天寿を全うしたい理由 美咲
「よしよし、今日もいい子だなぁ。」
父が私の頭を撫でている。
大きな手に撫でられると、幸せな気持ちになるのは何故だろう。やはり、血縁者だから?
すると、どこから見てもほのぼのな空間に、心底心配そうな顔の母が来て。
「ですがあなた……スノーは良い子すぎませんか? 夜泣きなんてたまにしかしないし……。」
少し良い子にしすぎたのだろうか。
いやしかし、出産しても彼女は公爵夫人。
スノーホワイトが生まれて5カ月辺りから、お披露目会やら夜会やらで毎日を忙しく過ごす母に、必要以上の負担をかけたくはない。
夜泣き真似は、ここ最近控えてたけど……流石に泣かなすぎなのかな?
「いいじゃないか、スノーがグッスリ眠れている証拠だ。」
おおっ、おっとりで優しい父よ、そのまま押しきってください。
貴族らしさを微塵も感じさせないその笑顔で、母の心配を無くしたげて。
「だけど……這って移動するのも早すぎですし……。」
それは、転生する度に運動能力の成長が早まって来たからで……。
「この前なんて、お手洗いに行こうと這っていたのですよ? 試しに座らせたら、手で追いやられて……心配で覗いたら用を足せてるし。」
あの~、その様な話を目の前でされるのは、凄く恥ずかしいのですが……とは言えず。
今まで生きてきた年数が私よりも低い人に見守られるなんて、まるで介護みたいに感じてしまう。
「子供の成長は、とても早いと言うじゃないか。」
父、その調子その調子。
「……いいや、よく考えてみたら、確かに早すぎかもしれん。」
父、違う。
路線変えないで、ひたすら『○○じゃないか』で終わらせてよ。
……しょうがないじゃない。
だって今まで、トイレに行った事が数えきれない位あるのよ?
おむつって、履かせる方は何考えてるか知らないけれど、トイレを知っている人が履くのは、私からするとほぼ拷問。
それに、赤ん坊というのは、転生者からしたら退屈だ。
親を安心させるために嘘泣きをし、トイレに行きたいのにオムツを履かされ、食べるものは制限されてて、気軽に歩くこともできない。
正直言うと、転生後に一番辛いのは赤ん坊の時代だと思う。
裸は見られるわ、知らない人に抱っこされるわ。
遊ぶにも布のぬいぐるみか、積み木しか渡されない。
チェス等のボードゲームをやらせて貰えるまでに、ひたすら我慢の連続。
「やっぱり……お医者様に相談した方がいいのかしら……。」
「念のため……ラファエル先生を呼ぶ様に、執事に伝えておこう。」
……こんな時には、これまで経験した人生を順に思い出している。
生きてきた年月が長い程……当たり前だけど、昔の事から忘れてしまい、思い出を忘れない様にする為に思い出さなくてはいけない。
過去には、勿論嫌な記憶がある。
けれどそれを忘れてしまえば、これからの人生に役立たす事が出来なくなる……つまり、同じ失敗を繰り返してしまう事態に繋がるのだ。
その様な事で、育ててくれる人に迷惑をかける訳にはいかない……絶対に。
だから今日も、私は思い出す。
……今までの人生。
私の最初の名前は、西野 美咲。
記憶の中の最初の思い出は、木を惜しみ無く使った風流な店構えに、渋い藍色ののれん。
その店の奥にある台所では、いつも親子の明るい声が聞こえる。
1番記憶に残っているのは高校2年生……美咲が死んだ年。
「お母さぁーん、今日の晩御飯は?」
自室のある二階から台所のある一階に下りつつ、美咲は母親に大きな声で聞く。
服装は少し着崩したブレザー制服……とは言っても、暑いからスカートを少し短くしただけ。
「美咲の大好物、豆腐ハンバーグよ!」
母の元気な声。
これが、今は名前が分からなくなった最初のお母さん。
「やったー! 絶対早く帰ってくるからね!」
専業主婦の母は、近所でも有名な料理上手だった。
いつも明るく優しく、時には厳しい……理想の親。
「俺も嬉しー!」
毎回どこからか現れるのは、実家の豆腐屋を継いだ父。
父の作る豆腐は有名で、近所のスーパーには勿論、様々な飲食店でも提供されている。
冷奴で美味しい豆腐、鍋で美味しい豆腐……沢山種類があって、どれも研究を重ねて出来た力作ばかり。
毎日食べても飽きない美味しさだった……気がする。
白くて四角い事、作る時の道具と工程以外は忘れた。肝心の味は美味しかった以外で表す事が出来ない。
家族構成は、父と母と私の3人だけ。
祖父母は私が生まれて間もなくに亡くなって、それ以外の親戚とはあまり関わることはなかった。
「美咲~、おっはよー! 学校遅れちゃうよ!!」
「今行く~!」
……美咲の1日の始まり。
起きたら2階の自分の部屋で、高校の制服に着替える。
途中で近所に住む同じ学校の友達が外から呼び掛けてくれるから、特別な事がない限り遅刻なんてしない。
恋はまだした事がなかったけれど、それなりに幸せな……いや、最高の青春時代を送っていた。
しかし、高校2年生のある日……親子三人でドライブをしていた休日で、美咲の人生は終わってしまった。
確か私には反抗期が無かったので、親子で出掛ける事に何の抵抗が無く、むしろ楽しみにしていたはず。
あの日も……お父さんがドライブをしようと誘ってくれて、親子3人で楽しく過ごす予定。
しかし、山間のカーブ前で突如ブレーキが利かなくなりガードレールを突き破って崖に転落。
転落した時に意識は無かったのが、不幸中の幸いと言えるのだろうか。
崖は高さがあり、助かる訳がなく。
そこで、父母と共に死んだ。
享年17歳、未練だらけの人生だった。
だけど、ここで驚くことが起きる。
私だけが死んだ後、一時的に幽霊になったのだ。
ガードレールを突き破ったはずなのに、自分が生きている……なんて信じられなかった。
信じていたら、地縛霊になっていたかもしれない。
まあ、検死されてる自分の遺体の前で目が覚めたから、信じるも何も無かったのだけれども。
崖から落ちた遺体だったし、流石……としか言い様がない程の見た目。
自分を見て吐き気を催したのは、親友が私を実験台にしてメイクの練習をした時以来。
塗りたくられて面の様になった顔が恋しくなる程の激しい損傷……あの光景だけは忘れても良い気がする。
ちなみに葬式は、母方の祖父母……それに父の兄が中心になって取り仕切ってくれた。
そこで知ったのが、母の実家は由緒ある染め物屋で、豆腐屋との結婚は猛反対されたと。
だけど父を愛していた母は、駆け落ち同然で父と結婚したらしい。
だから、母方祖父母とは長年連絡を取っていなかった……母の両親が遺影に泣きながら謝っていたのは、幽霊ながら見ていられなかった。
初めて祖父母に会ったけど、こんな状況では会いたくなかった。
一方父の兄は、豆腐屋を継ぐのを断って、家を出て自分の会社を設立していたらしい。
追悼の手紙を読みながら涙する叔父は、次男なのに家業を継いだ父について、長く気持ちを込めて語ってくれた。
設立した会社が上手くいったのは、父が犠牲になったから……と。
だけど、私は知っている。
父は幼少期から豆腐屋になりたいと思っていて、必要ならば叔父に頼み込んで家業を継がせてもらおうとしていた事を。
酔っぱらって話していた父の姿を……今、叔父に見せてあげたいと幽霊ながら思った。
遺影も遺骨も話せないから、もう遅いのに。
美咲が死んで……聞きたいけど聞くことが出来なかった、親戚との間柄を知れたのは事だけが良かった事かもしれない。
そう、思わせてほしいのだ。
無惨な遺体が火葬される瞬間や、自分の遺影を見ながら泣き続ける親友を見ているのは辛かった。
親友の背中をさすっても、手を握っても、抱き締めても……何をしても泣くのをやめなかったあの子。
そりゃあそうか、すり抜けてしまうのだから。
そして埋葬された時、目の前が暗くなってきて……気がづけば体が暖かく。
何故かは分からないまま、女性の声がして……私は泣いていた。