#140:新天地かっ(あるいは、巡り来て/承服/show me)
「……」
不気味谷の表情と化した私は、右手赤ボタン―「アクセル」をベタ押しした、さらにその奥まで力を一点集中して押し込む。
一瞬、反発抵抗する指応えがあったものの、そのまま押し続けると、リミッターらしきものが外れたみたいに、また、ずぶぶと深奥へと沈み込んでいく。
それと同時に、私の身体はとりあえずのMAXスピードだった「時速60km」から、さらなる加速を覚える。ヘッドロングに、急降下していく感覚……猛禽類が、遥か上空から獲物を目掛けて空気の壁をえぐり、飛び抜けるように。
「……」
密着したハツマと共に、バーチャルな「宇宙空間」を疾駆する。変なアドレナリンなのかエンドルフィンなんだかが、脳内にどぷどぷと満たされていくような感覚に溺れそうになる。
私の首に腕を回していたハツマは、そんな空恐ろしいほどの速度になっても、まだ柔らかな笑みを浮かべていた。いや、でもそのこちらの底の底まで覗き込んでくるような瞳からは、じりじりと、フロントガラスに付着した水滴が移動していくかのように、その愛らしい頬を顎の方へと輝く雫が流れていっている。
こいつが私に何を伝えようとしたかったのか、それは言葉で説明することは難しく、言葉で理解する必要もないような気がした。何を共有したかったのか、うっすらと脊髄辺りで分かりかけてもいたけど、それもまた脳で理解しようとするのは、何となく無粋な気がしていた。
わからないままで、終わってもいいのだろう、きっと。それはたぶん、「人生ってなあに?」的な質問と同質のものでもあろうと思うのだから。
その答えを探すことが、道のりが、手段が、葛藤が、「人生」。何て、はっは、なんちゃって悟りは、私の得意とするところだったりもするわけで。いやん、気恥ずかしいわ。
速度がごんごん上がっていく中で、諸々を考えているうちに私の表情は自然で柔らかなものへと変わっていっていたようだ。かえってそれが眼前のハツマをびびらす。
<……っすっさまじい加速だぁッ!! 水窪選手、初摩選手っ!! 80……90……100!! 後続を引き離し、いま8km地点を通過っ!!>
実況の声が響き渡る中、余裕を取り戻したような感じのハツマが、その小さく可愛らしい唇を開こうとするのが見えた。
来る。最大級のDEP。そいつで私を仕留める気だ。こいつとこうやって間近で対面していると、その魅惑のオーラみたいなものに気圧されて、思考が定まらなくなってしまう。「世代人格」たちの誰かに丸投げしようとしても、私の脳内をあっちこっちどたどたと走り回り始める奴らの、どれにも「チャネル」を合わせられなくなってしまう。
かと言って、こいつを振り切ることは容易じゃあない。最速までスピードを持っていったけれど、ろくに力もかけてないように思えるこの細い両腕は、振りほどけなかった。
私自身はもう枯れた。何も出ない。次、さっきみたいなごっつい電撃を喰らったらアウトだ。ど、どうする? 静かに追い込まれていく私。ここで終わるわけには……っ!!
その時。
追い込まれた脊髄が、まるで反射のように爆ぜた。本能の赴くままに私は自分の顔を右に45°くらい傾けると、不自然な体勢のままで顔を突っ込ませていく。
「……!!」
ハツマのDEPが放たれることはなかった。私のぱりぱりに乾いていた唇が、ハツマのうるおい溢れるそれを塞いでいたからだ。