#116:忠犬かっ(あるいは、アルツェ、当たらないのか?)
早くも土俵際いっぱい、俵に土踏まずが掛かった状態まで押し込まれた私だったが、ひるんでいる場合じゃあない。
地上10mくらいのこの対局場のぐるりを巡るスタジアムの観客席からは、相変わらず瀑布のごたる歓声なのか怒号なのかが、お互いぶつかり合って共鳴しているかのように鳴り響いている。この熱狂感は何だろう、何らかの賭けの対象にでもなっていない限り、あり得ないのでは……
周りの野太い声を上げているオヤジたちを、つい奈落谷の表情で見やりそうになるけど。そんなことをやっている場合でもない。
私に直撃を喰らわせた下家のシギが、引き続いて山からひとつ摘まみ上げる。通常の麻雀と違い、アガリがあっても場は流れず、そして「アガリに使用した牌」により減った手牌も補充されることはなく、そのまま対局は続いていくというルールのようだ。明らかにぼかしている部分もあるので全容は掴めないし、まだ全然気は抜けないけど。
「……」
ツモんなよ、ツモんなよ……と、祈りのような、呪詛のような文句を唇を動かさずに周り一間にしか響かない夜盗の声色で紡ぎ出す。ついで顔も無表情のその先の「深淵」へと、にじり落ちていっているようで、当のシギも含めた対局者3名が、私の方を向かないように全力で卓上に集中している様が見てとれる。いやそんな事をしている場合でもなーい。
「……」
一瞬の動作停止の後、シギの手牌の内のひとつが無事、河に放たれた。まあ、今しがた「4枚」のアガリをかましたその手牌の数は「6枚」。選択肢狭まっている中、親でさらに安手で上がるというのは、のちのちを考えると不利なので、ここはじっくり手を作ってくるはずだ。
いやそんな読みを入れている場合でもない。出された手牌、それに集中しろ。自分の手牌と合わせて、何とか和了を拾えるDEPを瞬時に組み立てるんだ……っ!! しかし意気込み目を凝らす私の眼前に放たれた牌には、
【サルーキ】
確かにそう刻まれている。さるーき、なんのき、と思わず口ずさみたくなるけど、それは紛れも無い最古の犬種……っ!! そしてそれを利用してDEPをこしらえること、私には到底不可能……っ!! というか「犬」で国士でも九蓮でも仕上げられそうなほど、その牌種はなぜか豊富……っ!!
切羽詰まりの余り、そんな途切れ途切れの状況説明しか出来なくなっている私だったが、場は淡々と進み始める。
……対面の大佐は、山から摘まんだ牌を、手の内で翻すとそのままツモ切り。
【秋田犬】
はいはいマサルマサル。すげえよ。開幕から数分しか経ってないはずなのに、どんどんと河が、いぬいぬしくなっていくよ……
こいつぁ、アガること自体が非常に難しいんじゃないかって思えるようになってきた。何とかこの流れを変えない限り……この偏りが過ぎる犬子場を変えない限り……私にアガりは望めない……
またしてもそんな途切れ思考に陥りかけていた私の前にふと、降って来る、天恵が。
上家の塗魚の手の内から抜き出され、場に捨てられたのは何と【デート】、そしてその牌の色は、緑。
おいおいおいおい、無防備すぎんべぇぇぇ、そういう「概念牌」は、いかようにも手役に昇華させることが出来うるってこと、お姉さんが教えてやんよ、と、私は息巻いて「ロン」という音声を上顎くらいまで発し登らせていたのだが、ちょっと待った。
何か、いやな予感がする。