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群青ノ雪 短編集

作者: 秋月皐月 Stellatica

*群青ノ雪、一番攻略したいキャラは誰だアンケートの投票数第一位の冬真と二位の司で七瀬との短編小説を執筆、公開企画

 キャラクターの心情面や状況などは、体験版時点でのものになりますが、IFストーリーという分類をとらせていただきます。



「は~、よく働いたな~」

 夜の九時過ぎ。一日の仕事を終え、ふう、とかよちゃんとの相部屋である使用人室で一息吐く。

 ベッドの縁に腰かけ、肩の凝りを解すようにうんと背伸びをした。肩甲骨が軽く身体の内側へと動き、それにより筋肉も円を描くように伸縮する。それが何とも気持ちがいい。

「かよちゃん、遅いなぁ。まだ会議終わらないんだ」

 彼女は使用人会議というものに出ており未だ仕事中だ。一人で部屋にいると、どうにも手持ち無沙汰だ。

 掃除、洗濯、お使いと、使用人としての仕事には段々となれてきたこともあり、就寝前のこの時間は退屈だった。

 現代では、就寝前にスマートフォンを弄り、それから気分次第では小型ゲーム機で遊ぶこともある日常を過ごしていた。

 それを思うと、この時代は私にとってあまりに娯楽不足だ。どうにも暇を持て余してしまい、寝付くまでは悶々とする。

 そんな暇人の部屋の扉を、こんこんと誰かが控えめに叩く。思い切り油断していた私は、その控えめな呼び出し音にぎくりとした。この時間に部屋をノックされるなど、そうそうあることではない。部屋を訪ねる可能性があるとすれば、使用人の人間くらいのはずだけれど……?

「はい、どなたですか?」

 やや重みのある厚手の木製の扉をゆっくりと開くと、私の目に鮮やかな金髪が映り込んだ。

「あら、冬真様? いかがなさいましたか?」

 まさかこのような時間に訪ねて来られるとは思いもせず、それも来訪者が冬真君だったこともあり、内心そわそわと落ち着きがなくなる。

 特段いかがわしい妄想を繰り広げるつもりはないけれど、それでも万が一、万が一にも何か起きればどうすればいいのだろうと、余計な思考が働いてしまう。そんな自分が気恥ずかしく、己を叱咤する意味で強引にも笑顔を作った。

「いやね、先程、流れ星を見つけたものだから、少しばかり外へ星を見に行かないかと思ってね」

「星、ですか?」

 彼の服装を良く見ると、確かにこれから外出するつもりなのだろう。厚手のコートに身を包んでいる。

「七瀬、もし興味があれば、君も一緒にどうだい?」

 寝つきの悪い私には、願ったり叶ったりの誘い文句だった。どう足掻いてもあと三時間は睡魔の訪れもないだろうと、胸を弾ませながら彼の申し出に賛同した。

「楽しそうですね。是非ご一緒させてください」

「本当かい? それはよかった。それでは、支度をしておいで。僕はエントランスで待っているから」

「はい。執事長達に許可をいただいて、すぐに向かいますね」

 防寒着を羽織り、部屋の前で一旦冬真君と別れてから、執事長達の居る部屋へと向かい、事の詳細を伝えた。二言、三言、注意されたけれど、何とか承諾をいただけ、エントランスで待つ冬真君の下へと走った。

 二人して童心の疼くままに悪戯な笑みを浮かべて、余計な物音を立てぬように、こそこそと屋敷から抜け出す。

 それは既に眠っている耕造さんや使用人達もいるだろうとの配慮だったのだけれど、一番は、この背徳感のある状況のせいだ。許可は得ているものの、この時間に男女で出かけるということが、無性に心を弾ませる。楽しみで、どこか落ち着かなくて、けれど、口元が自然と緩んでくる。そんな感覚。

 この妙な気持ちを抱くのは、冬真君とだからなのだろうか? それははっきりとしないけれど、少なくとも、私は今この瞬間を、とても楽しんでいた。



 屋敷から出ると、私達を迎え入れてくれたのは、真っ青な夜空と、静けさに包まれた家屋などだった。

「静かだね。誰も居ない。昼とはまるで違う景色だ」

 彼の言うとおり、二人で歩んでいるこの道は、昼間の顔とはまるで違う雰囲気だ。今は人が行き交うこともなく、家屋の明かりもまばらになっている。一日の終わりが時期に迫っているのだと肌で感じた。

「そうだね。私達しか居ないみたい」

 冗談半分に言ったのだけれど、冬真君は笑うことなく、小さく頷くだけだ。それから彼は足元をぼんやりと眺め、何故だか沈黙する。一体どうしたのだろうと首を傾げると、びゅう、と一陣の風が頬を撫でる。

「っ、寒いね。冬真君、平気? 風邪をひかないようにしなくちゃね」

 何の気なしに彼に問いかけると、冬真君は不意をつかれたのか、何度も目を瞬いた。すぐに状況を飲み込んだようで、いつもの笑顔を取り戻す。

「はは、まるで母親のようだね。七瀬は、僕を甘やかし過ぎる。僕だって、一端の男なのだけれどね」

「ごめんなさい、私、口うるさく言ってしまって」

「いや」

 また余計なことを言ってしまったのだろうか。途端に胸がざわざわと波打っていると、隣を歩く冬真君の手が、こつん、と私の手の甲に触れた。思わず触れた方の手がびくりと震え、訳もわからず、妙に力んでしまう。

 おかしな動揺が込み上げていると、もう一度、こつん……と互いの手が触れ合う。

「っ!」

 思い切り反応してしまい、彼を意識する自分に、恥ずかしさが込み上げて仕様がなかった。顔に熱が灯っているのが手に取るようにわかり、見っとも無くて顔が上げられなくなる。

「七瀬、どうかした?」

 耳もとで、彼の声が柔らかく、囁く。

 この朱に染まった恥ずかしい顔を晒せるはずもなく、彼の視線から逃れるように、僅かばかり身をよじる。

「な、なんでもないです」

「本当に?」

「ほ、本当に、なんでもないですからっ」

 彼に気持ちが伝わるのを恐れて、つい可愛げなく、つんとしてみせた。

 流石にあんまりだったかもしれない。つい冬真君の反応が気になって、恐る恐る様子を伺う。

 すると彼は最初こそ困ったようにしていたけれど、私をまじまじと眺めた後、突然おかしそうに吹き出した。

「っ、ふふ、あははは」

「ええ!? なに、どうしたの?」

「顔が真っ赤だよ。それに、叱られた子供のような顔をしている」

 自分の単純さが恨めしい。思い切り心情が顔に出ていたらしい。全てを見透かされたような気がして、益々身が縮こまる思いがした。

「まだ、子供みたいに甘やかしたい?」


挿絵(By みてみん)


「え?」

「……ねぇ?」

 身体の中心を射抜くような、芯の重い、けれど色香を漂わせる声音だ。彼は紺碧の瞳に私を映しながら、形のいい唇から白い息を吐き出す。

 ただじっとこちらを見て、ただ息をし、ただこちらの出方を伺うような彼に、私はひたすら見入る他なかった。抗えるはずのない彼の魔法にかかってしまったように。

「さっきの、気にしてるの?」

「そうだね。少し。どうしてだろうね?」

 嫌に挑戦的に、挑発的に、冬真君は目を細める。その顔の美しさと格好良さといったら、堪らない。心臓が忙しなく叫びを上げ、きゅうっと喉が鳴った。緊張からか、呼吸が浅くなる。

「あ、あの、子ども扱いしてごめんなさい。その、私、そんなに見られたら、照れてしまって……は、恥ずかしい、です」

「っ、え」

 熱った頬を両手で覆い、ちらりと彼を盗み見ると、彼もまた同じように頬を赤く染めていた。先程までの色香はどこへやらで、眉根を寄せて口元を腕で隠しながら、静かに瞳を潤ませている。

「冬真君?」

「やっぱり君は、上手だね。敵わないな」

「???」

 話が読めずに困惑する私に、彼は頭を緩く左右に揺すり小さく笑うのだった。



 そうして数分後。冬真君が案内してくれたのは、長い石段だった。周りは雑木林のようで、とても閑散としている。現在は枝等に葉や実の姿はないが、雪が溶けるころには、彩り豊かな景色になることだろう。

「少し上ろうか」

「うん」

 二人して一段、二段、と石段を踏みして上る。意味もなく、最上段を見上げる。あの先には、一体何があるのだろうかと興味が湧いた。

「ねぇ、上には何があるの?」

 その小さな疑問に、冬真君ははたりと動きを止め、それから言葉を選ぶように視線を四方へ散らすも、観念したように、うーん、と苦笑する。

「んー、墓地だね」

「墓地!?」

 普段は好ましい彼の微笑も、今はひたすらに恐ろしくていけない。なんという心霊スポットに誘われてしまったのだ私は。後悔先に立たずとはこのことだとばかりに、絶望感で一杯になる。お察しの通り、私は幽霊が大の苦手だ。

「あああ、あ、あ、あの、とと、冬真君、ここ、大丈夫なの? で、出たり、とか……」

 悪寒がしてならず、かたかたと震える身体を両腕で抱くと、冬真君が快活な声を上げた。

「っはは、平気さ。怖い怖いと思うから、いけないのだよ。何か見えたとしても、そうっとしておけば、何も悪さはされないだろうさ」

「そうは言いましても~~」

 怯えているのは私一人。隣の彼を見る限り、ちっとも怖がっていないようだ。男女の差なのか、性格の差なのかはわからないが、こうも余裕な素振りを見せられると、ひ弱な自分にしょんぼりとする。

「ううう……へたれ上等ぅ……」

「ほら七瀬、今日は幽霊ではなく、星を見に来たのだから、空を見上げてご覧よ」

 当初の目的を思い出し、やっと気を取り直せた。そうだ、肝試しではなく、夜空を見る為に来たのだ。

 救いを求めるように夜空に目をやると、つい今し方抱いていた不安感は空気に溶け、わぁ、と感嘆の声を上げていた。

 藍色の夜空には、それはそれはきらきらとした金と銀に光る美しい星星が、この肉眼でもはっきりと映った。

 近代的な高層ビルなどのない広大な空。ただこうして眺めているだけで、あまりにも綺麗なあの夜空に、自然と心を奪われる。

「凄い、こんなに沢山の星、初めて見たよ!」

 両の手を空へと伸ばし、数え切れないほどの星星を手の平に捕まえる。肉眼で捉えるには、星の一つ一つはあまりに小さいけれど、こうして空一面を満遍なく照らし出す様を見れば、それはそれは、圧巻の一言だ。

 今見ているこの星の輝きは、何十、何百、何千年も前の輝きだと聞いたことがある。幾千の時を過ごして、幾千の世の中の移り変わりを越えて、今、純真に光っているのだと思うと、何だか不思議で仕方がない。

 自分が見上げている星も、月も、大正の世だからこそ、見られるものだ。平成の世には、これと同じ光は、存在しない。同じ星だとしても、それはまた百年分の時間を経た、また別の輝きになるのだろう。

「……百年後に見る星も、ここと同じように、輝いていると思う?」

 このようなこと、彼に訊くべきではない。余計な疑問を彼に抱かせてはいけないのに。そうわかっているのに、つい、もどかしさが口を吐いた。

「百年後か。さぁ、どうだろう? 僕は天体についてあまり詳しくはないから、確かなことは言えないなぁ」

「そうだよね。おかしなことを言ってごめん」

「けれど、輝く時代は違えども、星の輝きは、百年後もそこにあり続けるんじゃあないかな。僕らと違って、あれは随分と長生きだからね」

「そっか、うん、そうだよね」

「今僕らが見ている星を、百年後には、僕らの子孫が見ているのだと思うと、堪らなく《ロマン》浪漫を感じるね。百年後の人も、こうして星を見上げるのだろうか?」

 冬真君の言葉は、約百年後に生まれた私の胸に、強く響いた。彼の浪漫に、私は大きく頷きかける。

「百年後の人も、冬真君と同じように、星を見るよ。同じように、百年の《ロマン》浪漫を感じているよ」

「ふふ。そうだといいなぁ」

 口元を綻ばせる彼に、切なさが込み上げる。けれど、時代は違えども、同じ国で、同じ空を見上げているのだと思えば、それは、悲しく淋しいことではないのかもしれない。

 この世界と現代との繋がりを、少しでも感じられるものがあると知り、ただ素直に嬉しかった。



 中段あたりまで上ると、二人して並んで腰を下ろした。すっかり冷えて《かじか》悴んだ手に、はあ、と暖かい息を吐きかけて、両手を擦り合わせる。そうしていると幾らか寒さにも慣れる気がした。

 そんな時、背後から不意に、こつこつと乾いた靴音が聞こえ、反射的に振り返ると――。

「こんなところで、何をしている?」

 厚手のコートを羽織った司さんが、怪訝そうに私達を交互に見遣った。思いがけない遭遇に、こちらも目が丸くなる。

「え、司兄さん?」

 石段を下りて来たことから、彼は恐らく墓地に用があったのだろう。しかし、このような時間に、それも独りで、よくもこんな場所に居たものだと、内心、驚きが隠せない。

 私の心の声が聞こえてしまったのか、司さんは両手をポケットに収めたまま、威嚇するようにやや上体を反らし、不機嫌そうに鼻腔を吊り上げた。

「なんだその顔は? 目障りだ」

「……申し訳ございません。大変、失礼致しました」

 深々とお辞儀するも、腹の中ではもんもんと苛立ちがこみ上げる……が、そこは最近会得しつつある使用人スキルのにこやか笑顔で乗り切ってやった。

「ま、まあまあ。兄さんも星を見ませんか? 今日は空が澄んでいて沢山見られますよ」

 気遣い屋の冬真君がやんわりと場を和ませようと腰を上げるが、司さんには届くはずもなく、容易く素っ気無い態度で一蹴されてしまう。

「いらん世話だ。お前らで勝手にやっていろ」

「兄さん……」

 相変わらずの司節だ。折角だからと思うも、頑固で孤高な彼の気を引くのは至難の業だ。ここは大人しく引き下がるのが得策だろう。

 そう割り切っていると、視界の隅で、輝く何かがひゅうっと直線に流れたような――。

「まさか!?」

 慌しく空を見上げると、待ちに待った流れ星の姿が一瞬だけ捉えられた。本当に流れ星の尻尾の部分を見たくらいのものだけれど、それでも随分と興奮を覚えて、隣にいる冬真君の肩を揺する。

「と、冬真く……様、見ましたか!? 今、流れ星が!!」

「あぁ、あぁ、見たとも! まさか、日に二回も見られるとは。兄さん、見ましたか!?」

 あまりの興奮に前のめりになる私達は、後ろにいる司さんに勢いよく詰め寄った。彼はぎょっとしてやや驚いた顔を見せるも、途端に眉間に皺を寄せてぶっきらぼうに、あぁ、と短く頷くのみだ。

「あの、お二人とも、何かお願い事はしましたか?」

「願い事? いや、一瞬でなかなかね」

 司さんはさておき、冬真君は残念そうに肩を落とす。

「それでは、もし願うのなら、何をお願いしますか?」

 安直かもしれないが、私のなかで、流れ星=願い事だ。ローカルルールでは、三回唱えなければいけないだとか、何だかかんだ細かなものがあったが、この場では一切目を瞑ろう。

 冬真君は真面目に考えてくれているようで、短く唸り声を上げながら、視線を宙に投げる。一方司さんはと言うと、考える気がないのか、ふうと白い息を吐き出すだけだ。

「司様は、何も願わないのですか?」

 勇気を出して攻めてみると、司さんは下らなさそうに砂利を踏み、私を一瞥する。鋭い眼光に、蛇に睨まれた蛙のような心持ちになるも、司さんは興味薄くふいっと視線を明後日へ送る。

「願いなんぞは、甘えだ。願いはいずれ、下らん癖になるだけだ」

「え?」

「万が一にも、俺が願うようなことがあれば――」

 あれば――? そう気軽に聞き返せる相手だとよかったのに。急に言葉を濁した司さんの反応があまりに意外で、下手なことは何も言えなかった。

 含みのある言いぶりから一転、司さんは言葉の続きを濁すように口元を渋く縫い上げる。

「……。下らん迷信を鵜呑みにするな」

「下らんって、そんなことは」

 こちらの反論など聞く耳持たずのようで、お決まりのつんけんした腕組み立ちポーズときた。こう来られると、何をしても糠に釘、暖簾に腕押し。私にはもう打つ手なしだ。

 まず第一に言えることは、司さんのその生き方は、とても疲れそうな印象だ。

「僕は……そうは思いません」


挿絵(By みてみん)


 司さんの語りに聞き入っていた先程とは異なり、冬真君はどこか緊張した面持ちだ。ぐっと足に力を込めて直立し、瞳を他所へ外すこともなく、じっと司さんに向き合っている。

「願うことは、希望を描くことです。願いは、人を生かし、強くすると思います」

 司さんに意見する冬真君に、思わず見入っていた。彼の言い分に、胸のつっかえが取れたような心地よさを覚える。

 本当にその通りだと思う。冬真君が私の意見を代弁してくれた。

 大小の違いはあれども、願う行為は、心を強くも、軽くもする。心の負担を減らす行為だと思う。

 願いとは、未来への希望と表現してもいいかもしれない。それを自ら放棄する司さんの生き方は、あまりに厳しい。

「ほう? 生意気にも意見か。……それで? その願いとやらを、お前はどうするのだ?」

「どうする、とは?」

「ただ内に秘めているだけか? 他者に宣言し己を追い込むだの、言葉にして自覚するだの。そうして、願いの実現を、試みたことはあるのか?」

「い、いいえ。これは、僕の理想であり、目標なので、特段、誰かに話そうとは思いませんし、心に宿していれば、十分ではないかと考えています」

 私も、冬真君に同意だ。そう大きな願いはないけれど、いずれこうしたい、ああなりたいと、願いや希望を胸に秘めている。けれど、人に話す勇気はない。自分だけが知っていればいいと思っている。

 私の願いと、冬真君の願いは、私のものとは差があるのかもしれないが、彼の意見は素直に理解出来る。

 けれど司さんは違うのか、彼は私達の間を我が物顔で通り抜け、横目で弟の冬真君を一瞥する。

「その腑抜け面を見ればわかることだが、お前にはやはり、覚悟が足りん。お前の願いは、一生、願いのままだ。叶う訳がない」

「――っ!」

 その時、私の目の前で、激情感を纏う赤黒い稲妻が走った。それは、怒りで感情を昂ぶらせた、冬真君のことだ。

 一切の名残もなく立ち去ろうとする司さんの背中を、冬真君は怒りに染まった真っ赤な瞳で追いかける。このままここから去られては気が治まらないとでも言うように。

「兄さんは、兄さんは、口にしたことがあるのですか? 他者にも、自身にも、はっきりと、口にしたのですかッ!?」

 語気は強いけれど、彼の口調は荒く汚れたものではなかった。そこが冬真君の良さであり、理性のように思える。

「あぁ。俺ははっきりと口にした。己を偽らぬ意味でも、導の確認の意味でも、逃げ場を無くす意味でもな。俺に言わせれば、冬真、お前の願いなど、なんの重みもない。空だ」

 司さんからは、はっきりとした意思の強さが感じられた。何か確固たる決意があるのだろう。彼の瞳は、少しも揺らめいていない。しっかりとした形を成している。

 圧倒されたのか、冬真君の表情は硬い。そうして次第に唇に力が入り、眉間に皺を刻んでゆく。何だか、胸がじんと疼くような、男の子の顔に見えた。

「司様、それはあまりにも」

 知らぬうちに兄弟の会話に口を挟んだ私の前に、冬真君がすっと横手を出す。それはつまり、横槍を入れるなと、そういう意味だろう。二人のぶつかり合いに水を差すような真似は出来ず、大人しく引き下がった。

「兄さんに言わせれば、僕は考えが甘いと、そういうことですね?」

 苦笑気味にそう言う冬真君は、司さんを見ていられないのか、長めの前髪で表情をすっと隠した。

「お前は器用だが、そう抜きん出ることもない。俺から見れば、その程度だ。あとは自分で考えろ。言っておくが、長居して家の者に面倒はかけるな」

「……はい」

 その冬真君の返事は、心なしかいつもよりも低く、そして芯のない声だった。兄の司さんはそんな冬真君を一瞥した後、コートを翻し、少しの余韻もなく石段を下りて行く。

「お気をつけて」

 場を持たせるようにそう挨拶をして、彼の背中が屋敷の方へと消えてゆくのを見送った。



 夜が更けて、より星の色が濃くなった頃。

 そろそろ帰らなければと思いつつ、隣の冬真君に目を向けた。

 腰を折り、顔を卑屈げに俯かせた様子の彼を前に、そそくさと帰宅を促す気にはなれなかった。彼が落ち着くまで、このまま隣にいることを選ぶ。

 冬真君は、繊細なのだと思う。感受性も豊かで、周りが良く見えていて、常に他者の気持ちを考え、そうして自分の言葉や意見を飲み込む。そんな人のような気がする。

 人の為や、自分の信念の為に、先程のように、はっきりと意思を口にすることもあるけれど、その相手があの司さんだと、流石に根負けしてしまうらしい。私もそうだから、冬真君の心情は良く理解出来る。

 ……どうにかして、冬真君を元気付けなければ。そう思えば思うほど、彼が今求めている言葉が、見つからない。これ程の落ち込みようなのだから、下手な言葉は使えない。ただ黙っているだけでもいいかもしれないが、何か一言、気の利いたことを、伝えたい。余計な、お節介かも、しれないけれど……。

 内心おろおろと思考を巡らせていると、ねぇ、と彼に呼びかけられた。

「な、なぁに?」

「七瀬は、兄さんの意見をどう思う?」

「あ……そう、だね。私は」

 司さんは、強いと思う。彼の言葉は、ずしりと重い。その上、忘れようにも頭の片隅に色濃くこびりつき、容易く消し去れないところがある。

 心のどこかで、私は司さんの言葉に、納得しているのかもしれない。それはあまりに悔しいことだけれど、言葉は、他者にだけではなく、自分をも縛り、戒めるものだ。彼の言葉は、自分にも返っているはずだろう。日頃の彼を見ていれば、そこは、真実のように思えた。

 私は紛れもなく冬真君派だが、先程の司さんの意見は、頷けるところもあると感じた。冬真君は、人の機微に敏い人だ。そんな彼に、嘘は吐きたくない。

「私は、司さんの考え方、間違っていないと思う。やたらと厳しいから、なかなか、真似は出来ないけど。でも、私は、願いがあるから、行動できるって思うよ」

 この世界に来てからというもの、怖い思いばかりをしている。意味も解らずこの時代で過ごすことになり、右も左もわからず、無事に自分の家に帰れるのかも、はっきりとはわからない。

 家に帰りたい。きっと、帰るんだ。その願いが、私の心を立ち止まらせずに、前向きに動かしている。

「冬真君は、理想のある人なのかなって思うよ。その生き方ってさ、凄く人らしいなって。未来を描いて、現在の自分の気持ちを奮い立たせる。私はそういうの、好きだよ」

「うん、うん。そうかい」

 それだけを応えると、冬真君は俯かせていた顔をそっと上げた。

 何とも言い難い、覇気の薄い笑顔だ。二人きりだと言うのに、彼は私に気を遣っているらしい。もっと、疲れた顔をしてくれてもいいのにと、おかしな不満が込み上げる。もっと、気持ちを吐き出して、もっと私には砕けて接して欲しいと、願ってしまう。

 そうなのだ。願いとは、こういう小さなことにも、適応される。願いは、気持ちに近いのかもしれない。未来を見据える願いも、今に寄り添った願いも、多大にあるんだ。

 そうであるのならば、司さんの願いも、冬真君の願いも、どちらも、そのままでいい。改める必要なんて、きっとないはずだ。

「冬真君は、冬真君の道を行けばいいんだよ。大事な気持ちは、人に譲っちゃ駄目。だって、冬真君の人生なんだもの」

 大きなことを成し遂げたこともない癖に、私は何を声高に、偉そうに、語っているのだろう。恥ずかしいやつだと赤面したくなる。

 隣にいる冬真君が何かを言いたそうに、まじまじと見つめてくる。やはり身の程を弁えない意見だったかと、へそを中心にして、身体がきゅうっと小さくなってゆく思いがした。

「ありがとう」

 思いがけない台詞だった。

「え?」

 思わず聞き返す私に、冬真君は、今の季節を忘れさせてしまうほどの笑顔を見せる。とても春が似合う、柔らかで暖かい、そんな笑顔を。

「自分を肯定して欲しいという思いもあるけれど、それ以上に僕は、応援、して欲しかったのかもしれない。僕の想いを、拾って欲しかったのかも、しれない。七瀬は、凄いね。僕の気持ちを簡単に高めてしまうのだから」

「ほ、本当? 元気、出た?」

「それはもう」

 茶目っ気たっぷりにこくこくと頷く仕草に、どっと安心感が押し寄せる。私の言葉は、確かに、冬真君の心に届いたのだ。それだけで、言葉にしてよかったと、嬉しさが胸いっぱいに広がってゆく。

「そっか、そっか~! ふふ、よかったぁ」

 すっかり顔の筋肉が緩んで、にこにこと締まりのない顔になる。単純とは私の為にある言葉だろう。

「七瀬のおかげで、僕は欲張りになりそうだよ」

「ん? なんのこと?」

「……叶えたいことだらけだと言うことさ」

「そんなの、私もだよ。冬真君の欲張りさに負けない自信があります!」

「あはは、なんだい、その自信は? ふ、ははっ」

「そんなに笑わないでよ~!」

「ふふ、御免よ、御免」

「もう~~、冬真君ったら」



 七瀬。君の言葉が、僕は好きだよ。

 直ぐに揺らいでしまう心の灯火に、君は熱い火を差し出してくれる。それは随分と、僕の心を明るく照らす灯りになる。

 ありがとう。僕はどれだけ君に、この灯りをお返し出来るだろう?

 きっと、君に返すから。心底嬉しかったこの想いを、君の心に、きっときっと、返すから。

 だから、出来るのならば長く、君と一緒に居たい。出来るだけ長く、君と、居たい。


 隣で笑ってくれる彼女の手を、勇気を出して、そっと、握り締めた。


「ねぇ、七瀬、僕は――」


 ――その言葉の続きは、二人だけの秘密。





 ‐了‐


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