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あやかしの街にて 前編

 昔、僅かな間だが、私にも名前があった。それは自ら名乗った物ではなく、人に名付けられただけの名。そこにどんな意味が込められていたのか、私は知らないが、ただ、名付けたそいつは私を捕らえ、妓女として仕立て上げようとしていた極悪人だったということだけは知っていた――


 理彰リショウの家に来て数日。理彰が仕事で居ない間はテレビを観たり、雑誌を読んで過ごしている。

 まさかパンダ目当ての観光客を誘い込む為に独学で覚えた言葉がここで役に立つとは思わなかった。お陰で日々の生活に退屈しないし、下手くそな言葉も上達してきた、と思う。

 そんな私のお気に入りの番組は時代劇と、刑事ドラマ。この二つは毎回お決まりの展開なのに難しい言葉が多く、沢山の言葉も覚えられるし分かりやすい。

 私はここに来て僅か数日の間に、すっかりドラマの虜になっていた。

 しかしそんな中でも変わらないのは、人間は碌な生き物ではない、という考え。理彰は人間との共存を望む人外の存在で、私にはよく分からないけれど、人間も悪いものでは無いのだ、とよく言っているが――

「果たしてそうでしょうか……」

水の入ったカップを片手に独り言、眺めるテレビはワイドショー。

 テレビも雑誌も勉強になるから大好きだけど、その中身は下世話で卑しく低劣だった。芸能人の不倫騒動にどこかの誰かの殺人事件、現実にもそんなニュースが溢れていて、人間が良い生き物とは到底思えない。

 それならまだ生きる為に人を食らう妖魔の方がまともではないか――私にはわからない、わからない。

 そうやってテレビに飽きたら鞠をついてみたり、外の様子を眺めてみたり、夕方までをだらだらと過ごし、理彰が帰って来ると二人でご飯を食べに行くのがいつもの流れ。

 ご飯は人間の食べ物だったり、そこらにいる人間の精だったり、その日によって違っていたが、食い溜めしなくても良い環境ということもあり、私は人を食い殺すことが無くなっていた。

 それはそうと、人間の食べ物は腹持ちが悪いことを抜きにすれば美味しい物ばかりだ。昨日は初めて海の魚、お寿司を食べたし、一昨日は点心を食べに連れて行ってもらった。美味しい物を食べると人間の暮らしも案外悪くない、と思えてしまうのだから不思議なもので、気付けばそろそろ理彰が帰ってくる時間。今日は肉か魚か、何を食べるのだろうかと、私の心はうきうきと躍っていた。


 ふわり――髪が揺れれば感じる、微かな理彰の足音、匂い。

 理彰が帰ってくるのはなんとなく、感覚で分かる。

 私の顔の横、耳の辺りで外に跳ねた髪が教えてくれるのだ。それは私の髪には間違いは無いのだけれど、猫の髭の様に何かを感じ取ることが出来たり、感情を表したり、妙な役割を持っている。

 昔、人間に捕まった時に切られたことがあるが、それはそれは大変でしばらく動けなかった程。折れても抜けても焦がしても、何をしてもしばらくすると生え揃うから特に問題は無いけれど、出来るだけ人には触れられたくない、大事な部分であるのは確かだった。

 ふわりと、また髪が揺れ、更に理彰が近付いてきているのを感じ取る。いそいそと玄関で待機した私はドアが開くのと同時に、勢い良く理彰の体に飛びついた。

「理彰! おかえりなさい! お腹が空きました!」

そうして飛びついた先に居るはずの理彰は慣れた様子でひらりと躱し、深い深い溜息を吐いて鞄を床に置く。

「お前はもう少し居候らしくしていようとは思わんのか」

「体でお支払いしましょうか」

「阿呆」

眉間に皺寄せ呆れる理彰は何ともからかい甲斐がない。

 真面目に受け止められるのは絶対に嫌だけど、もう少し焦ったり、頬を染めたり、怒ったり、そんな反応をしてくれてもいいと思う。つまらないですね、ああそうか、なんて不毛なやり取りの中、理彰はコートを脱ぎ、丁寧に掛け、着替え始めて私は首を傾げる。

 いつもはそのまま外に出掛けるはずなのに今日は変だと理彰の様子をじっと見つめていれば、テーブルに置かれた袋が目に入り、中からは香ばしい、良い匂いがして私の食欲を掻き立てる。

 こっそり中身を取り出そうと伸ばした手を理彰に払われ、これはなんですかと問えば、今日は外には行かないから弁当を買ってきたのだと、彼は教えてくれた。

「少し、仕事が入りそうでな」

「自宅待機ですか?」

「ああ」

理彰はとてもピリピリしている、この様子だと表の仕事では無く、裏の、妖魔関係の仕事なのだろうと私は何か不穏な気配を感じ取っていた――


 静かな部屋の中、時計の秒針が進む音だけが聞こえている。食事はとうに食べ終わり、片付けられたテーブルの上には食後のお茶と理彰のスマートフォン、それから家の鍵が置いてあるだけだ。

「理彰、私も付いて行っていいですか……?」

一人で留守番しているのはもう飽きた。戦闘になったとしてもそれなりに戦うことは出来るので、足手纏いにはならないはずだと理彰に聞けば、理彰は黙って首を横に振る。

「そんなに危険な仕事なんですか」

黙ったままの理彰にひとつ問えば、彼はしばらく考え込んでから、また、首を振るのだ。

「まだ分からん。動きがあったら青路あおじ達から連絡が来ることにはなっているが……」

顎に手を当てううむと唸る、理彰はいつにも増して真剣な表情。これでは何も言えなくなってしまう。

「分かりました」

――俯き一口茶を飲んで、仕方ないと諦めた。

 私だってそこまで戦える訳では無い。何かと物騒だった時代に兵士と戦える様、戦い方を覚えただけだ。対人間ならまだしも、妖魔相手にどこまで通じるか分からない。そんな状態で付いて行くのは危険だと分かっていた。

 仕方ない、仕方ない。

「大人しく待ってるので、気を付けて下さい。それとお土産は甘いお菓子が良いです」

笑って、明るく言ったつもりだけど、へたり、垂れ下がる顔の横の髪は私が不貞腐れているのを如実に表している。

 これだから単純な動物は困る。慌てて髪を隠して笑い、そんな私を見た理彰は、やれやれ仕方のない奴だとでも言う様に

「仕事内容によっては連れて行ってやらんことも無いぞ」

と私に手を差し出す。

 しかし私も捻くれ者。本来はここで嬉しいと喜ぶのが一番いいはずなのに、それはそれで私が我儘を言って理彰を困らせてしまった様で腹が立つ。結局、

「気を遣ってもらわなくて結構です」

と素っ気なく返してしまうのだから全く可愛げの無い奴だ。

「そうか、ならそうさせてもらおうか。お前を連れては行かない、勿論土産も無しだ」

冷たく厳しく言い放つ、理彰の言葉はなんと無慈悲なものだろう。留守番どころか甘い菓子まで無いだなんて!

「お菓子が無いですって!? 何を言ってるんですかそれとこれとは話が別です!」

「別な訳があるか。俺はお前に気を遣ったから連れて行くと言ったのだ。気を遣っているからこそ仕事が終わったら甘味も馳走してやるつもりだった。そこを気を遣わなくて良いとお前が言ったのではないか」

「大人げないですよ!」

「お前が幼いのだ」

「酷い!」

「それで構わん」

どこまでも冷静な理彰に軽くあしらわれ、返す言葉も無くなって、すっかり疲れてしまった頃に理彰の電話の音は鳴り響き、理彰は静かにしていろよと電話に出るのだった――


「――ああ……解った、俺が向かおう」

電話を終えた理彰の表情は先程よりも柔らかくなっている気がする。それから彼は私に手を差し出し、行くぞと一言告げるのだ。

「どこへです?」

「仕事に決まっているだろう。帰りに甘味も馳走してやる」

「でもさっき――」

「ほら、置いてくぞ」


 コートを着せられ手を引かれ、理彰と共に向かうは未知の世界。それは理彰曰く、人間社会で暮らすことの難しい妖魔が集まる街、らしい―

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