バース伯爵夫人の結婚とその後
私はクルー侯爵家の一人娘ユージェニーだ。今日私は幼い頃からの婚約者と結婚する。
貴族の結婚は家同士で決められる。私も例に漏れず十歳で婚約者をあてがわれた。バース伯爵家の継嗣・エムリスである。両家での顔合わせの際に驚いたのだが、エムリスは三歳上の美少年だった。金の髪に緑の目もさめるように美しく、政略結婚とは言え私の心は踊った。今思えば初恋だったのだろう。
エムリスはその数年前から貴族のための学園に通っていたが、三年後に首席で卒業したのちバース伯爵家を継いだ。容姿、能力、ともに自慢の婚約者だったと思う。それから三年後の今日と言う日、私が十六になる誕生日、私とエムリスは盛大な結婚式を挙げた。
*
――さすがに初夜ともなれば私も背がピンと伸びるというものだ。真新しいシュミーズとネグリジェを着せられ、私はエムリスの訪れを待っていた。果たしてどんな一夜を過ごすことになるかと胸を高鳴らせる。
それから五分後になり果たしてエムリスはやって来た。だが、花婿には似つかわしくない小難しい顔をしている。ベッドの端に腰掛け手を組むと、私の顔を見ないまま「ユージェニー」と名前を呼んだ。
「はい、何でしょう?」
エムリスは重々しい声でゆっくりと告げた。
「私は君を永遠に愛することはない。両親がクルー家に恩があるから、仕方がなく結婚しただけだ」
私は思わずえっと言ったきり絶句する。
「ただし夫としての務めは果たす。君もそれ以上は望まないでくれ」
エムリスの声には冷たさと妙なすっきり感があった。やましさを手放したからなのだろう。私は「……そうでございますか」と答えるしかなかった。
それから長くも短くも思える一夜が明けると、エムリスはベッドに呆然と横たわる私を残し、声も掛けずに足早に部屋を出て行った。私はただシーツに顔を埋めていた……。
エムリスには学園で知り合った可愛い恋人がおり、週末にはその恋人と仲睦まじく過ごしていると聞いたのは、結婚二週間後となる秋の終わり――枯れ葉の散る頃だった。
で、その後は一体どうなったのかって?
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――五年後。実家のクルー家の別荘。
私はスッケスケのドレスを着て、寝椅子にゆったりと横たわっていた。こう言っちゃなんだけど、美人で華奢なのに巨乳と言う無敵ボディなんで、我ながら絵になるわーと思う。そんな私の剥き出しの足に熱い唇が付けられた。
「こうしてあなたに口付ける権利を得るためならば、俺は剣と誇りを命の限り捧げよう」
黒い髪に青い目のこの男は騎士団長のウェインだ。硬派のこの手の男に跪かれるのは気分がいい。続いて別の男に手を取られ手の甲にキスをされた。
「月光の女神。今宵のあなたの一時をこの私めにいただけますか」
金の髪に金の目のこのイケメンは何と王弟のエドワードである。女のように優し気な顔立ちは宮廷人気ナンバーワン。ホストクラブがあればトップを取っていたに違いない。更には後ろから髪を掬い取られ溜息を吐かれる。
「ユージェニー、こんな気持ちは生まれて初めてなんだ。お願いだから僕に一目だけでも君のサファイアの眼差しをちょうだい……!!」
茶の髪に榛の目のこの少年は私の従弟に当たるフレッドだ。最近やっと十六になったが未だに童顔であり十二、三歳にしか見えない。
皆、身分も容姿も年齢もバラバラだがたった一つだけ共通点がある――それは私に夢中であると言うことだった。
私は嫣然とした微笑みを浮かべる。
「ごめんなさいね。私には一人を選べないの。だから」
三人の男たちがごくりと息を呑んだ。私は彼らに向かい優しく手を広げる。
「皆に等しく私の愛を与えるわ」
――さぁ、今宵もレッツ4P!
*
さて、突然だが私は日本人の転生者である。前世の私は結婚二年目の小梨の主婦だった。ところが買い物帰りに居眠り運転のトラックに轢かれ、呆気なく死んでしまったのだ。享年アラサーと呼べるギリギリ歳。若くもないが死ぬには早い年だった。
けれどもその後すぐに意識を暗い穴に放り込まれ、次に明るい外へ引き摺り出され、恐ろしさのあまりオギャアと泣いたのだ。ユージェニー・シャーロット・クルーとしての第二の人生の始まりである。
それから私は大勢の召使いにかしずかれ、両親にとことん甘やかされ蝶よ花よと育てられた。そしてようやく歩けるようになった二歳の年に、自分が異世界転生を果たしたと知ったのだ。
いやー、衝撃だったわ。頭をガツンと殴られた気がしたわ。あの日は今でも覚えているわ。頭にハテナマークを浮かべつつ鏡を覗き込んでみると、銀髪碧眼のスーパー美幼女が写っていたんだから。ネット小説ではよく読んでいたけれども、まさか実地体験することになるとは思わなかった。
私の生まれた場所はなんちゃってヨーロッパな国家で、時代はやはりお約束の中世と言ったところらしい。王と貴族を頂点とするまんまライトでノベルな世界観だった。ドレスフリフリピラピラ・ワールドである。王子様のカボチャパンツはなくてよかった。
私は始めこそ地球から切り離されたと落ち込んではいたものの、前世の主婦の図太さをもって約一日で立ち直った。ついでに開き直った。せっかく貴族の令嬢に、しかも美しく生まれついたんだもの。楽しまなくちゃ損じゃない?やってみたくてもできなかったこともやりましょうよと。
ところで前世の私は安定目当ての見合い結婚だった。よくある話でまったくモテないのに高望み。これまたよくある話でその挙句のこじらせ独身。アラサーになって現実を認識してから慌てて婚活を始め、どうにか公務員の旦那と結婚できたのは幸いだった。
が、旦那を男として好きだったわけではない。ぶっちゃけ旦那の外見はアレだった。私と同じモテない君で、見合いでしか相手の見つからないタイプだった。それでも年月を過ごせば情も沸くかと我慢をして結婚したのだ。
こんな前世だったからこそ最高の外見を頂いた今世は、目的のために最大限にそれを活用することに決めた。私が前世でやってみたくてもできなかったことの一つ――それはずばり逆ハーでしょう!
*
二十一世紀の日本ならば私の行いは不倫だ・調停だ・慰謝料だと既婚の皆様から非難ごうごうだっただろう。しかし、ところ変わればしな変わる。こちらの貴族の世界では不倫も恋愛である。と言うか、不倫こそが恋愛だ。
貴族の世界では結婚は政略が当然である。家と家との結び付きを強めて財産の分散を防ぐ、あるいは血筋を守るための契約でしかない。義務として双方の実家のための子どもをもうけた後には、好きにしてもいいよというのが暗黙の了解だった。
そんなわけで私も十六歳で長男を、二年後に男女の双子を、四年後に次女を生んだ。これで跡継ぎ要員と嫁出し要員、婿出し要員は確保したことになる。齢二十歳にして私はようやく自由に恋愛とセックスをする権利を得たのだ!身分の高い美人の既婚って最高!!美少年の童貞侍従からナイスミドルな王族まで食いまくりである。
一昨日はうやうやしくも現国王といたさせていただいた。この陛下は十年前にまだ王太子であった頃、学園で男爵家の養女だった王妃様と運命の出会いをし、スッタモンダの末に大恋愛で結ばれている。貴族らの大反対を受けたものの、一層燃え上がったのか我を押し通した。
その後も王妃様一筋、愛妻家と名高い陛下だったが、実は週に二度は私のもとに来ている。王妃様を今でも嫌いではないけれども、時々平民そのものの価値観と貧乏くささに嫌気が差すのだそうだ。私はそれを不誠実とは考えない。むしろ人間らしいと好ましく思う。結婚するまで見えてこないものってあるものよ。陛下にとっても満たされていて何もねだらず、ただ甘やかしてくれる私が楽なのだろう。
ところが最近王妃様が私の存在に気が付いたらしく、頻繁にヒステリーを起こすようになったのだそうだ。陛下は「理由付けて離婚しようかな……」と一昨日ベッドの中で呟いていた。あらあら、お可哀想な王妃様。後ろ盾もお子様もいない王妃様にとっては、あなたの愛情だけが最後の頼みの綱でしょうに。
王妃様のように私に旦那を寝取られた奥方様の一部は、私を好き者、便所と陰口を叩いているらしい。まあその通りだから反論する気もない。ただちょっぴりだけいつも思う。その気の無い旦那を愛するなんて時間の無駄。男なんて星の数ほどいるんだから、そうと分かればさっさと次行け次!アラサーの婚活じゃそれが鉄則だったわ!!
――そんな日々も二年目になるある日のことだった。
*
今日はやっぱりクルー家の別荘にて隣国の王子との逢引である。最近私に会いたいがために頻繁にこの国に来るようになり、留学を考えていると言うまでになった。んー。そろそろ切り時かな。離婚して結婚してくれと言われそうな勢いだし、そこまで思われても困るのよね。
そんなことを考えながら寝椅子に寝転がっていると、がちゃりと扉を開ける音が響き男が一人入って来た。私はてっきり王子なのかと思い優雅にその場に立ち上がる。
「いらっしゃいませアレクシス王子、今宵はどのようなプレイを――」
ところが扉の傍に立っていたのは隣国の王子ではなかった。金の髪に緑の目のまあ割とイケメンである。どこかで見たことがあるのだがいまいち思い出せない。
「ユージェニー……」
イケメンは苦し気な声で私を呼んだ。私は可愛らしく首を傾げ、頬に人差し指を当てる。
「あー……どちら様でしたか?」
男は信じられないと言ったように目を見開き、やがて声をどうにか抑え「エムリスだ」と名乗った。そう、イケメンは何と夫のエムリスだったのだ!顔を見るのは何年ぶりだろうか?
エムリスは私を睨みつけるように見つめる。
「今日アレクシス王子はいらっしゃらない。妃のカトリーナ様に刺されたのだそうだ」
何!?刺された!?それはえらいこっちゃ。来られなくても仕方がない。
「カトリーナ様は現在拘束され、処分を待つ身となっている。恐らく処刑となるだろう」
エムリスの眼差しがギラリと光った。
「ユージェニー、次から次へと男を弄んで、君には愛や人の心がないのか?昔の君はそんな最低な女じゃなかったはずだ」
私はその発言にさすがに呆れ返り腕を組んだ。まったくこいつは説教できるような立場だろうか。
「そんな女云々以前にあなたは私のことは何も知らないでしょ?」
それに、と誰もが目を奪われる艶やかな微笑みを浮かべる。
「好きにしてもいいと言ったのは他でもないあなたよ?どうして今更愛だの恋だのと言って突っかかって来るのかしら。ああ、まさか愛しのマリアちゃんにフラれた?」
エムリスはぐっと押し黙り拳を握り締めた。ははは、どうやら召使い達が噂をしていた通りらしい。
エムリスの長年の恋人は平民のマリアちゃんと言う女の子だった。成績が市井において非常に優秀であったため、女の身でありながらも特別に学園に入学を許可されたのだ。
マリアちゃんは結婚したいと言ったけれども、私と言う婚約者のいるエムリスの立場では不可能だった。バース伯爵家は私の実家であるクルー侯爵家に資金提供を受けている。そのためエムリスの一存だけで婚約破棄などできる立場ではない。
私はふふっとエムリスを嘲った。
「あなたがマリアちゃんに何て言ったか想像できるわ。どうせバース家が安定したら離婚する、妻に子どもができたら離婚する、子どもが大きくなったら離婚する――そうやって嘘を付き続けてマリアちゃんを縛って来たんでしょ。六年、七年かしら?女の子にはどれだけ貴重な時間かしら」
その後ろめたさが初夜にあの台詞を言わせた。
『私はお前を愛することはない。両親がクルー家に恩があるから、仕方がなく結婚しただけだ』
エムリスとしてはマリアちゃんに心の操だけは立てたつもりだったのだろう。私は滑稽さのあまりほほほと手の甲を口に添え軽やかに笑い始める。
「そんなものは女に何の意味もないわよ。ねぇ、エムリス、手放したくないと言う身勝手を貫き、その揚げ句に愛想を尽かされた感想は?人ひとりの、それも愛する女の人生を狂わせた感想を教えてくれるかしら?私とあなた、一体どちらが悪人なのかしらねぇ?」
ちなみにマリアちゃんは彼女をずっと思い続けて来た幼馴染の男にプロポーズされ、二人で故郷に帰ったのだそうだ。私もそれでよかったとしみじみ思う。誠実を装った偽善者のお貴族様、ぶっちゃけクズより、自分一人を愛してくれる平民の方が彼女には合っているだろう。
エムリスは真っ青になったまま一言の反論もしない。ただ唇を噛み締め足もとを見つめている。
私は「ねぇ、エムリス」と私はエムリスの肩に手を添え耳元に囁いた。
「あなたは貴族に生まれるべきじゃなかったわねぇ。ああ、でも、そんな甘っちょろいんじゃ平民の身分なら搾取されるだけかしら。それともその身勝手さでうまく立ち回っていくのかしら」
何かを言われるたびにエムリスは傷付いているらしい。イケメンだけあり耐える姿が何とも言えずにそそる。私はエムリスの頬をついとなぞった。その身体がびくりと震える。
仕方がない。今日は床上手の王子と一発ヤる予定だったんだけど、身体も疼くしこいつで手を打っておくか。
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小鳥の鳴き声がカーテンの隙間から聞こえる。なるほどこれが朝チュンと言うものか。ベッドの中で男と二人で抱き合っている。
私はエムリスの腕を解きシーツの上に頬杖をついた。
さて、エムリスと久々にヤッた感想は一言で言えばこれだった。
――ありきたり。つまんない。
ウン年ぶりなのに既にマンネリってどう言うことかしら。雰囲気作りもテクもあったものではなく、ただひたすらがっついて来ると言った感じだった。どうりで初夜や子作りの記憶がきれいさっぱり脳内デリートされているはずである。あまりに下手でマジかよと呆然としてしまい、書き込まれることすらなかったのだ。
ところがエムリスにとっては新しい扉を開けた夜だったらしい。
「ユージェニー……」
再び腕を伸ばし私を胸に抱き締める。
「ユージェニー、初めて君を知った気がする。君さえ良ければ、もう一度夫婦としてやり直さないか?」
私は思わずはぁ?と声を上げた。こいつは何を言っているのだろうとまじまじとエムリスの顔を眺める。
「やり直すも何も初めから私達の間には何もないじゃない?」
この答えはエムリスにとって予想外だったらしい。切れ長の目をまん丸にして私を見つめている。マリアちゃんはこの手の台詞で簡単に絆されていたんだろうなぁ。
「わ、私は君の夫だぞ?!」
「だって両親が言うから仕方がなく結婚しただけだもの」
エムリスは私の返事に絶句している。
「だが……君は顔合わせの時……私に見とれていて……」
「あの時はいい男がたくさんいるのを知らなかったからよ」
私はガウンを身に纏いベッドから起き上がった。
「都合のいい時だけに自分を受け止めてくれる女が欲しいのなら、新しいマリアちゃんでも探してくださいな。最も何も求めない女なんてこの世のどこにもいないでしょうがね?」
私こそが女と本音そのものですよ、と私は笑った。
エムリスの美貌に憧れた時期はとっくに過ぎているし、私は今更一人に縛られたくはない。取っ替え引っ替えちやほやされる楽しみを奪われたくはない。そんな妻の私が嫌ならさっさと離婚すればいい。とっくにお互いの家への義理は果たしているし、私は今すぐにでも構わない。そう告げるとエムリスは頭を抱え低く呻いた。
「私は、何もかもを間違えた……」
いや、間違えてなんかないよ?私はお肌ツヤツヤでハッピーだし!
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――その後エムリスは頻繁に私の部屋を訪ねて来るようになった。
愛の言葉もプレゼントも雨あられである。けれども私は小娘じゃあるまいし、花やドレスや宝石なんて見飽きている。愛の言葉?そんなものは一銭にもならない。言葉ほど当てにならないものはないでしょ。やっぱり貴族の男の価値は身体とテクよ。金や地位や美貌なんて全員が持っているんだから。
まあとりあえずは逆ハーにオマケが増え、私がハッピーなのには変わりがない。