#104:篆刻かっ(あるいは、世界よ/これが/選択だ)
隙あり、と思い、安易に組みに行った私は浅はかだった。
渾身のパチキもヘッドギアつけたもん同士じゃ、目くらまし程度にしか作用せず。
私の体を抱きすくめるように、いや、覆いかぶさるように、センコの方もその長太い両腕をハグのように伸ばしてきた。いやハグじゃなくて、ハッグだ。
両差しに移ろうとしていた私だったが、両肩にえらい圧力を感じ、さらには腕の稼働までもが止められてしまう。ごおお、締め付けられてるぅぅぅぅぅ。
閂……手の握力関係ない技だ。まずい、このまま肩極められた状態で、場外へと投げ落とされたら……もがくもののしかし、微動だにしないわけで。ん? 尾藤谷? あれ偽名だったのか。
「水窪の……おんしの境遇、しかと聞き申した。だがそれだけで、不幸話だけでは、このダメを勝ち抜くことは出来ん」
距離15cm、くらい。喜悦の表情に歪んだ、そんな巨顔に迫られつつそう告げられるけど。天馬屋……思い出した。
「不幸話」て。私はそれほど自分が不幸だとは思っちゃいないのよ。召される覚悟は出来ていたし、それ割り切れないと「6年スパン」の人生なんて平左で送れるわけないっしょ。
「水窪の。おんしは強い。ただ恐れ迷い傷つき、自ら命を絶った我が兄者よりも強い」
センコは相変わらず微笑んでいる。何だよ。何で私の心を抉ってくんだよ。ばかやろう。密着した状態のまま、喉奥から苦痛以外の、いや、苦痛なのかも知れないけど、知らず知らずに絶叫が迸っていた。
「ああああああああっ!! ……私はなあぁぁぁぁ! 私だってついこの間なぁぁぁぁぁっ、ビルから、屋上から! 飛び、降りようとぉぉ、したんだよぉ!! 何も、なんにも知らないくせにっ……何も、なに、な……なぁぁぁ、知ったような、口、叩くんじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
叫んでいた。全てを振り払うかのように。滅裂に。
「……」
だけれど、振り払われてくれなかった。がっしりと、その逞しい両腕は、私の体を離さないままだった。抱きとめていて、くれたままだった。でも、
「だが踏みとどまった。生きろ水窪。這いずって、苦汁に鼻下まで浸かった状態でも、生きるんぞ。わっしは、おんしのこと、昔から知っていたでごわす。同じ難病を患う兄も、おんしの事を知っていた。観ていた。だから……」
聞いちゃあいられなかった。
「うううううるせぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
……幼い頃、病院の多目的ホールで出会った、同い年だって言ってた、青白い顔の少年の姿を思い出していた。
「言われっ!! なくてもっ!! マモっくんの分までよぉっ!! こちとら生きるって決めてんだ!! ちょっと忘れてたくらいでぇぇぇぇぇっ、ごちゃごちゃ言ってくんじゃねぇぇぇぇぇぇっっ!!!」
忘れかけていたその名前を出した瞬間、センコの顔が歪んだのを視認した。だけど、それは苦痛によるものですよってなことに、フォローしてやんよっ。シリアス空気をも、締めで、はぐらかし煮詰め拡散するためにもなぁぁぁぁぁっ!!
「おおおおおおおおっ!! ヨダヨダヨダヨダヨダヨダヨダヨダヨダぁぁぁぁっ!!」
センコのぶっとい首に手を回し、渾身の首相撲へと移行する。そのまま右膝を、皿が割れんばかりに、脂肪と筋肉に覆われた腹部に撃ち込んでいく。何発も。何発も。
頬を、滴り落ちたのは汗だ。私もセンコも、顔中を汗で膜が張るくらいにさせながら。
抱擁と、慟哭と、拡散と。
押し込んでいく、センコの身体を、対局場の、その端まで。そして、
「……ラ・ヨダソウ・スティアーナ(さよならよ)」
最後の方は無抵抗で私の膝を喰らっていたセンコは、満足したかのような顔で、場外へと落下していく。