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名前を下さい 後編

 理彰と私とことりさん、それから大狼さんと共にやってきたのはファミリーレストランという所だった。

 メニューはカレーに唐揚げ、ハンバーグ……人間の世界は美味しいものばかりで迷ってしまう。

 迷った挙句に全て注文、テーブルの上にずらり、並んだ料理はやっぱりどれも美味しくて頬っぺたが蕩け落ちてしまいそう。

「俺は甘味を奢ると言ったのだが……?」

切り分けたハンバーグを食べていると、理彰は解せぬと顔を顰める。

 元々甘い物を食べるだけの予定だったけれど、お腹が空いてしまったから仕方がない。理彰は何でも好きな物を食べていいと言ってくれたのだから頼んでも文句は無いだろうと思っていたのだけれど、どうやら違っていたみたいだ。

「でも理彰、好きな物を食べて良いって」

「お前は俺と一緒に弁当を食っただろう」

「美味しい物は別腹だ、ってこの間お昼のテレビで言ってましたよー」

食後はパフェも食べたいです、理彰にそう強請れば私の向かいで幸せそうにパスタを食べることりさん、そしてその隣、ガツガツをステーキを貪る大狼さんが頷いて、理彰は諦めた様にひとつ呟いた。

「……もう好きにしろ」


 好き勝手に注文した結果、私が食べたのはカレーと唐揚げ、ハンバーグ、ポテトにパスタとシーザーサラダ。大狼さんはステーキとカレー、エビフライで、ことりさんはパスタにミニサラダ。三人揃ってぺろりと平らげ、デザートメニューを開くのだ。

「よくそんなに食えるな」

俺は胃もたれしそうだと、空いた食器を重ねる理彰は苦虫を噛み潰した様な顔。

 俺達はまだまだ若いからと大狼さんが返して店員を呼べば、理彰は気にしているのかいないのか、ああそうかそうかと軽く流して席を立ってコーヒーのおかわりを取りに行く。

 そういえば服、ちゃんと買ってもらったんですね――理彰が席を立ってすぐ、私に声を掛けたのはことりさんで、彼女は私が着ている服を指し、似合ってますよと微笑んだ。

「わあ、嬉しいです。店員さんに選んでもらったんですよー」

「店員さんなら間違いないですものね」

素敵です、なんて言われたら困ってしまう。だって私を褒めることりさんは今日もお洒落で可愛いのだから。

 でれでれと頭を掻きながら、ことりさんも素敵ですと褒めれば、彼女は嬉しそうにお礼を言って紅茶を啜った。

「彰さんも少し穏やかになったよなあ」

ドリンクバーの前に立つ理彰の背中を眺めてぽつり、大狼さんが呟く。

「わかる。まだ数日しか経ってないけど、文句言いつつ毎日定時で帰るものね。案外楽しいのかもよ」

 どうやら理彰は会社でも私の文句を言っているらしい。富陽ふようから押し付けられる形で嫌々私のことを引き取ったのだから、当たり前と言えば当たり前だ。だからこそ、私のことを面倒な奴だと思いこそすれど、それが楽しいなどと言うことは絶対に有り得ない。

 随分と好き勝手に話しているものだと考えながら烏龍茶を飲んでいると理彰がコーヒーを片手に戻って来た。

「楽しそうだな」

「ええ、ここ数日理彰さんが楽しそうだなって」

ことりさんがくすくす笑えば、理彰は冗談はよせ、と私の隣に腰を下ろしてミルクの蓋を開けて首を振る。

「このふてぶてしい猫のお陰で散々だ」

横目で私を見た理彰は心底嫌そうな顔をしているものだから腹が立つ。

「それはこっちのセリフです。私だって出来ることなら富陽の所で世話になりたかったですよ。大体理彰は不器用なんです。女の扱いを覚えた方が良いってのは全くもって本当ですね。触り方も撫で方も抱き方もへたくそなんっ……む――」

「ば、馬鹿! お前は阿呆か! 誤解を招く言い方は止せ、このたわけ」

ぽろぽろと愚痴を溢す口を理彰に塞がれ何事かと睨みつければ周りを見ろと理彰が目配せする。

 そうして目に入ったのはタイミングよく運ばれてきたパフェと口を開いたまま閉じることが出来ないことりさんと大狼さん、パフェと伝票だけを置いてそそくさと退散する店員で、彼らの表情と理彰の焦り方から、漸く何かまずいことを言ってしまったのだと私は気が付いた。

「今はお前達と同じく人の姿たがこいつは元々山猫なんだ。俺の抱き上げ方に不満がある様で……だからお前達が思っている様な関係では無い、断じて」

私の口を押さえたまま、二人に弁解する理彰の顔は真っ赤。とても困っている様だから少しだけ、可哀想になる。

「でも、そこまで下手って訳じゃないんですよ。ほら、見てて下さ――」

「事態をややこしくするな頼むから大人しくしててくれ」

理彰の手を剥がし、誤解を解く為、ひとつ念じて猫の姿に戻ろうとした腕を掴まれ、口の中に放り込まれたのはパフェのてっぺん、さくらんぼ。一番最後に食べようと取っておくつもりだったのに、理彰をきつく睨んでクリームに塗れた果実を噛み潰せば、ことりさんは大きく口を開けて笑い出す。

「あはは、理彰さんがここまで焦ってるの初めて見ました」

けたけた、笑う彼女の目には涙で、余程可笑しかったのだろう、お腹を抱えて苦しそう。それから彼女は何度か深呼吸をして、ごめんなさいねと目尻を拭った。

「理彰さん、眉間に皺を寄せているか無表情か、激怒しているかで表情のパターンが三つしかないので……意外だな、って」

そう言って最後にふう、と息を吐き、ことりさんは上品に柔らかく微笑んだ。

「話だって富陽さんから聞いています。だから誤解も何も無いですよ。可愛らしい三毛猫なんですってね」

「それは仮の姿です! 元は格好良い山猫なんですよ」

 私は仙狸、山猫だ。そこらの猫又と一緒にされては困るし三毛猫などと言われては不服だ。見ていて下さいと姿を変えようと思った所で先程の出来事を思い出し、大人しく椅子に座りなおす。

「格好良いんですから……」

この場で姿を変えるのは良くない。黙ってパフェを頬張れば、よく我慢したなと頭を撫でるのは理彰。

 褒めてくれているのは有難いがこれぐらいで褒められても嬉しくない。馬鹿にするなと無視を決め込み、黙々とパフェを食べていると、今度は大狼さんがくすくすと笑い始めた。

「何を笑っている」

「いやあ、彰さん、本当に面倒見いいなあって。富陽さんが子猫ちゃん預けた理由、俺なんとなく分かります」

「一週間という期限付きだ。預かっているからにはそれなりに面倒見なければならんだろう」

「彰さんらしいですね」

「仕事だからな」

そう言った理彰を見る大狼さんの眼差しはどこか優しく温かかった。しかし理彰が大狼さんの目を見ることは無く、黙ってコーヒーを啜り、それからしばらくしてちらりと窓の外を見ると

「雨、だな」

と一言呟いた。

 雨――理彰に釣られて外、眼下に見える交差点を見れば、傘の花がゆらゆら動いて流れていく。

 今日は寒い、雪にはなったりしないだろうか、すぐに止むだろうかと理彰に問えば、雪にはならんとスマートフォンの画面を指でなぞり、天気予報を私に見せた。

「だが止む気配は無いな。むしろこれから強くなるやも知れん。今日はもう帰るぞ」

急かす様に理彰は立ち上がり、皆がデザートを食べ終わったことを確認してから外套を羽織ると、一人、足早にレジへ向かう。

「そういや子猫ちゃん、名前はなんていうんだ?」

理彰の会計中、私が一向に名を名乗る気配がないことを不思議に思ったのか、大狼さんが聞いてくる。

「今まで必要なかったのでそんなものはありません」

と伝えれば、今度はことりさんが、なら何か呼ばれたい名前はないのかと問い掛ける。

「ほら、私達なんて呼んでいいか分からないから、何かないかなー、って」

 名前――確かに、名前で呼び合う関係は素敵だ。子猫ちゃんだなんて変な呼ばれ方をしなくて済むならそれに越したことはない。けれど呼び名などすぐに思いつくものでもなく、結局悩み、考えている間に理彰が戻ってきてしまい、私は口を開かぬまま、解散となってしまうのだった。


「俺が会計している間、浮かない顔をしていた様だが何かあったか」

二人と別れて雨の街、理彰と入った小さなビニール傘の中で不意に聞かれたのは先程の出来事だった。

 なんと伝えればいいのかは分からないが、気に掛けて貰えていることが少し嬉しくて、素直に理彰に伝えたのは、名前を下さいの一言。

「名前、私には名前が無いです。だから、名前を下さい」

「なんだそれは」

私の唐突なお願いに理彰はなんで俺なのかと面倒くさそうに眉間に皺を寄せる。

 嫌そうにされるだろうとはなんとなく思っていたが、そこまで嫌なものなのか。それから理彰は

「そんなの好きに名乗ればいいだろう」

と、そっぽを向いてしまうのだから参ってしまう。それが出来ないから困っているのに、理彰は何も分かっちゃいない。

「私にはセンスがありません。だからお願いしてるんです」

「残念だが俺にもその様なセンスはない」

「イイコトしてあげますから!」

冗談じゃない。勘弁してくれと断る理彰を前に大人しく引き下がる訳にもいかず、傘を持つ腕を掴んで強請ってみるも、それでもこの男、首を縦に振ろうとしないのだからどうしようもない。

「文句は言わないので!」

「どうだろうか」

「なんでもしますから!」

「……文句は言うなよ」

強請って断られての繰り返し、そうして何度目かのお願いに理彰はついに根負けして、小さく一言呟いた。

「……ユー……ア……雨華ユーファで、どうだろう、か……?」

 雨華――些か安直、そして随分と大層な名前だが、なるほど確かに悪くはない。

 見上げた理彰は自信なさげに私を見下ろし、どうだろうかとぎこちなく問う。

「……流石理彰、やるじゃないですか。名前、ありがとうございます」

にかり、笑ってお礼を言って、そうすると理彰は安心した様に目を細め、雨華、と私の名を呼んだ。

「帰るぞ」

「はい!」


 雨にも水にも慣れているが、水に濡れるのは好きじゃない。

 しかし名前は嬉しくて、私は乗り込んだ帰りの電車、ずぶ濡れの理彰の左肩をぼうっとただただ見つめてた――

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