面構えで頷くレイ。
「そういえばお前がホテルで殺した人間、まあ魔術師だがな、あいつは復讐のためにあの狂人どもを従えていたらしいぞ。志半ばで果てた訳だが」
「・・・」
「宗弥、色々と考えてるしいお前に聞きたい。私に色々と講釈を垂れた訳だが、そんなお前はこの復讐についてどう思う」
「復讐ねえ」
雑な話の振り方だと思った。前置きの魔術師云々も嘘っぽいし。
まるで何か急いでいるかのような。
事態が目の前まで迫ってきていて焦っているかのような、そんな感じ。
そういえばレイは独断でブラスクに来たと言っていった。聞く機会はなかったが、もしかしたらその辺りも関係あるのかもしれない。
ただまあ追求したところで、まともな答えが返ってくるとも思わないし、スルーしてやる。俺に関係あるとも思えないしな。
そうして俺は、いつか考えたことをレイに語って訊かせた。
もちろん当時のことなんて完璧に覚えているわけもないし、細部は幾つか違っていただろうが、大体のことは同じだったと思う。確か「復讐なんて勝手にしたらいい。ぶっちゃけ興味ないけど」みたいな結論だったと思う。
我ながら酷い。本当に何となく考えていただけなのだと苦笑する。
「そうか。お前は、そう思うか」
話し終え、店を出た所でレイは口を開いた。
時間も時間だ、外は寒い。さっさと帰りたいところだった。
「宗弥。私は、復讐は正しいことだと思う」
「ほう」
彼女のような、まともな人間の口から出た言葉とは思えなかった。面白い。
「へえ、その心は?」
「結局の所を突き詰めれば、お前のような所感も出てくるだろう。人間の自由意思に則ればいい、と。しかし圧倒的な不条理を前にすると、人間はそのように錯覚するのさ」
「錯覚か」
「ああ、そうだ」
間違っているものを、あるいは興味すらないものを正しいものと誤認する。そうやって強く錯覚する。そしてそれを理解していても、それでも錯覚からは逃れられない。
不条理、もっといえば怒りは理性を容易に反転させる。
自分の怒りが間違っているはずがない、と。
それは確かになるほどと膝を打った俺だったが、その考えがいいとこ十八歳くらいの少女から出たと考えると、俺の中にある疑問が浮かぶ。
はたして、そんな現実的で自暴的な結論を出してしまう彼女は、これまで何を見てきたのだろうか、と。
そして、何を見ようとしているのか、と。
別れ際、俺はレイに向かって言った。
「ああそう。それはそれとして、さっきの病院での仕事の報酬はちゃんと払えよな。色々あって有耶無耶になってたがよ。払わないなら、これまでの話は全部なしだ」
「・・・」
レイは絶句していた。
なんだかシリアスな話をしていたが知ったことじゃねえしな。