#098:荒涼かっ(あるいは、生まれ出でし/時のまぼろし)
「……わっかんねー、わっかんねーわよ、そんなの」
「五角リング」の二時くらいの位置。先ほどから周りの歓声やら喧騒とかも、もう、うわんうわんとくらいしか認識出来ていないけれど。スポットライトのひとつにちょうど真上から抜かれたような位置でかしこまる、岩のような重機のような姿は、周囲の暗闇から浮き上がって見えてはいる。
立ち合いの腰を割った姿勢でこちらを見据えてくるままのセンコ。上目遣いで人の目の奥の奥までを覗き込んできてるけど、これほど萌えから遠ざかった目つきも無い。いや、そんなこと考えている場合じゃあないか。
ただ、その縦横比がほど同じくらいの巨体から紡ぎ出されてくる言葉には、私はうまく対応できてるとは言い難いわけで。
冒頭の、吐き捨てるような言葉をつぶやくことくらいしか出来なかった。凪いでいるけどケバ立っている、そんなテンションだ。微動だにしないセンコの姿を、力無く立ち尽くしたまま見つめているだけ。しかし、
「……ゲドゲドの人生の諸々を呑み込んで、そして溜め込んだまま、おんしは『この場』までやって来た。であれば、やることはひとつしかないでごわす」
豪快に顔面の筋肉を使って作った笑顔の中の巨眼は、私を励ますような促すような、優し気な光も湛えていたわけで。
「ひとつ……?」
私の、6つに分裂しかけていた「世代人格」たちは、ひとつに融合とまではいかないまでも、ひとところに集まって、いま、同じ方向を向いているように感じられている。
自分をバラバラに崩して、それらごと分断しておかなかったら、自分の中に置いてもおけなかった痛み。
それを呑み込んで溜め込んでいたということ。それをこいつは見通していた。
何で、分かったんだろう。何で。
「おはんは、病に侵されている。わっしの兄と同じの」
貫かれた。清々しいまでのド直球だ。私は少し体を引き気味にして、これDEPだったら相当いくんじゃね? みたいな半笑いと無表情の中間くらいの表情しか呈することが出来やしない。
300万人にひとり。しかもキャリアとキャリアの子だけに、それは現れると言われている。
お母さんとお父さんが愛し合って生まれた私。
発症したら、一週間と保たない私。
普段の生活は全然問題ないし、むしろ体は頑丈な方だ。風邪もひいたことも無いし、食べ物のアレルギーも無いし、酒だってがばがば呑める。
でも五、六年に一度、味わう。大脳が溶かされるような高熱と、全身の神経を冷たいピアノ線であちこちに引っ張られるような激痛を。
それは「選別」。命の選別。
持ち直すか、そのまま灰になるか、その鍵は、脊髄の働きにかかっているのだという。正に「脊髄にきいてみろ」だ。
幸いなのかどうかは分からないけど、私はその気まぐれな選択を、これまでの人生で四回も切り抜けてきた。
いつだって良く言やあ前向きで、悪く言やあ独善的な、数年ごとに生まれかわって、その数年の短いスパンで物事を考える、周りからはあんまし理解はされてこなかったメンタルで、その時その時を過ごしてきた。
……過ごしてきたんだ。
私はいつの間にか素立ちのまま、眼前のセンコにも焦点を合わせられないまま、ぼんやりと、ただ中空に視線をさまよわせているだけになっている。