極夜の空 無辺解釈(Alea iacta est.)3
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織碕宗弥、それが俺の名である。
まあだから何だという話だ。俺の名前がたとえ鈴木馬鹿太郎だろうとも、アドルフ・ヒトラーだろうと、あるいはドラえもんだろうとも、俺は俺だ。正直勘弁したい限りだが。そんな名を付けられていたら俺は間違いなく名を捨てる。躊躇いなく。
そして名を付けた両親を殺すだろう。
そんな名を付けられなくとも俺は両親を殺しているのだが、それは別にどうでもいい。
どうでもよくないことなんて、俺にはそうないのだった。
「くだらねえ」
俺はとりあえずそう呟いてみる。
銀髪の少女との一件の後(俺にとっては一件というほどの大ごとではないが)、俺は予定通り仕事に赴いていた。人殺しに、来ていた。
いや違う。
今回は依頼主に対象を生きたまま引き渡せ、と依頼を受けているのだ。
こういう場合、依頼主が特段慈悲に溢れているわけではなく、むしろ最終的に自分たちで処理したい、という残虐精神の現れであることが多い。マフィアが依頼してくることが殆どだが、しかし今回はそうではなく、あまり依頼主の素性が知れない案件だった。
なんだ、元KGBの高官で現在は秘密局の指導役とか。
KGBはともかく、秘密局ってなんだ。秘密なのは分かるが、それしか分からない。
ただ、そこまでは詮索しなかった。正確を期すならば一応は詮索したのだが、仕事までに時間がなく殆ど調べられなかった。
そうした情報の不確かさもあって、俺は今回の仕事には最大級の警戒をしていた。何かがある、と俺の経験則が囁いていた。
「た・・・助けてくれ」
「あ?助けるわけねえだろ」
そして俺は今、標的である内の一人を確保、もとい縄で捕縛し、服のないクローゼットに閉じ込めていた。
対象は四人、つまりはあと三人である。
何事も無く一人目の捕縛に成功したが、それが俺の警戒を一層強めさせていた。混沌しているブラスクで、物事が万事上手くいくことなど在り得ない。
「何を・・・するつもりだ」
「いや別に。時間もそんなにあるとは思えねえし、尋問もしねえよ。そこで大人しくしとけ。殺すことも出来ねえしな」
「・・・殺せる相手だったら、殺していたか」
「当然だろ。俺は織碕宗弥だからな」
誇るべき名のように、俺はその忌み名を名乗る。
そして俺は落ちていたネクタイを猿轡代わりにして男の口に縛り付け、クローゼットを閉めた。最初の内はうめき声が聞こえたが、諦めたのかすぐに聞こえなくなった。
手足の腱は全て切っている。毒もきめている、じき意識を失うだろう。抜け出すのは不可能だ。
「よし、封印」
馬鹿馬鹿しいことを言いつつ、俺は廊下に出る。
廊下にはゴミが落ちているものの、廃墟という感じではなく、最低限の清潔感は保たれていた。散乱するそれらもビニール袋や菓子袋など生活感があるものである。注射器や覚せい剤と思しき怪しげな粉も落ちている辺りがブラスクらしい。
俺は廊下のど真ん中を堂々と歩く。それを邪魔立てする者はいない。
ここは然るマフィア組織の拠点として使われていたホテルである。十階建てで、客室の数は千を超える。地下にはプールやスポーツ施設、遊技場も用意されている。最盛期はさぞ賑やかだったことだろう。
ただし彼らの支配は、あくまで過去形である。
今回の標的である四人の手によって、現在この組織は壊滅状態にある。
「・・・」
歩きながら空いたままになった一室の中を覗くと、そこには若者の惨殺死体が二つほど転がっていた。巨大な熊にでも引っかかれたような切り傷が胸から腹にかけて広がっている。血は未だ鮮明な赤であり、黒色には程遠い。殺されてから、そう時間が経ってないとみえる。
これと似たような光景がホテルの各所に広がっていた。
依頼主の言うとおり本当に、たった四人で大規模のマフィアを潰したのだとしたら、それはやはり彼らの内の誰かは異形の力を得ているかもしれない。もっとも準備さえ整えられれば俺一人でも出来ることではあるし、確信にまでは至らないが。
そこまで考えて、俺は気付いた。
異形化について調べる俺に、こうも都合よく怪しい敵の依頼が来るというのは、ついにというか早速、世界の裏側からの刺客が来たのでは、と。
つまり、この依頼は罠なのでは、と。
そうだとしても、やはり俺としては願ってもない。虎穴に入らずんば虎児を得ず。摂理から外れた連中が迫ってくるのであれば、彼らを知る、あるいは彼ら側の何者かに喰いついて、そうした事情について調べるしかない。
情報がなければ対処は難しいというものだ。
「そういうわけでよ」
場所は一階、割れた窓ガラスから吹き寄せる風は凍てつくようだった。
俺は周囲を見渡す。階段の踊り場、倒れた自販機の上、そして積み重なった死体の山の上にそれぞれ彼らはいた。
膝下から足先までアイスピックのごとく尖っている女、全身が歪な筋肉な包まれた男、頭部がなく両腕に斧を持った性別不明の輩、それぞれが三者三様の出で立ちで俺を囲むように、まるで初めからそこにいたかのように立っていた。
三人。これを人間として称するかはともかく、三人。
つまりは最初の一人以外、全員が異形化していたわけだ。それならば何の準備がなくともマフィア一つくらいなら余裕で潰せる。
依頼主の言が正しければ最初の一人も主犯格である。しかし異形化する様子はまるでなく、普通に喋ることも出来た。
多分だが、彼は異形人間共を指導できるのだろう。少なくとも連中の牙を抜くことは出来るはずだ。でなければ、こいつらに殺されているだろうし。その力で標的を見定めて仕掛けた、とか・・・まあ分かんねえけど。結局は推論でしかねえし、どうでもいい。
「はてさて」
怪物との三対一は当然初めてだ。そんな経験はない。
しかし彼らだけに集中する、というのは出来ない。本当に依頼主が俺を抹殺する目的で怪物を送り込んだとしたら、それだけとは思えない。
少なくとも俺が彼らの側ならば、目の前の三人と熱戦を繰り広げている間に、隙を見て狙撃する。間違いなくそうする。同じ敷地内にいるなどという愚は犯さない。
それに彼らは徹底して異変の情報を抹消している。俺が死んだ時のために、または俺が死ななかった時のために、それを確認する人物を送り込むだろう。こんな怪物共が事細かく情報を伝える姿など、とてもじゃないが想像できない。
最低一人、この近くに何者かがいる可能性が非常に高い。
その人物への警戒も怠るわけにはいかないのだ。
「まずはお前から、ってことか」
一人目、膝下が針のように鋭くなった女性。足先にかけて段々と細くなっているので、
工事とかに使う三角コーンをひっくり返したようでもある。カンカン、という足音から推察するに、例にも漏れずその足は相当な硬度だと思われる。
プレジデント。依頼主曰く、彼女はそんな名前らしい。
「随分と偉そうな名前だよな。しかもこの国が大嫌いな国の。お前、もしかして嫌われ者だったんじゃないか」
「粗悪なる」
「あ?会話できんのか?」
「醜悪なりし重大なる尊厳奪わざるを得ず。後光照らす御身、敗残兵なる駆逐せず。戦時なる。悪魔は法に従いし海に放られる」
「・・・出来そうにねえな」
言っていることがめちゃくちゃだった。単語を適当に羅列しているようにも思う。
頑張れば解読できそうな気もするが、もちろんする気はない。そんなことに集中していれば、いつ彼方から狙撃されるか分かったものではない。
「粗暴なる。欠如著しく光及ばず。墓所にて沈殿せし首無しに用途なく。熾天使は偉大なる舌を使い、隷従を崖上まで風で運ぶ」
「何言ってんだか。コミュニケーションが取れるだけ猿の方がマシまであるぜ」
「愚鈍なる。愚弄なりし愚案、愚策なる。愚者の愚行、愚昧なる」
「思いっきり俺の事を馬鹿にしてるのだけは伝わったよ。殺されてえようだな」
階段を下り切り、俺との距離が八メートルほどになったところで、プレジデントはアイスピックを思わせるその尖った両足を止めた。俺の前に立ち塞がる格好となる。
他の怪物共、筋肉ダルマの巨漢男、首無しの斧騎士は動きを見せず、状況の推移を窺っていた。先鋒はプレジデントに任せるらしい。
どういう理屈で一緒に仕掛けてこないのかは、まあ幾つか理由が思い浮かぶが(同士討ちを避けるためとか、そもそも知性が乏しいから連携しないよう制限があるとか)、やることは変わらない、殺すだけだ。
俺は、織碕宗弥はいつだってそれしかないのだから。
「よし、そんじゃ始めようか。プレジデント」
「鮮烈たる光輝なりし。無銘の人形の腐食進み、凶刃が我が脳髄を差す」
蒼白な顔で、それでも滔々と意味不明の返しをするプレジデント。
ただ何となく自分の方が強いと、そう言っているかのようだった。
「・・・」
俺はコートの下に隠した拳銃に手をやる。抜こうと思えば、いつでも抜ける。
しかし経験上この異形共は身体能力が並外れている。しかもこのプレジデントは足が異形化している。その速度は今までのそれよりも高いと思われる。
俺が撃ち抜くよりも先に動く可能性がある。たとえ俺が撃ち抜いて見せても、致命傷には至らず反撃を食らう可能性も。迂闊には動けない。
それはプレジデントも同じのようで、彼女も俺の様子を窺っているようだった。
ただ俺とプレジデントが唯一異なるのは、俺は彼女以外にも警戒しなければいけない点である。
隙を見せれば、全ての集中をプレジデントに向ければ、筋肉ダルマと首無しの斧騎士は間違いなく襲いかかってくる。連携など無くとも殺せると、野性的な本能で。これまでの幾度かの戦いで、それを俺は痛感している。
まともな状況なら、それは不利に働く。集中している方と集中し切れていない方では、どちらが有利なのかは火を見るよりも明らかだ。
だがこの俺が、卑怯千万の人殺しが、そんなまともな状況で戦うわけがなかった。
あほらしい。馬鹿らしいにも程がある。
俺は素早い動作で、腰に差した拳銃を取る・・・そう見せかける。
それだけでプレジデントは足を引き、一挙に近づこうという構えをみせる。
彼女の目は俺だけを見つめている。彼女の神経は全て俺を殺すことだけに向いている。
つまりは、他の所からの警戒が手薄になっている。
「っ」
プレジデントの蒼白な顔が目を剥いた。
爆発である。それも派手な。
音源から察すれば分かるが、爆心地はホテルの裏手である。
爆発が彼女を襲ったわけでもないし、爆風が俺を攫ったわけでもない。
ただ、派手な爆発が起きた。それだけだ。
しかしあらぬ方向の爆発音で、彼女の俺だけへの集中がかき混ぜられていた。頓珍漢な方向を彼女は向いていた。
爆発が起きたほんの一瞬では、それが彼女を襲うかどうかの判断も当然ままならない。把握には最低でも0・5秒は掛かる。
いや集中力を分散していれば、それほどの時間は掛からないだろう。
だが今回は違うのだ。決定的なまでに、違い過ぎるのだ。
半秒もあれば俺は無防備な人間の頭を三つは撃ち抜ける。
一人なら、猶予時間があり過ぎて欠伸が出るほどだ。
俺はプレジデントの頭を撃ち抜く。床に倒れる間にも、もう二発当ててみせる。
即死だった。念にも念を入れた。壁にもたれかかるようにプレジデントは死んでいた。鮮血が波紋のように広がってゆく。
そしてすぐに今回の依頼は対象の捕縛であり、殺害ではないことを思い出したが、どうせ依頼は罠だろうし、この際無視していいだろう。それに異形共の強さを考えるに、生きて引き渡すのは不可能に近い。
そうなると指導者と思しき最初の男は殺すべきだったな、と俺は反省した。
活かされる機会があるかはともかく、それでも反省。
「・・・」
巨漢男と、斧を両手に持つ首無し騎士を、俺はそれぞれ見遣る。次はお前らだぞ、と目だけで告げる。
先ほどの爆発はもちろん偶然起きたものではない。俺が起こした意図的なものだ。
近かったのでホテルの裏側からのみ爆音が聞こえたが、俺はいざという時のため、様々な場所に爆弾を設置していた。それを操る携帯端末を俺は拳銃に触ると見せかけ、そして起爆したのだ。
ちなみに今の爆発は仕掛けていた爆弾を全て利用してのものだ。一瞬の操作では、そこまで緻密な作業は望むべくもない。同じトリックは出来ないわけだ。
「次はお前か」
二人目、次鋒として現れたのは歪な筋肉の鎧を纏う男だった。
知性は、やはり見えない。意味は分からなかったが、話すことが出来たプレジデントは例外の部類なのだろう。涎を垂らし、その分厚い胸を振るわせて興奮気味に息を吐いている。彼の異形はその異常な筋肉とみていいだろう。
筋肉。四肢は通常の大きさだが、そこに付く筋肉量は常軌を逸していた。大きなスイカ並みのそれが至る所に付いている。そう、至る所に。頭皮にも鼻にも首筋にも、本来ならばどうやっても筋肉がつかない場所にも、それが付いている。
彼が腫瘍のように纏う筋肉は、いつかテレビで見た皮膚病を俺に思い起させた。
前例に洩れず、あの筋肉が相当な硬度を有しているならば、外部からの直接的な攻撃は殆ど意味を為さないとみていい。面倒な相手である。差し当たって良さそうなのは眼球だろうか。眼球は体外と体内を直接繋いでいて、見る限りでは筋肉は付いていない。視野に影響が出るためだろう。
眼球から脳を破壊する。狙う場所は絞られた。
依頼主曰く、この筋肉男の名はサイクルというらしい。
俺は異形の男、サイクルの体を上から下までざっと見る。
これほどに肥大化した筋肉であればオーダーメイドでもしない限り、それに合う服など存在しない。何が言いたいのかというと、サイクルは全裸だった。
そして下。局部も思いっきり露出していた。生殖機能の維持のためだろうか、そこにも筋肉は付いていない。
あまり考えたくないことではあるが、もし眼球狙いが失敗すれば、そうした部位から狙い撃つしかなくなる。それしか選択肢がなくなる。
もしくは逃げるか、の二択になる。
ただ局部に負けて逃げるというのも正直馬鹿らしい。なので、出来れば最初の狙いでサイクルを片付けたいところだった。
プレジデントの時のように、俺はサイクルと真正面から対立する。
ふざけた戦いにならないことを切に祈りながら。