#149:南無三かっ(あるいは、三途オブ/穴開きインザ/夕景)
わからない。さすがの私も、今の状況はもう、混沌としか言いようが無かった。
相変わらずの空中疾駆は続いているものの、もう何か、時間も空間も超越しちゃったような、そんな時空の真っただ中に、二人してほっぽり出されたような感覚であるわけで。
夢? 現実? それともこれは、この今に至るまでの二週間ちょっとの諸々すべての出来事が、雑居ビルの屋上から飛び降りた、私が最後に見ている幻想?
すべてが不安定であやふやに感じられるようになった今、私は目の前の人物と言葉を交わすことでしか、自分を保つことも出来なくなるような気がしていた。
「ミウなの……? かざみなの……?」
表情は死んで、そんな蚊の鳴く声でしか言葉を発することは出来なくなっているけど。
「……そうだよ、『ソォニャ』」
目の前の塗魚は、今の今まで見たことも無かったような、そんな優しげな笑みを浮かべて、私にそう言い聞かせるように呼び掛けてくる。その名前も、かざみが名付けてくれたものだ。「若草」をひっくり返して「草若」、「ソウ・ニャク」……「ソォニャ」。不思議の街の住人にふさわしい、かわいらしい名前。違う自分になれるような気がする、そんな魔法の名前。
見た目ははっきり違うのに、そんな柔らかな微笑を浮かべた塗魚の顔に、かざみの下ぶくれの、おかめみたいな顔が重なる。間違いない。でも、
「なん……でっ、何で!? わた……絶交されたかと思って……っ、わた、しは……!!」
言葉もままならなかったが、自分の今現在の意識の方がままならなくなっていることを心のどこかでは認知していた。私の意識はぐわんぐわんと酒を浴びるように飲んだ時と同じくらいに揺さぶられまくっている。着地点が見当たらない、そんな感じ。
「あたしの方から謝れば良かったのに。でも出来なかった。出来ないままで終わっちゃった。ソォニャはしばらく学校来なかったし、そうこうするうちに卒業、入学……新しい環境になって、新しい友達も出来て……昔のコトとか、思い出す暇も無かったし、思い出すことも何か恥ずかしくてダサいなんて思っちゃってた。それで三年間。あっという間だった。小学校の頃は、あんなに長く、いつまでも続くと思っていたのに」
塗魚……いや、乙中 歌咲美は、頭の中に浮かんだことを、そのまま口に出しているかのようにぽつぽつと喋り続けている。その、感情のこもっていない言葉たちに、逆に、かざみの内なる感情の奔流が込められている気がして、私は掠れ声すら出せなくなってしまっていた。それでも、乾ききった喉に、声帯に、粘る唾液を落とし込んで湿らせて、言わなきゃあならないだろうことを必死で紡ぎ出していく。
「……あ、あやまらないとダメなのは私……私、でしょ? 大事な入試の日にあんなコト……」
私のメンタルは、12歳のあの頃に戻っているみたいだ。「表層」に出てきているのは、あの日の自分だった。
「……どうしようもない病気、だったんでしょ? あたしそんなの知らなくて、気持ち悪くなって逃げた。その次の日からも、まわりのコがソォニャを嗤って避けるのを見て、関わってあたしもそんな風にされるのが怖くて逃げた……そんなの親友じゃない」
かざみの感情が、私自身でも届かなかった深奥に突き立って、そのまま揺さぶってくる。
虚言と妄想で体全体を塗り固めなくちゃあ、まともに外の世界と相対することも出来なくなっていた12歳の自分が、心象風景の中で棒立ちのまま震えているのを、なぜか俯瞰しているような、そんな感覚に陥っている。