#118:達観かっ(あるいは、エドゥアール先生ごめんなさい)
意を決し、まずは【萌】(白:1)を外す。河に音も無く打ち出した私だったが、内心は当たられないかと恐々としていた。
私の手牌の中では比較的、手役に組み込みやすいその牌をあえて捨てた。なぜか。
……はっきり、罠っぽいと感じたからだ。
多分、こいつこそが「不要牌」だ。使いやすいけれど、その「色」に着目すると、自分の手牌ではそいつだけ、他のやつらの河を見ても今までに一枚も出されていない色。もっとも手牌内に溜め込んでいると見れなくもないけど、その存在自体がかなり少ないんじゃあないの? との推理にも及ばない推測みたいなものを私は感じ取っている。
いわば、三元牌のような。
白い色……「白」から安易な連想をしただけかも知れないけど。でもその直感読みは、おそらく外れてはいないんじゃないかと確信するわけで。現に他の三人はその「白色」に対してノーリアクションだ。
今は「理」よりも「直感」。自分の中に眠るそれを最大限まで研ぎ澄まさなければ、勝ちは引き寄せられない。
そう。人生も多分、そんな感じで決断していくことが、迷って悩んで後手を引いてしまうことよりも有用で、そして勝率は高くなってくんだろう、とか、柄にもなくそんな達観じみた事が脳内に浮かんじゃってるけど。
今まで私は、短いスパンで物事を考えなきゃいけなかったから、結構、周りを見て静観してしまうことが多かった。
だったから、仕事でミスをしても、取り返しのつかない所まで局面が進んでしまうまで、じっと、ただコトがどう転ぶのかを見定めて、それから行動に移そうとしていた。
それは、自分の中では用意周到万端で、あらゆる事態に対応できるような気になっていただけに過ぎなかったのかも知れない。
だけど、それじゃあ先んじて制することなんて出来ないよね……トラブルを未然に防ぐこと、防ごうと頭使ってすばやく考えていくこと、それこそが日々の生活を営んでいく上で、仕事を円滑に回す上で、人生をスムースに歩んでいく上で、
……生きる上で、もっとも大事なことなんじゃないのって事が、今更ながら判ってきた。
それが分かっていなかったから。分かろうとしてこなかったから。
私はダメだったのかも知れない。
もちろん「持病」のことが大きなウェイトをもって、今も私の中に居座っていることは事実だ。でもそれら云々を差し置いても。
「……ロン」
「決断」することは重要だ。それがいかに困難そうに見えても。
下家のシギが打ち出した【音】という牌に、私は冷静にそう発声をし、手牌から【絵】【恥】の二つの牌を場に晒していく。
そのどれもが「緑」色。
「……『付き合ってた人がアート好きで、デートは大体が美術館だったんだけど、特別展の『草上の昼食』の正にの目の前でいい感じでよく通るファ#な放屁をかましてしまって、それが多分、元で別れたっていう、そんな話』」
良くも悪くも力の抜けきった私は、そんな過去の汚点をも、笑みをもって語れるようになっている。達観だ。ディスイズ、パーフェクト達観。
私は気合いの乗ってきたいい目つきで、え、そんな手でアガるの? みたいな怪訝な目つきで見てきたシギに視線を返す。