ミイム&ノイズ
教室の窓が一目では分からないくらい、微妙に開いているのだろうか。
机に突っ伏している愛らしい少女のうなじに生える産毛が、流れ込む初春の風に優しく揺れ、その白く細い首をくすぐっていた。
ただその弱い風に出来るイタズラはそこまでで、両サイドに結わえられた長い黒髪の束が、大蛇のごとく踊り狂ったりはしない。
産毛の揺らめきによるくすぐったさに堪えながら、クラスの子たちから「まん丸で可愛い」と評判のキレイな二つのまなこを、国語の教師が持つチョークの動きに集中させようとがんばっているようだった。
少女はすでに小学校五年生なのだ。
小学生はこの次の一年で終わる。
そしたら中学生! 大人である――少女的には中学生は大人だった。
「……あかん」
集中が途切れそうになっている少女――琴葉ミイムが小さくつぶやく。
少女の席は教団からだいぶ離れているというか、早い話が最後列である。
国語を教える小じわの目立つ女性教師の耳には、そのつぶやきは届かない。まあこの教師は優しいことで有名なので、この程度聞かれたところで何も起こらなかっただろうが。
「今日で二十五日……二十五日も……姉ちゃんのニオイ嗅いでないわ……」
ミイムは仕方なく自分の腕の匂いを嗅ぎ始めた。
思ったのと違うとすぐに気が付いたのだろう。
あまりいい表情を浮かべなかった。
「実の妹なのに……なんでこうも違うんだろ?」
ミイムの姉はそれはそれは優秀だった。
ミイムはそれに思いをはせる。
二十五日前までは二人きりで暮らしていた姉の姿を。
ミイム目線によるフィルター越しの妄想ではあるが――優しい顔立ちで栗色のセミロングで前髪を黒いピンで留めていた。頭がよく運動も出来て家事も何でもこなして、自分のために全てを注ぎ込んでくれた――胸の大きな姉……
「姉ちゃん……なんで一人暮らし始めちゃったんだろう……」
姉に会いたい。
ミイムはその気持ちで胸がいっぱいになり、教師が自分を指しているのに気付かないありさまだった……
ミイムはちょっとは効果があるのかな? っと、手の付け根辺りを擦り合わせてから、もう一回自分の匂いを確かめてみる。
当然、姉の匂いなんかしないわけで……顔を上げて愚痴をこぼし始めた。
その声はちょっと大きかったかも。
「なんぞ変な匂いしかせんわー」
ミイムの目が、小じわの目立つ国語教師の目と合ってしまう。
先生の目は全然笑っていない……
「なんでやぁ……」
昼食時、ミイムは周りの子と席をくっつけて給食のパンをしっかりと持って――泣いていた。
「あの先生優しいんじゃあなかったのか?」
殴られはしなかったけど、大声で怒鳴られたのがミイム的にはショックであった様だ。
「ミイム……正確には、優しいんじゃあなくて……優しそうだよ」
「うう……サギやー」
世の中の理不尽にまみれたミイムは、かじったパンを牛乳で一気に胃の中へと流し込む。
それで落ち着いたか顔に笑顔が浮かんでいく。
「まあしゃあない、次だ次!」
「ミイムって、ホント打たれ強いよねー」
「ねー」
ミームは強いとみんながうなずく。
「あ、そだ、相談があるんだけど」
ミームがおかずのハンバーグを切り分けながら、みなに打ち明ける。
「相談? ミイムが? 珍しい」
「悩みがあるの?」
「わたしが悩みが全くないノーテンキキャラだとか思っとるのかー!?」
ミイムが突然立ち上がったことで、みんなが悲鳴を上げた。
実際には、ノーテンキキャラだとみな思ってはいたが、そんなこと話せそうにない雰囲気だ。
「ミ、ミイムってさ……なんでも自分で解決できそうで……ね?」
「うんうん、そーだよ」
「そーそー凄いんだよミイムちゃんは」
消してノーテンキを否定しているわけでは無いことに気付かず、ミイムはまんざらでも無いニヤケ顔を浮かべた。
「そ……そっかなー、えへへへ」
そんなミイムの態度を見て、密かに胸をなでおろす子供たち。
小学生だって人間関係は大変なのだ。
「じゃなくてっ!」
ミイムが机を強く叩くもんだから、その音で教室中が静かになってしまう。
構わず言葉を続けるミイム。
「わたしが五年生になってから、姉ちゃんが一人暮らし始めたんよ。そんで、ずっと姉ちゃんに会えてなくて……」
「ミイムのお姉ちゃん? 会いたいの?」
「会いたいわー」
甘えん坊な表情のミイムは大変可愛く、その場の空気を和ませていく。
そしてみなが考える。
ミイムを姉とどうやって会わせるかと。
「今度の休みに遊びに行ったら?」
「違うんや、一緒に住みたいの!」
「そうなんだ……」
先発意見を出した子は、そのまま引っ込む。
「ハイハイ!」
「あかね、どうぞ」
ミイムにあかねと呼ばれたおかっぱの女の子が、その場で立ち上がる。
「お姉さんは今どこに住んでるの?」
「うーんとねー……あれ。……あの、ちっちゃい東京タワーみたいなのがある辺り」
網目状の鉄でできた物体は、ミイム的には全部東京タワーである。
エッフェル塔だって東京タワーだ。
「……東京タワー……あ、魚市場ね!」
不思議な東京タワーである。
「そーそー、それ!」
ミイムがあかりに指をさす。しかも両手で。
「確かあそこって学区が違うんだよね?」
「うん、転校になっちゃうよねー」
「うん?」
友達の何気ない一言に、ミイムは何かを考え付いたようだ。
「逆に言うと……向こうの小学校に転校しなきゃいけなくなれば、姉ちゃん所に押しかける理由になるか?」
「え? うーん……そーなのかなー?」
「転校しないといけなくなっちゃうって、どーすればいいんだろう?」
ミイムの質問に、みんなが顔を見合わせる。
「うーん……よく分かんないけど……学校が無くなっちゃうとか?」
「それだ!」
ミイムが指を突き付ける。
「ええっ!」
指された当人は、まさかその案が採用されるとは思って無かったのだろう。
明らかに狼狽している。
それに比べミイムはやる気満々であった。
休み時間。
ミイムは職員室の扉を勢いよく開けた。
部屋の中にざっと視線をめぐらせ、目当ての人物を見付ける。
「夢美先生!」
呼ばれた教師は、驚きの表情を浮かべた。
いや他の教師も、みんなミイムの大声に驚き注目していたりする。
「ど、どうしたの? ミイムちゃん」
ミイムは教師の前に素早く移動すると、その愛らしい顔をギリギリまで近付けた。
「前に何か悩みがあったら相談してねって言いましたよね?」
ミイムが家族不在で親戚の家に居候してると知っていた夢美は、始業式の日に何か悩みが無いかとミイムに持ち掛けていたのだ。
夢見自身は両親のいる普通の家庭で育った人間であり、まだ大学を出て間もない。そんな自分がどこまで理解してあげられるか不安に思ってはいるが……
「え、ええ……えっと……ミイムちゃん、ちょっとお顔が近くないかな?」
夢見が後ろにのけ反る分ミイムがさらに前へ顔を突き出してくるので、その距離感はまるで変化しない。
ミイムは特殊な家庭環境の割に暗さを全く感じさせない。
こんな勢いのある子が何か悩みを持っているのかな? そんな思いが夢見の中に募る。
「夢美先生にお願いがあるんです!」
「えっと何か困ったことでもあったの? ミイムちゃんのために出来る限りのことはしてあげるわよ?」
「学校を爆破して下さい!」
「なんでよおおおおっ!? なになに!? いじめか何か!? 辛いことがあったら正直に教えて!」
学校を爆破ってこの子はどんな思い悩みを抱えてるのか?
夢見はミイムの肩を抱いてあげ、心の内を聞いてあげようと努める。
「夢美先生、何でもしてくれるって言ってましたよね!?」
「ええ言ったわ。けど先生、犯罪は出来ないのよ? そんなことが出来る先生に見えるの?」
「よくニュースで聞きます。――あんな人がやるとは思わなかったって」
「そうね、ニュースのインタビューでよく聞くセリフ――じゃなくて! 犯罪はダメなのよ!」
「あ、おかえりー」
友達の声を聞きながら、教室に戻ってきたミイムは自分の席にそのまま突っ伏した。
「……疲れたー。めっちゃ説教されたー」
夢美だけでなく周囲の教師からも、叱咤激励されまくってきたのだ。
決して叱られていたのではないが、ミイムの中でそれは説教の部類にカテゴライズされている。
そして――爆破依頼は失敗に終わった。
「なんでやー」
机の表面にほっぺたを擦り付けながら、ミイムは次なる作戦を練る。
「ねえミイム」
ミイムの姿がを見た友達が、何か手助けしようと声を掛ける。
「うん?」
「聞いたことがあるんだけど、五年三組に不思議に力を持った子がいるって――」
帰りのHRが終わるとミイムは、心配する夢見の声も振り払い全力で教室を出た。
当然目指すは隣の五年二組の教室である。
二組は既にHRが終わっていたようで、教室から次々と生徒が出て来ていた。
帰っていないといいけれどと思いながら、二組の教室に突撃する。
瞬間、ミイムに奇異の視線が集中する。
他のクラスの生徒というのは、小学生にとって完全な異物なのだ。
ただ、ミイムはそんなのまったく気にしない。
「……えっと、……あっ――」
ミイムは、目当ての人物を探そうとした段階で、自分が相手の顔も名前も知らないことに気が付く。
ミイムはそのまま近くの生徒を無造作に捕まえる。
「ひっ!? な、なに?」
驚きと恐怖をないまぜにしたような表情を浮かべた女の子に、ミイムは質問する。
「このクラスに、不思議な力がある子がいるって聞いてきたの」
瞬間、捕まった女の子の顔が冷ややかなものに変わる。
「ああ……ノイズの知り合い?」
「ノイズ?」
女の子は、窓際に座っている全身ゴスロリ衣装の少女を指さした。
その少女もまた、ミイムに視線を向けている。
少し青みがかっているように見える黒髪のストレートロングが、春風で少し揺らいでいた。
冷ややかな目で色白なためか、それとも単にフリルだらけの黒いゴスロリ服のせいなのか、どす黒いオーラが全身を包み込んでいるかのような雰囲気を感じてしまう。
「探してるんでしょ? ノイズを。……ノイズって、知り合いもやっぱ変な子なんだねぇ」
そんなセリフを最後に、女の子は教室から出ていってしまった。
ノイズ、というのは不思議な力を持つというの子の名前だろう。
ミイムはどす黒いオーラの方へと向かっていく。
「あなたがノイズ?」
ノイズ? が、ミイムの顔をじっと見つめている。
やがてその目が半眼となり、口の端をニイッと吊り上げた。
「ふっ、我が何者かと尋ねる前に、貴様がまず名乗るべきでは無いのかね?」
ノイズ? のその態度に、ミイムはちょっと引いた。
なんなんだろこの子は?
関わっちゃいけない子だったのかも……
「うーんと、わたしは五年一組の琴葉ミイム。わたしの野望のためにあなたの力が必要なの」
「ほう……己の野望のために、我が魔力を欲するというのか?」
ノイズ? は、目をギラつかせ、ニヤニヤと笑い出した。
「名前」
「うん?」
「わたしは言ったんだから、そっちも言ってよ」
「おお、そうであったな……」
ノイズ? は、席を立つと右斜め前に体をズラし、右の手の平で顔を隠し左手は変な方向に突き出した。
右手の指の間から目をわずかに覗かせる。
「くっくっくっ……大地よ鳴動せよ、天へと轟け、我が名は地獄の闇を統べる者、メフィストフェレス・オクタビュース・ミネルバノイズ。この世での呼び名は――天神ノイズと言う――」
「天神ノイズさんね、よろしく」
ミイムはノイズの口上を遮り、右手を差し出す。
ノイズはミイムの顔と差し出された手を交互に見て――そのままふっと笑う。
「ふっ、良いのか小娘よ。この偉大なる地獄の悪魔と契約を交わすということの意味……理解しておるのか?」
「良いので握手」
またもノイズはミイムの顔と手を交互に見だした。
やがて、ノイズがおずおずとミイムの手の平に己のそれを近付けていく。
その瞬間、ミイムが力強く差し出された手を握りしめる。
「よろしく! ノイズ!」
「あっ、うん……よろしく……」
「あれ? 口調が普通になった」
瞬間、ノイズの顔が赤くなった。
「ばっ……ばかなことを申すでない!? 我が精神は不滅であり、汝ら如き下賤の民草の理解が、及ぶことはないのだ!」
「わたしは下賤の民草なの?」
さらにノイズの顔が赤くなったようだ。
しばし、ノイズが何やらつぶやく。
「うん?」
「……い、いや……汝は、我と契約を果たした偉大なる存在であり……えっと、その……そうそう、もはや我と同等の存在へと昇華したと言っても過言ではない」
「そっかー。改めてよろしくね、ノイズ」
「よ、よろしく……ミイム。で、これって……」
「うん?」
「……と、とも――」
「うん、友達だよ」
「そ、そうか……うむ……」
ノイズは、はにかみながらつぶやく。
整った冷たい印象の顔は何処へ行ってしまったのか、その顔はかなり崩壊していた。
「それでノイズ。あなたの力に頼りたくてわたしはココに来たのよ」
それを聞いた瞬間、ノイズの顔が冷たい表情へと戻った。
「ほう、我が力を欲するか娘よ。よかろう――汝が卑しき願望を、我に示すがよい」
ミイムは一拍置いてからその願望を吐き出す。
「この学校を……破壊して欲しいの!」
「おじゃましまーす」
タワーマンションの上層階。
そこがノイズの家だ。
玄関ホールにコンセルジュがいて、電子キーで自分の住んでいる階にしか止まらないエレベーターとか家の入口まで電子キーなど、ミイムにとってはまるで別世界といったところだ。
「くっくっくっ……ようこそ我が居城へ。ミイムよ喜ぶがよい。汝が我が居城へと訪れた、初の人類となったのだ」
友達が家に来たことはないらしい。
部屋の中は明かりが消えてて真っ暗だ。
ノイズがおもむろに壁のスイッチに指を伸ばす。
「さあ、今こそ我が居城の封印が解かれるとき!」
照明が付いた。
「うわ……」
まだ玄関なんだけど、すでに酷い状況にミイムは驚きの声をもらす。
大幅なリノベーションでもしたのか? 壁も天井も床も、黒と青と紫と複雑な銀色の模様とで、埋め尽くされていた。
玄関マットにも魔法陣と呪文が描かれており、どこで売っている物なのか疑問に思ってしまう。
さらに水晶やらドクロやらいろんなオブジェが飾ってある。
この玄関でひときわ目立つのが、正面の壁にデカデカと描かれた魔法陣。
五芒星の周りに細かい図形や文字が描かれているが、それの意味はミイムには分からない。
「さ、上がって」
「お……おじゃまします」
内装は洋風というか邪教の神殿みたいだけど、ノイズは靴を脱いで上がっている。
基本は日本家屋のようだ。
「二度目」
「へ?」
ノイズの言葉の意味が分からなかったミイムが、聞き返す。
ノイズすぐに返答せず、そのままミイムを居城の生贄の間――リビングへと案内した。
そこはやっぱりというかなんというか、玄関と同じというか――それ以上にヤバい部屋だ。
壁にヤギの頭蓋骨が飾られ、ゴスロリ調の大きく黒いロウソク立てなんかも置かれている。
壁に掛けられている絵には悪魔みたいなのが描かれていた。
「おじゃましますって」
突然つぶやかれたノイズの言葉に何のことかとミイムはいぶかしみ、すぐにさっきの質問の答えなのだと思い至る。
「ああ……うん、そうだったね。……そういえば、お父さんお母さんはまだ帰ってないんだ」
「いないわ」
「いない?」
「一人暮らしなの」
「ほう……ほううううっ!?」
ミイムに衝撃が走る。
小学生って、一人暮らしが出来るのか!?
うちのクラスにはそんな人はいない。
一番特殊なのが、叔母の家に居候している自分なのだ。
「ノイズって、一人でお料理したりお洗濯したり出来るの!?」
「……ええ」
「すごおおおいいいいっ! ノイズって変なだけかと思ってたけどすっごいんだね!」
ミイムにいきなり両手を握られ顔を近付けられたノイズは、少し顔を赤らめ視線を横に逸らす。
ミイムはすぐに体や顔を近付けたがる。
彼女のパーソナルスペースは、かなり狭いのであろう。下手したら無いのかもしれない。
可愛らしい容姿の子に無邪気に近付かれては、周りの人はさぞドキドキしてしまうことだろう。
今のノイズのように。
「……ま、まあ……大悪魔である我が力を持ってすれば、そのような些末なこと造作もない」
「闇を統べる者じゃあ無かったの?」
さらに顔を近付けるミイムに、さらにノイズの顔が真っ赤に色付く。
「えっ……うあ……そ……そ、それは……や、闇を統べる者とは、あ、あ、あく、悪魔のことなの、じゃぁ……」
ノイズの語尾が少しおかしくなった。
ミイムは青紫のカバーがかけられたソファーへと腰を下ろす。
ノイズはオープンキッチンへ入り込んで何やら始める。
「そうそう悪魔さん。お願いの件だけど」
「くっくっくっ……そう急くでない破壊神の愛娘よ。まずは我が居城への初の来訪者を祝し、処女の生き血を捧げようぞ」
銀の装飾が施されたちょっと重そうなトレイで運ばれてきたのは、金のフレームで支えられたワイングラスが二つ。
そのグラスは赤い液体で満たされていた。
「さあ、遠慮せずに飲み干すがよい」
「あ、ありがと。いっただっきまーす」
ノイズが美味しそうにゴクゴクと飲んでいるのを見て、ミイムも一気にあおる。
そして盛大に吹きだす。
「ぶへあっ! ゲホ……ゲホ……」
「え!? ど、どうしたの! ミイム!」
ミイムの突然の様子によほど驚いたのか、ノイズの口調が普通に戻ってたりする。
「こ、これ……トマト……ジュース……」
「ち、違うわ……処女の生き血よ!」
声は平静を装っているがノイズの体が震えていた。
何か失敗してしまったのではないか、嫌われちゃうんじゃないかと、怖くて震えているようだ。
「トマトジュース、青臭くて飲め無いの」
「そ、そうなの!? い、今すぐ、何か……オ、オレンジジュースで、いい!?」
ノイズは一気にまくしたて冷蔵庫へと全力疾走しだす。
「うん、オレンジジュースでお願い」
すぐにノイズが戻ってくる。
今度は普通のコップにオレンジジュースが注がれていた。
「こ、これ!」
「あ、ありがとう……」
ミイムはそれを一瞬警戒しながら少しだけ口を付けたが、普通にオレンジジュースだと分かって安心したか一気に飲みだす。
ミイムが美味しそうに飲んでくれているのでノイズはホッとため息を吐き、ソファーへと座り込んだ。
「あ、これ、もったいないからノイズが飲んじゃっていいよ」
ミイムが差し出してきたのは、飲みかけのトマトジュース。
またもノイズの顔が赤くなる。
手を上げるも、そのコップを受け取るべきかどうか躊躇っているよう。
「うん? やっぱ飲みかけは嫌?」
ミイムが引っ込めようとした瞬間、ノイズが物凄い勢いでコップをひったくった。
「い、いや……も、も、も、もったいない、ものね! い、いただく、わ……」
ノイズはそのコップを両手で抱え、じっと見つめる。
やがて意を決したかのように、それに口を付けた。
耳まで真っ赤になりながらも、それでいてゆっくりと時間をかけて飲んでいく。
結構長い時間飲み続けるノイズの姿に、ミイムは不安を抱く。
「えっと……ノイズ。息苦しくならない?」
「ぷはぁっ!」
「うわっ!」
ノイズが突然大きな声を上げたので、思わずミイムはのけ反ってしまう。
ノイズは荒く息をしていた。
呼吸を忘れるくらい懸命に飲んでいたのだろうか?
「……あの……ノイズ?」
ノイズは懸命に呼吸を整えようとしている。
「……はぁ、苦しかった……」
「お、お疲れー……」
なんて言っていいか分からず、ミイムは適当に返した。
「えっと……学校を壊したいんだっけ?」
「えっ……あ、そうそう! それよ!」
「なんで壊したいの?」
いろいろあり過ぎたせいか、ノイズはもう口調なんてどうでもいいみたいだ。
「姉ちゃんに会うために!」
「……は?」
ノイズは考える。
どういうことだろう?
学校側が何かの理由でミイムたち姉妹を引き裂いているのか?
……そんな!?
もしそうならば許せない! ミイムをいじめるなんて!
ノイズは自身の中で補完された説明に対し、怒りを湧き上がらせた。
「ミイム!」
「えっ!? はい!」
突然両手を握られて少し驚くミイム。
「大丈夫よ! わたしに任せて! あなたの家族を、わたしが必ず救い出して見せるわ!」
「お、おおお、ありがとう」
ノイズが何故こうも熱くなっているのかミイムは理解しきれていなかったが、とにかくオーケーしてもらえたのでそれで良しとした。
儀式の間と書かれた扉の向こう。
その部屋の床には巨大な魔法陣が描かれており、五芒星の各頂点位置にロウソク立てが置かれ、いまはそれに火が灯されている。
部屋の中では御香が焚かれており、包まれるような柔らかい芳香と視界を侵食する煙により、ミイムは夢見心地のような不思議な感覚にとらわれてしまう。
ノイズはフチに金の刺繍がされているフード付きのローブを身にまとい、片手には分厚い革の装丁の本を広げていた。
その格好で魔法陣の中央に立つ姿は、まさに魔女と言っても差し支えない。
「ミイム、儀式を始めるわよ」
「う、うん……」
部屋の空気に飲まれたミイムは、ごくりとツバを飲み込んだ。
ノイズが分厚い本の内容を読み上げる。
「我が魔導書エグドゲギア、第一篇第三部六章三節」
ノイズの本を持たぬ手が虚空に印を作り上げていく。
ミイムは邪魔してはいけないと、息まで止める気持ちで、じっとしていた。
「エグサーラ、エグドゲギア、エグサーラ、エグドゲギア。
我は汝が真名と呪いとを唱えたり。
邪悪なるこの場で、大地に描かれた強大なる印の権威により、我に力を与えよ。
この印により、汝は我が僕であると知れ。
我が願いを叶え、汝が我が手先として生き栄え、この世で汝の意志が果たされることを得させよ!」
ノイズが何かが書かれたメモをポケットから取り出し、それをロウソクの火で燃やす。
それを中空に放り出す。
「エグドゲギア!」
放たれた炎が一瞬青白く大きくなったかと思うと、すぐさま消えてしまう。
そのまま時間が止まったかのような空気が部屋を包む。
「……儀式は成功よ」
ミイムはノイズに何か言おうとして、喉がカラカラに枯れていることに気付く。
ツバを飲み込み、なんとか声を絞り出す。
「な、なんか……すっごいね……ホントに魔王様か何か見たい……」
その感想がえらく気に入ったか――ノイズは高らかに笑う。
そして教室で見せた様な右斜め前なポーズをとる。
「ふふっふ、……ふははははっ! 見たか我が力を! 我こそが地獄の闇を統べる者、メフィストフェレス・オクタビュース・ミネルバノイズであるぞ!」
「おおおおーっ!」
ミイムは地獄の闇を統べる者、メフィストフェレス・オクタビュース・ミネルバノイズに賞賛の拍手を送った。
その夜――巨大隕石が小学校を直撃した。
校舎全体にヒビが入り一部が吹き飛ぶ。
校庭にはクレーターが生まれ、周辺家屋にも窓ガラスが割れるなどの被害が発生した。
だが、これ程の災害にも関わらず人が寝静まる深夜帯であったためか、死傷者はゼロであった。
完全不定期更新です。