極夜の空 無辺解釈(Alea iacta est.)4
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サイクルが俺のコートを掴み、引っ張る。俺はそれに逆らうことはせず、むしろ乗っかるようにして前進する。サイクルの腕が畳まれる格好となり、僅かにバランスが崩れる。その一瞬を逃さず、俺は自分ごとサイクルを地面に引きずり落とす。
組み合う。歪な筋肉に覆われているが、あくまでも人間。四肢の関節は人間と変わらない。どうしても力を込められない部分が存在する。
はっ、くそ馬鹿が。
獣の如く咆哮を上げ、サイクルは立ち上がろうとするも、その腋に俺は足を挟んで蹴り上げ回転し、腕を掴んで腕十字を極め、そのままへし折る。
それだけでは当然終わらせない。痛みにもがいて立ち上がろうとする動きに合わせてポジションを変え、マウントを取る。
そして眼球に向けて銃撃。よく分からないが眼球も堅いらしく、あまり効果が感じられないが、明らかに苦悶の表情を浮かべているので、まあ続けていれば死ぬと思う。
既にサイクルの片足は折っている。健在なのは腕と足が一つずつ。そんな状態ではまともに対応できるはずもない、俺を掴んでなんとか状況の打破を試みるも、その手も冷静に払ってしまえば問題ない。体を動かそうとも、それに合わせて俺も動けばいい。
知性のある相手ならまだ対処してきたかもしれないが、相手は異形、獣である。
単純な力比べに持ち込めなかった時点で、奴の敗北は決まっていた。
油断はしない。
ただ少し考える。サイクルを殺せば、あとは一人だけになる。
未だ第三者は姿を現さない。そろそろ来るかと集中力を幾分か外にやっていたが、その兆候さえもない。
俺が相手の立場なら、この時にこそ仕掛ける。
プレジデントは速攻で死んだのでどうしようもないが、サイクルはそれなりに時間が掛かっているし、人数的な優位を保つためにも、ここしかないと思うのだが。
それとも両手に斧を持つあの首無し騎士が、そんなに強いのか?
何を考えている。あるいは、狙いはそこではないのか。
俺を殺すためではなく、ここで俺に時間を消費させることで・・・もしくは真の狙いは俺ではなくこの異形人間にあるとかで・・・それで何だっていうんだ。あまりに情報が少な過ぎる。考察の材料が乏しい。
苛々する。そもそも俺は考え事が嫌いだってのに。
「おっと」
サイクルが体を曲げて逃げようとする。はっ、逃がすかよ。
とりあえずはこいつを殺そう。皆殺しにしよう。殺して殺して殺し尽くせば、いずれはまだ見ぬ敵も殺しているはずだから。
そうして俺は再びサイクルと組み合う。
何のどんでん返しもなく、欠片ほどの驕りもなく、彼我の身体的なスペックの差を全く気にすることもなく、俺は、織碕宗弥は弱者を当たり前に捻じ伏せる。
ようやくか。殺し終えた時、俺の胸中に満ちたのはそんな安堵感だった。
「よし」
サイクルだったそれ、今は死体となったそれに馬乗りになっていた俺は腰を上げ、立ち上がり、軽く肩を回す。多くの場合で拳銃一丁のみで対処できるので、そうでなくとも普通に殴り倒してしまうので、ここまで本気で寝技で戦うのは久方ぶりだった。
いい経験になったぜ。今なら柔道の五輪で金メダルも取れそうな気がする。
下を見れば息のないサイクルは、とても凄惨な有様で死んでいた。流血はもちろんのこと、脳漿は飛び散りまくりで大量の肉片が周囲に散らばっていて、元々の顔面の原型は消え失せていた(よく見ると脳漿の中にも歪な筋肉がみえた。頭の中まであったのかよ。うへぇ)。他人事のように言う俺だが、まあ犯人が俺なのだが。
動きが止まるまで眼球目がけて撃っていたのだが、今にして思えば途中からはただの反射だったような気もする。といっても、こんな怪物相手なのだから確実に殺す方がいいには決まっているが。頭を吹き飛ばしても、そのまま起き上がってきても驚きはない。
なにせ頭のない奴、首無しがいるのだから。
首がなく、両腕に斧を持った騎士が。
最後の一人の名は曰く、ディグニティ。
「これでお前がラストなわけだが・・・おい、聞こえてるか?」
「・・・」
頭がないということは目もなければ耳もない。というか脳からの信号もないので、そもそも体全体が動けないはずなのだが、俺の呼び声に応じてか、それとも偶然からか、ディグニティは一歩、足を前に出した。
両の手に握られた斧は地面に向けられたまま、だらんと力なく垂れている。
はたして、こいつはどこが弱点なのか。見る限りでは、まるで分からない。首から先がないので、その断面の所とかだろうか。
とにかく、適当にやっていれば分かるだろう。
俺は拳銃に銃弾を込め、構える。いつでも撃ちだせる体勢となる。
「sjnkekin?」
「?」
ディグニティは何やら呟いたようだった。
いや頭もなければ口もないこいつに呟くことなど出来ないはずだが、しかし確かに何か声のようなものがした気がした。声というには些か奇怪に過ぎたが。
「mkvfkskavfhlmvejali?eau4i8u8tjgimqkajhakasmklclepcmijvnhuh2jfgekam0kdn!!cbuwej6fjfekimckmjbner?cj1crlscsmckjq!!」
「・・・はっ」
俺は薄く笑ってみせる。
プレジデントは文法に異常をきたしていて、サイクルはそもそも話せなかったが、ディグニティのそれは言語そのものが異常だった。主要言語の殆どで日常会話くらいはできる俺だが、そのどれとも一致する部分がまるでなかった。
まるでこの世のものではないような、違う世界のそれのような、そんな言葉だった。
言葉が発せられても、そうでなくとも、彼らとの会話は望むべくもないのだろう。
「よし、じゃあ始めるか」
「bedenje6x」
ディグニティの応答か分からぬそれに応じて、俺は撃鉄を起こし、
派手な爆音と共に、俺が撃ち抜くよりも先にディグニティは吹き飛んでいた。
「っ!」
俺は瞬間的に飛び退く。
爆発が起きた壁には煙、そして燐光が舞っている。そこに何者かがいても、こちら側からは把握できない。
俺は周囲を軽く窺う。目の前のこれがブラフという可能性を危惧してのものだったが、幸いにして敵影は見当たらなかった。
視線を前に戻す。そこで俺は気付く。
消去法だ。怪物はこれ以上いない。となれば、残るは高みの見物をしていた第三者しかいなくなる。
ついに彼らが介入してきたわけだ。
いよいよボスラッシュも佳境といった所だろうか。
「ふん」
鼻を鳴らし、その第三者は煙の中から悠然とした足取りで出てきた。
薄い銀髪が風によって流麗に靡いている。背は小さい。年の頃は俺よりも低い感じで、よくて十代後半だろうが、しかし年齢にそぐわぬ凛とした目つきが特徴的だった。どこか威圧的ですらある。十字架状のネックレスが月光に煌めいている。
というか、うん。先ほど街中で見かけた銀髪少女だった。
「・・・あ?何してんだ、お前。馬鹿みたいにジジイ助けてたんじゃなかったか?それとも面倒になって路地裏にでも捨てたか」
「治したよ。もう完治してる」
「そりゃ、ひでえ選択だな」
「何故だ」
銀髪少女は神妙な面持ちで一歩詰め寄ってくる。自分の行いを馬鹿にされたからではなく、助けられたあのジジイを思っての事らしい。
それを気にするタイミングでもないだろうに、お優しいこって。
彼女の歩調に合わせて俺は後退する。ただし拳銃を下ろす愚行は犯さないが。
「・・・こいつ、お前がやったんだよな」
いきなり話しが変な方向に逸れるのもあれである、俺はディグニティが先ほどまで立っていた場所を顎で指す。
彼女は見る限り武器を所持しているようにみえない。その雪のように白いコートの生地は薄く、何か隠し持っている、という風ではない。
「他に誰かやったように見えるか?」
「・・・いちいち威圧的な奴だな。ぶっ殺すぞ」
「やれるものなら」
そういうわけで俺は引き金を引き、少女の頭を目がけて撃ってみせた。
年功序列などアホらしいし、年上には敬意を払えよ、とは言わない。言わないが、傲慢な態度をされては誰だって良い気分はしない。ふざけんなよ、銀髪馬鹿が。
「はっ、流石といった所か」
しかし彼女は物ともしなかった。
俺の銃の腕が悪いのではない、彼女は銃弾を受けとめたのだ。
もちろん少女の細腕で掴んだのではない。そんな中国の達人めいた技ではない。彼女の周りに漂う光を帯びたガス状の何かが弾丸を包み込んだのだ。
ガスは弾丸を包んだまま、空中に浮かび続けている。
弾丸はそれなりの重さがある。あれが何かは分からないが、普通ならばすぐにでも重力で弾丸は地面に落ちるはずだ。だがその兆候さえもまるでない。
明らかな異常、明らかな異様、明らかな奇怪。
摂理に反するという点で、この少女は異形人間と同類のように思えた。
ただし彼女には意思疎通が出来る頭がある。まともな人間ではないが、怪物でもない。それはつまりこれまで殺してきたどの怪物よりも、彼女が優れていることを意味するのではないだろうか。
謎の力を駆使する異常者。ついに出てきやがったか。
「・・・織碕宗弥」
ピクピクと青筋を立てながら彼女は俺の名を呼ぶ。問答無用で撃たれては当然のリアクションだ。
「私の態度が悪かったのは反省する。子供相手に大人げなかったな」
「ぶち切れてんじゃねえか。俺から見ればお前はガキ同然だぜ」
「無駄話もなんだ、単刀直入に言う。私はお前を誘いに来た」
「誘うだって?」
これから百日にも及ぶ壮絶な殺し合いを期待していた俺だったが、まさか俺を誘うだって?悪の道にはとっくに入ってるし、正義の道に引き込もうというのだろうか。
勘弁してくれ。眩しすぎて、前も歩けないぜ。
「いや正義の道に、ではないよ。しかし悪の道でもない。ふむ、なんていえばいいかな。夢と魔法と陰湿さが占める世界だったんだが、今はなぁ・・・」
ディズニーかよ。
あいつら基本明るいくせに陰湿な所も結構あるし、まさしくである。
ただ今は違うと言う。最近の異形人間のあれこれとも関係あるのだろうか。あんな連中と肩を組んでミュージカルなどしたくないし、俺には幸運といっていい。
いや、いっていいのか?
「まあ、なんだっていい」
何て言うかついに諦めたらしく、彼女は続ける。
「この力を扱う者を一挙に集める軍事組織、そこは“軍部”と呼ばれている。まともな政府機関の下で管理されていないから、この呼称は正しくないのだろうが、呼び方は重要ではない。秘密局や禁忌管理部、超常楽土の王都と呼ぶ者もいる」
「・・・」
呼び方は重要ではない。呼び方に意味を持たせない。
それは組織の柔軟性を保つために、あえて名を付けない、という意図を感じる。X計画とかZ作戦とか、そういうのと同じなのだろう。
しかし名がない。いくら柔軟性を保つためだろうと、強大な組織に名がない、というのは中々に珍しい話だ。力を誇示するためには普通、名前は欠かせない。
あるいは、誇示する必要がないのかもしれない。軍部なる組織が世間の裏側にあるものであれば、秘匿すべき組織であれば、それならば名を示す意味は皆無である。
「そして、異能の者たちを私たちはこう呼んでいる」
燐光を身に纏い、手に光を集めながら少女は言う。
「・・・魔術師、と」
「あ?」
「ん?」
と、俺と銀髪少女は、あるものに同時に反応した。
粉々にされたディグニティを纏っていた鎧、それが音を立てて組みあがり始めたのだ。
しかし、足りない。粉々どころか殆どが蒸発したらしきそれでは原型に戻ることは叶わず、ある程度が出来上がっては崩れ、出来上がっては崩れを繰り返していた。それでも賽の河原にまではならず、少しずつそれらしいものが浮かんでゆく。
穴開きの鎧が浮かび上がり、続いて肉片が集まって枯れ木のごとき細腕となり、斧は短刀ほどのサイズとなって再構成される。
ディグニティが再び敵として相対する。
「jnkz4qiqlps5glsnsjdnsjdb0d8vzcsgnkozuysbakap4dkskzl!!」
「おい、なんか呼んでんぞ」
銀髪少女の方を俺は見る。
「ふむ、やはり私の方なのかね」
「俺だったら驚きだぜ。この場にドクターオクトパスとジョーカーが訳知り顔でいても、やっぱり俺はお前だって言うぜ」
「仕方ないな。これだからゴースト型は面倒だ」
ゴースト。幽霊。
言われてみれば確かにディグニティは幽霊らしかった。色んな化け物を相手にしてきたので麻痺していたが、首無しで動く奴なんてそれくらいしかいない。
そうやって俺は簡単に納得してしまう。そんな自分が空恐ろしい。
「ふん」
銀髪少女は俺に向いていた視線を外し、ディグニティに向き直る。
手に集まっていた光が光度を増してゆく。揺蕩っていた燐光は互いに結びつき、空中で形を為してゆく。これが。
「これが、魔術だ。丁度いい。少しだが見せてやる」
「dnxklns3dl1sxmdklz」
「鬱陶しい」
彼女は手にしていた光を手から放つ。それはバケツの水を横薙ぎで放るように扇状に広がりをみせ、空中で留まる。そこを狙い撃つようにして、彼女の背後に浮かんでいた燐光が光弾となって発射される。
最初の光を光弾が通過すると、途端にその大きさが握り拳ほどのそれからボーリング玉ほどになる。それら二十を超える光弾が一斉にディグニティを襲う。
単純な爆発ではない、個人による圧倒的な爆撃がそこにはあった。
「我々魔術師は、この恐るべき力を魔力なるものによって発現させている。一部例外はあるが、我々は今見せているような莫大なエネルギーは体内に所持していない。大抵は精々がマッチ一本の火くらいしか起こせない」
爆撃音は凄まじいながらも、彼女の清涼のような声は何故か朗々と頭に響く。
「だから魔術行使には地脈の力が必要不可欠といえる。それを借り受けることで、我々はようやく魔の術に手を染められる。マッチ一本でも導火線には火を付けられる。そして起きる爆発こそが、魔術だ。扱える量は本人の技量によるがね」
単純な爆破ではない、生身での爆撃。爆風近くにいても平然としていることから、それから身を守る魔術も使っているのだろう。その力はあまりにも未来を行き過ぎている。
あるいは、過去を行き過ぎている。それこそお伽噺にも出てくるような無茶苦茶さで、現実を蹂躙している。
ふと、姉貴の影がよぎった気がした。
けたたましい笑い声と共に善悪全てを圧倒し、薙ぎ倒していく怪物。
完全に人間を超越したあんな怪物ほどでなくとも、この銀髪少女はそれを連想させるに足る異常者だった。
「そろそろかな」
ろくでなしの俺からみても不肖極まる姉のことをつらつらと考えている内に、どうやら爆撃は済んだらしかった。ディグニティは明らかに瀕死だったし、とっくに勝負は決まっていたと思うのだが、まあ言わないでおこう。色々言われそうだし。
それこそ爆撃を五十は撃ち続けただろう、クレーターとまでなった爆心地を銀髪少女は見下ろす。
俺も倣って見下ろすと、ゴミ一つ落ちていない。鎧の鉄くずすらも、腕の骨の一端すらも、刃の煌めきの一つも、何一つ落ちていない。全てが爆発によって無に帰していた。
横目で彼女の顔を窺ってみるも、特段疲れた様子もなく涼しい顔だった。この程度、自分にとっては些事であるとでも言いたげに。
これが魔術で、これが魔術師。こんなふざけた世界が現実にあるという事実。
「ははっ、くだらねえ」
俺は笑う。お決まりの定型句で嘲笑う。それさえもくだらないと思う俺だった。
元ネタ解説 ドクターオクトパスとジョーカーはそれぞれスパイダーマンとバットマンに登場する有名な悪役です。