極夜の空 無辺解釈(Alea iacta est.)1
極夜の空 無辺解釈(Alea iacta est.)
1
復讐について少し考察してみたいと思う。
事の本質は基本的にシンプルだと思う俺としては、こうした無為にも等しい思考は好きではないのだが、しかし絶対にしないといえばノーである。
どんな善人も悪事を起こすことがあるし、その逆もまた然り。天使に悪魔が宿る時もある。何が言いたいかというと、人間の気分というものは、かくも恐ろしいということだ。特に俺のような、いい加減な男の場合は顕著だといえる。
それにこの考察が一概に無意味だともいえない理由がある。今回の敵は当初、あくまで当初は復讐を目的としていたらしい。この思考の帰着する所次第では、敵の行く先や行動パターンが読めたりとか、向かい合った後に言葉で惑わしたりとか出来るかもしれない。
まあ多分ないだろうが。殆ど思い付きのこれがそう都合よく敵に当て嵌まるとは、さすがに俺も考えない。
そこまでは俺も自惚れてはいない。
今日のこれは反芻することもなく、いずれ思考の海に沈む代物だろうが―自他ともに認める適当な性格の俺である、同じことを明日考えれば違う結論に辿り着くこと請負だが、何となしに、大した意味もなく考えは進んでゆく。
意識を内側に向けながらも俺は決して気を緩めず、廃墟を行く。足元に落ちている薬莢が鬱陶しい、蹴り飛ばす。血溜まりはあるが、死体は転がっていない。
さて、なんだったか・・・そう復讐。復讐である。
無念を、恨みを晴らすだけの益のない行為。目には目を、歯には歯を。キリストの左の頬を差し出せ云々を断固として拒絶する、負の感情だけの意趣返し。
復讐は人間に限らず一定の知性を有する生物に共通する行動である。自分が、あるいは自分の同胞が著しくおびやかされた場合、その原因となるものを排除しようとする根源的な感情の発露である。
この根源的な感情というのが厄介である。
前述もしたように復讐は益にならない。自然界の動物のそれならばまた違うだろうが、人間の場合はそうではない。
いや益にはなるかもしれないが、多くの場合でリスクとメリットの釣り合いが取れていないのだ。復讐という感情の後押しのせいで、正しい選択肢が不明瞭となる。
しかしこの復讐、言い換えれば反骨精神のおかげで人間は成長を遂げてきていて、歴史を築いてきたのだから、一概に否定することも出来ない。
あんな奴に負けるものか。では、どうすべきか。
憎きあいつを殺したい。では、どうしたらいいのか。
そればかりを人間は考えてきて、人を殺すことばかりを考えてきて、そのおかげで今の一定の秩序が保たれた世界がある。
だから厄介だと俺は思うのだ。おそらくはこの負の感情は人間に絶対に必要なもので、言うなれば必要悪な存在なのである。
哀れ神の子、アーメン。南無阿弥陀仏。
真に人間的な人間など存在しない。
人間は良いも悪いも抱えてこそである。
朽ち果てた階段を俺は昇る。力を入れれば今にも崩れそうだ。襲撃してくるやもと思い警戒心を一層高めた俺だったが、幸か不幸か何もなかった。延々と考えるのも退屈になってきたし、早々に来てくれると助かるのだが。
しかし復讐。復讐である。
意味。かたきうちをする。仕返しをする。報復。
あくまで個人的にだが、大切なものが傷つけられて、その相手を殺害する、というのが俺にとっての復讐である。それ以外は復讐ですらないと思う。
単純なリベンジではない。
殺されて殺して、というのが復讐だ。殺人的な報復こそが復讐である。
例えば今回の標的は無差別殺人を為したため、その被害者が俺に依頼してきた格好である。可能であれば標的の家族も殺してほしい、とのことだった。
復讐の連鎖。円環して積み重なる怨嗟の鎖。
こんな在り様はきっと間違っているのだろう。けれども俺はこの帳が下りた空が、極夜の空が好きだった。
復讐結構、いいじゃないか。
人殺し。ふむ、そう悪くない。
そもそもとして人間の生などそう長くないのだから、好きな事をして好きに死んでいけばいいではないか。天寿を全うする必要など、一体どこにあるだろうか。
だから俺は、そういうあれこれについて考えるのが嫌いなのだった。
したり顔で哲学―もとい雑な言い回しに過ぎないものを披露した所で得られる知見なんてないし、俺のやることは何一つ変わらないのだから。
例えば復讐ではなく、何故人殺しが悪なのかについて深く考えさせられた所で、今回の依頼を受けない動機には決してなり得ないし、過去のそうしたことについても絶対に反省などしない。俺は何も変わらない。この俺こそが俺であり、俺なのだ。
そういうわけで俺は復讐について何も思わない。感慨の一つもない。
素晴らしいとも思わないし、最悪だとも思わない。
殺したかったら殺すし、そうじゃなかったら殺さない。
言葉を誑かしていたが、結局はそれだけなのだ。
いつだって世界はシンプルで、物事は単純だ。
「はっ、くだらねえ」
ここまで長々と、やはり無意味に自分自身へと語ってきた俺だが、そこまでして分かったのは俺がいい加減で、そして人殺しということだけだった。
なんだ、物事は単純って。
俺、そんなこと本気で思ってんのかな。
しかし本当に・・・心底くだらないと俺は思う。いくら人間そう変わるものではないとはいえ、同じような答えになったことは決して少なくないのだ。
どこかデウス・エクス・マキナ的ですらある。
こんなものが神様とやらの意思であってたまるか。
俺が悪人なのはまだ良い、適当なのもまあ許そう。そこは俺自身も受け入れている。だが自分の変わらなさをこう何度も見せつけられると、さすがに嫌気が差す。
考え方も生き方もころころ変わるくせに、その変わらないという性質だけは一向に変わらないというのだから笑える。年齢的には一応大人へとステップアップした二十半ばに差し掛かる俺だが、以前と何一つ変わらない気がする。大人でも子供でもなく、俺は俺のままで変わっていない。二年前とも、三年前とも、その前とも、やっていることが幾分も異なろうと、俺という人間の本質というものは。
こんなことをしていれば近い将来、俺は死ぬだろう。
多分、復讐者に殺されるだろう。
風向きが悪い日に、あまりに呆気なく。
それでも俺は変わらない。変わる気もない。
惰性なのか、殺人衝動でもあるのか、それとも秘めたる自殺願望でもあるのか、俺は人を殺し続けている。人殺しで在り続けている。
ただ初めからそうであるかのように、この間違った生き様を貫いている。
間違いを認識しつつも、正すつもりがない。
これに対する俺の明確な答えを持ち合わせていないが(それこそあの観測者ならこれさえも正確に観測しているかもだが)、現時点で俺は次のように適当に考えている。
きっと、俺は復讐をしているのだと。
「ははっ」
くだらない。くだらなくて、それ故に面白い。
だから俺は笑うのだった。馬鹿馬鹿しい世界と、愚かな自分を嘲笑って。
「さて」
踏まれた植物の跡や、走る際にぶつかったと思われる物の数々から、大まかな敵の位置も掴めた。
考えにもならない考えの時間も終着である。
割れた窓ガラスから寒々とした風が入ってくる。慣れているとはいえ寒いものは寒い、吐息が白くなっている。フードを被る。
個人的にはニット帽よりも首元が覆われる分フードの方が好きだ。極寒の北国なら特にそこは重要視しなければならない点だ。
外を見ると夕暮れ時だった。夕日が眩しい。曇り空だが、その切れ間から鮮やかな朱色が望める。
随分時間を食ってしまったと俺は思う。
この鬼ごっこも、そろそろ仕舞いの時間だ。子供の遊びは夕日が沈むと共に終わると相場が決まっている。
いかにもなデカい扉を手榴弾で吹き飛ばし、俺は隠れることもなく悠然と踏み入る。
扉の先は、かつてパーティでも催されていたらしい会場だった。テーブルは朽ち果てており、寂れたシャンデリアは床にめり込んでいる。グラスや皿の欠片が散らばっていて歩きにくい、靴に刺さるのも嫌なのでそれを避けて通る。
「あ?」
異変に気付いたのはガラス片を踏んだと思われる、じゃり、という音を聞いたからだ。
俺はそれらを避けて歩いている、つまりは第三者がいるということ。
もちろん鼠やその他小動物の可能性はあるが、この状況で間近で物音とくれば警戒を怠るわけにはいかない。
敵が確実にそこにいる、とは考えない。もしかしたら何らかの罠かもしれないし、そうではなく俺の勘違いの可能性もあるからだ。
今すべきは来た道を戻って距離を取ることだけだ。
少なくとも俺が今まで通ってきた道だけは安全が確保されている。その周辺に敵がいないのも確認している。
俺は音源の方に最大の注意を払いつつ後退する。
・・・。
幾許か、何も起きぬまま間が空いた。
十秒か、はたまた一分か。集中している状態ではそうした感覚が疎くなる。
どちらにせよ、それは音源の主にとっては我慢できる時間ではないようだった。痺れを切らしたのだろう、まるで防壁のようにひっくり返ったテーブルの影から、それは俺目がけて勢いよく飛び出てきた。
「ギュアアアアアア!!」
金属音にも似た金切り声を上げて、それは拳を振るってくる。
それは獣ではない、色白の男である。理性の窺えない陰鬱な面持ち、障子のような厚みのない胸板、やはり細い両足。映画で見るようなゾンビを思わせる。
しかしこいつをゾンビとしてキャスティングしようとは、さしものジョージ・ロメロも思わないだろう。腕、腕である。異様なほどに隆起した腕は超人ハルクを想起させるほどに太く、またその長さも樹木のように長かった。
とても人間のそれとは思えないアンバランスさである。
そんな太い腕を俺に向けて暴力的に振るってくるわけだが、その頼りない足腰で何故かなりの重量があるだろう腕を振るえるのか、俺は理論的な解決を見出せなかった。
普通なら転倒して、二度と立てなくなる。
直径が一メートル、長さが三メートルはある両腕を支えきれるわけがない。
まあ考えても仕方ない。通常の物理法則から外れた奴なんて分からねえし。
今考えるべきは、どうやって眼前の敵を殺すか、それだけだ。後の事は後に考える。
「っ」
腕の一撃を横に跳んだり上体を後ろ左右に逸らしたりすることで躱してゆく。幸いにして腕を振るう速度は大したことがなかった。
俺は更に距離を取り、会場の出口近くまで戻る。
後退しながら牽制代わりにと、デカい的である太い腕に銃弾を撃ち込んでみたが、案の定というべきか、鉄に当たったように弾かれた。
狙うのは変形していない部分、ということなのだろう。
やはり、これまでのように。
「・・・ったく、最近はゲテモノが多すぎだ。悪魔払いの神官様なんて謳ったことはないんだがな。ふざけんなっての」
俺がこの奇形男に驚かなかったのは、最近こういった手合を殺す機会が多かったからである(これとは別ベクトルで姉が怪物なのもあるが)。
そう、本当に最近である、俺はこの一ヶ月で五人もの異形の人間を始末してきた。
今回の男で六人目である。異様な腕をしているコイツだが、ビジュアル的にはまだマシな方である。胴体部分が完全な球体の自身の臓器を振り舞わす奴や、脳髄部分に生えた無数の手で飛翔しながら狂言を振り撒く奴は、本当に視界に入れるのも嫌だった。
これまで、こういう異形と化した人間とまみえる機会はなかった。
それが一ヶ月で六度。そうした怪物の目撃証言はこれの五倍は聞く。
あまりにも多い。あり得ないことが多すぎる。
この街で、あるいはこの国で何が起こっているのか。あまり物事に関心を寄せることのない俺だが、しかし仕事に関わるとなれば話は別だ。
得体のしれない何かが俺の周りで起きている。見ず知らずの内に疫病のように蔓延している。気炎を上げて解決したいとは思わないが、あわよくばそれを利用して一儲けしようと考えている俺だが、正体不明が近くにあるというのはよろしくない。
素性から考えるにおそらくは後天的だろう異常なまでの奇形、生物というか物質の理屈を超えた動き、そして獣のごとき攻撃性の高さと人間性の欠如。
一手でも差し違えれば、間違いなく死に繋がる相手である。
彼らが住民に被害を与えることに憂慮は全くないが、しかし情報が少な過ぎる。
本腰を上げて調べる時間になったようだ。
「そんじゃ、まずはお前を殺す所から始めようかね」
「ギュアアアアアア!!」
理性を捨て去らなければ出せないだろう甲高い声を上げて、男は異形の腕を振り回しながら突進してくる。進路上のテーブルや椅子が粉砕されてゆく。
対して俺は銃を構え、腰を僅かに落とす。そうして今日も俺は元気に人を殺す。
はたして、こいつを人だと定義するならばの話だが。