旅のはじまり カンダ古書林→エジプト
橙乃ままれ様著、ログ・ホライズンの二次創作です。キャラクターはログ・ホライズンTRPGのプレイヤーキャラを中心にしており、原作とは一部異なる描写が含まれることがあります。
「まず、旅に出る気なんてさらさらなかった」
冒険者のホームタウン、≪アキバ≫の街。飲食店が軒を連ねる食い倒れ横丁の端っこ、
こぢんまりとした焼き鳥屋の隅の席で、僕は親友に話し始める。
僕はつい先日、ヤマトの地を踏んだばかりで、にぎやかな喧噪に馴染めていない。
後ろを振り返ると、夜灯りに照らされて行く人々が、かしましく、宵どきの活気にあふれた道をゆく。
まるで、かつての日本の、飲み屋横丁のように、提灯が下がり、暖簾がある。
夜気を防ぐためのシートの向こうから、呑兵衛たちのシルエットが楽しそうに動く。
ここが異国どころか、まぎれもない異界の地、セルデシアであることなど、だれも気にもかけていないようだった。
ジョッキ片手に黙っている彼に促され、僕がこの街に帰ってくるまでの、およそ一年にわたる旅の物語を再開する。
「5月のあの日、あの瞬間、俺は≪妖精の輪≫に足を踏み出しかけていた。
新パッチ、<ノウアスフィアの開墾>の影響は気にせずに。
あたらしもの好きの連中から、また明日にでも聞けばいいと思って、な。」
話しながら、僕は当時の記憶をたぐり寄せていく。
そう、僕はアキバ近郊のダンジョン、≪カンダ古書林≫の≪妖精の輪≫を、
5月の連休の真夜中、24時0分に踏もうとした。
新パッチが適用され、世界が変革を迎え、僕たちがこの世界に閉じ込められた、
≪大災害≫の瞬間に。
『錬金術師』をサブ職業に持つ僕は、さまざまな素材から便利な呪薬を作り出すことができる。
呪薬の販売は、僕のエルダーテイル内での重要な安定収入源だった。
そのために、素材の買い取りだけではなく、自ら手に入りづらい高レベル素材を採取しに行くことも多かったのだ。
移動に用いられるテレポーター、≪妖精の輪≫は時刻と月齢に応じて、移動先を様々に変える。
カンダ古書林24:00→霊峰フジ五合目。月齢は上弦の4。
時間のわかりやすさと得られる素材の高額さもあって、僕はしばしば、『夜影草』やら、『人頭茸』やらの毒草、毒茸のたぐいを≪霊峰フジ≫へと集めに行っていた。
≪大災害≫のあの日もまた、同様だった。
話題の新パッチは後追いでよしと、しばらく様子見を決め込んで、≪妖精の輪≫を、移動位置に
選択した……ちょうど、24時、ゼロ分に。
ふと、自分の体に異質さを覚えた。いま、僕は屋外にいる。
温度。乾燥した匂い。微風。音。衣類の重み。五感が瞬時に様々な情報をもたらす。
僕の体が前に傾いている。倒れようとしている?……いや、歩こうとしているんだ。
「物理学的には、歩行とは、前方へ倒れる体を支え直すことである」、という言葉が頭をよぎった。
一瞬の逡巡のなか、僕は倒れる体を支えるために、足を前に出さざるを得なかった。
―――何が起きた?この一歩を踏んでいいのか?危険か?止められるか?
その迷いが、僕の一歩によたつきと、コンマ数秒のズレをもたらした。
足がもつれ、淡く緑に光る《妖精の輪》のフチを外れて、一歩を踏む。
……安堵の息を漏らすと、僕は体勢を立て直し、落ち着いて周りを見渡した。
≪カンダ古書林≫、たしかに見慣れた≪カンダ古書林≫だ。いつもの、ゲームの画面通りの。
しかし、かび臭い風、すこし冷えた空気、古書の放つ独特の香り……
それらは、異様に高いリアリティで僕を包み込んでいた。
「……これは、なんなんだ」
正直な感想が口からこぼれた。軽く、手を握り、開いてみる。
握った、そして開いた感触がある。「これ」が「僕のからだ」だ、という実感が、たしかにあった。
ゲーム時代にはなかった、実体としての感覚。
しかし、僕の理性はうまくそれを受け入れられずにいた。
僕はさっきまで、狭い自室でふかふかのクッションに体を預けていたし、
アパートに遠く響く、幹線道路の走行音をBGMに、エルダーテイルをプレイしていたはずだった。
ふと、顎をなでる。その手触りは、本来感じるべき、すこしざらついた感触ではなく。
顎の先からするりと伸びる、しっかりとしたヒゲの感触をもたらした。
そこで、理解が訪れた。
これはゲームのアバターだ。『召喚術師』にして、『錬金術師』の「リュンクス」。
アゴヒゲ、スカルキャップ・バンダナ、ポニーテール、上背のある痩せ気味の男。
これは、僕のキャラクターの身体なんだ。
理屈はわからないが、僕が、いま、そのキャラクターなんだ。
突きつけられた事実に対応しようと、頭がフル回転を始め、同時に不安が一挙に噴き出し、こころを苛む。
僕はゲームの世界にいる。身体をもち、ここにいる。
でもふつう、そんなことあるわけないだろ?
感覚と常識の板挟みで、ごりごりと全身を圧迫されるようなストレスを受ける。
僕は無意識に、ヒゲをつまみ、撫でる。大学時代、アゴにヒゲを生やしていたころの、手癖。
突然、背後からの飛来音に気づき、とっさに身をねじる。
白熱する紫の光が顔の横を一瞬で通り過ぎ、後方の古書の山が弾け飛ぶのを視界の隅でとらえる。
一瞬で感覚がゲーム時代の戦闘モードに切り替わり、すぐに攻撃者を視認。
恐ろしげな顔をした鬼女……古い手紙で体を構築したモンスター、≪文車妖姫≫の魔法攻撃だ。
火炎属性弱点、敵レベルは40。精神系攻撃に注意。とっさにwikiの情報を頭から引き出す。
レベル85の僕にとっては、一撃で撃破できて当然の敵だ。
余裕をもって相手に向き直り、反撃の魔法弾を放つ……放つつもりだった。
「……しまった、これどうやって攻撃するんだ!?」
ゲームの時は対象を指定すれば基本攻撃が行われた。だが、今はそうはいかない。
こうか?それともこうか!と、必殺技を出そうとする小学生のように色々とポーズをとってみるも、ただただ滑稽なばかりで何も起こらない。
「あ、そうか、コンソールを開けば……」
ゲーム時代の機能を思い出し、ステータスコンソールを開く動作をしてみる。
ありがたいことにうまく開いたウィンドウには、僕の習得したスキル名が並ぶ。
≪従者召喚:サラマンダー≫≪エレメンタルブラスト≫……
そうして光るウィンドウを前にして喜び勇んだ僕は、気づけなかった。
僕はあろうことか敵の真正面でもたついていること、≪文車妖姫≫はその隙を見逃すはずもないこと。
右胸に着弾。紫光の爆発。
「うわっ!?」
僕の体を衝撃が貫く。慣れない身体に加えて、もとより軽装の召喚術師。
さらに間の悪いことに、今着ているのは採集用の装備で、移動と隠密に特化し、防御力はほぼ捨てている。
そのせいか格下の攻撃でも衝撃は大きく、真正面から受けた身体は、自然、数歩たたらを踏むことになった。
数歩、後ろを、踏んでしまった。
足元が緑の光で煌々と輝きだす。《妖精の輪》の起動エフェクトだ。驚愕に目を見開くも、時すでに遅し。
僕の身体が小さな光の粒子へ分解され、転送が開始され始める。足もとから光の霧が這い上がり、その部位が消えていく。
獲物を取り逃がした悔しさからか≪文車妖姫≫が威嚇のうなりを上げるが、そんなのはもうどうだっていい。
なにせ、僕はいま、知りようもないどこかに転送されつつあるんだ。
人類文化学修了で無宗教、神々は研究対象だと気取っていた僕は、生まれて初めて本気で神に祈った。
どうか、どうか僕の行く先が安全でありますようにと。
24:00発から、24:05発。
本来たどり着くはずだった、ヤマトの≪霊峰フジ≫から、
荒涼とした砂漠にそびえる、忌まれ遠ざけられた遺跡へ。
たった数歩が、1年にわたる僕の長い長い旅の出発点となる。
ヤマトからはるか遠くのエジプトサーバー。
吹きすさぶ砂塵と、無数のモンスターの鳴き声。
そして、高レベルレイドダンジョン≪王家の谷≫前で立ち尽くす僕。
僕には、どうやら神がいじわるを決め込んだように思えた。
次はエジプト~中東の予定です。